第六十話 利他慈善の勇者vs.断罪騎士
エレオノーラに指定された場所に向かって歩くエリクとミリヤム。
使われなくなって古びた闘技場は知っていた。
本当に昔のもので、かつて大勢の人々を収容していたであろう客席なども一部は崩壊しており、大分風化しているものであった。
その闘技場の真ん中で、エレオノーラは静かに立って彼らを待っていた。
「……よくぞ、逃げずに来ましたね」
エレオノーラからすれば、このまま来ずに逃げてくれてもよかったという考えがあったのかもしれない。
もちろん、彼女は意識的にはそう思っていないのだが、心の奥底でそのような考えがあったからこそ、一日明けてから断罪すると言ったのではないだろうか。
だが、それはもはやどうでもよいことだ。
エリクは微笑んでエレオノーラの前に立っているのだから。
「女性からの誘いを断るわけにはいきませんからね」
「……ふふっ、冗談を言う余裕はあるようですね」
少しのいら立ちはあったが、いつもと変わらないエリクの対応にエレオノーラは不覚にも笑ってしまった。
エリクからすれば、(ボコボコにしてくれるであろう)女性との待ち合わせを無視するなんてことはありえないことだが。
エレオノーラは笑みを止めると、彼の側に立つミリヤムを見る。
「……あなたはここにいなくともいいのですよ? あなたはエリクさんのパートナーですが、実際に悪を為したわけではありませんし」
しかし、そんなエレオノーラの気遣いを、ミリヤムは首を横に振って拒絶する。
「……私がいるべき場所は、エリクの隣だから」
「……そうですか。ならば、私から言うことはもうありません」
エレオノーラは一度目を閉じると、再びスッと目を開けた。
そこには、先ほどまで少し残っていた穏やかな光は消え、ただ悪人を滅ぼす断罪騎士としての冷たい光しか宿っていなかった。
「……どうしても、戦わないといけないんですか? 私たちは……エリクはあなたとうまくやっていけると思っていたのに」
「ええ、私もそう思っていました。しかし、それはもはや過去のこと。エリクさんは……いえ、エリクは犯罪者を庇った。それは、まさに悪事。正義である私が滅ぼさなければならない存在。戦わないなんて未来はありません。さあ、ミリヤムさんは離れていてください。巻き込まれたくないのであれば」
エレオノーラはあの棘付きの恐ろしい手甲を装着しながら答える。
そんな彼女を見ていれば、エリクを見逃すなんてことはありえないことが簡単に理解できた。
彼女と話しあいで穏便な解決ができないと分かったミリヤムは、心配そうな視線をエリクに向けてからかつて観客がいたであろう席に向かった。
彼女がちゃんと離れたことを確認したエレオノーラはガチン! と手甲同士をぶつかり合わせる。
「私は悪を……エリクを殺すために戦います。では、エリクは何を求めて戦うのですか?」
「ふむ、そうですね……」
ボコボコにしてもらうのを求める、という性癖丸出しのことは言いづらい。
エリクは少し考えて答えた。
「それでは、エレオノーラさんの考えを少し変えたく思います。悪でも、軽いものであるならば更生する余地を与える程度の優しさを、持ってもらいたいと思います」
「……流石は勇者ですね。お優しいことです」
ふっと笑うエレオノーラ。
「ですが――――――」
ダンッとエレオノーラは高く飛んだ。
重厚な手甲と鎧を身に着けているとは思えないほどの軽やかな動き。
落下しながら拳を振り下ろそうとする先には、当然エリクの姿が。
「――――――犯罪者に……悪に更生する必要などなく、ただ滅ぼされればいいだけなのです」
手甲に覆われた拳が振り下ろされた。
ズガァンッ! と凄まじい音が響き渡る。
女の拳が地面を粉々にするだなんて、直接見たことがない者は失笑するような馬鹿げた話である。
しかし、現にエレオノーラはそれができる女なのであった。
「ふっ……」
エリクも今回の攻撃はモーションが大きかったため、転がって避けることができた。
さらに、転がりながらも剣を抜く。
一見、当たり前のようなことなのだが、これができるまでに彼は何度も修羅場をくぐってきたのである。
「はぁぁぁっ!!」
攻撃を受けたのであれば、今度はエリクの番である。
彼は剣を振りかざし、上段から叩き付けた。
それは、エレオノーラが手甲で防いだことによってギィンッ! と高い音が鳴り響き、彼女に剣が届くことはなかった。
ギリギリとせめぎ合う二人。
しかし、男の大人が力を込めやすい上段から押しているというのに、エレオノーラはビクともせず、表情も焦ったものは微塵もなかった。
単純な腕力でいうと、彼女はエリクよりも上なのである。
片腕だけで受け止めることができたエレオノーラは、自由な片腕の手甲を振るった。
エリクは剣を構えて受け止めるが、その強大な力に大きく後ろに吹き飛ばされる。
「……頑丈な剣ですね。私の手甲で殴りつけたのに、壊れないとは」
「ええ。さるお方から譲り受けたものですから」
さるお方とは、当然デボラのことである。
エリクは勇者として活動しているが、その報奨はつりあわない恐ろしいほど低いものだ。
エレオノーラの腕力と強固な手甲が合わさった衝撃に耐えられるような名剣を買うことができるほどの財力はない。
だが、彼はデボラの忠節の騎士でもある。
彼女から、これからも一緒に冒険することを前提条件として譲り受けることができたのだ。
この際、レイ王が王族所有の剣を勝手に渡されたことで、さらにエリクに対する悪感情が強まったのは余談である。
「そうですか。……でも、何度も殴っていれば、いずれ壊れるでしょう」
エレオノーラはそう判断すると、手甲を構えてダッと地面を蹴りだした。
重装備とは思えないほどの素早い動き。
だが、エリクの目に留まらないほどの速さというわけではなかった。
「ふっ……!」
顔面を狙って撃ちぬいてくる拳を、大きな動作で避ける。
ゴウッと凄まじい風が巻き起こり、エリクの髪を巻きあげた。
大げさに避けているのは、エレオノーラの手甲に原因があった。
明らかに敵を殺傷する目的でつけられている棘のせいである。
あれのせいで、ギリギリを避けてカウンターを与えることができないのだ。
「まだです」
正拳突きを逃れたからといって、エレオノーラの攻撃は終わらない。
クルリと身体を回転させると、強烈な裏拳を仕掛ける。
今度は頭を下げて避けたエリクであったが、すぐ頭上を唸りを上げて通り過ぎる手甲は、彼を喜ばせるに十分な脅威であった。
今度こそ、がら空きになっている上半身に剣を叩き込もうとするエリクであったが……。
「手甲だけに注意を向けるのは感心しません」
「がはぁっ!?」
エリクの腹部に強烈な衝撃が走る。
エレオノーラの膝蹴りが、無防備になっていた彼の腹に突き刺さったのだ。
相手の攻撃が終わりだと油断していたのは、エリクの方であった。
よたよたと後ろに下がるエリク。
だが、すでに彼を悪だとみなしているエレオノーラは、その隙を見逃してやるほど甘くはなかった。
「死んでください」
エレオノーラの巨大な手甲が、エリクの顔面に叩き込まれたのであった。