第四十話 ビリエルの最期
「うっわ、ボロボロだね。……本当に生きている?」
「ええ、もちろんですよ」
エリクの隣に降り立ったデボラは、幽霊でも見るかのような目で彼を見上げた。
エリクは血だらけで今にも倒れそうになりながらも、ニッコリと微笑んだ。
その笑みを見て、デボラもふっと笑う。
「でも、よくやってくれた! 後は、僕たちに任せなよ!」
『おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!』
デボラの言葉に応えるように、戦意を高揚させる大きな声が湧き上がった。
それは、デボラによって切り開かれた道から発せられたもので、そこから多くの騎士たちが飛び出してきた。
彼らは、ヴィレムセ王国騎士団。オラースによって近くで待機させられていた彼らが、ビリエルの私兵たちに襲い掛かったのである。
アルフレッドや護衛の騎士たちにエリクがしんがりを務めていることを聞いた彼らの士気の高さは、目を見張るべきものがあった。
「ひっ、ひぃぃぃいぃぃぃっ!!」
「もう無理だっ! 逃げるぞ!!」
しかし、ビリエルの私兵たちは迎え撃つことなどせず、一斉に逃げ出した。
エリクという異質な男だけでも恐怖していたというのに、それでも我慢できていたのは数の優位が絶対的であったからである。
それを騎士たちに覆され、かつその騎士たちは練度が高い上に士気も異常なまでに高くなっている。
そんな彼らを相手に、命を懸けて戦おうとする気概のある者は、ビリエル私兵団の中には誰一人として存在しなかった。
「にっ、逃げるなぁぁぁぁっ!! 何を勝手に逃げている!! ふざけるなぁっ! 戦わんかぁぁぁぁぁっ!!」
怒声を上げるビリエルだが、誰一人として気に留める者はいない。
彼の側近である男ですら、這う這うの体で逃げているのだから。
「ぐぅぅぅぅぅっ!! そ、それもこれも、貴様が勇者を殺すことを拒絶したからだぁっ!!」
「きゃぁっ!?」
ビリエルの行き場のない怒りは、近くにいた少女に向けられた。
飾るだけで碌に振るったことのない剣を抜き放つ。
それは、斬ることなど度外視して見た目の良さだけを重視した、戦わない貴族らしい剣であったが、少なくとも筋肉質ではない少女の身体ならば、一度までなら斬ることは可能であろう代物であった。
剣の訓練などもう何十年もしていなかったが、ビリエルは力任せに少女に叩き付けようとする。
「それは、させません」
自分のことを吹っ飛ばしてくれた少女を熱っぽく見ていたエリクは、その暴挙を見逃さなかった。
死んでしまっている私兵の手から剣を拝借すると、思い切り振りかぶって……。
「ふんっ!!」
投擲したのであった。
力を込めたので、傷口から血が噴き出す。
しかし、その甲斐あって剣は凄まじい勢いで飛んでいき、さらにその狙いも的確でビリエルの元に飛んでいき……。
「うっ、うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! わ、私の腕がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ビリエルの腕が切り裂かれた。
切れ味の鋭い名剣ならば、太いとはいえ脂肪だらけのビリエルの腕を綺麗に切り落とすことができただろうが、私兵の使っていたものはなまくらだったようだ。
腕は千切れかかってはいたものの、皮一枚繋がってブラブラと揺れていた。
むしろ、この方が痛みを味わっていた。
「今のうちに」
「は、はい!!」
少女はエリクの言葉に従い、頬に付いたビリエルの血を煩わしそうに拭うと、彼の元へと走って行った。
エリク的にはどこかに逃げてくれという意味だったのだが……まあ、自分たちの方に来ても安全だろうし、とくに何も言うことはなかった。
「あっ、あぁぁぁぁっ! い、痛いっ! 痛い、痛い、痛いぞぉっ!? ど、どうして私がこんな目に合わなければならんのだぁぁぁぁぁぁっ!!」
ビリエルは腕を抑えながら泣き出す。
魔物や山賊の討伐どころか、ろくに軍事訓練も受けてこなかったから、痛みへの耐性が微塵もないのだ。
「そりゃあ、君が僕たちを殺そうとしたからじゃない?」
「ひっ……!!」
そんなビリエルに話しかけたのは、デボラであった。
その目は、まるで路傍の石ころでも見るかのように、何の感情も映していなかった。
「エリクは君よりもボロボロだよ? でも、君みたいに泣き叫んでいない。……情けないね、君」
「う、うぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
デボラに嘲笑われ、唸ることしかできないビリエル。
何も言い返してこない彼をつまらなさそうに見たデボラに、魔力が集束し始める。
「僕をドキドキさせてくれるかと期待していたんだけど……君は違ったようだね」
デボラが求めるのは、物語の冒険のようなドキドキを味わうことだ。
そのためならば、自身の命が危なくなってもまったく気にしない。
だから、彼女は自身を殺そうとしていたことに関しては、それほど怒っていなかった。
だが、こんな結果しか出せないのであれば、いらない。
「やっぱり、僕にはエリクだね。『ビギナー殺しの小部屋』とか、すごーくドキドキしたもん!」
彼を忠節の騎士にできて良かった。
エリクと一緒ならば、これからもドキドキとし続けるだろう。
つまらない王城での生活に戻らなくてもいいのだ。
「そんな僕のものをボロボロにしたんだ。覚悟は良いよね?」
デボラがビリエルを殺す理由は、自身の暗殺未遂ではない。
面白い玩具を、自分から取り上げて壊そうとしたからだ。
「ひっ! い、嫌だっ! ば、爆発で死ぬのは嫌だぁっ!! 王女殿下、どうかご再考を……!!」
「じゃあね。ばいばい」
子供ゆえの無邪気さか、いい年をした大人が涙や鼻水を流して命乞いをしてくるのを見ても、デボラの心にはさっぱり響かなかった。
一気に魔力がビリエルの肥えた腹のあたりで収束し、爆発した。
「――――――ッ!!」
ビリエルが何と言っていたかは、爆音にかき消されてわからなかった。
しかし、身体がバラバラになる激痛が襲っていたようで、涙や鼻水を撒き散らしながらクルクルと宙を舞う彼の表情は、とても滑稽であった。
「反乱軍の首謀者は死んだ!! 我々の勝利だっ!!」
オラースが剣を掲げてそう叫ぶと、騎士たちは歓声を上げる。
ビリエルによる反乱は、こうして幕を閉じたのであった。