第二十話 誘導した者たち
「……まさか、『ビギナー殺しの小部屋』の主を倒してしまうとは」
『ビギナー殺しの小部屋』の前に立っていた男は、中の様子を窺いながら呟く。
先ほどまで入り口はぴったりと閉じられていたのだが、部屋の主が殺されたことによって出口が開けたのである。
激しい戦闘があったのだろう、未だに砂煙が舞いあがっており、部屋の奥では一人の少女が『エリク』と必死の様子で名を叫んでいた。
頭の中にいれた資料の中に、エリクという男の名前はあった。
利他慈善の勇者と呼ばれ、国民の間では親しまれている勇者だ。
しかし、戦闘力がそれほど高くないという報告も受けており、だからこそ彼が護衛となっても主の主張する『デボラ王女暗殺計画』を実施したのだ。
『ビギナー殺しの小部屋』を使えば、完全犯罪だって容易に為すことができる。
事実、もしオーガが倒されなければ、彼ら三人は死体となって永遠にダンジョンの中をさまようことになっていたのだから。
「デボラ王女ももちろんのことだが、あの勇者の評価も上げる必要がありそうだな」
もしかしたら、この戦闘で死んでいるかもしれないが。
利他慈善の勇者が生きているのか死んでいるのか、直接この目で確かめたいところだが、やはり激しい戦闘の後の煙でうかがい知ることはできず、かといって部屋の中に入ってしまえば自分の存在がばれてしまうためそれもできず、彼の生死は男の予想に任せられることになった。
「……いや、それよりも報告をしなければ」
男は『ビギナー殺しの小部屋』の入り口から遠ざかり、一度曲がった場所に座り込む。
そして、水晶を取り出すと、そこに魔力を流し込んだ。
しばらくすると、水晶にぼんやりと人影が映り、それは次第に明瞭になっていった。
水晶に映ったのは、髭を蓄えた中年の男であった。
そのぶっくりと太った醜い容姿は、想像もできないほどの贅を尽くしてきたのだと分かる。
しかし、そのことに誰も文句が言えないほどの地位を持つ男なのであった。
『おお、お前か。今は領民の女を味わっているのに……任務を任せていなければ、お前を殺していたところだぞ』
「はっ。お忙しい中申し訳ありません。しかし、状況が進展しましたので、ご報告差し上げなければと思いまして」
理不尽な言いようにも、男は反論することなく跪く。
チラリと水晶を見れば、中年の後ろに女性らしき脚が見える。
また、男が強権を振るったのだろう。
そのようなことをするから、領民からの評判も著しく悪いが……。
しかし、自分に従う有能な人間にはおこぼれを預からせることから、跪く報告者もニヤリと口元を歪めるのであった。
『ほう、進展か。して、デボラ王女は殺害できたか?』
「計画通り、『ビギナー殺しの小部屋』にまではうまく誘導できたのですが……護衛の邪魔が入りまして、未だ王女殿下は健在です」
『なに?』
うまく誘導できた、というところまでは機嫌良さそうに聞いていた男であったが、失敗したという報告を受けてあからさまに眉を歪める。
『護衛だと?名の知れた騎士は付いていないはずだっただろう?』
「はっ。エリクという勇者です」
『勇者か』
男はハッと鼻で笑う。
『どこの馬の骨とも知れぬ輩を、王は勇者にしたのであったな。私とは比べるまでもない下賤な血をひく者が、『ビギナー殺しの小部屋』を攻略したとでも言うのか?』
エリクという名前は知らないが、利他慈善の勇者は知っている。
近時、ヴィレムセ王国の民の間でひそかに人気になり始めている勇者のことだ。
自身のことなど二の次で、他者を思いやって他者のために尽くす勇者。
魔物に襲われていれば、その身を投げだしてまで救うこともある。
自身の欲望のために生きて、実際好き勝手に生きている二人の男は、エリクのことをまったく理解できなかったし、馬鹿な男だと蔑んでいた。
「いえ、私の見立てでは、おそらく止めを刺したのはデボラ王女だと思われます。エリクには、オーガを倒すほどの力はありません」
『ふむ、そうだろうな』
報告者の言葉に同意する男。
エリクが戦闘力の高い男だという噂は聞いたことがない。
むしろ、弱いのにもかかわらず他者のために戦うことができる点を国民たちは賞賛しているのだろう。
となると、オーガを倒したのはターゲットであるデボラかエリクに引っ付いている女ということになるが……。
引っ付いている女は、それこそ戦闘することもできないだろう。
一方、デボラは『癇癪姫』と恐れられる所以である『爆発』がある。
あの強大な力であれば、オーガをも倒すことができるかもしれない。
『流石は王女、そう簡単に殺されてはくれまいか』
「申し訳ありません」
『よい。今回の計画で暗殺できていれば何も言うことはなかったが、予備は残っているだろう?』
「はっ」
にやりと笑う中年の男。
『ビギナー殺しの小部屋』を使った暗殺計画で殺せていれば、言うことはなかった。
完全犯罪ができるため捜査もされないだろうし、護衛の失態ということになるからだ。
ただ、失敗してしまった時のこともちゃんと考えてあった。
「しかし、本当によろしいのですか?」
『ふん、貴様が心配することではない!』
「も、申し訳ありません」
つい口を滑らせてしまえば、すぐさま叱責が飛ぶ。
この短気な性格が、彼が領民たちから恐れられ避けられている理由の一つでもあった。
だが、つい先ほど女を抱いて機嫌がいいのか、彼は口を開いた。
『私はもう飽きたのだよ。このド田舎じゃあ、女のレベルも低いし贅沢もできん。私には、国一つがふさわしいのだよ』
「はっ、仰る通りかと」
『そうだろう、そうだろう』
分かりやすいおべっかにも、中年の男は嬉しそうに笑う。
『そのためには、レイ王のみならず全ての王位継承権を持つ存在を消さねばならん。オラース王子は人望もあってガードが堅い。一方、デボラ王女は『癇癪姫』と恐れられ忌避されているがゆえにガードが薄い。まず、狙うはデボラ王女よ』
「なるほど」
確かに、中年の男の言う通りだろう。
レイ王は言わずもがな、この国で最も厳重な警護がなされている。
ヴィレムセ王国のトップなのだから、それは当たり前だ。
そして、オラース王子も厳重である。
王位継承権第一位であり、次期王なのだからそれも当然だろう。
また、彼自身の人格も優れていることから国民に慕われており、彼を守ろうとする騎士たちの士気も高い。
一方、デボラはそうではない。
王位継承権を持つ立派な王族であるのだが、彼女の人格はお世辞にも優れているというわけではない。
いつ暴発するともしれない『爆発』のスキルを持つ『癇癪姫』……彼女を、命を投げだしてまで守ろうとする者は存在しない。
ゆえに、男たちが最初に目をつけたのはデボラである。
『爆発』のスキルは非常に強力だ。将来、それを完全に自由に操ることができるようになれば、もはやだれにも守ってもらわずとも彼女を殺すことは至難の業となるだろう。
それを自在に操れない今が、デボラを暗殺する絶好の機会なのである。
「それでは、あの者たちに指示を出します」
『ああ……それと、一つ付け加えておこう』
「はい?」
通信を終えようとした報告者に、男が呼び止める。
彼は欲望で濁った瞳を怪しく光らせながら、彼を見た。
『次の計画で失敗をすれば、デボラ王女が危険な目にあったことはレイ王まで届くだろう。そうなれば、私の身も危うい。……ゆえに、失敗は許されんぞ。もし、失敗したらどうなるか……分かるな?』
「…………っ」
ビクリと身体を震わせる。
これは脅しではない。失敗すれば、中年の男は本当に彼を殺すだろう。
男の言う通り、これ以上の失敗は間違いなく男の首を絞めるだろう。
『ビギナー殺しの小部屋』であれば、完全犯罪は成り立つ。
愚かな護衛役である勇者が役立たずで、不用意にも小部屋に入ってしまったことから王女が死んでしまった、というシナリオが作れる。
しかし、予備として残しておいた方はそのように間接的な手法ではなく、非常に直接的なものだ。
それでも、成功すれば他者に押し付けたりすることができるが、失敗すれば間違いなく中年の男のことも漏れてしまうだろう。
そうなれば、デボラを猫かわいがりしているレイ王がただで済ませるはずがない。
最低でも領地取り上げ、下手をすれば極刑である。
それだけのリスクを、今男は冒そうとしているのだ。
そのリターンが、あまりにも大きなもののために。
「分かっています」
報告者は頷く。
男の苛烈な性格など、今まで仕えてきて分かっていることだ。
それを知ったうえで彼の下についているのだ。
それは、おこぼれとして財産や女をもらうことができるため。
彼もうまい汁を啜るために、男に従うのであった。
デボラたちに、また困難な未来が待ち受けているのであった。