第六十五話 支える
素晴らしい、体験でした……。
私は目の前で涙を流しながら魅力的な笑みを浮かべているエレオノーラさんを見ながら、ふっと息を吐きました。
断罪騎士……その名に恥じぬような、相対するだけで怖気づいてしまいそうな威圧感と戦闘能力でした。
私、ボコボコにされてしまいました。ふふ……。
ゴブリンにリンチされたりオーガにズタボロにされたりしたことはあるのですが、単独の相手でかつ対人戦でここまでボコボコにされたことはなかったのではないでしょうか?
しかも、その手段が巨大な手甲による拳でのダメージ。
さまざまな苦痛を味わってきた私ですが、女性に拳でボコボコにされるという機会はなかなか得られませんでした。
そして、今日その快楽を知ったのですが……素晴らしいものでした。
今日だけしかこの快感を得ることができないというのは、私は許容できませんでした。
交渉の結果、私はこれからも、しかも独占的にエレオノーラさんの暴力をこの身に受けることができました。
ふっ……最高ですね……。
しかし、エレオノーラさん……まさか、私と対極の位置にいる人だったとは……。
私がドMだとしたら、彼女はドS。まさに、性癖パートナーとしてはこれ以上ありません。
ただ、注意しなければならないのは、私はこの性癖を完全に受け入れて愉しんでいるのですが、エレオノーラさんはそうではないということです。
彼女は、性癖に苦しんでいる。それを治すことに、私も協力しましょう。
その過程で私が痛めつけられるのは、必要なものですね。ええ。
そんなことを考えていますと、腕をグイッと引っ張られました。
「……本当にいいの、エリク?」
私の腕を引っ張ったのは、ミリヤムでした。
彼女は、私に対する心配一色の顔を作って問いかけてきます。
本当にいいとは、やはりエレオノーラさんの加虐性を私一人で受け止めるということでしょう。
まあ、普通の人は受け止めきれないでしょう。
彼女の強靭な力と強固な手甲による殴打は、私を昇天させてもおかしくないほどの威力を誇っています。
何人もの悪人を殴り殺してきたその暴力に、一般人が一週間も持ちこたえられるとは思いません。
しかし……。
「良いんですよ、ミリヤム」
私は特別です。
Mの道をひたすらに突き進む私にとっては、一般人の死刑宣告もご褒美に変わりありません。
エレオノーラさんの圧倒的な暴力を独占できる……まさに本望じゃないですか。
独占できるというのも、嬉しくて仕方ありません。
「しかし、私にあなたの力は必要です。どうか、私を手助けしてくれますか?」
「……なんかズルい」
頬を膨らませ、少し赤らめながら私を睨みつけるミリヤム。
彼女の優しさと回復魔法は、私にとって必要不可欠な要素なのです。
ミリヤムがいなければ、エレオノーラさんの加虐性を受け止め続けることはできませんしね。
「すみません。ミリヤムさんのお力もお借りできれば、私も心強いです」
「エレオノーラさん……」
気まずそうに話しかけてきたのは、先ほど私をボコボコにしてくださったエレオノーラさんです。
すでに、武装である手甲は外しており、ついでにあまり外では解除しないはずの全身の厳つい鎧も外していました。
彼女を見るミリヤムもまた、複雑そうな表情を浮かべています。
エレオノーラさんが本性をさらけ出す前ならば、おそらくミリヤムの中で彼女の評価は非常に高かったでしょう。
家名持ちにもかかわらず民のために王都を駆け回り、さらに貴族などに軽視されがちな私たちのことを評価してくださった騎士だったのですから。
しかし、本性は私と対を為すドS。
ミリヤムは心優しいので、私をボコボコにしたエレオノーラさんに対する怒りもあるのでしょう。
ですが、彼女がそれを心からしていない……というのは難しいですが、しかし止めようと努力していたのは事実であり、怒るに怒れないというところでしょう。
いえ、普通に怒る人もいるでしょうが、ミリヤムは物静かですが優しい子ですからね。
エレオノーラさんの気持ちも考えてしまうのでしょう。
「……正直、思うところはあります。でも、エリクがあなたを許したので私から言うことはありません」
「……そうですか。ありがとうございます」
ミリヤムもエレオノーラさんのことを受け入れてくれたようです。
とはいえ、やはり本性を知る前のように親しげにはできないようですが、少なくともデボラよりは相性は良さそうです。
……デボラとミリヤムの相性の悪さが際立っていますね。
まあ、彼女たちが争ってその間に私が立つことができるので、大歓迎なのですが。
デボラの爆発、美味しいです。
「しかし、エリクさん。本当に大丈夫なんですか? 私、本気で殺すつもりで殴ったんですけど……」
心配そうに私を見つめてくるエレオノーラさん。
先ほどの私を殴りながら笑みを浮かべていた彼女と、まったく違いますね。
やはり、心根は優しい人なんでしょう。性癖はヤバいですけど。
「ええ、大丈夫ですよ。ミリヤムに治してもらいましたからね」
私はむんっと胸を張ります。
外傷はすでにありません。ミリヤムの回復魔法は流石です。
しかし……。
「おや……」
足元がふらついてしまいました。
ミリヤムの回復魔法は外傷を治してくれますが、体力を回復することはできませんからね。
エレオノーラさんにボコボコにされて消耗した体力はそのままです。
ふっ……このまま受け身をとらずに顔面から地面に倒れこむのも乙なものかもしれませんね。
そう考えながら鼻っ面で硬い地面に着地しようとしていますと……。
「…………?」
硬い地面に感触と痛みはなく、柔らかなものにふにゅっと顔面が着地していました。
おや? これはいったい……。
鼻っ面どころか顔全体に柔らかさを感じ、さらに心温まるような温かさ……。
こ、これは……!
ハッと目を上げると、そこには困ったような顔をしたエレオノーラさんがいました。
私はエレオノーラさんの豊満な胸に、顔面から突撃してしまったようです。
……しかし、私と彼女の距離はそれなりに離れていたはず。
ということは、エレオノーラさんが私を受け止めようとしてくれたんですね。
彼女は厳つい鎧を着ていたはずなのですが、それも解除しているようです。
「…………ッ!?」
ミリヤムが驚愕している雰囲気が伝わってきますが、エレオノーラさんの胸に顔を埋めている私には見ることはできませんでした。
しかし、これは怒りのビンタをいただけるシチュエーションではないでしょうか!?
私、嬉しいです!
エレオノーラさんの強靭な力によるビンタ……首がねじ切れないでしょうか?
私がウキウキしながらビンタを待っていますと……。
「もう……あまり無茶しないでくださいね」
「…………ッ!?」
エレオノーラさんは私をビンタするどころか突き飛ばすことさえしてくれず、なんと優しく抱擁してきたではありませんか。
頭を抱いてくるので、胸に押し付けられて息が……っ!
な、なるほど、窒息死ということですか……。ふふ、ビンタより苦しいのでいいかもしれませんね。
しかし、今回のことはドS色がにじみ出ていませんでしたから、これはエレオノーラさんの優しさということでしょうか?
「――――――これから、ずっと私の加虐性を受け止めなければいけないんですから……」
ふと顔を上げると、先ほどまでの優しげな色はなく、ドロドロとした嗜虐的な笑みを浮かべているではありませんか。
……こちらの方が、私的には魅力的に思えますね。
ふっ……望むところです。ボコボコにしてもらいましょうか。
エレオノーラさんの欲望にまみれた色っぽい笑みを見てニヤリと笑いそうになっていると……。
「な、何しているんですか……!」
「おっと」
今度は、ミリヤムに引っ張られました。
私の頭を大切そうに胸に抱きます。
ほほう、ミリヤムもエレオノーラさんには及びませんが、なかなか柔らかいです。
しかし、私が求めるのはこのような柔らかさと温かさではなく、硬くて冷たいものなのですが……。
「何とは……倒れそうになったエリクさんを支えただけですよ」
「じゃ、じゃあエリクの頭を抱く必要はなかったですよね」
「それは……」
エレオノーラさんはうっすらと悪戯そうに微笑みます。
「これから、私と共に歩んでもらう人なのですから」
「……やっぱり嫌い!!」
仲良くしてもらいたいものですねぇ……。