第三十六話 命を賭したしんがり
「な、何を……」
「何を言っているの、エリク!?」
オラース王子の言葉を遮って、血相を変えて私に問い詰めてくるのはミリヤムです。
彼女の顔からは、純粋に私のことを大切に想ってくれていることがわかります。
「このまま逃げても、いずれ追いつかれてしまいます。下手をすれば、一気に全滅してしまう可能性もあります。なれば、誰かが敵を食い止めなければならないのです」
そう、命を賭して、ね。
もちろん、しんがりなんて危険なことをして、無事で済むはずがありません。
それこそ、一騎当千の強者ならばまだしも、私は多少強い程度の人間でしかないのですからね。
「で、でも……それでも、あなたがやる必要はないでしょう……!?」
確かに、ミリヤムの言う通りです。
こういう時は、王族に仕えている者……ここでは騎士たちがやるべきなのでしょう。
私はレイ王に勇者に命じられているとはいえ、強制的に召し抱えられているだけですからね。
おっと、自分で考えていて少し興奮してしまいました。
「ミリヤム、今の私はデボラ王女の忠節の騎士なのです。この命を懸けることに、矛盾などありません」
「そ、そうだけど……」
ミリヤムは悲痛そうな顔を向け、デボラ王女は……何とも分かりづらい無表情ですねぇ……。
「それに、今万全の状態なのは、私だけです。私がしんがりを務めることが、最も合理的だと思いますが……」
護衛の騎士たちは、先ほどまでの撤退戦によって大小さまざまな怪我を負っています。
オラース王子を庇って矢を受けたヴァルターさんや、必死に盾を構えて王族を守ったアルフレッドさんも、浅くはない怪我を負っています。
撤退している時に私だけ苦痛を味わっていないのは神の悪戯かと思いましたが……最後に神は私に微笑んでくれたようですね。
ビバ、ドMの神。
私の考えが正しいことは、皆分かっているのでしょう。
ミリヤムを筆頭に悲痛な表情を浮かべていますが、誰も反論してきません。
「だ、だったら、私も……!」
「いや、君は残っちゃダメだよ。エリクの足手まといにしかならないからね」
ミリヤムが最後まで言い切る前に、何も話さなかったデボラ王女が止めてくれます。
その表情は、まさに王女のもので……少し驚きです。
「……危険な任務だ。命すら危うい。それでも、やってくれるか?」
オラース王子が、苦しそうにしながらも尋ねてきます。
本当、ヴィレムセ王国の王族とは思えないほど良い人ですね。
このような人を、民にとって失わせるわけにはいかないのです。
私からすれば、デボラ王女やレイ王の方が失う訳にはいかないのですが。
「ええ。それが、デボラ王女のご命令ならば」
そう、私はデボラ王女の忠節の騎士です。
王女からの命令を受けていた方が、決まっているでしょう。
私たちの視線を一身に集める小さな王女は、無表情で私を見上げます。
じっと私を見つめるデボラ王女。
何かを探られているようで……興奮します……。
「王子殿下!ビリエルの私兵が、もうすぐそこまで……!!」
「くっ……!」
話しているうちに、近かった距離がさらに近づいたようです。
これはもう私を置いて行くしかありませんねぇ……。
「んっ、そうだね。ここは、エリクに任せるよ」
「はっ!」
うっすらと微笑んで素晴らしい命令を下してくれるデボラ王女。
ふっ……流石です。
元気よく答えた私でしたが……。
「でも!」
ビシッとデボラ王女の小さな指が目の前に突き付けられます。
目玉を突いてくれるのでしょうか?
「僕は死んでくれと命令しない。僕たちが、援軍を引きつれて戻ってくるまで、生きてここを守ってくれ」
なん……ですと……?
まさかの生存命令に、私愕然。
「……はい」
元気をなくす私の返事。
……こんなことって、ないです。
何故だか、周りの騎士たちは感動したように涙を浮かべていますが、ここは私の不運を嘆くべきだと思うのです。
「それと、デボラ王女。小規模で良いので、岩壁を『爆発』で崩してください」
『なっ……!!』
私の提案に、絶句する騎士たち。
自ら逃走経路を潰しているのですから、驚いても不思議ではありません。
そう、生存命令ではなく、死守命令に解釈すればいいのです。
そうすれば、皆笑顔。
「正直、私一人では全ての私兵を受け止めきれるとは思えません。誰かと戦っている間に、岩壁の間を通られれば、私がしんがりになった意味がありません」
「で、でも、それじゃあエリクが本当に……!」
涙を浮かべて身を案じてくれるミリヤム。
ふふふ、いいんですよ。望むところですから。
「……んっ、そっか。分かった。僕に任せてよ」
ない胸を張ってトンと叩くデボラ王女。
ふっ……頼もしいですね。
是非、私を袋のネズミにしていただきたい。
「さ、早く行ってください。ビリエルの手勢が、すでに迫ってきています」
私は早く行けと彼らを急かします。
ここは、私だけのドMフィールドなんですからね!譲りませんよ!
「すみません、勇者殿!」
「必ず、援軍を引きつれて戻ってきます!!」
アルフレッドさんや護衛の騎士たちが声をかけてくれます。
いえいえ、急がなくていいですよ。本当に。ゆっくり、牛歩の如くゆっくり……。
「勇者殿、すまない……!だが、絶対に見捨てたりしない!」
オラース王子はそう言って岩壁の間を行きました。
いえ、見捨ててくれてもいいんですよ。
ええ、手段の一つとして捉えておいていただきたい。
一番最初に取るべき手段が『見捨てる』でお願いします。
「え、エリク」
「ミリヤム……」
私の前にミリヤムがやってきます。
彼女は懐から赤い宝石の付いたネックレスを差し出してきました。
「これは……?」
「いつも人を庇って怪我をするから……。この宝石に、私の回復魔法をかけてあるの。私がするよりは治癒速度も効果も落ちるけど、多少は役に立つと思うから……」
「なんと……」
私は震える手でそのネックレスを受けとりました。
こんな……こんな素晴らしいものをいただけるだなんて……。
しかも、これから先に起こるのは、おそらく私のドM人生の中で最大級のイベント。
途中で倒れても、また回復して味わうことができるとは……ミリヤムはなんてよくできた人なのでしょうか。
感謝に震える私の手を、ミリヤムが優しく、しかし強く握りしめます。
「お願い……死なないで。怖くなったら……我慢できなくなったら、逃げてもいいから。だから、また私と一緒に生きて旅をして……」
ミリヤムの目からこぼれた涙が、ネックレスの宝石に当たります。
「……ありがとうございます。必ず」
このような約束をしてしまったら、死ぬわけにはいきませんねぇ。
まあ、苦痛は全力で味わいますが。
しかし、楔は撃ち込まれたのでした。
「さ、行ってください」
「……うん」
私に促され、ミリヤムは岩壁の間を行くのでした。
そして、残ったのは私と馬に乗るデボラ王女だけです。
「さ、王女も早く」
そして、私も早く痛めつけられたい!
レッツリンチ!
「……何だかさぁ」
私がウキウキとしていると、デボラ王女が話しはじめます。
「今までずっと王城にいてさ、怖がられてさ、楽しいことってなかったんだよね」
子供離れした、どこか遠い目をするデボラ王女。
普通の子供とは違う人生を送ってきたからでしょうかね。
まあ、怖がられるのは自業自得だと思いますけど。
私みたいな特殊な性癖を持っていなかったら、爆発なんてさせられたら堪ったものではありません。
「でも、エリクと出会ってから、たったの数日でこんなにワクワクすることばかり経験できた!まるで、冒険譚のように!」
キラキラと目を輝かせるデボラ王女。
ええ、冒険譚のように苦難がこれからも待ち受けていてくれると、私は嬉しいです。
「僕は、これからもこんなスリルのある人生を送りたいんだ。それには、エリク。君が必要不可欠なんだよ」
私の顔をじっと見るデボラ王女。
ふっ……私はMの神に愛された男ですからね。
苦難を引き寄せることができるのですよ。
「だから、こんな所で死ぬのは許さない。これからも、僕と一緒に旅をしよう」
ニッコリと微笑んで私を馬上から見下ろすデボラ王女。
その笑顔は、何のしがらみも思惑もなく、本当に純粋な少女の笑顔で……。
そんな美しい少女に見下ろされる大人……! これもいいですね!
「ええ、必ず」
私はコクリと頷きます。
デボラ王女の理不尽をぶつけられながら過酷な旅をする……最高じゃないですか……。
私の返答に満足したのか、デボラ王女は満面の笑みで頷きます。
「よし! それなら、生きて帰った時、僕のことはデボラと呼ばせてあげよう! 王女とか、そういう堅苦しいのはなしで!」
「え? それは別にいいですけど……」
「…………」
「あ、いえ……嬉しいです」
敬うからこそ自然に下の立場にいられるからいいのに……と思ったのですが、デボラ王女が目に涙を溜めて睨んでくるので、大人しく頷いておきます。
今爆発させられたら、流石に足止めすらできませんから。
「うん! じゃあ、僕が戻ってくるまで、生きているんだよ!」
デボラ王女は満足そうに頷き、馬をかけさせました。
そして、彼女の姿が見えなくなったと同時、岩壁に小規模の魔力の収束が起き……。
ズガァン! という音と共に爆発が発生、ガラガラと岩壁が崩れ、細い道を塞いでしまうのでした。
ここに、私の魔力をこっそりと流しておきます。
よし、これで準備は完了です。
ふっ……私の独壇場ステージの始まりです。
私は不敵な笑みを浮かべながら、ついに現れたビリエルたちに向き直るのでした。