第百九十一話 幸せな死に方
「ふっ……」
エリクは返り血を浴びながら、虚しそうに微笑んだ。
彼としては、強敵との戦いで精いっぱい傷つけてもらうつもりだったのだが、ほとんど無傷の完封勝ちである。嬉しいはずがなかった。
「(私のご主人様たりえる存在かとも思っていましたが……過大評価だったようですね)」
ドMに勝手に期待されて、勝手に落胆される。これほどの屈辱はないだろう。
しかし、戦いは終わった。
心臓を貫かれたユリウスは、そのまま倒れこむことしかできず……。
「おや?」
それにしては、なかなか倒れこんでこない。
全身から力を失い、崩れ落ちるように地面に倒れこむはずなのだが……。
そんなエリクの疑問に答えるように、ユリウスを刺し貫いていた剣をガッ! と掴まれる。
それは、ユリウスの手であった。
「なっ……!?」
「残念、だったな……!」
驚愕しているエリクに、ユリウスは血を吐きながら凄惨な笑みを浮かべる。
そして、彼は打ち上げられていた剣を振りおろしたのであった。
だが、ここにいるエリクは以前までの彼とは違う。
脳天をかち割られていたであろう斬撃も、彼は身をひねって……しかし、完全に避けきることはできなかった。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
エリクは嬌声を上げて後ろに飛びずさった。
ユリウスは胸から剣を引き抜かれて血をボトボトと落として足元をふらつかせるが、その隙をエリクが突くことはできなかった。
彼も、剣を持たない片腕を斬り飛ばされていたからである。
脳を破壊されることを防いだが、その代償に腕を持って行かれてしまったのであった。
すでに終わったと思っていた敵からの手痛い反撃に、エリクは大喜びする。
「ぐっ……ふぅ……」
ユリウスは懐から羽の装飾の魔道具を取り出し、傷つけられた心臓付近に当てる。
すると、柔らかな光が発生して、その傷を徐々に塞いでいった。
ミリヤムの回復魔法に比べれば傷の治りは遅いが、しかしそれでも一般的なそれと比べれば驚異的な速度であった。
「これは、天使教の奴らが持っていた聖具の一つでな。ちょっと前に、拝借させてもらったんだ」
自慢げにそう語るユリウス。
天使教を戦争を起こすことに利用しながらも、さらに有用そうな聖具を盗んでいたのであった。
あんなカルトでも、素晴らしいものは持っているのだなとせせら笑う。
「ほう……お前も似たようなものを持っているんだな。あの半魔の力か? 大したものだが……失った四肢をくっつけることはできないだろう?」
エリクが赤い宝石のついたものを傷口近くに当てると、激しい出血が収まってくる。
傷口がどんどんとふさがって行き、その速度は聖具を使うユリウスよりも早いものだった。
しかし、失った血液は回復できないようで、エリクの顔は青白くなっているし苦痛も味わっているようだ。
四肢を再びくっつけようとしていたエリクは、それができないことに驚愕しているようだった。
「な、何故……?」
「何故、という質問はどちらのものだ? 俺が死なないことか? それとも、腕をくっつけられないことか?」
どちらもエリク的には嬉しい。
よだれを垂らさないようにするため顔を強張らせるエリクを見て、ユリウスはふっと笑う。
「まずは、後者の方から答えようか。あの半魔の力でもくっつけることができない理由……それは、この魔剣『パーシー』の力だ」
ユリウスは自慢げに己の持つ剣を掲げる。
「四肢を再びくっつけることができるのは、確かに半魔の回復魔法が卓越しているということもある。が、もう一つの重要な要素として、お前の不死スキルが前提になる。不死スキルと回復魔法……それらが合わさって、初めて驚異的な回復を見込める」
そこまで言って、ユリウスは爪でキン! と剣を弾く。
「この『パーシー』はな、一定以上のダメージを与えた対象のスキルの一つを無効化する」
「……なるほど」
エリクはようやく理解した。
腕を飛ばされることは明らかな重傷だが、彼は何度も経験している。
しかし、何かが猛烈な速度で失われていくような感覚と、冷たくなっていく感覚……これは、不死のスキルが働いていないことから来るものだったのか。
もちろん、ユリウスも『パーシー』を使って自身の不死スキルを無効化しようと試したことは何度もあるのだが、この魔剣は使用者と認めた存在に効果を発揮しない。
強力な武器を手に入れてしまったがゆえ、彼は自身を殺すことができなくなってしまったのであった。
「お前の不死スキルは、これで攻撃される限り失われるということになる。どうだ、怖いか?」
「ええ、怖いです」
ゾクゾクとした快感に背筋を強張らせるエリク。
死。ドMにとって最大の快楽であるはずのそれが近づいていることに、彼は今までにないほどの快感を得ているのであった。
だが、その笑みを浮かべている姿は、未だ戦意を喪失しない強い男のものに他ならず、ユリウスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「さて、次は俺が死なない理由だったな。確かに、この聖具は有用だ。……だが、心臓を破壊されれば、普通死ぬ。それでも、俺が死ななかった理由……もうわかるだろう?」
「ええ、あなたは……私と同じ、不死のスキルを持っている」
「正解だ」
満足そうに頷くユリウス。
「お前が先天性のものを持っているのか、はたまた後天性のものなのか……後天性だとしたら、俺と同じだ。俺の不死スキルは、黒い女から貰い受けたものだ」
元々のスキルではなく、ユリウスの不死スキルは黒い女から与えられたものだった。
「受けたきっかけはつまらん話だ。昔、戦争に出て戦って……負けて死にかけた。その時、俺は思ってしまったんだ。『誰でもいいから、助けてくれ! 死にたくない!』とな」
「それは……」
当然だろう、と続けようとしたエリク。
自分のようなドMならともかく、それ以外の人々が死を自ら望むようなことはなかなか考えにくい。
それこそ、生きるのが嫌になるほどの大きな事があれば別だが、望まずして死ぬ者の方が多いだろう。
「ああ、当たり前のことだろう。そして、概してそういう願いは受け入れられることなく、死に行く。だがな、俺のところにはあの黒い女がやってきた。そして、願いを聞いてきて……それに答えたら、願いを叶えてやると言ってきた」
ユリウスは思い出すように目を閉じて話を続ける。
「そうして、俺は不死のスキルを手に入れた。外傷でも、寿命でも死ぬことのない身体を手に入れた」
グッと拳を握りしめる。
しかし、すぐにそれは緩くなった。
「最初は大喜びしたさ。不死なんて、人間が追い求める理想の一つなのだからな。……だが、その身体で過ごしていくうちに、苦しみが俺を襲ってきた。お前も俺と同類……分かるだろう?」
「いえ、わかりませんが」
全力で愉しんでいる。
同意を求めてきたユリウスに、エリクは首を横に振った。
彼は、この不死スキルを全力で謳歌していた。
誰かから傷つけられる苦痛はあっても、スキル自体がどうこうということは微塵もなかった。
同意を求めたのに否定され、ユリウスは多少不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ふん! まだお前は若いからそう言える。俺みたいに、何百年と生きるようになれば、同じ苦しみを味わうだろうさ」
何百年という言葉に、エリクは目を丸くした。
目の前の男は、間違いなくそれほどの歳を経ているとは思えないほど若々しい。
それなのに、エルフなどに匹敵するほどの時間を過ごしてきたのだという。
不死スキルとは、そこまでのものだったのか。
「ああ、最初はあの黒い女にも感謝したさ! だがなぁ……周りにいた連中が……大切な人たちが次々に死んでいくのを見送って一人残される苦しみ! 悲しみ! 死なないからこそ人々から受け入れられずに迫害される痛み! 悪意!」
目を血走らせて腕を振るうユリウス。
不死にも、メリットがあればデメリットもあるのだ。
自分が良かったとしても、他人がそれを受け入れてくれるとは限らない。
全ての生物は、生ある限り死は避けられないものなのだ。
その理を外れたユリウスに対して、今までと変わらず対応をしろというのも無理な話かもしれない。
「もう、うんざりなんだよ……。俺はな、疲れ切ったんだ。俺の望みはただ一つ……死なせてくれ……」
そう言って肩を落とすユリウスの姿は、ただただ疲れ切った男であった。
彼とエリク……同じく不死のスキルを持つ者同士。
しかし、年数と周りの人々という違いはあれど、彼らが歩む道は別々のものだった。
一方は、そのスキルに疲れ切って憎みさえし、自身の死という願望のために他者を陥れ利用するユリウス。
一方は、ドMという性癖を満たすためとはいえ、傍から見ればそのスキルを積極的に他者のために利用して救うエリク。
同じスキルを持っていても、人によってこんなにも違いが現れるものだった。
「だから、そのガキを渡せ。そいつは、あまりにも黒い女に酷似している。そいつが、俺が死ねる唯一の手掛かりになるんだよ。だから……な?」
ユリウスの言葉には、懇願の色さえにじんでいた。
泣きそうな顔で手を差し出し、クロを求める。
そんな彼に対し、エリクは……。
「なるほど、あなたが苦しんでいることは分かりました。しかし、クロはあなたに渡せません」
一定の理解を示しながらも、その要請を拒絶した。
「クロを渡せば、あなたは彼女に何をするのかわかったものではありません。その苦しみようから察すれば、クロを殺すようなことだって平然とするでしょう。それは、見過ごせません」
という建前ももちろんだが、本音は拒絶して戦った方が苦痛を味わえそうだからである。
ユリウスの死に対する思いは本物だ。本気でクロを求めて戦うだろう。
そんな男の前に自分が立ちはだかれば……それはもう素晴らしい快楽を得られるに違いない。
ドM、最低の欲望を抱きながらユリウスの前に立つのであった。
「そうか……。だが、お前はもう俺に勝てる要素はないんだぞ? 片腕を失って、不死スキルも無効化された。……このまま戦えば、お前は死ぬ。それでもか?」
その返答を受けて、激高することはなかった。
エリクの(見た目上の)性格を考えれば、そういう答えが返ってくることは分かっていたからだ。
それと、もう一つ理由がある。
それは、もはやユリウスがエリクに負けることはなくなったからである。
確かに、先ほどまでの戦闘ではエリクが圧倒的に優勢であり、もしかしたらユリウスは負けていたかもしれない。
だが、片腕を斬り飛ばされたことで、形勢は一気に逆転する。
片腕を失うというハンデはあまりにも大きく、ユリウスが圧倒的に優位になるのに十分な深手であった。
ミリヤムから与えられた宝石で出血は抑えられたが、失った血と苦痛のせいでエリクの顔は青白い。
一方、ユリウスは心臓を破壊されたが、天使教からぶんどった聖具のおかげで回復。四肢も問題なく生えている。
傍から見てもユリウスに分があることは明らかであり、それは当事者たちならなおさらなのだが……。
「あなたを好き勝手させていれば、もしかしたら私の大切な人が危険な目に合うかもしれません」
「…………」
ユリウスは答えることはしなかった。
その可能性は、否定しきれないからだ。
エリクはふっと微笑む。
「大切な人のために戦って死ぬ。これほど幸せな死に方は、他にあるのでしょうか?」
「そうか。それが、利他慈善の勇者だよな」
エリクはクロを差し出すようなことはせず、剣を構えた。
ユリウスはふっと笑い……。
「じゃあ、先に死んどけ。俺もすぐに、後を追うから」
生涯最大の邪魔者を排除するため、エリクに襲い掛かったのであった。
◆
「はっ、はっ、はっ、はっ!」
息を切らして走るのは、エレオノーラたちによって先に行かせてもらったミリヤムであった。
森の中を走る。鬱蒼と生い茂るこの木々のせいで、エリクがどこにいるのかは本来であればわからなかったが、事前に渡しておいた宝石に自身の魔力が込められているため、それを目標に向かうことができた。
しかし、少し前からその魔力が消えてしまった。
それは、宝石が破壊されたか、あるいは宝石に込めていた回復用の魔力を全て使い果たしたか……。
前者ならともかく、後者ならばエリクが非常に劣勢に立たされていることは間違いない。
そのため、運動があまり得意ではないミリヤムも、決して足を止めることなく走り続けた。
そして、ついに木々が開けた場所が目に入る。
あそこが、最後まで魔力があった場所だ。
「エリク……!!」
ミリヤムは汗を大量に垂らして息を切らしながらも、そこに飛び込んで……。
目に入ったのは、悠然とたたずむユリウス。
そして、彼の目の前で血だまりに沈むエリクであった。