第四十八話 泥棒と悪の騎士
「ありがとー、お姉ちゃん!」
そう言って、少女は見つかった母親と共に去って行きました。
そんな彼女を、優しい笑みを浮かべて見送ったミリヤム。
いやはや、無事に再会できてなによりです。
「ミリヤムさん、助かりました。あなたがいなければ、ずっと泣かれていたかもしれません」
「……そんなことないです。エリクもいましたし……」
エレオノーラさんが褒めれば、そっけなくミリヤムが答えます。
しかし、ずっと一緒に行動してきた私からすれば、彼女が照れていることはすぐにわかりました。
「いえいえ、ミリヤムの優しさのおかげですね。ありがとうございます」
「エリクまで……」
頬を膨らませて私を睨みつけてくるミリヤム。
可愛らしいですねぇ……。
「流石は、利他慈善の勇者のパートナーですね」
「……別に、私はずっとこういう性格だったわけじゃないです。エリクに影響されただけです」
まるで、私が人助けすることが信条であるかのような言い方ですね。
私はただMを満たすためだけに行動しているだけなんですが……。
どうせなら、評価してくれるのではなく罵倒してほしかったです。
「泥棒ー!!」
にこやかに会話をしている時、そんな大きな声が聞こえてきました。
怒鳴っているのは、露店を開いている店主であろう人物。
そして、懐に商品を抱えて走ってくる男がいました。
「おらぁっ、どけぇっ! ぶっ殺すぞぉっ!!」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
短剣を取り出し、振り回しながら走ってきます。
実際に切り付けられはしませんでしたが、近くの人々から悲鳴が上がります。
「くっ……! 人ごみが……!」
エレオノーラさんはすぐに彼を取り押さえようと武器を取り出そうとしたようですが、あまりにも人ごみが多すぎたせいかそれすらも敵わない状況でした。
犯人がこちらに走ってくるものですから、人々は必死に逃げようとしているのですが、慌てているためむしろ混乱してなかなか避難が上手くいっていません。
「退けよっ、騎士ぃっ! お前も殺すぞぉぉっ!!」
エレオノーラさんが視界に入ったのか、短剣を振り回しながら男が近寄ってきます。
彼女は武器を取り出すのを諦め、徒手格闘の姿勢をとります。
戦闘に慣れない女性などは逃げ出してもおかしくありませんが、流石は騎士です。逃げるつもりがまったくありません。
「エリクさん!?」
しかし、ここは私に任せてもらいましょう!
私はエレオノーラさんの前に飛び出し、迫りくる男と向き合います。
この絶好のドM機会、この私が見逃すとお思いか!?
「じゃあ、テメエから死ねぇっ!!」
そう言って、男は短剣を振るってきます。
……が、遅い! この動き、まるっきり素人です!
最近はブレヒトという強敵と近接戦をやらせていただいたので、余計弱さが際立っています。
くっ……これは、重傷を負うことは不可能ですね。
私は悔やみながら、身体を動かします。
「つっ……!」
しかし、完全に避けることを、私はしません。勿体ないですし。
頬に短剣が入り、ビッと血が飛び散ります。
狂喜の笑みを浮かべる男ですが、正直オーガにボコボコにされたり大勢のビリエルの私兵からリンチされたりした私からすると、こんなの躊躇すらしません。
……いえ、まああれらの戦いでも躊躇はせずに飛び込んだりしていましたが。
素人であるがゆえ、短剣を振るった状態で硬直している男の懐に入り込み、剣を素早く抜いて柄頭で強く腹を撃ちぬきました。
「げほぉぉっ!?」
男は少し胃の中のものを吐き出し、地面に倒れ伏しました。
ぼ、防御力も弱い……。
私程度の力でこうなるとか……まあ、所詮は泥棒ですから期待するのもおかしいのでしょう。
しかし……うーむ、もう少し頑張って痛めつけてほしかったですねぇ……。
「おぉっ! あの兄ちゃんが倒してくれたぞ!」
「あれって……勇者様じゃない?」
「『守護者』だ!」
「ありがとう! 利他慈善の勇者様!!」
私のことに気づいたのか、周りに人々が騒ぎ出します。
……やはり、大層な二つ名で呼ばれることはあまり気持ち良くありませんねぇ……。
それなら、売国奴やら自己中勇者と呼ばれた方が、私は嬉しいです。
とはいえ、ここで私の性癖をひけらかすわけにもいきません。
とりあえず、笑顔を浮かべて頭を下げておきます。
「だい……」
「大丈夫ですか!?」
ミリヤムが私の方に駆け寄ろうとしていたよりも先に、エレオノーラさんがズイッと顔を寄せてきます。
お、おぉう……。
「大丈夫ですよ。とくに問題ありません」
「頬を切りつけられているではありませんか! 傷を見せてください」
ググイッと顔を近づけてきて、至近距離から傷口を見るエレオノーラさん。
その慌てっぷりに、私もミリヤムも押され気味です。
いえ、本当に大した傷でないですし、ここにはミリヤムもいますから大丈夫なんですけど……。
まあ、エレオノーラさんも女性とはいえ騎士ということもあり、傷の手当てもお手の物なのでしょう。
していただけるのであれば嬉しいですが、できればもう少しこの痛みを味わって……。
そんなことを思っていると……。
「んっ……鉄の味がしますね」
ぬめっとした温かい感触が頬に。
私の頬は、エレオノーラさんに舐め上げられていました。
真っ赤な舌を出して、眉をひそめる彼女。
……え? 何をしているんですか?
「な、なななな何をしているんですか!?」
私の聞きたかったことを聞いてくれるミリヤム。
凄く狼狽していますが、大丈夫でしょうか?
「何、とは……傷があったので……」
「あったから!? エレオノーラさんは吸血鬼ですか!?」
「そんなことはありません。純然たる人間です。ただ、傷口は舐めて消毒するという風に教えられたので……。唾液には治癒効果があるそうですし」
エレオノーラさんの所属する部隊はいったい……。
「そんなの、ごくわずかです! 私がいるから、舐めるのは必要ありません!」
ミリヤムは私の方に駆け寄ってきて、回復魔法を行使してくれます。
あっ、ちょっと痛い……。
「そうですか。ミリヤムさんがいれば、安心ですね」
エレオノーラさんは、嫌味のかけらもない薄い笑みを浮かべます。
これには、ミリヤムの怒りも挫かれて『うっ』と言葉を詰まらせるしかありませんでした。
本当に、純粋に私のことを心配してくれたようです。
「エリクさん。あの暴漢を無力化した手際、見事でした。私は正義の騎士ですのに、守ってもらって情けない限りです」
エレオノーラさんが私に頭を下げます。
家名持ちなのに、本当に腰の低い人ですねぇ。
「いえ、お気になさらず。大したことはしていませんから」
「いえいえ、そんなことはありません。今まで、エリクさんとミリヤムさんの力で全て解決してきました。これからは、私も頑張ります!」
むんっと拳を握りしめるエレオノーラさん。
責任感の強い人ですねぇ……。
「そうだ! 助かったぞ、勇者様!」
「いつもありがとうねー!!」
ワイワイと私に声をかけてくださる市場の人々。
ありがたいと思ってくださるのであれば、罵倒をしていただきたい。
あまり居心地の良い場所ではなかったので、私たちはこの場を去ることにしたのでした。
◆
「ひっ……! や、止めてくれ! 殺さないでくれぇっ!!」
月が空にある深夜、一人の男が地面に尻餅をつきながら命乞いをしていた。
今までろくに経路も考えずに逃走していたため、ついに追い詰められた場所には人けがまったくなかった。
これでは、大声を出しても誰も助けに来てはくれないだろう。
そう確信した男は、目の前に自身を追い詰めてきた騎士を見る。
短く切りそろえられたおかっぱ頭。
厳つい鎧。
そして、とくに目を引くのはあまりにも巨大な手甲であった。
ただ鉄で拳と腕を覆っているだけでなく、痛々しい鉄の棘も取り付けられており、それで殴られたらどれほどの痛みを伴うのか、想像するだけでも痛くなってしまうほどだ。
だからこそ、男は涙を浮かべながら命乞いをするのだが、その女騎士は止まる気配を見せない。
「ちくしょう! 俺が何をしたってんだよ!?」
「オリヴェル。王都の治安を守る騎士」
今までどのような言葉をかけても一切返事をしなかった女であるが、初めて言葉を発した。
それが、自身の名前と職業であったことから、男――――オリヴェルは身を震わせる。
「あなたの義務は、身をとして民のために尽くすこと」
「そ、そうだよ! だから、俺は今まで――――――」
「――――――しかし」
オリヴェルの話は途中で遮られてしまう。
いや、そもそも女には聞く気がないのだ。
すでに、彼女の中で彼の処遇は決まっているのだから。
「あなたはクレト・ラボイと共謀して大罪を犯し、それで得た利益で好き勝手生きている。通報をしてきた国民を独断で処分し、その情報が王城に行かないように統制しています」
「…………ッ!!」
ビクッと身体を震えさせるオリヴェル。
女の言うことに、身に覚えがあり過ぎているからである。
「あなたは悪。正義の騎士たる私が、懲罰を下します」
「ひっ……! や、止めてくれぇっ!!」
泣きながら後ずさりするが、女の足取りにためらいは見られない。
ゆっくり、だが確実に近づいてくる。
「な、なんでも話す。クレトの奴は、寒村から奴隷を引っ立てたりして人身売買をしているんだ! だから、資金も豊富で一気に成長ができて……!!」
「そうですか」
オリヴェルの話にも足を止めない女。
「な、何でだよぉっ!? ちゃんと話しただろうっ!?」
「私は聞いていませんし、話したからといって許すとも言っていません。悪は滅する。例外はありません」
「なぁぁっ!?」
オリヴェルはパクパクと何か言いたげに口を開閉させるが、言葉は出てこなかった。
たとえ、怒声を上げても悲鳴を上げても、ましてや命乞いをしても、彼女が自分を助けないと分かったからであった。
「だ、誰かぁぁぁっ! 誰かぁっ、助けてくれぇぇぇぇぇっ!!」
となれば、大声を上げて助けを求めるしかない。
夜空に響き渡るほどの声量で声を張り上げる。
しかし……。
「こんな人けの少ない場所で、深夜に、大声で叫んだって誰も助けてくれませんよ。たとえ、誰かがこの声を聞いていたとしても、厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだと、聞かなかったふりをするに違いありません」
助けてくれと叫んで、本当に助けてくれる人がどれだけいるだろうか。
それも、こんな暗くて人けのない場所なら、明らかにただ事ではない。
そんな所に、もしかしたら命の危険があるかもしれないのに、赤の他人のために駆けつけることができるだろうか。
多くの人が、首を横に振るに違いない。
そして、オリヴェルにとって残念なことに、ここにはそのような者たちしかいなかったようだ。
「悪党オリヴェル。正義の騎士たる私が、あなたを懲罰します。あの世で悔やみ続けなさい」
女はそう言うと、巨大な手甲をつけた拳を振り上げる。
そのゆっくりとした動作でも、オリヴェルは逃げ出すこともできず、ただ涙をこぼして嫌々と首を横に振るだけだった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
命乞いよりもはるかに大きな悲鳴が、夜空に響き渡った。
返り血を頬に付けた女は、その口元を歪にゆがめていたのであった。