第百九十三話 願い
ミリヤムを先に行かせて、残ったエレオノーラたち。
懸賞金とその美しい存在を求めて襲い掛かってきていた反乱軍の兵士たちのほとんどが、血だまりに沈んでいた。
爆殺された者、撲殺された者、斬殺された者、刺殺された者……苦しそうに顔を歪めたり、何が起きたのかわからなかったりと多種多様な死にざまであった。
そんな中、最後の一人が、今まさに殺されようとしていた。
尻餅をつきながら後ずさりをして、涙を流しながら命乞いをする。
「や、止めてくれ! 俺が悪かった! もう二度とあんたたちに近づかないから、助け――――――!!」
「うるさいです」
「ぎぎゃぁぁっ!?」
そんな必死の命乞いも、エレオノーラには通用しなかった。
彼女の棘付きの厳つい手甲によって、彼は殴打されて潰されてしまうのであった。
まあ、賞金を得るために捕まえて犯そうとしていたので、この末路も至極当然のことと言えるかもしれないが、それを成し遂げてしまうことができるほど覚悟完了している者は少ないかもしれない。
「あ、騎士ちゃん、終わったー?」
「はい」
返り血を拭っていたエレオノーラの元に、キラキラと明るい笑みを浮かべて近づいてくるのはガブリエルであった。
ニコニコと笑っている姿はとても愛嬌があって良いのだが、彼女の持つ戟が血だらけであることから、彼女も相当反乱軍の兵士を斬り殺したようである。
「数だけじゃったな。つまらん」
「ホントにねー」
二人の会話に入ってきたのは、アンヘリタであった。
彼女は返り血も付いていなければ武器も持ち合わせていないのだが、彼女は白狐である。
ゆらゆらと揺れている白い尾は、何とも真っ赤に染まっていた。
一刻も早く綺麗にしたかった。
「っていうか、こんな雑魚ばっかだったら別に僕たちがここに残る意味なんてなかったじゃん! あの腰ぎんちゃくを先に行かせちゃったし!」
地団駄を踏んで怒っているのは、デボラであった。
自身の騎士であるエリクの元に駆けつけたかったのに、ガブリエルに止められて行けなかったのだ。
そのイライラは、可愛そうなことに反乱軍の兵士たちがその身を持って受け止めることになった。
爆死している人間が多いのも、彼女の癇癪が大暴発した結果である。
「いやいや、王女様を勝手に突っ走らせちゃマズイって。あたしたち、責任とれないよ?」
「それに、エリクさんのことです。また無茶をしているでしょうから、回復魔法の使えるミリヤムさんを先に行かせたことは、良かったと思います」
ガブリエルとエレオノーラが、そんなデボラをなだめる。
デボラを先に行かせたところで、派手な戦闘になることくらいしか想像できなかった。
それよりかは、ミリヤムによって回復させた方がいいだろう。
「まあ、不死のスキルがある限り死ぬことはないじゃろう。のんびりとしていれば……」
アンヘリタも彼女たちに続いて、デボラをなだめようとした時であった。
バサバサと鳥たちが森からいきなり飛び立ち始め、そして……。
ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッッ!!!!
「っ!?」
「わっ!?」
「な、なに!? ビックリしたなぁ、もう!」
凄まじい爆音と地震に、彼女たちは驚愕を禁じ得なかった。
今まで経験したことがないほどの音と衝撃である。
歴戦を潜り抜けてきた彼女たちでもそう思うのだから、その威力は計り知れなかった。
しょっちゅう癇癪で爆発を起こしていたデボラでさえも、これほどの大きな爆発は見たことも聞いたこともなかった。
その発生源に目をやると、そこはエリクとミリヤムがいるであろう森であった。
もうもうと黒煙が上がっている。そこから逃げるように、動物や魔物たちが飛び出してきていた。
しばらくして、ようやく地震がおさまった。
その威力に、彼女たちですら冷や汗を浮かび上がらせていた。
「あれは……うっすらとじゃが、エリクの魔力を感じるの」
爆発から漂ってくるかすかな魔力を、アンヘリタは感じ取ることができた。
「本当!? じゃあ、急がないと! 面白いことやってるみたいだし!」
それを聞いて、デボラは嬉々として走り出した。
それこそ、エリクが死ぬことなんてまったく想像もしていなかった。
それもそうだろう。彼には不死のスキルがあり、今までどれほどの苦難にさいなまれても死ぬことはなかったのだから。
無邪気にエリクの元へと向かおうとするデボラの背中を見ながら、ガブリエルとエレオノーラは会話をしていた。
「……ねえ、騎士ちゃん。エリクくんに、あんな大規模な攻撃方法があるって知ってた?」
「……いえ」
彼女たちはデボラのように子供ではなく、大人であった。
この巨大な爆発が、悪い影響を及ぼすことを悟っていた。
直感、虫の知らせとも言えるかもしれないが、どうしても彼女たちの胸には不安になるようなイガイガが宿って仕方なかった。
「もしかしたら、マズイかもの。……あの人のように、儂を置いて行くことは許さんからな」
アンヘリタはそう言いながら、森の中へと向かうのであった。
◆
その爆心地。そこは、まさに地獄のようになっていた。
エリクが爆発の被害を最小限度に食い留めるために展開した結界は、全てあっけなく破壊されていた。
木々をなぎ倒し、緑豊かな地面を抉っていた。
一瞬にして緑が土色の変わるのだから、環境破壊のレベルが凄まじかった。
しかし、何よりも酷かったのは、結界の内部である。
小さな隕石が墜落したかのような大規模なクレーターが出来上がっていた。
緑や草は枯れ、無骨な土肌がさらされていた。
人の身長よりも高いその深さは、エリクの自爆の威力の大きさを如実に語っていた。
「がっ、は……っ」
そして、その爆心地に息を吐く男がいた。
端整な顔を歪めているのは、ユリウスであった。
「ゆ、勇者のやつ、こ、こんな隠し玉を用意してやがったのか……っ!?」
まず、彼が抱いたのは驚愕であった。
そもそも、何かしらの力に強制されず、自ら自爆するようなことをどうして予想できようか。
ありえない方法で、とんでもない破壊力を秘めている攻撃。
一度しか使えないが、なるほどとてつもない威力である。
そして、そうして驚愕した後にユリウスが抱いた感情は、怒りと殺意である。
「こ、殺してやる……! こ、ころ、して……あ、あぁ……」
楽に殺してやろうと考えていたことが間違いだった。
その身体を、剣で細切れにしてやり、薄汚い魔物の餌にしてやる。
強烈な殺意と憎しみを持ちながら起き上がろうとして、ユリウスはようやく自身の状態に気づいたのであった。
身体の大部分が吹き飛んだ、その状態に。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?」
絶叫。今になって、ようやく痛みも襲ってきた。
飛び跳ねたくなるくらい痛くて苦しいのに、そうすることはできなかった。
なぜなら、彼の身体は腹のあたりから上しか残っておらず、四肢は全て吹き飛んでいたのだから。
「お、俺の手が! 足が! 身体がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
長い間不死スキルのせいで生きてきたが、これほどの重傷を負うのは初めてのことだった。
それが普通である。
しょっちゅう四肢を斬り飛ばされたり死にかけたりしているドMがおかしいのだから。
「な、ない! ない! ない!」
目を身体に向けて錯乱するユリウス。
それも当然だろう。彼には、エリクにとってのミリヤムのような存在がいないのだから。
つまり、この身体を治す手段はなく、ユリウスは一人ここで……。
「ゆ、勇者ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
怒りと共に声を張り上げるユリウス。
しかし、そうしたところで現状は何も変わらない。
死ぬことはない。しかし、この身体を治すこともできず、ここでたった一人苦しみを味わい続けて……。
一度怒りを吐き出してしまえば、今のユリウスに残るのは……。
「はぁ、はぁ……! ここまでになっても……俺は死ねないのか……っ!!」
絶望だけだった。
これほどのダメージを受けても、なお意識は明瞭であった。
こんなにもなっても、まだ死ぬことはできない。
……もう、自分は死ぬことができず、この世界が滅ぶまで生き続けるのではないだろうか?
そんな絶望的な考えすら思い浮かんでしまい、ユリウスは喉を引きつらせながら涙を流す。
「そう。私の与えたスキルで、あなたはここまで苦しんでいたのね」
「お、お前は……っ!!」
そんな時、女の声が聞こえた。
そちらを見れば、クロと呼ばれていたあの子供ではなく、間違いなく自分に不死スキルを与えた黒い女であった。
姿かたちは大人であり、髪や目、そして衣装と、やはり黒を印象付ける女であった。
そんな彼女を見て、ユリウスは涙を流す。
それは、怒りからくるものであった。
「お、お前のせいで……お前のせいで! 俺は今までどれほど苦しい思いを……!!」
「私はね、死に際の人の強い願いを叶えてあげなければいけないの。私はあなたのことを覚えていないけど……死なないスキルということは、あなたは絶対に死にたくないという強い願いを抱いていたのね」
ユリウスの凄まじい殺意をその身に受けても、彼女はうろたえることはなかった。
表情を変えることすらせず、ただ淡々と自身の役割について話していた。
そして、彼女が今まで願いを叶えてきた人数は非常に多く、ユリウスが埋もれてしまっていたことも。
彼からすれば、黒い女から与えられたスキルでこれほど長い年月を苦しんできたのだから、その言葉は彼をさらに怒らせるには十分であった。
「あ、当たり前だろうが! 誰が、望んで死にたいなんて思うかよ!!」
エリクです。
「私は、ただ人の願いを叶える存在。だから、その後のことは知らないし、関知できないわ。私は、そういう存在なのよ」
「お前……っ!!」
自分たち人間とは……また、魔族とも違う存在であることは理解した。
だが、それが今までの恨みと敵意をなくすかといえば、そうではない。
その他人事のような言葉と態度に、ユリウスは視界が真っ赤になるほどの怒りに包まれる。
だが、次の言葉でその怒りは一気に抜け落ちた。
「でも、あなたは今死にかけているわ」
「…………え?」
黒い女の言葉に、ユリウスは呆然とした。
もしかして……もしかして、この女は自分の願いを再び叶えてくれようとしているのか?
「あなたの願いは、なに?」
「お、俺の……俺の願いは……」
黒い女が、どのような考えを抱いているのかは知らない。
今の自分を憐れんで、願いを叶えてくれようとしているのかもしれない。
だが、理由なんてどうでもよかった。
涙があふれ、喉が震えてしまう。
長年の悲願が、もしかしたら今ようやく果たされるかもしれないのだから。
落ち着け。そして、ちゃんと願いを言うのだ。
ユリウスは必死に口を開けて、声を震わせながらもその願いを言った。
「し、死なせてくれ……!!」
「ええ、分かったわ」
ユリウスの願いは、あっさりとかなえられた。
黒い女は彼に近づくと、頭部に指を添えた。
そうすると、うっすらと光が発生し、それはすぐに収まった。
とくに、外見上で変わったところはない。
だが、ユリウスははっきりと自身の中から何かが失われたことに気が付いていた。
致命傷を負っているはずなのだが、不思議と痛みは感じなかった。
そして、猛烈に眠気を感じていた。
今まで、自身が死ぬためだけに行動してきたユリウスは、こんなにも眠りたいと思ったことはなかったほどに。
その欲望に抗うことができず、ゆっくりと彼の目が閉じられていく。
「さようなら。二度願いを叶えたのは、あなたが初めてよ」
「……ああ、ありがとう」
黒い女に出てきた最期の感情は、憎しみでも怒りでもなく、ただただ純粋な感謝の気持ちであった。
ユリウスは目を閉じる。
すると、昔……ずっと昔に死に別れた大切な人たちが、瞼の裏に浮かんできた。
優しかった両親、頼りになった友人たち、そして……何よりも大切だった妻と子供たち。
「これで、俺は、ようやく……」
それが、ユリウスの最期の言葉になった。
自身の死のためにヴィレムセ王国を混乱に陥れたユリウス・ヴェステリネンは、こうしてその願いを叶えたのであった。