第五十五話 断罪騎士
「は、放せぇっ!! この私を誰だと思っている!? あのラボイ商会の会長であるクレト・ラボイであるぞ!!」
「知っていますよ。知っているからこそ、私たちが乗りこんできたわけじゃないですか」
商会の屋敷の廊下を歩く私とクレト。
クレトは歩いているとは言い難く、私に引きずられているような形ですが。
だって、逃げようとするんですもん。
何度も逃げるクレトを追いかける徒労というのも、私的にはなかなか嬉しいことなのですが、それよりもグレーギルドの方たちにリンチされる方がよさそうです。
そのためには、依頼主であるクレトを人質にしていた方が、私に襲い掛かってくれる人が増えそうですからね。
「というか、あまり暴れないでください。引きずりづらいので」
「引きずるのを止めんか! 私を誰だと……!!」
「暴れなかったら引きずらないのですが……」
「暴れるに決まっているだろう!? 捕まったら、私は死刑になる確率が高いのだぞ!?」
それはまあ……身から出たさびといいますか、自業自得といいますか……。
冤罪でもなく、罪を作り上げられたわけでもなく、自分がしてきたことの報いなのですから同情なんて微塵もしません。
……冤罪で死刑になるということには憧れますが、あなたはそれじゃないですからね。
「……しかし、やけに静かですね」
私は廊下を歩いていて、疑問に思っていたことを呟きました。
あれだけ大勢のグレーギルドのメンバーがいれば、もっと騒がしくても不思議ではないのですが……。
「はははははっ!! 女だけを残してきたのが間違いだったな! すでに、奴らに捕まっているのだろう! もしかしたら、酷い目に合っているのかもな!!」
クレトは大笑いします。
うーん……捕まっているのは否定できませんが、最後の酷い目ということはないでしょう。
でしたら、グレーギルドメンバーの馬鹿騒ぎが聞こえてきそうなものですし。
本当に、静寂なんですよね。
怒声や悲鳴はもちろんのこと、笑い声すら聞こえてきません。
かといって、戦闘音も聞こえてこない……いったい、何が起きているのでしょうか。
ふっ……ワクワクしてきました。
「確か、あそこでしたね」
「はははははっ!! 馬鹿め! わざわざ自分から私の用心棒たちがいる場所に戻ってきてくれるとはな!! おーい、お前たち、私だ! 早く助けろ!!」
最初にラボイ商会の館にやってきたときに招き入れられた部屋にたどり着いた私たち。
クレトは中にグレーギルドのメンバーがいることで大喜びです。
ええ、騒いでいただいて構いません。
これで、彼らが私に一斉に襲い掛かってきてくれたら、これほど嬉しいことはないのですから。
さぁ、レッツリンチ!
私はニコニコ笑顔で、片腕が使えないので扉を蹴破ると……。
「…………なんだ、これは?」
クレトが呆然としたように呟きます。
先ほどまで浮かれまくっていた私も、あまりにも衝撃的な光景に目を見張ってしまいます。
……いえ、衝撃的ではありません。凄惨な、というべきでしょう。
部屋の中は、激しい戦闘があったことを想起させるように大荒れでした。
クレトの成金趣味のせいか、テーブルや椅子といったものもそこそこに高価だったはずです。
それらが見る影もなく無残に破壊されていました。
これだけだったら、私もクレトも立ち尽くすようなことはしなかったでしょう。
戦闘があるのであれば、これくらいは想定内です。
問題は、あちらこちらに散らばっている死体でした。
大量の死体は、すべてクレトの用心棒をしていたグレーギルドのメンバーでしょう。
その中に、エレオノーラさんやミリヤムの姿はありませんでした。
その数もさることながら、クレトが愕然とし私が興奮したのはその死体の損傷具合です。
顔面を叩き潰された者。上半身の大部分を消し飛ばされている者。下半身が押しつぶされている者。地面に倒れているだけでなく、壁にめり込んだまま血を流し続けて死んでいる者までいました。
あまりにも凄惨なのです。文字通り、血の海が広がっていました。
なんという素晴らしき光景……。
「ミリヤム」
私は突っ立っていたミリヤムを見つけ、クレトを放り捨てて彼女の元に向かいました。
彼が逃げるということも考えられますが……自分を助けてくれるはずの用心棒たちがあまりにも衝撃的な最期を迎えていることから呆然自失となって戻ってきていないので、逃げることはできないでしょう。
ミリヤムの頬や身体に所々血が付着していましたが、彼女自身のものではないことは明らかでした。
「これは、いったい……」
「……断罪騎士」
「はい?」
ぽつりとミリヤムが呟いた言葉に、私は聞き返します。
え? 今何だか凄く心惹かれる単語が聞こえた気がしたのですが?
「エリクさん、戻られましたか」
静かな声で名前を呼ばれます。
振り向くと、そこには私を見て嬉しそうに微笑むエレオノーラさんがいました。
ここだけを見れば、私の心配をしてくださった優しい騎士だなぁっと思っていたことでしょう。
彼女が全身にびっしょりと返り血を浴びておらず、また両腕に恐怖を与えるような棘付きのごつい手甲をはめていなければ、の話ですが。
「クレト・ラボイも連れ戻してくれたようですね。流石は利他慈善の勇者です」
「恐縮です。しかし、エレオノーラさん、これは……」
この素晴らしい光景はなんですか、是非私にも……と続けようとしたのですが、エレオノーラさんが私の左腕を見たことで言葉をさえぎられてしまいます。
「エリクさん、酷い怪我を負っているではありませんか」
「え、まあ……大したことはありません」
嘘です。この痛みが続くことを願うほどには大したことがあります。
エレオノーラさんの言葉を聞いて、呆然としていたミリヤムがハッと私の腕を見て飛びついて来ました。
「ご、ごめん! すぐに回復魔法をかけるから」
「ええ、お願いします」
ミリヤムの手から温かな光が発せられます。
すると、流石はミリヤムということもあって、私の悲惨な状態にあった左腕はみるみるうちに回復していき、ついには怪我をする前と何ら変わりないほどに回復しました。
うごごごごご……! しかし、この回復途中の激痛もまたすばらしいものです……!
この激痛さえ我慢してしまえば、ミリヤム以上に回復速度と完治状態に優れた回復魔法使いはいないんですけどねぇ……。
皆さん、耐えがたいようです。私は喜んで受けていますが。
「ありがとうございます、ミリヤム。流石ですね」
「……ううん」
相変わらず、優しいミリヤムは痛みを与えることに負い目を感じているようです。
怪我を治してくれて、激痛も与えてくれる……彼女以上に素晴らしい魔法使いを、私は知らないのですが……。
「なるほど、エリクさんを傷つけたのは、あなたですね」
「ひっ、ひぃっ!!」
エレオノーラさんはゆっくりとクレトに近寄ります。
クレトは悲鳴を上げて後ずさりしますが、腰が抜けて立てないようで逃げ出すことができません。
……厳密に言うと私の腕を破壊したのは人狼なのですが……まあ、最期の言葉を聞く限り彼の意思で攻撃してきたわけではありませんしね。
「ま、待て!! こ、ここで私を殺すのか!?」
クレトが声を上げます。
「私をここで殺してもいいのか!? 騎士が、裁判も通さずに私を殺していいわけがないだろう!? しかも、ちゃんとした証拠もない! それなのに、私を殺してただで済むと思っているのか!?」
とりあえず、この場での命をつなぐことを優先したようです。
帰り血まみれのエレオノーラさんが近づいてきていれば、怖いのも当然ですよね。
しかし、クレトの希望に反して彼女は歩みを止めません。
「あなたは私たちの口封じを目的に、グレーギルドの人間をけしかけてきました。さらに、私とミリヤムさんを奴隷にするという発言……忘れたとは言わせません」
「ぐっ……!」
「さらに、追いかけたエリクさんの腕をあのような酷い状態にするほど抵抗をした。奴隷売買の証拠はまだありませんが、私たちを奴隷もしくは殺害しようとしたことだけでも、あなたを悪と認めるに十分です」
距離的にも精神的にも徐々に追い詰められていくクレト。
「そも、奴隷売買の証拠など、この屋敷を捜査すれば続々と出てくることでしょう」
クレトの今までの対応を見れば、証拠隠滅などをしておらず、この屋敷のいたるところにありそうなのは言うまでもありませんね。
「しかし、エレオノーラさん。本当によろしいのですか? 確かに証拠や理由は十分でしょうが、勝手に処断してはあなたの評価が……」
別に、クレトを庇う気は毛頭もありませんが、彼の言うことにも一理あるのです。
上の者からすれば、下の者が勝手に犯罪者を処罰するなんて面白いはずがありません。
裁判も、一応とはいえ機能しているのですから……。
しかし、私の心配もエレオノーラさんはバッサリと切り捨てます。
「構いません。悪を滅ぼすことこそが、正義たる私の使命。必ず殺さなければならないのです」
「……そうですか」
エレオノーラさんの決意は非常に固い。
これ以上、私が言うべきことはありませんね。
「ま、待てぇぇっ! 私を……このクレト・ラボイを殺していいはずがない!! 私の献金を受けている貴族や騎士も非常に多い!! それなのに私を殺せば、お前の命など……」
「悪を滅ぼす。それが、正義たる私の使命なのです」
もはや、エレオノーラさんがクレトの言葉に応じることはありませんでした。
ここに転がっているグレーギルドのメンバー全ての命を奪ったのであろう、厳つくておぞましい手甲を振り上げます。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
その手甲は、悲鳴を上げて泣き叫ぶクレトに振り下ろされたのでした。
「ひっ……!」
ミリヤムは見ていられなかったのでしょう、私の身体に顔を押し付けて目を背けます。
しかし、エレオノーラさんたちから目を離さなかった私は気づくことができました。
彼女の口元が、弧を描くように歪んでいたことを。
「……最高じゃないですか」
私は思わずそう口にしていたのでした。