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第五十八話 決別

 










「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 少年は短い脚を懸命に動かして逃げていた。

 手には、たっぷりと貨幣の詰まった財布がある。


 これがあれば、しばらくは今日のような危険なことはせずに済むだろう。

 そして、彼を待つ家族のためにも、必ず生きて辿り着かなければならないのだ。


 しかし……。


「くっ……しつこいな……!!」


 少年は後ろを振り返りながら、追ってくる騎士に悪態をつく。

 飢えている自分たちのことは助けてくれないのに……そう思うと唾を吐きたくなる。


 しかし、今回の騎士はしつこい。

 騎士は大体重そうな鎧を身に着けているため、身軽な恰好の少年と持久走を繰り広げれば大概体力切れで諦めてくれる。


 さらに、この入り組んだ裏路地は彼がよく把握している庭みたいなものだ。

 慣れていない者からすれば迷路のような場所も、生まれた時から過ごしている彼なら頭の中に地図があるように駆けまわることができる。


 だが、まだ彼は追手であるエレオノーラを撒くことができていなかった。

 彼女は他の騎士よりも頑丈で重そうな鎧を着ているというのに、まったくそれを感じさせない。


「あっ……しまった……!」


 考えながら走っていたせいか、行き止まりになっている場所に迷い込んでしまった。

 慌てて戻ろうとするが、すでにそこには追ってきていた騎士……エレオノーラの姿があった。


「手間をかけさせてくれましたね」

「……くそっ!」


 少年は悪態をつく。

 そして、せっかく盗むことができた財布をエレオノーラの足元に投げ捨てる。


「返せばいいんだろ、返せば!」

「……いえ、それだけでは済みません」

「捕まるのはごめんだぜ!? 俺には待っている奴らがいるんだから……」


 もちろん、少年だって何かを盗んでただで済むなんて思っていない。

 先ほどの被害者に捕まっていれば、ボコボコに私刑を加えられていたのかもしれない。


 だが、相手は騎士だ。私刑を加えるだなんてことはせず、捕まえて裁判にかけ、身柄を拘束されてしまうだろう。

 だが、そうすれば自分を待つ母や弟、妹たちはどうなるのか。


 彼は何としても逃げ延びねばならない。

 そう思って逃げ出そうと脚に力を入れた、次の瞬間だった。


「なっ!?」


 ズガン! という重たい音と共に、少年が先ほどまで立っていた場所が粉砕された。

 彼が逃げられたのは、奇跡としか言いようがない。


 直前に避けるためではなく逃げるために脚に力を込めていたこと。

 そして、突然襲い掛かってきたエレオノーラにとっさに脚を動かしたことが彼を助けた。


 エレオノーラは粉砕した地面からゆっくりと拳を上げる。

 そこは、巨大な手甲で覆われており、硬い地面をも簡単に砕くことができる力があった。


「な、何すんだよ!?」

「何を、とは?」


 尻餅をつきながら声を上げる少年に、エレオノーラは不思議そうに首を傾げる。


「な、何で俺をこ、殺そうとしたんだよ!? あんた、騎士だろう!? 騎士が勝手に俺を殺そうとするなんて……!!」

「悪を滅ぼすことこそが正義たる騎士(わたし)の役目です。あなたは悪を為した……それで殺すには十分な理由になります」


 少年は声を引きつらせながらも反論する。


「で、でも……重大な犯罪をしたのなら分かるさ! でも、俺がしたのはスリだろ!? スリ程度で、俺を殺そうと……!」

「スリ程度、ですか……」


 エレオノーラの目が冷たく光る。


「愚かな……犯罪に重いも軽いもありません。犯罪者は等しく断罪されなければならない。それは、死であることが望ましい……当たり前のことでは?」

「そ、そんな……!!」


 頬を引きつらせる少年。

 どう考えても、スリと死刑は罪と罰の均衡が取れていない。


 だが、そのことを声高に主張したところで何になるというのか。

 ここで声を上げても、誰も助けてくれることはない。


 彼がしたことは、たとえ軽くても犯罪なのだ。生きることにそれほど余裕のない一般市民からすれば、自分が被害者になることを考えれば財産を盗むような犯罪者を助けようと思うだろうか?


「抵抗するのであればどうぞ。逃げるのであればお好きに。しかし、私は確実にあなたの息の根を止めます」


 ガキン!


 手甲同士をぶつけ合わせると、硬い金属音が響き渡る。

 少年の身体を萎縮させるには十分な威嚇であった。


「罪には死の罰を。悪は必ず正義によって滅ぼされるのです」

「ま、待ってくれよ! お、俺だって、好きでスリなんてしているわけじゃないんだ!!」


 少年は生きなければならない。彼を待つ、家族のために。

 そのために、必死に口を動かす。


「俺には家族がいるんだ。でも、そいつらを食わせてやることもできない……仕事もまだガキでスラム出身の俺にはねえんだ。だから、金を稼ぐためには、犯罪をするしか……!!」


 これは逃れるための嘘ではなく、本当の話である。

 彼にはまだ幼い弟や妹たちがおり、さらに病弱な母もいる。


 そんな家族のために、彼は必死になって生きようとあがいているのだ。


「――――――だからなんですか?」


 しかし、そんな思いはエレオノーラには届かない。


「あなたにどのような事情があろうと、犯罪は犯罪。しかるべき処罰は受けなければなりません。それに、あなたのしたことは窃盗だけでなく被害者を傷つけることもしました。さらに罪が重くなって当然です」


 エレオノーラはついに少年の目前に立つ。

 見下ろす目は、これほど冷たいものはあるだろうかと思うくらい冷たかった。


 人として見ていない。そう思えてしまうほどの冷たい目だった。


「正義の騎士たる私、エレオノーラがあなたに罰を与えます。歯を食いしばりなさい」


 手甲を振り上げるエレオノーラ。

 歯を食いしばったところでどうにかなるような武器ではない。


 少年は目じりに涙をこらえて目をつぶり、そんな彼を見てうっすらと微笑んだエレオノーラは拳を振りおろし……。


「おっと……!」


 横から飛び出してきたエリクが、少年を抱えて飛び退いた。

 その結果、エレオノーラの振り下ろした拳は少年に当たることなく、また地面を砕くことに留まった。


 目を丸くしていたエレオノーラであったが、すぐにスッと目をエリクに向ける。


「お、おい……大丈夫か……?」

「ええ、何も問題ありません」


 砕かれた地面のかけらが頭部に当たったのだろう、額から血を流しながらも微笑むエリク。

 脳が揺れるような衝突ではなく、切れたような状態なので命に別状はないだろう。


「……怪我をさせてしまってすみません。……しかし、いったいどういうことでしょうか?」

「どういうこと、とは?」


 エレオノーラの視線がきつくなる。


「その少年を助けたことです。彼は罪を犯した悪人、罰を受けなければなりません。それを助けるだなんて……エリクさん、どうしてしまったのですか?」

「ふっ……どうしてしまった、ですか……」


 微笑むエリクに、エレオノーラの苛立ちが止まらない。

 彼女から向けられる強い怒りと視線を楽しむように、彼は笑う。


「私は望まずとも利他慈善の勇者ということになっていますから……不当な扱いを受けている民を助けるのは、私の責務です」

「不当、ですって?」


 利他慈善という二つ名に従って民を助ける。そこまではエレオノーラも感心して共感する部分だ。

 しかし、後半はいただけない。


「何が不当なのでしょうか? あなたは犯罪者を見逃せとおっしゃるのですか?」

「いえ、違いますが……」


 エリクは苦笑する。

 彼は、犯罪を見逃せなどと言うようなつもりは毛頭ない。


 少年は子供だが、子供でも罪を犯せば償う必要があると思っているため、子供だからといって特別扱いはしないつもりだ。

 とはいえ、だ。


「罪の重さと罰の重さは均衡でなければなりません。少年は窃盗、もしくは強盗を犯しましたが、それで殺すというのはいささかやりすぎでしょう」

「…………」

「それに、まだ裁判を通していません。司法の判決を待たずに一介の騎士が勝手に命を奪うような罰を与えるのは、いかがなものかと」


 エリクの意見を聞き、エレオノーラは天を仰ぎ見る。

 ああ、残念だ。本当に、残念だ。


「……私はエリクさんとはうまくやっていくことができると思って、喜んでいたんです。正義の私と同じく、利他慈善の勇者は善性を持っていた……。民のために、王族のために、王国のためにその身体を投げだすその姿は、まさに正義でした」

「……私は今でもエレオノーラさんとうまくやっていけると思っていますが」

「いえ、それはありません」


 エレオノーラの冷たい目がエリクを見据えた。


「もはや、私とあなたが交じり合うことはありません。犯罪者を庇った……それは、まさに悪の為すことです。あなたは正義から悪に堕ちてしまった……私が断罪しましょう」

「そ、そんな……!」


 エレオノーラの言葉にショックを受けるのはミリヤムであった。

 騎士であるのに、いつも不遇な扱いと評価を受けているエリクのことを理解してくれている、優しい女性だと思っていたのだ。


 それなのに、そんな彼女が彼を断罪……殺そうというのだ。ミリヤムの衝撃は計り知れない。


「……エリクさんとミリヤムさんには今まで本当に助けられました。ですので、今すぐここで断罪はしません。明日、王都のはずれにある古びた闘技場に来てください。来なければ、私があなたを探し出して断罪します。……明日まで、お二人で最後の時を過ごしなさい」


 チラリとミリヤムを見ると、エレオノーラは背を向けて歩き出した。

 犯罪者を……悪を目前にして彼女が一時とはいえ退くことは、今までありえなかったことだ。


 彼女の信条を少し曲げる程度には、エレオノーラもエリクやミリヤムに対して情がわいてしまったということだろう。

 だが、断罪するには変わりない。悪は、必ず正義の鉄槌によって滅ぼされなければならないのだから。


「……エリク、どうするの?」

「さて、どうしましょうか」


 ミリヤムに話しかけられ、あやふやな言葉を返すエリク。

 彼女は、いくら優しくても少年を助ける必要はないのではないかと思っていた。


 いや、窃盗で殺されるのはかわいそうなのだが、エリクが犯罪者を庇ってエレオノーラと対立するのも嫌だったのだ。

 彼の普遍的な優しさには、言っても仕方ないと分かってはいるのだが。


「(ふっ……私の良い予感の通りになりましたね。あの巨大な手甲でボコボコにされることを想像するだけで……ふふふっ)」


 エリクが少年のためにかばったのか、はたまた自身の性欲を満たすためにかばったのかは、誰も知ることはできない。



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