第五十九話 前日の二人
「そうかそうか。やはり、勇者は悪の者であったか」
「……はい」
ナータンの言葉に頷くエレオノーラ。
表面上は一切普段と変わらないが、声音が少し暗く感じたナータンはチラリと彼女を見ると、いかにも残念そうにため息を吐いた。
「うむ……奴の為したことは、確かに善じゃ。しかし、それもワシらを欺くためのものだったのであろう。うむうむ、残念じゃ。奴がエレオノーラのような善の者であったのであれば、ワシらと共に悪と戦うことができたというのにな」
「……ええ」
ナータンはエレオノーラの反応が乏しいことに眉を上げる。
普段であれば、盲目的に悪と断ずれば苛烈なまでに弾圧を加えるのに、何故か彼女は悩んでいるような仕草を見せるではないか。
「……エリクさんは、本当に巨悪なのでしょうか?」
「……どうした? 悩んでおるのか?」
エレオノーラがこのようなことを言うのは初めてだ。
ナータンは彼女の揺らぐ意思を安定させるため、口を開いた。
「勇者は巨悪じゃよ。まだ幼いデボラ王女に取り入り、国家の中枢に潜り込もうとしておる。王族を逃がすために一人でしんがりを務めたとされておるが……奴のもう一つの二つ名を知っておろう?」
「……『狂戦士』」
「そうじゃ」
エレオノーラの言葉に満足そうに頷くナータン。
「あれは王族のためでもなければ民のためでもない。己のための行動じゃ。自身の欲望のために行動する勇者……そんな者が、国家の中枢に入り込めばどうなることやら……心配で堪らんわ」
自分の欲望のためというのはあながち間違っていなかったりする。
「……すみません。少し迷っていたようです。明日、悪であるエリクさんを滅ぼします」
「そうか。ワシの言葉でお前の迷いを消せたのであれば、それは良かった」
ナータンは頭を軽く下げて出て行くエレオノーラを笑顔で見送った。
扉が完全に閉まると、その表情は冷たいものへと変わる。
「ふーむ……エレオノーラを悩ませる男、か。やはり、厄介じゃな」
ポツポツと独り言をつぶやいていく。
「利他慈善の勇者は、民から受け入れられすぎている。王都だけに限れば、オラース王子以外の王族よりは慕われておるじゃろう。そんな勇者を取り込んで以前ほどより忌避されておらんデボラ王女……王族もまた邪魔じゃのう……」
聞かれたら不敬罪で処罰される恐れのあることを平気で言ってのけるナータン。
彼がいる場所が、決して誰にも聞かれないような場所だと安心しているからこそだ。
「エレオノーラが勇者を処分できれば、それでよし。できなければ……ワシが出るほかあるまい」
ナータンは巨大な杖を取り出し、軽く振るう。
エレオノーラのように激しい白兵戦ができるわけでもなく、また彼が扱う魔法も何かを破壊するような大魔法でもないが……彼には自信があった。
「しかし、エレオノーラもワシの言うことに疑問を持ち始めたか。……いや、あれは勇者が特別なのじゃろうな」
今まで忠実に悪を滅ぼしてきた部下を思うナータン。
「今まで散々世話になってきたが……そろそろ潮時じゃな。まあ、あれだけの美貌よ。再利用する価値は十分じゃ」
くくくっとほくそ笑むナータンの表情は、エレオノーラが嫌うまさに悪人のそれであった。
◆
「エリク、どうするの?」
私たちにあてがわれている宿屋の一室で、ミリヤムが正面から尋ねてきます。
デボラと頻繁に冒険に出ていた時は、彼女の好意とわがままで王城に泊めさせていただくという貴重な経験をしていたのですが、レイ王が良くない顔をするので王城の外に出ています。
まあ、デボラに言われてお高い宿屋を提供してくださっているのですから、文句などあるはずもありません。
何だったら、ミリヤムだけここに泊めさせていただき、私は馬小屋で寝るということでもまったく構わないのですが……むしろ、そちらの方が好ましいのですが……。
しかし、『守護者』とも言われるようになった私をそのような無碍な対応をしていれば国民から王族に対する怒りも強まるとのことで、私もここに泊めさせてもらうことに……残念です。
「エリク、聞いている?」
「ああ、すみません」
ミリヤムは仕方ないなぁとため息を吐きます。
他人の前では感情表現が乏しい彼女ですが、私の前では幾分かはっきりと出てきます。
さて、どうするとは、当然エレオノーラさんのことでしょう。
「断罪騎士……グレーギルドとの戦いを見ていたけど、凄く残酷で強かった」
クレト・ラボイの館で彼女の戦いを直接見ていたミリヤムが教えてくれます。
ええ、そうでしょうとも。普段の身のこなしを見ているだけでも、私より強いことは分かっています。
それも当然でしょう。私が身体を鍛えはじめたのは勇者として召し抱えられてからです。
一方、エレオノーラさんは騎士になるため、小さなころから鍛錬を積み重ねてきていたに違いありません。
戦闘用のスキルでもあれば話は別なのでしょうが、あいにく私のスキルは『不死』。死なないだけですからね。
実際、このスキルに限界があるのかもわかりませんし……。
「しかし、逃げるわけにもいきません」
私は決意を表明します。
私の脳裏に思い浮かぶのは、エレオノーラさんが装着していたあの硬そうで痛そうな手甲。
あれにボコボコにされることを想像するだけで……満たされてしまいそうです……。
あんな扱いづらそうな武器を使ってくれる人は、おそらく彼女くらいでしょう。
であるならば、エレオノーラさんと戦わなければならない義務が生じるのです。
「……どうしてそこまで?……もしかして、エリクはエレオノーラさんのことが好きになったの?」
不安そうに尋ねてくるミリヤム。
……好き?
「ええ、まあ……人間的な意味では好きです。異性的な意味ではありませんが……」
「……そう」
そう、あの苛烈なまでの罰を与える人間性は大好きです。
その過激性は、私にぶつけてほしい……その一心です。
ミリヤムはどこかホッとしたような様子です。
「……じゃあ、やっぱりエレオノーラさんを正してあげるため? そのために、また危険なことをするんだ」
エレオノーラさんを正す? そのような勿体ないことはしません。
ただ、あの過激なことを私にもぶつけてほしいというだけであって……。
「本当はもっと自分のことを大切にしてほしいけど……そんな優しいエリクを、私は……」
私を見てうっすらと微笑んでくれるミリヤム。
「協力、してくれますか?」
「もちろん。エリクのために、私の力を使ってほしい……」
ふっ……回復をしてくれるのであれば、心置きなくエレオノーラさんにボコボコにされることができます。
こうして、私とミリヤムはエレオノーラさんと戦う覚悟を決めたのでした。
……しかし、少し疑問に思っていることがあります。
彼女は、正義と悪という言葉を多用していることから、それらに強い執着があるように見受けられます。
……しかし、それは本当なのでしょうか?
どうにも、私のMセンサーが違うと言っているんですよねぇ……。
まあ、それは明日になれば分かることですね。
…………そう言えば、これはデボラに伝えた方がいいのでしょうか?