第六十四話 あなたと共に
エリクの言葉を聞いて、今までに誰も見たことがないようなポカンとした表情を見せるエレオノーラ。
しかし、言葉の意味を飲み込むとキッと鋭い目に変わった。
「私を救う? 何をふざけたことを……馬鹿にしているのですか? 私が今までどれほど努力をしてきたか、わからないでしょう」
自身の歪んだ性格のことは分かっている。
だからこそ、エレオノーラは騎士団に入って矯正しようとし、それでもダメだったからせめてと悪人にだけ限定して苛烈な攻撃を加えていたのだ。
そんな自分を救う? それができるのであれば、すでに自分でなんとかしている。
「ええ。申し訳ありませんが、私にはあなたのその加虐性を根本的にどうにかすることはできません。ミリヤムの回復魔法でも、おそらく矯正することはできないでしょう」
エリクはあっさりと頷く。
エレオノーラの性格を矯正する手段を、彼は持たない。
ミリヤムの強力な回復魔法ならあるいはと言えるが、しかし彼女の魔法は外傷を治癒させることができても精神的なものを回復するものでもないので、効果はないだろう。
あっさりと認めたエリクに、失望のため息を吐く。
「はぁ、もういいです。不様な命乞いなど、見たくありません」
とくに、一時とはいえ共に肩を並べていたのだから。
エレオノーラが言外にそう言うと、エリクはニッコリと笑った。
「私、思うんです。その性格、無理に矯正する必要はないのではないかと。向き合ってみてはいかがでしょうか?」
「…………はい?」
何を言っているんだ? 向き合う?
「……加虐性を抑えるために、悪人に限定して攻撃を加えています。それが、部分的に向き合うことになっているのでは?」
「では、もう少しその範囲を限定しましょう。そうして、徐々に加虐性を落ち着かせていけばいいのです」
「範囲を限定? どうするつもりですか? そんなの、無理に決まっています。誰に限定するというのですか」
エレオノーラの加虐性は非常に強いものだ。
ゆえに、一人にそれをぶつければ、大抵命を落としてしまう。
だからこそ、とっかえひっかえ悪人を捕まえては痛めつけて殺しを繰り返してきたのである。
それを、限定する? そんなの、不可能だ。我慢できるはずがない。
そう思うエレオノーラであったが、ここに一人、その例外にあたる者がいるのである。
「無論、私です」
「…………え?」
ニッコリと良い笑顔で胸を叩いたエリクに、エレオノーラもミリヤムもポカンとする。
「え……何を……」
「何を言っているの……!?」
エレオノーラの戸惑いを押しつぶすように、ミリヤムの声が響いた。
エリクのパートナーである彼女でも理解できなかったようだ。
「何を、とは……? 私がエレオノーラさんの加虐性を、全て受け入れると言ったのですが……」
「それ!!」
何故かキョトンとするエリクにミリヤムが吼える。
まあ、その気持ちは分かるエレオノーラであった。
「……私に同情しているのですか? それでそんなことを言っているのであれば、結構です」
「いえ? 私のためですが……」
キッと目を向けてくるエレオノーラに微笑みかけるエリク。
そのことに戸惑いながらも、彼女はそれがいかに無謀なことか説明する。
「私の加虐性は、一人の人間が受け止めきれるものではありません。必ず、短期間で壊れてしまいます」
「望むところです」
「はい?」
「あ、いえ……何でもありません」
加虐性の異常なまでの強さは、エレオノーラ自身が一番良く分かっている。
それを、一人で長期間受け止めきれるはずがない。必ず死んでしまうだろう。
エリクはコホンと一つ喉の調子を整え、話しはじめる。
「実は、エレオノーラさんには教えていませんでしたが、私にはスキルがあるんです。それがあれば、あなたの加虐性も受け止めきれると確信しています」
「スキル、ですか?」
「ええ、『不死』のスキルです」
その言葉を聞いて、エレオノーラは驚愕しつつもなるほどと納得した。
先ほど、エリクの顎に叩き込んだ強烈なアッパーカット。
頑丈な魔物などであれば死なないかもしれないが、やはり人間であるならば命を落としていても不思議ではないほどのダメージだったはずだ。
さらに、出血量も非常に多く、彼の纏っている衣服は彼の血で汚れている。
ミリヤムの回復魔法があったとはいえ、彼が死ななかったのは不思議だった。
その理由は分かったが……。
「なるほど、稀有で素晴らしいスキルです。しかし、それで私の加虐性を受け止めきれるとは思えません」
エレオノーラは、エリクのスキルの抜け穴を指摘する。
「あなたのスキルは、ミリヤムさんに回復を任せていることを見れば、ただ死なないというだけではありませんか? 苦痛は味わうでしょう? 精神的なダメージは残り続けるでしょう? そうなのであれば、最初は死なないからいいにしても、いずれ限界が訪れます」
人は外傷で死ななくとも、内傷で死ぬこともある。
エレオノーラは、そのことをよく知っていた。
常人であれば命を落としてしまうような苦痛を何度も味わっていれば、精神的な死を迎えるだろう。
いくらエリクが勇者だとしても、ずっと攻撃を受けていて平常でいられるはずがないと、エレオノーラは思っていた。
「いえ、大丈夫です」
しかし、エリクはエレオノーラの懸念を笑顔で切り捨てた。
「なっ……何を根拠にそんなことを……」
「そうですね……。私は苦痛に非常に強い耐性を持っていまして……デボラとも付き合うことができるほどです」
「『癇癪姫』、ですか……」
デボラ・ヴィレムセ。騎士であるエレオノーラは、もちろん知っている名前だ。
そして、彼女に付きまとう悪名高い噂も知っている。
いつか、断罪しようと考えていたからだ。
癇癪を起こして人を爆殺する。そんな誰も近づきたくないような存在の、エリクは忠節の騎士なのである。
なるほど、非常に説得力のある言葉だ。
「しかし、私は……」
エレオノーラは躊躇していた。
もしかしたら、エリクは本当に自身の加虐性を受け止めることができるかもしれない。
しかし、だからこそ彼を自身の玩具のように扱うことをしたくなかった。
自分のことを考えて、思いやって優しい言葉をかけてくれるエリク。
そんな彼を、自身の性格から痛めつけていいのか?
エレオノーラの手をエリクがとったのは、彼女がそのように悩んでいた時であった。
「あなたの加虐性を受け止めたいというのは、私の願いでもあるのです。どうか、受け入れていただけないでしょうか?」
「エリク……さん……」
エリクが触れているのは、無骨な手甲である。
今まで彼を散々に殴りつけ、血も大量に付着しているそれに、彼は何らためらうことなく触れて笑みをエレオノーラに向けるのであった。
今まで、自身の本性を知ってこのような笑顔を向けてくれた人がいただろうか?
自身の加虐性を直すために共に取り組もうと言ってくれた人はいただろうか?
その加虐性を抑えていくため、それを受け入れると言ってくれた人はいただろうか?
目の前の男は、まだ出会って一月も経っていないというのに、これほど自身の身を投げだして自分のために尽くしてくれようというのだ。
その事実を知ると、エレオノーラの心がふっと一気に軽くなった気がした。
そして、いつも憂鬱で濁っていた彼女の世界に、清涼な空気が流れ込む感覚を覚えた。
一気に世界が広がった感覚。自分が世界に存在してもいいのだという感覚。
本当の自分を受け入れてくれる人が、この世界に存在しているのだ。
「……あなたは馬鹿ですか? 自分を殺すと宣言し、実際に散々攻撃を仕掛けた女に対して、そんな優しい言葉をかけるだなんて……。流石、利他慈善の勇者と言うべきでしょうか」
エレオノーラは俯きながら小さく呟く。
エリクは何も言葉を発さず、ただ手甲に触れて優しく微笑みかけるのみだ。
エレオノーラが顔を上げると、その目にはドロドロとした欲望にまみれた色はなく、キラキラと光る涙が溜まっていた。
「私の加虐性をどこまで抑えきられるかわかりませんが、努力してみようと思います。エリクさん、お手伝いしてくださいますか?」
「もちろんです」
涙をこぼしながら微笑んで尋ねてくるエレオノーラに、エリクは力強い返事をする。
自身を見失うほどの強烈な加虐性。しかし、彼女はもう一度それに対して向き直ることを決意した。
一人ならば難しく、厳しいだろう。
しかし、二人でなら……エリクと一緒にであるならば……。
エレオノーラは、今日から自身を偽らずに生きていこうと決めたのであった。