第二十九話 癇癪姫のクッキー
「はー……疲れたなぁ」
デボラはボスッとフカフカのベッドに寝転んだ。
確かに疲れたが、これはとても心地の良い疲労感であった。
事実、彼女の顔には笑みが浮かべられているのだから。
「これも、エリクのおかげだよ。ありがとう」
「いえいえ」
扉に視線を向けると、その前に立つエリクとお邪魔虫のミリヤムがいた。
にこやかなエリクと対照的に、ミリヤムは分かりやすく不機嫌だ。
王城に着いたのだから、さっさとここから出て行きたいのだろう。
だが、そうはさせまい。
エリクは、自分の騎士なのだから。
「……もういいですか?これから、エリクは治療を受けないといけないので」
エリクの手を引っ張ってこの場を去ろうとするミリヤム。
しかし、デボラも逃がさない。
「待ってよ。君はどこに行ってもいいけど、エリクは置いて行って。パパが忙しいみたいで、謁見まで時間があるんだ。その暇つぶしに、エリクと話をさせてよ」
「……はぁ?エリクは私の回復魔法で解毒しましたが、一応ちゃんと診てもらう必要があるんです。こんな所になんていられません」
デボラ暗殺未遂事件をレイ王に報告したいのだが、政務で少し時間がかかるらしい。
それでも、娘のこととあって、レイ王の執務スピードが大幅に上がったようだが。
アルフレッドはオラース王子の元に向かったようだ。
そのため、暇なデボラはエリクで遊ぼうとしている模様。
だが、ミリヤムがそんなことは許さない。
診療を名目にさっさとデボラから引き離そうとするが……。
「エリクを誰に診せるんだい?」
デボラの問いかけに、ミリヤムの身体が止まる。
「そ、それは……街のお医者さんに……」
「それだったら、王宮勤務の医者に診せた方がいいだろう?診療を受けながら、僕と話をしてくれたらいいんだ。うちの医者は、ヤブではないから安心だよ?」
「うぬぬぬぬ……!」
デボラの言うことに反論する隙を見つけられず、ミリヤムは歯を食いしばる。
確かに、王宮勤務の医師ならば、その腕は確かなものだろう。
医術などろくに理解していない町医者がいることも事実だ。
ミリヤムの中で、エリクをデボラから引き離したい気持ちと、腕のいい医師に彼を見てもらいたいという気持ちがぶつかり合う。
はたして、勝ったのは……。
「……お、お願いします」
ミリヤムが折れたのであった。
彼女を見て、にんまりと笑うデボラ。
「うんうん、いいとも。空っぽの頭のくせに、割といい判断ができるんだね。褒めてあげよう」
「……いらないし」
そっぽを向くミリヤム。
本来のデボラであればかなりムッとくる反応であるが、今上機嫌である彼女は見逃してやることにした。
「さっ、エリク。僕に色々と話を聞かせてね」
「はぁ……」
何の話をすればいいのやら……と思いながらも、エリクは頷くのであった。
いつ爆発をさせられるのか、ハラハラとした気持ちを楽しみながら。
◆
「へー、そんなことが!やっぱり、外の世界は面白いんだね」
「ええ、刺激的です」
デボラはキラキラとした目をエリクに向けていた。
彼らが話しているのは、レイ王によってゴブリンの巣の中にあるとされていたゴブリンたちの秘宝を取りに行かされた時の話である。
ゴブリンというのは、繁殖のために他種族の女を連れ去って犯すことから、非常に危険な魔物として知られている。
もちろん、戦闘能力のないミリヤムをそんな所に連れて行くわけにはいかないので、エリクは一人で巣の中にもぐりこんだ。
血だらけのボロボロで、かつ捕らえられていた女性たちと共に戻ってきたエリクを見たとき、ミリヤムは卒倒しかけたほどだ。
それを、面白いと言ったり刺激的だと言ったりする二人の感性は、常人と異なっているのだなぁと改めて思うミリヤム。
流石は、利他慈善の勇者と『癇癪姫』だ。
「失礼します」
扉をノックして入ってきたのは、デボラが呼んでいた王城勤務の医師であった。
「ああ、待っていたよ。エリクのこと、診てあげてくれないかな?」
「かしこまりました」
デボラに頭を下げる医師は、エリクの元に近づいていく。
そして、魔力を流して彼の身体の検査を行うのであった。
「まあ、彼に任せていたら大丈夫だよ。君の回復魔法ほどではないけど、知識は豊富だからね」
「……はい」
デボラの言葉に、大人しく従うミリヤム。
確かに、自分は強力な回復魔法を使えるだけで、医学の勉強をしていたわけでもない元は農民である。
王族嫌いのミリヤムであるが、その言葉には大人しく従った。
「(ま、僕からすれば、あんな異質な回復魔法を使える方が驚きだけどね)」
決して言葉には出さないが、デボラはミリヤムに一目置いていた。
というのも、ミリヤムの回復魔法は異常なのである。
どのような怪我も治し、さらにはその治癒スピードも信じられないほど速い。
今、エリクを診ている医師も優れた回復魔法の使い手だが、ミリヤムほどではない。
まさに、救いの女神とも言える存在である。
ただ、欠点として激痛を与えるらしく、耐えられる者がほとんどいないとのこと。
「(その欠点さえなかったら、絶対にパパが部下にしていただろうなぁ)」
そんなことを考えるデボラであったが、すぐに切り替える。
「さて、と。エリクも今は話せないし、僕はとっておきのおもてなしをしてあげよう」
「……はい?」
ベッドから降りてスタスタと扉に向かうデボラを、訝しげに見るミリヤム。
「何をするつもりですか?余計なことはしないでください」
「君、ホント僕に遠慮なくなったよね」
まあ、いいけど、と付け加えるデボラ。
父と兄以外から恐れられていた彼女は、このように素直に感情を向けてきてくれる人がいなかったので、新鮮さを感じていた。
まあ、ムカつくときはムカつくのだが。
そう思いながら、半目のミリヤムに教えてやる。
「お菓子を作ってあげようと思ってね」
「…………は?」
ポカンと口を開けるミリヤム。
予想外すぎて、反応ができなかった。
そんな彼女を置いておいて、デボラはさっさと出て行ってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
デボラの後を必死に追いかけるミリヤム。
デボラの私室に残されたのは、キョトンとしているエリクと魔法を使っている医師だけだった。
◆
「はぁ、はぁ……」
デボラはオーガや山賊といった連続の戦いの後でも、その足取りには疲れを感じさせなかった。
やはり、身体を動かすことができる子供なのだ。
ミリヤムが何とか追いついたのは、デボラがキッチンで立ち止まっていたからである。
「ま、待ってください……!」
「あれ?ついて来たの?」
ようやく、ミリヤムを視界に入れたデボラ。
彼女は、豊かな髪にバンダナをしてエプロンをつけていた。
母の料理の手伝いをする子供のようだった。
そんな、『癇癪姫』とは思えないような姿に、ミリヤムは目を見開く。
「な、何をしているんですか……?」
「ん?お菓子作り」
「お……菓子……?」
デボラの口からまたありえないような言葉が飛んできたので、ミリヤムは呆然とする。
お菓子?誰が作る?デボラ王女が?
ミリヤムの頭の中で、様々な考えが浮かんでは消えていき……。
「ど、毒殺するつもりですか!?」
「どうしてそうなったんだよ」
デボラは呆れた目を彼女に向けるのであった。
「だ、だって……!ろくに自分のこともできなくて、邪知暴虐のヴィレムセ王国の王族が、お菓子作りだなんて……」
「君、エリクの仲間じゃなかったら本当に不敬罪で死刑だからね?分かってる?」
ブツブツと顔色を悪くして呟くミリヤムを睨みつけるデボラ。
しかし、彼女を爆発させることもなく、デボラは手際よく準備を始めたのであった。
「ま、とにかくそういうことだからさ、君は邪魔だから出て行ってよ。鬱陶しいし」
デボラは早速お菓子作りを開始していた。
やはり、ありえないようなものを見る目で彼女の背中を見つめていたミリヤムであったが、ふんすと奮起した。
「わ、私もやります」
「はぁっ!?」
今度は驚いたのはデボラであった。
突然、隣に立ち始めたミリヤムを睨みつける。
「いらないし、邪魔だって言っているじゃん!」
「身の回りのこともしない王族の作るお菓子なんて、心配でエリクに食べさせられません!私がちゃんと監視します!」
「いらないし!ちゃんと本で読んだからできるし!」
「本で読んだだけじゃ料理はできません!ちゃんと実践しないといけないんです!!」
「できる!」
「できません!」
「できる!!」
「できない!!」
小さなキッチンの中から聞こえてくる怒鳴り合いに、護衛のための騎士たちや通りかかったメイドたちが顔を見合わせる。
「……何が起きているんだ?」
「……さぁ?」
◆
「とくに、異常はありませんな」
「そうですか」
王室直属の医師は、そう言って魔法を解除した。
「……本当に、勇者殿はオーガや山賊と戦ったのでしょうか?」
「はい?」
医師の質問に首を傾げるエリク。
「いえ、あなたを疑っているというわけではありません。王女殿下もおっしゃられていましたし、アルフレッド殿からも聞いております。しかし……」
医師は不思議そうに首を傾げる。
「聞いていた限り、エリク殿は重傷のはずです。オーガの攻撃をその身に受け、猛毒も受けられたとのこと。ミリヤム殿の適切な処置があったことも考慮しますが、異常がないというのは……」
医師が聞いたところによると、エリクは相当に酷いダメージを負っているはずだった。
猛毒を受けたということもそうだが、そちらはどのような毒の種類なのか分かっていないので、あまり重要視していない。
それよりも、彼が問題だと思っていたのはオーガである。
人間の何倍もの力を振るう鬼の魔物。
魔法攻撃でならば倒せるだろうが、近接戦闘でかの魔物を倒すことができるのは、おそらくヴィレムセ王国騎士団の中でもほとんどいないだろう。
そんなオーガの攻撃を、エリクは何度も受けたと聞いている。
腹部を蹴りあげられたり、その身体を何度も踏み潰されたり……。
普通の者ならば、命を失っていても不思議ではない。
「(いや、普通の者でなくとも、何かしら後遺症が残っていてもおかしくないのだ。だが、勇者殿は……)」
エリクには、後遺症すらなかった。
ミリヤムの回復魔法がいかに優れているとはいえ、このようなことがあり得るのか。
「ミリヤムのおかげですね。彼女がいるので、私はとても助かっています」
エリクはそう言って微笑む。
「そして、私にも少し特殊なスキルがあるのですよ」
「……なるほど」
オーガの猛攻をその身に受けても死なないスキル。
医師も大変興味があるのだが、エリクの顔を見れば教えてくれそうにないことが分かった。
彼は医師であって研究者ではないため、任された仕事以上のことをするつもりはない。
大人しく引き下がるのであった。
「あ、終わった?」
そんな時、部屋に入ってきたのはデボラであった。
二人は立ち上がって彼女を迎え、医師はそのまま部屋を退出するのであった。
「異常はなかったみたいだね」
「ええ、ご心配をおかけしました」
「本当だよ。これから、もっと過激な冒険に付き合ってもらうんだからね」
エリクを純粋に心配したのではなく、さらにこれ以上の刺激的な冒険を求めるが故のエリクの心配。
エリクはビクンビクンした。
「まあ、何もなくてよかったじゃないか。お祝いに、これをあげよう」
デボラはニコニコしながら、後ろ手に持っていたものを前に出す。
そして、エリクはハッとする。
「そ、それは……?」
皿の上に乗っている何か。
固形物であるようだが、摩訶不思議な色をしている。
黒や茶色などといった一色ではなく、様々な色を放つ謎の物体。
見る角度によって色が違う。
魔法か錬金術で作られた新種の毒だろうか?
回復祝いに毒をもらう刺激的なプレゼントに、エリクは歓喜する。
が、デボラはなにを言っているのだと小ばかにしたように笑う。
「見てわからない?クッキーだよ」
「クッ……キー……?」
エリクはまじまじと摩訶不思議な固形物を見る。
これが、クッキー?
寒村育ちのエリクはクッキーなどというお菓子を食したことはないのだが、なるほどクッキーとはこういうものなのか。
勇者を始めてからミリヤムに美味しいものを食べさせてあげようと考え、クッキーを上げたことはあったのだが、あれは茶色の香ばしい匂いのするものだった。
どうやら、本物のクッキーというものは、虹色に輝き異臭を放つものだったらしい。
「味は心配しないでよ。ミリヤムに食べさせたんだけど、あまりの美味しさに気絶したから」
「ほほう」
自慢げなデボラを見て、エリクは頷く。
この時、彼は理解していた。
「(いや、絶対にそれはありません)」
何かを食べて、あまりの美味しさに気絶する……だなんて聞いたことがない。
食物を食べて気絶するようなことになるのは、一つしかない。
そう、毒である。
「デボラ王女……私のために……」
エリクは感涙する。
まさか、自分のために毒を作ってきてくれるとは……。
ミリヤムのことは少し心配だが、彼女は優れた回復魔法使いだ。
命に別状はないだろう。
問題は自分だ。
彼女が復活しないまでに、存分に苦しむことができるだろう。
「さ、遠慮しないで食べなよ!お代わりもあるよ!」
「おぉ……!」
たったの一つでなく、毒はさらにあると。
エリクはさらに感動した。
「いただきましょう!」
「うん。……何か、やけに張り切っているね。そんなに僕のクッキーが欲しいの?」
「その通りですとも!」
「ふ、ふーん……」
ちょっと恥ずかしそうに顔を背けるデボラ。
そんな彼女をしり目に、エリクは意気揚々とクッキーと名付けられた毒物を手に取り、口の中に放り込んだ。
「――――――!?」
直後、彼の味覚に襲い掛かるのは未知の味。
そして、痛み。
クッキーで、何故か痛みが生じる。
まるで、口内でデボラが爆発スキルを乱発しているかのよう。
「ぐふっ……」
エリクは口までせりあがった血を何とか吐き出さずに飲み込む。
こ、これは凄まじい……。
「どう?どう?」
キラキラとした目を向けてくるデボラ。
そんな彼女に、エリクは焦燥しきった顔を笑みに変えるのであった。
「素晴らしい……クッキーです……!!」
「ふふん、そうだろう!僕にかかれば、お菓子作りなんてたやすいことなんだよ!」
デボラはニコニコと笑いながら胸を張った。
エリクはさらなる苦痛を得るために、クッキーもどきを貪るのであった。
なお、キッチンで白目になって倒れているミリヤムが発見されるのは、少し後の話である。