第三十九話 勇者か狂戦士か、または……
エリクの身体は、簡単に吹き飛んだ。
宙を舞い、そして地面に叩き付けられた。
ゴロゴロと転がり止まると、ピクリとも動かなくなってしまったのであった。
「くっ……はーっはっはっはっはっはっ!! よくやったぞ、女! 貴様には、たっぷりと報奨をくれてやろう!!」
異質な勇者を打ち倒し、ビリエルは高笑いする。
火球によって、私兵の何人かも吹き飛んだが、エリクを倒せたことに比べれば些細なことだ。
「あ、あぁ……」
魔法を撃った少女は呆然とする。
自分の手で、利他慈善の勇者を殺してしまった。
王族のためといわず、残ったのは自分のためだという嘘までついて高潔な精神を見せた勇者を、彼女は自身の家族のために殺したのであった。
「おい! 誰か、あの者の首を斬りおとしてこい! そうした者にも、報奨金をやるぞ!」
ビリエルの言葉に、私兵たちはニヤニヤと笑った。
そして、我先にと倒れ伏すエリクの元に駆け寄って行くのであった。
「あっ……!」
少女は止めようとするが、そんなことをしたらどうなるかわからない。
そのため、唇を食いしばって黙ることしかできなかった。
その目に、まるでハイエナのようにエリクにたかる私兵たちを捉えることしかできず……。
「俺が首をとる!!」
「馬鹿を言うな! 俺だ!」
口々に怒鳴り合いながらエリクの元に向かう彼ら。
しかし、エリクの首が切り取られて、高く掲げられることはなかった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「なっ……!?」
悲鳴を上げて崩れて落ちていくのは、エリクに迫って行った私兵たちであった。
血を噴き出しながら倒れる彼ら。
代わりに立ち上がっていたのは、エリクであった。
死んでいる、もしくは虫の息だと考えていた私兵たちは、抵抗することすらできずに一刀の元にエリクに切り捨てられたのであった。
「ば、馬鹿な! 魔法攻撃の直撃を受けておいて、何故生きて……!!」
少女が手加減した?
いや、それはないだろう。
魔法を使うことができないビリエルであったが、そんなことをすれば家族を殺すとたっぷりと脅迫していたのだから。
それに、実際にエリクの惨状を見れば、手加減したと追及することはできなかった。
「ぐっ……は……っ!」
エリクは口から血を吐き出す。
火球を受けて吹き飛ばされた衝撃で、内臓を痛めているのだろう。
立っているのもやっとというような状態で、剣を杖にしている。
ガクガクと震える脚は、まるで生まれたての小鹿のように頼りない。
とっさに腕を盾にしたせいか、火傷も酷かった。
しかし、それでも……それでもエリクは立っていた。
「ゆ、勇者様……」
少女を筆頭に、無理やり私兵団に組み込まれた領民たちは、エリクのことを輝く目で見つめた。
それは、まるで英雄を見るかのように。
だが、恐れたのはビリエルだ。
何故死なない? 何故生きている?
これでは、アンデッドを相手にしているようではないか。
「は、早く……早くそいつを殺せぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
ビリエルは私兵たちに怒鳴りつける。
今までは、オラースたちをすぐに追いかけなければならないという理由から、エリクを殺そうとしていた。
だが、今の彼が命令を発したのは、死に体になりながらも道の前に立ち続ける、エリクという異質なものに対する恐怖からであった。
矢で射ぬかれ、多くの者たちから剣で切り付けられリンチされ、最後には強力な魔法攻撃で身体を吹き飛ばされ……。
その苦痛は、痛みだけで耐えきれなくなり死んでしまう者も出るほどだろう。
だが、エリクは立ち続けるのだ。
「ぐぁっ!?」
「こ、こいつ……いったい、どこにこんな力が残って……!!」
私兵たちは死に体のエリクに襲い掛かるが、逆に返り討ちにされてしまう者ばかりだ。
だが、もうエリクも限界なのだろう。
彼は、私兵たちの攻撃を避けようとすることも、もはやしなくなっていた。
胴体を斜めに切り付けられ、血が噴き出す。
カウンターでそれをした私兵の首を切り飛ばす。
槍で横っ腹を貫かれる。
その槍を掴んで動けなくすると、私兵の心臓を突き刺した。
少女以外から、再び魔法攻撃が放たれた。
エリクの身体はあっけなく吹っ飛び、血を撒き散らしながら地面を転がる。
地面に落ちた際、腕から落ちてしまったのだろう、おかしな方向に曲がってしまっていた。
「もう立つな……! 立たないでくれ……!」
ビリエルはそう懇願した。
あまりにも異質で、強烈な恐怖が彼を襲っていたのであった。
「ぐ……ふっ、ふふふ……っ」
しかし、エリクは立ちあがった。
そして、ビリエルや私兵たちはゾッと背筋を凍らせる。
血みどろになり、骨も折れて満身創痍の勇者は、笑っていた。
頭部から流れる血で赤く染まった顔を歪ませながら、いかにも愉快だと、そう言うように笑っていたのだ。
「くふふふっ。ははははっ……!」
「ぎっ!?」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
笑って迫りくる私兵たちを斬り殺すエリクの姿に、私兵たちは悲鳴を上げる。
あれだけ苦痛を味わい、あれだけの怪我を負いながら、それでも前に進もうとする。
しかも、笑いながら……本当に楽しそうに笑いながら、一歩一歩近づいてくるのである。
何かのために戦うというような強い意志の持たないビリエルの私兵たちは、あっけなくその異様な姿に飲まれてしまった。
そして、飲まれていたのはビリエルもまた同じであった。
「きょ、狂戦士……」
そういった連中がいるということは知っていた。
しかし、いざ目の前にして、しかもそのような男が少しずつとはいえ近づいてくるのを見ると、その恐怖の大きさは計り知れない。
ビリエルの顔には、デボラ暗殺未遂事件の関与を指摘された時以上に汗が浮かび上がり、色も蒼白となっていた。
「も、もう無理だぁぁぁぁっ!!」
「こんな化け物と、戦ってられるかぁぁぁぁっ!!」
「あっ! き、貴様ら、待てっ!! 逃げるなっ!!」
恐慌状態に陥った私兵たちは、武器を投げだして逃げ出した。
たった一人の……満身創痍の男に背を向け、多くの私兵たちが必死に脚を動かしたのである。
その滑稽さは、見た者にしかわからないだろう。
だが、本人たちは決して自分たちがみじめなことをしているとは思っていなかった。
たとえ、つい先ほどまでたった一人をリンチして殺し、報奨金を得ようとしていたとしても、だ。
あれだけ傷つき、傷つけられ、苦痛を味わい、身体を損壊させられ……それでも笑って前に進んでくる男。
それが、いったい彼らにどれほどの恐怖を与えたのだろうか。
「くそっ! 役立たず共め!! おい、お前! また魔法攻撃を撃つのだ! 今度は、一発ではない! 奴が倒れ、二度と動けなくなるまで、何度もだ!!」
ビリエルは逃げ去る私兵たちを罵倒すると、近くに残っていた少女に怒鳴りつける。
彼女も一刻も早くビリエル側から離れたかったのだが、逃げる私兵もいれば逃げない私兵もいた。
エリクに脅威を感じない鈍感な男たちは、まだ残っていたのだ。
そのため、逃げることもできなかった少女に、ビリエルの矛先が向けられた。
「良いか? 死ぬまでだ! あの狂戦士が死ぬか、貴様の魔力が尽きるかの根気勝負だ! だが、決して負けるなよ。 仮に奴よりも先に貴様が倒れれば、貴様の家族を目の前で引き裂いてやる!!」
「そ、そんな……!!」
少女はもうエリクに魔法を使いたくなかった。
もともと、無理やり私兵団に組み込まれ、嫌々従軍していたのだ。
さらに、誰かのために命を懸けて立ち続ける男に向かって魔法を撃つことなんて、望むはずもなかった。
今すぐビリエルの元から走り出し、エリクの隣に立って魔法攻撃を私兵たちに向かって撃ちたい。
だが、家族を盾にとられれば……。
少女は涙がにじむ目でエリクに目をやると……。
「えっ……」
エリクはうっすらと微笑んでいた。
まるで、少女が攻撃を選ぶことができるようにしているように……。
少女はハッとする。
彼は、自分のことよりも少女のことを優先してくれたのだと理解した。
自分を魔法で撃って、それで少女とその家族が助かるのであれば、それでいい。
彼の目は、そう言っていた。
「あ、あぁ……」
これが、利他慈善の勇者。
自身の身を省みず、ひたすらに他者のために力を尽くす。
そんな彼を見て、少女が思ったのは……。
「『守護者』……」
「どうした、女!? さっさと撃たんか!!」
ぽつりとつぶやいた少女の言葉をかき消すように、ビリエルの怒声が響き渡った。
少女はビクッと身体を震わせたが、キッと鋭い目を彼に向けて……。
「い、嫌です!!」
「なにぃっ!?」
ハッキリと拒絶したのであった。
ビリエルはまさか拒否されるとは思っていなかったので、数瞬の間呆然とするが、すぐに顔を真っ赤にして怒り狂う。
「何をふざけたことを言っている!? 家族を殺されてもいいのか!?」
「い、嫌です! でも、勇者様をこれ以上傷つけることも嫌なんです!!」
「ふ、ふざけおって……!!」
カァァッ! と頭に血が上るビリエル。
そんなわがまま、許されると思っているのか。
そう怒鳴りつけようとするビリエルであったが、急速な魔力が集束していくのを見て目を丸くする。
それは、私兵たちが集まっている場所で起き、何が起きているのかさっぱりわからない彼らは呆然とそれを見ていて……。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
凄まじい爆発が起き、私兵たちが吹き飛ばされた。
爆炎に飲み込まれて黒こげになって地面に倒れる者。
爆風で宙に吹き飛ばされる者もいた。
後者は五体満足で宙を飛んでいる者などほとんどおらず、身体の一部を欠損したり、酷い者だと下半身を失ったりしている者もいた。
「な、なんだ!? 何が起きたのだ!?」
「わ、わかりません!! い、いきなり爆発が起きて、人がバラバラに……!!」
爆音で耳をやられ、半泣きになりながらビリエルが怒鳴る。
しかし、誰も答えることなどできない。
いきなり起きた爆発によって、一気に私兵たちが失われたことしかわからない。
……いや、ビリエルには、こんなバカげたことを為すことができる人物に、心当たりがあった。
「ま、まさか……!!」
ビリエルの予想に応えるように、エリクの背後にあった瓦礫の山が吹き飛ばされた。
そして、そこから馬に乗って現れたのは……。
「エリクー!! 生きてる~!?」
『癇癪姫』デボラ・ヴィレムセであった。