第五十六話 酒乱の騎士
「今日は助かりました」
エレオノーラは酒を飲みながら、隣に座るエリクにそう言った。
クレト・ラボイの件から数日が経ったころ、彼らは物静かな飲み屋で酒を酌み交わしていた。
クレトの主張していた通り、やはりエレオノーラが独断で彼を処断したことは多少問題にはなったのだが、奴隷売買やわいろという犯罪が確かに行っていたと明るみになったため、エレオノーラやエリクは無罪ということになっていた。
むしろ、デボラには褒め称えられたうえでどうして自分を呼ばなかったのかと怒られたほどだ。
なお、その際エリクが『癇癪』を起こされて笑みを浮かべたまま爆発に飲まれたのは余談である。
エレオノーラはあまり飲みニケーションを好まず、同じ騎士団の仲間ともそうそう酒を飲むことはないのだが、今日は特別である。
エリクという男が、酒に酔わせて自分をどうこうするというような男でもないということが分かったからこそ、という理由もある。
しかし、それ以上に彼女は嬉しかったのだ。
「利他慈善の勇者、『守護者』……まさに、その二つ名に恥じないお人でしたね」
酒のせいもあって、頬をうっすらと赤く染めながら静かに言うエレオノーラは、何とも言い難い色気があった。
今は、あのごつい鎧も脱いでいるため、女性らしい凹凸のあるスタイルが露わになっている。
今の彼女を見れば、多くの男たちが一緒に飲もうと誘いに来るに違いない。
幸い、彼女たちが飲んでいる場所が良いため、エリクという男もいるのに割り込んでくる輩はいなかった。
「いえ、私は大したことは……」
「謙遜しないでください。あなたのしてきたことは、褒められてしかるべきです」
ナータンから告げられていた巨悪。
エリクが本当に『狂戦士』のような人間であったなら、懲罰を下さなければならなかった。
だが、今日一日行動を共にして、エリクがそのような人間ではないということが明らかであった。
ナータンも間違うことがあるのだな、とエレオノーラは思った。
それと同時に、エリクを懲罰せずに済んでよかったと、心の底から思った。
「……しかし、お酒に強いんですね」
「ええ、多少は」
自分と同じくらい飲んでいるはずのエリクは、顔を赤くすることなく普段通りである。
すでに、彼のパートナーであるミリヤムは酒に飲まれ、彼の膝の上ですやすやと眠っている。
そんなエリクの顔を、肘をテーブルに立てて覗き見るエレオノーラ。
平常時と違って、どうやら彼女も少しおおらかになっているらしい。
そのせいで、少し緩くなった胸元から深い谷間が覗けている。
だが、エリクは一切そこを見ることはなく、苦笑している。
そのことに、またエレオノーラの好感度が上がるのであった。
「しかし、エレオノーラさんも凄かったですよ。すぐに困っている人の元に駆けつけるのですから」
「ふふ。正義の騎士として当然のことですよ」
ミリヤムが子供を助け、エリクが暴漢を取り押さえたその後も、警邏をしているとさまざまな困った人を見つけた。
そのたびにエレオノーラはその場に直行し、民のために何かをしようと頑張ったのである。
また、クレト・ラボイの悪行を独断で調べて追い詰めたことは、その過激な手段は置いておいてまさしく民のためになっただろう。
「……そう、私は正義のために戦っているんです。決して自分のためではなく……これからも、無力な民のために……」
ボソリと呟くエレオノーラの言葉は、エリクの耳には届かなかった。
「そう言えば、エレオノーラさんは王城付きの騎士なんですか?」
エリクはふと気になったことを尋ねた。
彼女ほど美しい騎士がいれば、噂になっていても不思議ではないのだが、ここ最近デボラに引き連れられて王城によく通っている彼は、彼女の噂を一度も聞いたことがなかった。
「いえ。私は地方のとある騎士団に所属しています。今は、ナータン様の下に派遣されていますが」
「そうなんですか」
「王都の騎士団は力も必要ですしね。……それに、高潔な精神も」
「力に関してはグレーギルドのメンバーをあれほど同時に相手取って無傷なのですから十分でしょう。また、高潔な精神ということであればエレオノーラさんなら何の問題もありませんね」
酒を飲み、ニッコリと微笑むエリク。
今まで民のために王都中を駆け回ったエレオノーラのことを考えれば、その正義と優しい精神は知己のアルフレッドにも負けていない。
「……どうでしょうか?」
しかし、エレオノーラは簡単に頷くことをせず、どこか悲しげに眉をひそめていた。
「私が騎士にふさわしいか……とても疑いがありますね」
「そんなことはないと思いますが……」
エレオノーラの顔を見て、エリクは安易に言葉を発せなくなってしまう。
どこか達観した彼女の表情を見ると、何を言っても意味がないような気がしたのだ。
それに、グレーギルドのメンバーとクレトを皆殺しにしたことも、言葉をとどめた理由の一つだ。
「(ここは、不躾なことを言って怒らせるべきでしょうか……)」
しかし、どうにも下手なことを言っても、エレオノーラが怒るというよりも悲しい表情を浮かべるような気がしてならない。
自分が泣き叫ぶような状況に追い込まれるのはばっち来いだが、他人が泣くことに関しては別に進んでしようというような気持ちにはならないので、口をつぐむ。
「……ふふ、すみません。気を遣わせてしまって」
「いえ……」
エリクが自分のことを心配してくれていると思ったのだろう、エレオノーラはうっすらと微笑む。
なお、真実は違う。
「でも、大丈夫です。これから、私も正義の騎士として頑張りますから」
「……そうですか」
微笑むエレオノーラに心配する必要はないと思ったのか、エリクも微笑んだ。
「ですから、明日からもよろしくお願いします。王都のため、民のため、力を尽くしましょう」
「ええ」
エリクとエレオノーラはグラスをカチンと合わせて、中に注がれていた酒を飲み下すのであった。
「ん、んん~……エリクぅ……また無茶をしてぇ……」
エリクの膝の上で、ミリヤムがモゾモゾと動く。
凄く困った表情で、眉間にギュッとしわが寄っていた。
「ふふ。エリクさんはミリヤムさんの夢の中でも頑張っているようですね」
「まったく……私は何をしているのでしょうか?」
ミリヤムが心配してくれるようなことが行われているのであれば、是非彼女の夢の中に入り込みたい。
そう思うが、彼は夢魔のようなスキルは残念ながら持っていないのであった。
「そろそろ、お開きにしましょうか。明日のこともありますし」
「そうですね。ミリヤムも、ちゃんとしたベッドで寝かせてあげないと……」
そう言って、エリクはミリヤムのことを起こしにかかる。
その姿は、エレオノーラにとってとても微笑ましいものだった。
その時、ふとエリクの飲んでいた酒が残っていたことに気づく。
彼はミリヤムを起こすことに手間取っているようで、飲む機会はなさそうだ。
「これ、いただいちゃいますね」
「あ、それは……」
ひょいとグラスを取り上げて、ゴクゴクと中の酒を飲み下していく。
他人の飲みかけなど普段は気にするエレオノーラであったが、ほろ酔い気分で少し気が大きくなっていたため、まったく気にしなかった。
「ぷはぁっ……さて、そろそろ外に出ましょう……か……ありぇ?」
気前よく飲み干し、スッと立ち上がったエレオノーラであったが、視界がぐらぐらと揺れ出したではないか。
毒でも混ぜられていたのか、と靄のかかる意識の中で考えるが、エリクがそんなことをするとは思えない。
そもそも、彼も同じグラスから酒を飲んでいたではないか。
では、何故……?
「それ、少し強いんですけど……」
エリクの飲んでいた酒、その名も『ドワーフ殺し』という。
酒豪の種族であるドワーフをも、一杯で酔い潰してしまうことができることから、彼らが来る酒場では重宝されている酒であった。
人並みには飲めるが、ドワーフより飲めるというわけではないエレオノーラは、一杯の半分以下の量でも大分きてしまった。
エリクは今更忠告を呟くが、すでにエレオノーラは飲んでフラフラになってしまっていた。
「あぁぁぁ……?」
「あ、エレオノーラさん。とりあえず座って……」
フラフラとし出すエレオノーラに声をかけるエリク。
椅子の上にミリヤムの頭を乗せ、彼も立ち上がって彼女の肩に手をかける。
……と、突然バランスを崩したエレオノーラは、全体重をエリクにかけてしまう。
彼もまた立ち上がったばかりできちんと立っていなかったため、いくら彼女が軽いと言っても体勢を崩されてしまった。
ぐらりと、ゆっくりと地面に倒れそうになる。
しかし、この勇者、タダでは転げまい。
「ふっ……」
酔っている人が倒れてしまえば、うまく受け身をとることができないかもしれない。
エレオノーラは騎士だからとることが可能かもしれないが、女性ということもあって最悪のことを考えていた方がいいだろう。
そこで、エリクは自身が下になることにした。
己を犠牲にして彼女を助ける、まさに利他慈善の勇者であった。
ただのドMであることは、誰にも知られていないのでセーフである。
「きゃっ!?」
そして、そのまま二人はどたどたと倒れこんでしまった。
「ん~……いたーい……」
どれほど過酷な訓練や戦闘でも決して弱音を吐かなかったエレオノーラであったが、酒のせいで随分と素直になっているようで、うっすらと涙を浮かべて不満を言う。
「んー……何だかもぞもぞするぅ……」
下半身に感じる違和。
エレオノーラがぼんやりとした目を向けると……。
「ぐっ……ごっ、ほぁ……っ!」
エリクの顔面が、下にあった。
エレオノーラの大き目な尻に、思い切り敷かれていた。
「あれぇ? どうしてそんなところにいるんですかぁ?」
「ふぐっ……ふごぁ……っ」
エレオノーラの問いに答えようとするエリクであったが、完全に口を塞がれているために何も言うことはできない。
彼女を庇って下に身体を敷いた結果、何故か顔面騎乗というハイレベルな姿勢になってしまったのであった。
「も~……もしかして、エリクさんは変態さんですかぁ? それだったら、断罪しないといけませんよぉ? ……でもぉ、エリクさんは民を助けてくれましたしぃ、やっぱり許しますぅ」
えへへーと笑うエレオノーラ。
おそらく可愛いのであろうが、残念ながらエリクの目に映るのは超至近距離にある下着と太ももだけである。
まさに、彼から見ることのできているものは絶景なのだろう。
普段はガチガチの鎧で身を包み、性格も凛として隙を見せないため、普通はこのような視界から見ることはできないだろう。
さらに、ムチムチとした肉の感触や熱気はまさに男を興奮させるには十分すぎるもの。
しかし、残念ながらエリクがそれを見て興奮することはなかった。
まず、彼の性癖がMの方向にふっ切れているため。
そして、もう一つは……。
「(ぐ、くるじぃ……!)」
息ができず、その絶景を楽しむ余裕がなかったからである。
エレオノーラの尻肉に口だけでなく鼻も塞がれてしまい、酸素不足で目がちかちかとしてきた。
「(窒息……かなり苦しいものなんですね……!)」
なお、エリクは悦んでいる模様。
しかし、生命維持上何とか身体は酸素を取り込もうとするので、ふがふがと唸る。
「あんっ。あはははっ、くすぐったいですよぉ。んっ……それに熱いぃ……」
エリクの顔面に乗っかっているという自覚も薄れているのか、エレオノーラは子供のように笑った。
まったく退く気配はない。
「あの……お客様。そろそろ退いてあげた方がいいのでは……」
見かねた店員が助け船を出すが、エレオノーラは気づかない。
「もぉぉ……おいたすると、こうですからねぇ!」
「うごっ!?」
エレオノーラはお仕置きと称し、全体重をお尻に預けた。
当然、それを受け止めるエリクの首の負担はとんでもないことになり……。
「(ふっ……窒息死。一度、味わってみたかったんです)」
エリクは良い笑みを浮かべて意識を飛ばすのであった。
その後、ミリヤムが目を覚まして絶叫するのは余談である。