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第四十二話 王女と入浴

 










「ふんふふーん」


 デボラは酷くご機嫌な様子で、鼻歌まで歌っていた。

 そんな彼女の姿は、ごく最近まで見られることのなかったものだった。


 デボラがこのように楽しそうな感情を表に出すようになったのは、エリクと出会ってからであった。

 彼と出会い、冒険をして、彼女は子供らしい感情を露わにするようになったのであった。


 デボラは鼻歌を歌いながら、服を脱いでいた。

 本来ならばメイドが脱ぐ手伝いなどをしてくれるのだろうが、彼女は『癇癪姫』と恐れられているので、彼女付きのメイドがいない。


 それでも、誰かがやってくれそうなものだが、今回はデボラ自身が拒否したのである。

 その理由は……。


「エリクも早く脱ぎなよー」

「はぁ……」


 クルリとデボラが振り返った先にいるのは、苦笑しているエリクの姿であった。

 一国の王女が服を脱いでいる場所に、家族でもない男がいる。


 客観的に見て、間違いなく牢屋行きの状況である。

 親馬鹿のレイ王がこの場面を見ていれば、問答無用でギロチンである。


 それを期待したエリクが忍び込んだ、というわけではない。……いや、ギロチンを期待しているのは確かだが。

 ここに彼がいるのは、デボラに呼び出されたからである。


「エリクも疲れたでしょ? お風呂に入ったら、凄くゆったりできるよ」

「はぁ……そうでしょうけれど……」


 お風呂というのは、なかなか入ることのできないものだ。

 レイ王の無茶な依頼で国中を行くエリクであるが、風呂のある宿屋というものは非常に少なかった。


「しかし、私が入ってよろしいのでしょうか? いえ、許可してもらったとしても、デボラ王女と共に入ることは……」

「いいの! 僕が良いと言っているんだから、誰にも文句は言わせないよ!」


『癇癪姫』らしい豪快なわがままを言ってのけるデボラ。

 彼女は全ての衣服を脱ぎ捨て、全裸を惜しげもなくエリクに見せつけながら肩にタオルをパーン! した。


 全裸である。

 起伏がまったくない幼女というわけではなく、胸のふくらみは確かに存在するし、体つきも子供ではない。


 全裸である。

 デボラは、羞恥心というものが非常に薄かった。


 自身の忠節の騎士であるエリクだし、別にいいやと思っていた。

 一方、エリクもそんな女体を見てダイブするような暴走機関車ではない。


 むしろ、性癖があれなものだから、他の同年代の男が同じ体験をしていた時に感じるものよりも恐ろしく冷静であった。


「それに、誰かとお風呂に入りたかったんだよねー。さっ、早くエリクも脱いでっ」

「うーん……しかし、男である私が入るのは色々とマズイかと。ミリヤムを呼びましょうか?」

「僕、あいつ嫌いだし。それに、何もマズイことはないでしょ?」


 ミリヤムのことを考えるときは露骨に嫌そうな顔をして、後半は首を傾げる。

 性的な知識が乏しいというべきか、それともエリクのことを信頼しているというべきか。


 デボラの言葉を受けたエリクは……。


「それもそうですね」

「ねっ」


 服を脱ぎ始めた。

 確かに、デボラの言う通り、何ら問題はない。


 自分は彼女を性的な目で見ないし、そもそも誰かに見つかったとしても望むところだ。

 処刑されることなんて、こちらから願い出たいほどである。


 そんな考えの元、エリクはデボラと共にお風呂に入るのであった。


「はー……流石は王城備え付きのお風呂ですね。こんなに立派なものは、初めて見ました」


 広大で立派な風呂に、エリクは感嘆の息を漏らす。

 大きな風呂にはたっぷりとお湯が溜まっており、肩までつかることができそうだ。


「そうなの? ここは僕だけのお風呂だけど、大浴場もあるよ」

「なんと……ここは王族の方だけの場所なんですね」

「ううん? パパはもう入れていないよ。一緒に入るの、何か嫌だし」

「レイ王……」


 これが、父と年頃の娘の関係なのだろうか。

 親馬鹿のレイ王が、断られるときどのような顔を浮かべたのか、想像すらできないエリクであった。


 しかし、そんな父ですら拒絶されるような場所に、自分のような正しい血統を持たない者が入ってもいいのかと、改めて疑問に思ってしまう。

 まあ、見つかったら見つかったで処刑してくれるだろうし、エリク的には何の問題もなかった。


「エリクー、僕の頭を洗ってよ」

「ああ、はい」


 鏡のついている壁の前に座るデボラの元に向かう。

 彼女から、はいっと石鹸のような物を渡される。


 エリクはあまり使ったことはないが、たまにミリヤムに日頃の回復魔法による苦痛の感謝を伝えるために、プレゼントとして送ることがあったので使い方は知っていた。

 泡立てていざデボラの長い髪に手をかけようとすると……。


「あ、痛くしたら殺すから」

「おっふ」


 ニッコリと笑顔で言ってくれるデボラ。ありがとうございます。

 エリクは、わざと髪を引っ張ってみようかなどと考えながら、髪を洗い始めた。


「あー……意外と気持ちいい~。専属のメイドには敵わないけど~。やったことあるの?」

「いえ、ありませんが」

「よかった。何かムカつくから爆発しそうだったよ」

「(選択をミスりました!!)」


 エリクは愕然としながらも、丁寧に髪を洗っていく。

 慣れていないので、おっかなびっくりという様子だが、デボラにとってそれは悪くないようであった。


「ん~……もう流して~」

「はい。目を瞑ってくださいね」

「んー」


 エリクはゆっくりとお湯をデボラの頭にかけ、泡を流した。

 デボラはブルブルと頭を振って水滴を払う。


 ベシベシと、水滴と髪がエリクに直撃するが、彼はニッコリである。


「よし! じゃあ、今度は僕が洗ってあげよう」

「えっ、よろしいのですか?」

「うん。エリクは僕の騎士だしね! やったことないけど、任せなさい!」


 やったことない、という言葉にエリクはドキドキする。無論、期待で。

 髪の毛とか、強く引っ張ってほしい。


「んしょ、んしょ……」


 しかし、意外や意外、『癇癪姫』とは思えないほどの丁寧な洗いように、エリクは不満顔である。

 小柄な体躯で一生懸命エリクの頭を洗おうとするので、身体がかなり密着しており、小ぶりながら起伏のある胸が当たっているのだが、不満なエリクはまったく気づいていなかった。


 結局、彼の期待するような苦痛は何も与えられることはなく、綺麗に髪を洗われてお風呂に浸かることになったのであった。

 良いことなのに不機嫌になるなよ。


「ふふー」


 デボラはエリクの膝の中に入り込み、背を彼の胸に預けてご満悦だ。

 しばらく二人でのんびりとしていると……。


「……そう言えばさぁ、エリク」

「何ですか、デボラ王女?」


 唐突にデボラが振り返って、不満そうに頬を膨らませながら見上げてくる。

 癇癪が起きたのか、と期待するエリク。


「僕、前に言ったことあったよね? どうして実行していないの?」

「……言ったこと……」


 はて、何か命令を申し付けられたことがあっただろうか。

 何があったか思い出せず、必死に頭を動かす。


「むー……! どうして憶えていないかなぁ」

「いひゃいです、デボラ王女」


 頬を引っ張ってくるデボラ。

 割と本気で痛いので、エリクもご満悦である。


 身体を寄せて頬を引っ張ってくるので、彼の顔の近くに小ぶりな胸がくるのだが、まったく見ていない。


「僕が言ったこと、ちゃんと思い出してよ」

「言ったこと……」


 うーんと頭を動かして、エリクはハッと一つのことを思い出した。


「まさか、あなたのことをデボラと呼び捨てにしてもよいということですか?」

「そう!! なんだ、覚えているじゃないか」


 エリクの答えが嬉しかったのか、ニコニコと笑うデボラ。


「嬉しいでしょ? ほら、言ってみなよ」

「えぇ……」


 デボラのことを、呼び捨てにする。

 ヴィレムセ王国の王族を呼び捨てにできる者など、それこそ彼ら身内の中だけだろう。


 まったく血筋的には関係のないエリクが呼び捨てを許可されるということは、とても光栄なことかもしれない。

 だが、エリクはまったく嬉しくなかった。


 彼的には、王女と敬っていた方が、自分が下の立場にいることが分かって嬉しいのだ。


「早く、早く」


 しかし、キラキラとした目を向けてくるデボラを、悲しそうな顔にするのはエリクの本意ではない。

 いや、怒って爆発してもらえるのであれば拒否をするだろうが、何故かこれを拒否すればデボラが泣いてしまうような気がしたのだ。


 したがって、エリクは口を開いて……。


「デボラ」


 ぽつりと、彼女の名前を呼んだのであった。


「(これで、やっぱり気に食わないと言って爆発をしていただければ嬉しいのですが……)」


 そんな期待を込めてエリクが彼女の顔を見下ろすと……。


「~~~~ッ!!」


 何だか、凄く嬉しそうな顔をしていた。

 頬を染め、キュッと口を閉じてはいるが今にも緩んでしまいそうである。


「も、もう一回呼んでくれるかな?」

「え、ええ。……デボラ」

「おぉ……っ!」


 家族以外の男から、名前を呼び捨てにされる。

 それは、デボラにとってもちろん初めての体験であり、そしてそのことを許せるほどの存在が現れたことに、彼女の心は沸き立っていたのであった。


「もう一回!」

「デボラ」

「もう一回!」

「で、デボラ……」

「ふふー」


 デボラは上機嫌でエリクに抱き着いた。

 色々当たっているが、両者ともにまったく気にしない。


 デボラは名前を呼ばれた嬉しさから、エリクは性癖がこじれているから。


「これからも、よろしくね。僕の騎士」

「……ふっ、お任せください」


 二人はお風呂場で、全裸で、見つめ合ってそう言い合った。

 そんな彼らの元に、ドタドタとあわただしい足音が聞こえてくるではないか。


「(これは、騎士やレイ王が感づいたのですか!?)」


 ニコニコで期待するエリク。

 しかし、残念ながらドアを破壊するほどの勢いでこじ開けて入ってきたのは、切迫した表情を浮かべたミリヤムであった。


 彼女はぎょろぎょろと目を動かし、エリクと仲睦まじそうに抱き合うデボラを見てカッと目を見開いた。


「……何を……しているの?」


 ゾッとするほど底冷えするような声音に、温かい風呂に入っているはずのエリクは身体をぶるっと震わせる。

 いい……これが求めていたものだ……。


「えー。別に、何もしていないよ。一緒にお風呂に入っているだけだよ。何もおかしいところなんてないよね、エリク?」

「え、まあ……そうですね」


 したことといえば、頭の洗いっこくらいである。

 デボラのことをまったく意識していないエリクだからこそ、あっさりと頷くことができた。


 だが、まるであてつけのようにデボラが彼と抱き合うのを見せつけられたミリヤムは、納得できるはずもない。


「全裸じゃん……」

「お風呂だからね。仕方ないね」


 プルプルと震えるミリヤム。

 次にバッと顔を上げた彼女は、お目目をぐるぐると回していた。


 そして、ガバッと唐突に服を脱ぎ始めたのであった。

 これには、エリクよりもデボラが唖然である。


「なっ!? 何をしているんだ、この痴女!!」

「私もお風呂入ります!」

「はぁっ!? ダメに決まっているだろ! ここは僕が認めた人しか入れないんだからね!」

「知りません! 入ります!」

「ふざけ……っ!? い、意外と大きい……じゃなくて、出て行け!!」

「嫌です!!」


 顔を赤くしながら全裸で侵入してくるミリヤムと、それを何とか食い止めようとするデボラ。

 エリクはお風呂に浸かって、いつ間に入れば二人にボコボコにされるかのタイミングを窺うのであった。



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