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第五十四話 切り札の言葉

 










「うっ……げぇぇっ……!!」


 エリクは口から吐しゃ物を撒き散らしていた。

 蹴られたせいで内臓を揺らされたせいだろう。


 えずいているエリクを見て、クレトは逃げることもせず、上からその不様な姿を嘲笑っていた。


「くくくっ。何が利他慈善の勇者だ。私の切り札の前では、何もすることができない雑魚ではないか」


 彼は人狼の勝利を確信しているからこそ、慌てて逃げ出すことはしなかったのだ。

 エリクが不様に人狼に殺されたところを見届けてから、ゆっくりとこの場を立ち去ろう。


「はぁ……はぁ……」


 エリクはフラフラと立ち上がる。

 そのあがきを見て、クレトはさらに楽しくなった。


「無駄な抵抗は止めておけ。無駄に苦しむことになるぞ」

「はぁ、はぁ……(なおさら)お断り、します……」

「ふん、馬鹿め。人狼! さっさと殺してしまえ!!」


 クレトの優しさに満ちた助言も無視する奴に、生きる価値などない。

 人狼に彼の処刑を命じるのであった。


 その人並み外れた身体能力で、またエリクまで一気に接近し、その剛腕で今度こそ彼の顔面を撃ちぬこうとして……。


「ふっ……!」


 それは、エリクに首を逸らすだけで避けられたのだった。


「なにぃっ!?」


 驚愕するクレト。

 先ほどまで、何もすることができなかった男が見せる動きではなかったからである。


 しかし、吐しゃ物を撒き散らすほどのダメージと嘲笑う視線を受けたドMは、絶好調になっていたのだ。

 痛めつければ痛めつけるほどしつこくなる男、それがエリクである。


 彼は無防備に伸ばされている人狼の腕を剣で切り付けた。

 しかし……。


「通りませんか……っ!!」


 人狼の強靭な体毛に防がれて、その肌を切りつけることは叶わなかった。

 硬いものを剣で切り付けたというよりも、そもそも切れないものを切りつけたというイメージの方が正しいか。


 エリクの手がビリビリと痺れるようなことはなかったが、ただただ刃が通らなかった。


「くくくっ。人狼の体毛は非常に耐久力があって柔軟だ。そこそこの剣士程度では、体毛の上から切りつけることはできないぞ」


 本当に鍛え上げられた者……たとえば王国騎士団の団長や一級の冒険者などは、人狼の体毛の上からでも切り捨てることが可能だろう。

 だが、エリクにそこまでの剣の技術はなかった。


 彼が他よりも優れていると断言できるものは、スキルと性癖による異常なまでの耐久力だけである。


「勇者よ。私の切り札は、身体能力だけが優れているのではないのだぞ?」


 クレトは上から見下ろしながら、そう呟く。

 その言葉はエリクには届かず、彼が負けじと剣を振るうと……。


 ガキィンッ! と硬いもの同士がぶつかり合う甲高い音がした。

 エリクが見張る目には、自身の剣を爪で受け止めた人狼の姿があった。


「軟な金属を切り裂くことができるほどの鋭い爪だ。それには、十分に気をつけろ……と言っても遅かったか」


 クレトの言葉通り、人狼の爪が振り下ろされ、エリクの身体をバッサリと切りつけたのであった。











 ◆



「ぐっ! ぎっ!? ……がはっ!!」


 エリクの悲鳴が続いて起こる。

 人狼が人並み外れた脚力で目にもとまらぬ速さで移動しながらエリクの身体を爪で切り付けていた。


 エリクは剣でなんとか致命傷こそ避けているものの、まさに傷だらけであった。

 噴き出す血が、月明かりに照らされながら地面に落ちていく。


 倒れることすら許してくれない猛攻に、彼の身体はフラフラとしている。

 とくに、最初に切り付けられた胸の傷が深かった。


 そこからはだくだくと飽きぬほど血が流れ続けていた。


「ふむ……なかなかしつこいな。まあ、害虫もしつこいし、奴も同じなのだろう」


 くくくっと笑うクレト。

 そう、普通であれば、もう倒れていても不思議ではない。


 出血量でもそうだが、あれだけ自分の攻撃が通らず一方的にいたぶられていたら、普通は心が折れる。

 勝てる勝てないの話の前に、攻撃が当たらないのだ。


 一方的に身体を切り刻まれる苦痛は、想像するだけでも恐ろしい。

 だが、それでもエリクは目に宿した強い光を鈍らせることなく、ただ身体を固めて防御に徹していた。


「ふん……あながち、勇者というのも間違いではないみたいだな」


 認めたくないが、認めなければならないこともあった。

 エリクが倒れないもう一つの要因として、ミリヤムから渡されている魔道具があったことである。


 それは、以前反乱を起こしたビリエル・ヘーグステットの私兵団から逃れる際に彼に渡した回復魔法の込められた魔道具であった。

 あれはあの戦いで効果を使い切って壊れてしまったのだが、やはりエリクは無茶をするということで、ミリヤムがいくつか急造して渡してあったのだ。


 そのおかげで、一番深い傷である胸の切り傷も、ゆっくりとではあるがその出血量を減らしていた。


「もう弄ばなくてもいい! その牙でケリをつけろ!!」


 クレトがそう怒鳴ると、人狼は高速で動いていた脚を止める。

 今まで、彼はエリクをいたぶっていたのだ。


 クレトがエリクの不様に命乞いをしたり怖がったりする様を見たかったからである。

 だが、これ以上見ていてもエリクが頑張る姿しか見られず、不快でしかない。


 人狼は主の言葉に従い、彼に止めを刺すことにした。


「グルルルルルル……ッ!!」


 人狼の牙がむき出しにされ、月光に照らされる。

 人狼の最も強力な武器は、その身体能力でも爪でもない。


 食らいついたら何でも噛み砕くことができる牙である。

 圧倒的な顎の力と鋭い牙が合わされば、どのような硬いものでも貫き破壊することができる。


「オォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」


 人狼は雄叫びを上げて、大きく口を開けてエリクに襲い掛かった。

 その様子を、クレトは上から嬉々として見つめていた。


 あの気取っていた勇者が、人狼にかみ殺される瞬間を特等席で拝むことができる。

 何とも素晴らしい見世物ではないか。


 さて、人狼はどこに食らいつくのか。

 やはり、頭部を思い切り噛み砕くのだろうか。


 脳が潰れて飛び散り、整った勇者の顔が破壊されるのを見るのは胸がすきそうだ。

 それとも、生命維持にとても大切な首筋に食らいつくのだろうか。


 鍛えにくいその柔らかそうな場所を噛み千切れば、まるで噴水のように血が噴き出すに違いない。

 どちらも素晴らしい光景になるだろうから、クレトは期待に胸を膨らませていた。


 すでにフラフラなエリクは人狼の食らいつきに避けることもできず……。


「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 エリクの悲鳴が響き渡った。

 しかし、クレトの望んでいた結果ではなかった。


 エリクはとっさに左腕を盾にし、顔や首筋に食らいつかれることを避けたのだ。


「……っ!! さっさと噛み砕け!!」

「グルルルッルルルルルッルル!!」


 クレトの言葉に従って、腕にかみつく顎に力を込める人狼。

 鋭い牙はあっさりと腕の皮と肉を切り裂いて貫き、ブシュッと血を噴き出させる。


 生きたまま人狼に腕を齧られるその激痛は、いかほどのものだろうか。

 少なくとも、一般人はこれを受けて平然と動ける者はいないだろう。


 だが、エリクは違った。


「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」


 今度は人狼の悲鳴が響き渡った。

 エリクの持つ剣の柄頭が、人狼の右目に叩き込まれたからである。


 右目から血を噴き出し、そのあまりの激痛のために彼の腕から牙を抜いて絶叫する。


「ば、馬鹿な……!!」


 クレトは驚愕する。

 腕を噛み砕かれる激痛に耐えて、的確に人狼の……生物の弱点である眼球に攻撃を加える。


 そんなことができる人間が、いったいどれほどいるだろうか。

 腕を噛み砕かれるようなことがあれば、まず反撃のことが頭に思い浮かばないだろう。


 痛みに悶え、逃げ、放してくれるよう懇願するに違いない。

 腕を破壊されてすぐさま反撃できる者は、痛みに強い耐性がある者。


 そして、とっさに腕を盾にしたのではなく、最初からカウンターを食らわせるつもりで腕を犠牲にした者だけである。

 エリクは、その両方を兼ね備えていたのだ。


「何だ、それは……っ!!」


 思わず一歩後ろに下がってしまうほどの覚悟。

 自分には一切持ち合わせていないそれを見て、クレトは戦慄していた。


「ふっ……がら空きですよ」


 エリクは痛みのあまり咆哮を上げている人狼の懐に忍び込んだ。

 目を覆って身体をのけぞらせているため、腹部ががら空きであった。


 だが、エリクもまた顔いっぱいにびっしりと汗を浮かび上がらせている。

 腕を噛み砕かれた激痛は、耐えがたいものがあるのだろう。嘘だが。


「し、しまった……!!」


 クレトが声を上げる。

 硬い体毛で覆われている人狼の弱点は、目と体毛の薄い腹部と胸部であった。


「がっ……!? グォォォ……ッ!? ごぽっ……!!」


 エリクの剣が、その防御力の薄い胸に突き立てられた。

 カウンターを受けることなど想定してないような、全体重を乗せた剣はズブリと人狼の胸に突き刺さったのであった。


 人狼は口からゴポリと血を吐き出す。

 その鋭い牙には、エリクの血だけでなく彼自身のものも混ざっていた。


「こ、殺せ!! 勇者を殺せ!! それくらい、最期にやってみせろぉっ!!」


 クレトの絶叫が響き渡る。

 今、人狼が腕を振るえばエリクはあっけなく吹き飛ばされるだろう。


 いや、無防備な首に最期の力を振り絞って拳を叩き込めば、殺すことだってできるはずだ。

 そして、この人狼は心の臓を貫かれて急速に死へと近づきながらも、それをすることができるほどの力があった。


 しかし、人狼は腕を振り上げながらも、最期までそれを振り下ろすことはなかった。

 彼は地面に倒れる寸前、エリクの耳に口元を持って行き……。


「アリガ……トウ……」


 最期にそう言い残して、地面に倒れた。

 彼が礼を言ったのは、いったいどのような心境だったのか。


 無理やり薬を注入され、獣人であったのに人狼へと変貌させられ、逆らうこともできずに従いたくないクレトに命令されるがままに動く肉人形と成り果て、やりたくもないことをやらされ続けた男の最期の言葉。


「(殺されて礼を言うとは……もしかして、私と同じ道を往く者(ドM)だったのですか……?)」


 なお、エリクには伝わっていなかった模様。


「ま、まままさか……そ、そんな馬鹿な……! 私の切り札が……!!」


 エリクが人狼を倒したのを見て、わなわなと震えるクレト。

 エリクはそんな彼に見向きもせず、噛み砕かれた左腕の激痛を楽しんでいた。


「(ふふ……骨も見えそうですねぇ。これからは、獣人と戦う機会が増えてほしいものです)」


 そんなことを思いながら剣を収め、庭に落ちてあった手ごろな石を拾い上げる。


「に、逃げねば……! 一刻も早く、ここから……!!」


 そう言ってクレトが背を向けた瞬間だった。

 エリクは振りかぶって石を投擲したのであった。


「ぐぇっ!!」


 それは、見事にクレトの後頭部に直撃。彼は逃げ出す第一歩を踏み出した瞬間に、その逃亡劇を終わらせたのであった。



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新作です! よければ見てください!


その聖剣、選ばれし筋力で ~選ばれてないけど聖剣抜いちゃいました。精霊さん? 知らんがな~


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