第百九十二話 本当のスキル
「え、エリク……」
「お前は……ミリヤムだったか? 勇者のパートナーの……」
呆然と倒れ伏すエリクを見て呟くミリヤム。
そんな声を聞いて振り返ったユリウスは、彼女を見てふっと笑う。
「だが、来るのが少し遅かったな。もう、これで終わりだ」
「だ、大丈夫……! エリクは死なないから……」
そうだ。エリクには不死スキルがある。それがある限り、彼は死なない。
それに、自分の回復魔法を合わせれば、彼が死ぬことは絶対にないのだから。
しかし、そんな希望をユリウスは打ち砕く。
「ああ、スキルのことか? それは、この魔剣『パーシー』で無効化したから意味がない。つまり、こいつは後少しで死ぬ」
「え…………?」
エリクが、死ぬ。
その言葉を聞いて、素直に受け入れられるはずがなかった。
そんなはずはない。エリクはいつだって自分の隣に立ってくれて、優しくしてくれて、笑顔を向けてくれて……死ぬなんて、ありえない。
「う、嘘……」
「嘘なものか。まあ、信じられないんだったら信じなくてもいいぞ。どうせ、後少しで明らかになることだからな」
ユリウスは嘲笑うと、血だまりに沈むエリクの胸ぐらをつかんで持ち上げる。
全身から力を抜いてだらりとしている彼を持ち上げるのは苦労しそうだが、ユリウスは難なく成し遂げた。
「…………ッ!」
ぐったりとしているエリクを見て、ミリヤムは思わず駆け出してしまうが……。
「おっと。お前をこっちに来させるわけにはいかないな」
「きゃっ!?」
ビキビキ! と地面が凍りつき、ミリヤムの足を封じた。
先ほど、エリクの動きを封じたものだった。
「そこで大人しくしとけ、半魔。別に、俺は人を殺したいわけでもお前に恨みがあるわけでもないからな。死にたくないんだったら、そこで見とけ」
『パーシー』を持ち上げたエリクの腹部に当てる。
「勇者の最期をな」
「止めて!!」
ミリヤムが今までにないほどの大きな声で制止するが、もちろんユリウスが止まってやる義理はない。
エリクが以前までの力しか持たないのであれば、見逃してやってもよかったが……この戦いで、そんな甘い認識は消え去っていた。
自分と互角以上に戦えるほどの急成長を遂げた勇者……もしここで逃がしてしまえば、自分が死ぬ前にまた成長して打ち負かされてしまうかもしれない。
これ以上成長すれば、今度こそ手も足も出なくなる。
黒い女に酷似している子供……クロを殺し、自身の不死スキルをなくすため、彼は決して妥協できないのであった。
「ヒュー……ヒュー……」
「言い残すことはあるか? 利他慈善の勇者」
無視の息のエリクに、ユリウスはそう問いかける。
何も、彼が憎いわけではない。最期の言葉くらい聞いてやる程度には、同じ境遇の者としての思いやりがあった。
そんなユリウスの問いかけに、エリクはうっすらと口角を上げて……。
「そう、ですね。もっと……」
苦痛を味わいたいです。
その続く言葉は、発せられることはなかった。
言葉を話すことすらもう辛いのか、それとも性癖をぶちまけるのはまだこの時ではないと思ったのか……。
後者なら、どうしようもない変態である。
「……最後まで言葉を発することもできないか。まあ、無理もないな。不死スキルがない今、お前は最も死に近づいているのだから」
歪んだ性癖を知ることはなかったユリウスは、憐みの目をエリクに向けた。
その底知れない優しさから、様々な者たちから利用され、傷つき、苦しんできた一人の男。
彼は、今ここに終わりを迎えるのである。
なお、事実……。
「じゃあな、利他慈善の勇者……いや、エリク。お前は、俺の前に立ちはだかった最大の敵だったよ。……俺も後からすぐに追いつくから、先に地獄に行っておけ」
「エリク――――――!!」
ミリヤムの呼びかけ虚しく、エリクの腹に『パーシー』が突き刺されたのであった。
「あ、あぁ……」
絶望の声を上げるのは、ミリヤムである。
手が届きそうな距離で、大切な人の命が失われてしまった。
その時の彼女の精神的な負荷といったら、どれほどのものだっただろうか。
腹に突き刺された剣は容易く貫通し、血に濡れた刀身を露わにする。
ボタボタと流れ落ちる出血量はまさに致死量で、不死スキルを無効化されているエリクは、間違いなく命を落とす……はずだった。
「ん?」
エリクはフラフラと手を上げると、腹部に突き刺さっている『パーシー』に手を乗せるのであった。
しかし、抜き取ろうとするような力強さはまったくなく、ただ添えただけの弱弱しい力。
それゆえに、ユリウスは多少驚きはすれど取り乱すようなことはなかった。
致命傷を負った後も、意思が強い者はあがこうとする。
エリクもそれに含まれているのだろう。
なお、その強い意思とはただの被虐性癖の模様。
「……なんだ、まだ意識があったのか。『パーシー』の力とはいえ、スキルを即座に無効化することはできなかったか? まあ、それも誤差の範囲だが」
「ごふっ……! 結、界……」
エリクは血の塊を口から吐き出しながら、小さく魔法を呟いた。
魔力の壁がエリクとユリウスを覆うように展開される。
「…………何のつもりだ? これは」
魔法は使えないという情報だったが……これも、成長の結果なのだろうか?
だったら、ここで殺しておくという選択肢は正解だった。
この男が魔法まで覚えてしまえば、唯一の勝っている点がなくなってしまうのだから、次に戦えば勝てそうになかった。
まるで、自分たちを閉じ込めるように展開された魔力の壁。
その目的を考え、ユリウスはある考えにたどり着く。
「もしかして、俺があの半魔に手を出さないようにするためのものか? お前は死ぬときも他人を思いやるんだな」
自らを省みず他者を思いやる利他慈善の勇者は、死に際まで他人のことを考えていた。
そのことに、呆れたようにため息を吐く。
「安心しろ。俺は天使教でもないし、魔の血が混じっているからと奴を殺しはしないさ。あいつ自身に、俺を止められるとは思えんしな。だから、無駄にあがかずに死んでおけ。抗っても苦しいだけだぞ?」
これは、ユリウスのほんの少しの良心からの助言であった。
最大の敵であったが、別に苦しんで死んでほしいという歪な願望は持ち合わせていなかった。
しかし……。
「い、え……そうでは、なく……」
エリクは息も絶え絶えといった様子で、それでも言葉を吐いた。
普通の人間なら死んでいてもおかしくないが、不死のスキルの影響がまだ残っているのだろうか、意識をとどめていた。
……いや、ギリギリまで苦痛を味わいたいという歪んだ決意が成し遂げていたことかもしれない。
変態的欲望でここまで抗えるのは、もう流石としか言いようがないだろう。
「不死のスキル……先天性か後天性という話がありましたが……私はあなたと同じ後天性で、与えられたものです……」
「……そうか。だったら、どうして俺に協力しなかった……と言っても、もう遅いがな」
それよりも、今どうしてこの話を?
最期の最期に言うべきことだろうか?
ユリウスは、エリクのやりたいことや考えていることがさっぱりわからなかった。
「それで、ですね……。先天性のスキルというものも、私は持っているんです」
「……なに?」
しかし、この言葉にピクリと身体を硬くする。
目を丸くして、今にも死にそうなエリクを凝視する。
血反吐を吐いて、目もほとんど掠れている状況の彼。
いまさら、どうすることもできないだろう。
エリクは、ここで死ぬ……はずなのだが、彼の目に宿るキラキラとした光がユリウスの背筋を強張らせる。
「本当に、(ドMの)私にふさわしいスキルです……」
「お前、いったい何を……!」
一人で納得するエリクに、ユリウスは詰め寄る。
それこそ、顔が触れ合うほど近くまで、エリクの胸ぐらを引き寄せる。
次の瞬間、ユリウスは凍り付いた。
「私の先天性のスキルは……『自爆』と言います」
「なっ、なんだと……!?」
愕然と声を上げる。
スキルを複数持つというのは、原則としてありえない。
確かに、今まで前例がないというわけではないのだが、そういう者たちは皆歴史に名を残す英雄となるほどの人物たちであった。
エリクの場合は、先天性のスキルと後から与えられたスキルということで、二つ持ちになっていた。
不死のスキルと、自爆のスキルである。
まさに、ドMのエリクにふさわしいスキルであった。
「今まで受けたダメージを解放して、周りに被害を与えるスキル……これを使うと死んでしまうので、本当に使い勝手の悪いものなのですが……」
ふうっと息を吐いてスキルを発動する。
エリクの身体から物凄いオーラが溢れ出し、それは奔流となって駆け巡る。
しかし、彼の展開した結界に遮られて、その流れはエリクとユリウスの周りで急速に流れていく。
今まで受けたダメージ……。エリクはその被虐性癖を満たすため、今まで身代わりや肉壁となって多くのダメージを受け止めてきた。
それこそ、何人も死ぬような苦痛を味わってきた。
それが、今まさに一息で炸裂されようとしているのである。
その破壊力は、想像を軽く超えるものになるだろう。
「私には、これ以上のスキルはありません……!」
「お、お前……ふざけるな! 待て! よせ!!」
ニヤリと笑うエリクに、ユリウスはゾッと背筋を凍らせる。
これからの素晴らしい苦痛に胸を躍らせているエリクと正反対である。
しかし、それも当然だろう。
ユリウスは不死のスキルを持っているため、死ぬことはない。
だが、エリクと同じく、自己回復能力はない。
もし、彼を中心とした大規模な自爆に巻き込まれてしまえば、身体の欠損は免れないだろう。
その状態で、どうやって黒い女を殺せる?
いや、そもそも、脚などを吹き飛ばされれば、ここから身動きさえとれなくなるのだ。
回復魔法使いを何とか呼び寄せたとしても、あまりにも大きな怪我だと回復に多大な時間がかかるし、完治するとも限らない。
そして、何より……痛いのは、苦しいのは怖かった。
痛覚は、不死のスキルを持っていても健在なのだから、爆発に巻き込まれれば死ねない苦しみを非常に味わうことになるだろう。
それも、想像を絶するような。
「ぐふっ……!!」
それを回避するため、エリクの腹部に突き刺した剣を引き抜き、もう一度突き刺した。
逃げようにも、結界が張られているため離れることができない。
そのため、一刻も早くエリクを殺そうとしているのである。
だが、不死スキルが完全に無効化されていないからか、はたまた苦痛を長く味わいたいというドM根性で食い下がっているのか、エリクが死ぬことはなかった。
「……もしかしたら、これで死ねるかもしれませんよ、ユリウスさん。まあ、死ねなかったら、それはそれで悲惨なことになりますが」
自己回復能力は持たないので、ただ苦しんでこの場に残ってしまう可能性だってある。
四肢を失い、自分では動くこともできず、一人ここで死ぬこともできずに苦痛と孤独に苛まれる。
エリクなら大歓迎だが、普通の感性を持つユリウスからすれば、それは地獄に他ならなかった。
「アンヘリタさんに教えていただいた結界のおかげで、被害を最小限度に抑えることができます……。遠慮せず、私の自爆を受け取ってください」
いよいよ、エリクの身体が光り始める。
今まで、とてつもない量のダメージを蓄積していた彼の身体から、ついに極大の自爆が放たれようとしているのだ。
その威力は、結界がなければ非常に広範囲に及ぶに違いない。
だからこそ、アンヘリタから教えてもらった結界によって自分たちを閉じ込め、さらに威力も増すのであった。
ユリウスはもちろん、その自爆スキルを使うエリクも……。
「エリク! 待って……!!」
ミリヤムが涙を流しながら手を伸ばす。
それだったら、自分も連れて行って……。
エリクに助けられ、彼のために生きようと考えていた彼女の、心からの願い。
しかし、エリクは彼女に笑顔を向けて、それを拒絶した。
暗い黄泉路は一人で行くのがドMのたしなみである。
「止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!」
ユリウスは全身から汗を噴き出させ、絶叫する。
さらに、何度も剣を突き刺すが、エリクは血を噴き出すことはあってもスキルを途中で止めることはなかった。
これこそが、ドMの最初で最後の大見せ場だからだ。
その苦痛と快楽や、いかに。
「それでは、ためにためた自爆スキル……発動です」
エリクは満面の笑みを浮かべ、その苦痛と快楽を心から期待し、そのスキルを発動したのであった。
次の瞬間、目もくらむような光と耳が割れるような爆音、そして世界が揺れているのかと思うほどの地鳴りが発生したのであった。