第三十二話 王子の懸念
「ふぅ……まったく、父上は……」
レイ王、愛娘のクッキーで死にかける事件から数日が経ったころ、オラースは外に向かうために廊下を歩いていた。
彼の後ろを歩くのは、彼の忠節の騎士であるヴァルターである。
厳つい顔を、苦笑に歪ませている。
「レイ王はデボラ王女をとても可愛がられておりますから……」
「それにしても、限度があるだろう。それに、デボラの手作りのことを知らなかったのか、あの人は。大騒ぎになるところだったぞ」
とくに、レイ王の忠節の騎士である宰相のうろたえ具合が半端ではなかった。
その慌てっぷりは、少し面白かった。
「まあ、デボラの作るものは、生命の危険になるようなものではないからな。ただ、凄まじいだけで……」
デボラの手料理のひどさを知っているからこそ、エリクがいくつもあのクッキーを食べたということを聞いたときは信じられなかった。
人が良いにもほどがあるだろう。
思わず苦笑してしまうが、オラースは顔を引き締める。
「いかんな。これから、ヘーグステット領に向かうのだ。何があるかわからないし、気を引き締めなければ……」
「そうですな。我々の調査の結果では、間違いなく黒ですから」
オラースの言葉に同意するヴァルター。
一応、今回は調査と銘打っているが、間違いなくデボラ暗殺未遂事件にビリエル・ヘーグステットが関わっているだろう。
領民に対する扱いなどを見れば、彼がそのようなことをしても不思議ではない。
そこに、王族二人が調査のためにとはいえ、乗り込まなければならないのである。
「本来であれば、大勢の護衛を連れていきたいところなのですが……」
「それができないことは、お前も分かっているだろう」
オラースは苦笑する。
今回、ビリエルには王族が向かうことが伝えられている。
突然、ヘーグステット領に押し入って調査をする、なんて強権を振るうことはできない。
いや、実際にレイ王の権威をもってすれば、可能なことは可能である。
しかし、もしそうしてしまえば、それを見ていた他の貴族たちの心が離れてしまうことが十分に考えられる。
ヴィレムセ王国はレイ王という強大な君主が統治しているが、彼一人で国家運営がなされるわけではない。
各地に領地を持つ貴族たちの力も、また大きなものなのである。
ゆえに、わざわざ事前にビリエルにまでも向かうことを説明しておかなければならないのである。
また、多数の護衛を引きつれてぞろぞろと向かうこともできない。
それは、貴族のことを信用していないということと同義だからである。
そのため、必要最小限度の護衛しか連れて行くことができないのであった。
「だが、ヘーグステット領の中に入るのは、だ。入るギリギリのラインに、騎士団を用意させておけ。まさかそこまで馬鹿ではないとは思うが、万が一ということもある」
「はっ!」
だが、オラースもヴァルターも、ビリエルのことをろくに信用していない。
領民を虐げて好きなように弄ぶ貴族のことを、誰が信用できようか。
だから、ビリエルにばれないように、領地にいれない場所に騎士団を待機させておく。
ありえないとは思うが、もしビリエルが自分たちに牙をむいたときには、なんとか逃れてそこまでたどり着けさえすれば、逆にビリエルを葬ることができるだろう。
ありえないというのは、仮に王族二人を殺害したとしても、その先にビリエルの未来がないからである。
国の長であるレイ王は健在であるし、デボラはともかく国民から慕われているオラースを殺害すれば、国民からの支持も得られないだろう。
王位継承権を持つ二人を殺害されれば、ヴィレムセ王国にとっても大きな損失になるが、それは国が亡ぶほどではない。
レイ王はまだ男としての機能を有しているし、妾などを娶れば二人以上の子供など容易くつくることができるだろう。
「だから、これは本当に余計な心配になるだろうが……」
「しかし、備えをしておいて悪いことはありますまい。オラース王子は、ビリエルなどに殺されて良いお人ではないのですから」
「ふっ……」
ヴァルターの高い評価に苦笑するオラース。
彼は、自分のことをそれほど良い王族だとは思っていない。
レイ王やデボラが割とひどく見えるため、相対的に良く見えているのだろうと思っていた。
しかし、せっかく評価してくれている人の前で、わざわざ否定する必要もない。
オラースは礼を言って、また表情を硬くする。
「……共に行くデボラのことも、気にかけてやらないとな」
「それは、大丈夫でしょう。冒険と称して出て行ってから、まだ一度も『癇癪』を起こしていません。どうなることやらと思っていましたが、王女殿下にとっては良い結果になったようですな。それに、エリク殿も……」
「そう、それだ」
「はい?」
首を傾げるヴァルターに、オラースは説明する。
「確かに、今回のことでデボラは一皮むけたようだ。あいつの面倒を見てくれたエリク殿には、感謝してもしきれん。……しかし、アルフレッドの報告があっただろう?」
「あぁ……」
オラースの派閥に所属する騎士、アルフレッド。
彼を、こっそりとデボラ護衛のために派遣していた。
そんな彼が、戻ってきてからオラースに報告した内容が、少し問題だった。
「俺はエリク殿のことを信頼できる人だと思っている」
「ええ、私もです」
レイ王のあまりにも理不尽な仕打ちにも、エリクは反抗するどころか進んで受け入れる。
それが、たとえ故郷のためだとしても、そこまで自分のことを犠牲にできる者などほとんどいないだろうと言えるほどの理不尽を向けられている。
さらには、『癇癪姫』と恐れられているデボラに、無理やりダンジョンに連れて行かれ、そこでは『ビギナー殺しの小部屋』などという凶悪なものにまで巻き込まれてしまっている。
彼女の爆発をも、何度も身体に受けているとの報告もある。
それなのに、エリクは誰も非難することなく、またそんなそぶりを見せることもなく、ただ健気に立ち続けるのだ。
「……出来過ぎていないか?」
ふと、オラースが不安に思ったことがそれだった。
あまりにも、人間として出来過ぎている。
まさに、エリクの対応は優れた人そのものである。
たとえ、理不尽を向けられても反抗することなく、はたまた潰れることもなく、何度押しつぶされそうになっても立ち上がり、ただ存在し続ける。
――――――エリクは、本当に人間か?
「……そこに、アルフレッドの報告にあったあれが……」
「そうだ」
――――――狂戦士。
アルフレッドの報告にあった言葉だ。
彼は、致死性の毒を受け、何度身体を傷つけられても、デボラを狙うブレヒトに立ち向かっていったという。
それも、笑みを浮かべながら。
「常軌を逸した存在である狂戦士なら、その異質な人間性も理解できる。奴らは、頭のねじが何本も外れたような連中だからな」
「……確かにそうですね。戦いを求め、戦いの中で死ぬことを良しとする狂戦士……恐ろしい連中です」
オラースと……とくにヴァルターは、戦闘をすることも多々ある。
今まで潜り抜けてきた修羅場の中で、最も彼らを恐怖させたのが狂戦士だ。
狂戦士は、人間ではないと彼らは思っている。
本来であれば、戦いというものを人間は忌避するものである。
無駄な衝突は誰も望まないし、できる限り避けようとする。
もし、どうしても避けられない戦いがあったとしても、そこで苦痛を味わうことは嫌に決まっている。
それが、普通の感性を持った人間である。
……だが、狂戦士は違う。
嬉々として戦場に飛び込み、どれだけ傷を負っても立ち止まるどころか怯むことさえせず、なお前に進んで敵の命を奪い取ろうとする。
彼らにとって、苦痛は恐怖ではない。死は忌避すべきものではない。
それよりも、敵の命を奪い取る過程を全力で楽しむのだ。
「しかし、本当なのでしょうか?私には、エリク殿があのような種の人間には……」
「ああ、俺もそう思う。だが、アルフレッドも優れた騎士だ。虚偽の報告をするとも思えん」
「うぅむ……」
直接、エリクの戦闘を見たことがあるわけでもないので、なおさら彼が狂戦士の類の者だとは信じられなかった。
「もしかすると、勇者殿のあの聖人並の優しさや忍耐力は、狂戦士という側面を隠すものではないか、と思えてしまう」
「そ、そんな……エリク殿が、我々をだましていると……?」
「仮定の話だ。もしくは、勇者殿が無意識のうちに造りだした表裏一体のものなのかもしれん」
こう推測するオラースは、自分のことが嫌になった。
こんなにも妹や父のために尽くしてくれている人間を、疑わなければならないなんて……。
しかし、国や民、そしてエリクに懐いている妹のためにも、この汚いことは自分がしなければならないのだ。
難しい顔をして黙り込むヴァルターを見て、オラースは微笑む。
「だが、俺もこの考えの信ぴょう性は薄いと思っている。だからこそ、今回の調査でヘーグステット領だけでなく勇者殿のことも知るのだ」
「な、なるほど……」
今回、デボラだけだと心配だからついていくということもあるが、エリクのことを見極めるつもりでもいた。
何度もデボラのことを、身体を張って守ってくれたとの報告もあり、エリクのことは信頼している。
だが、狂戦士というものは、不必要な戦闘を引き寄せる。
もし、それに巻き込まれてデボラが命を落とすようなことがあれば……。
「げー。君も付いてくるの?僕とエリクだけで十分だよ」
「……また、エリクが爆発させられるかもしれませんから、回復魔法使いの私がいないと心配です」
「理由がないと爆発しないし。多分」
「……はっ、どうだか」
「僕!王族!」
考え込むオラースの元に、賑やかな声が聞こえてくる。
思案しながら歩いているうちに、デボラたちとの待ち合わせの場所まで来ていたようだ。
デボラとミリヤムが、睨み合って言い合っている。
そんな彼女たちの間に立ち、苦笑しているのがエリクだ。
今まではついぞ見られなかったデボラの姿に、オラースは温かみのある笑みを浮かべる。
「……まあ、今はいいだろう」
「そうですね」
オラースとヴァルターは笑い合い、彼らの元に向かうのであった。