第百八十六話 約束
「ふっ……壮観ですね」
私は少し高い丘になっている場所に立っていました。
この王都から少しだけ離れた場所には、レイ王率いるヴィレムセ王国騎士団と反乱軍が向かい合っていました。
王都の状況が悪いので、王族もこの戦場に出ています。
もちろん、私のいるような前線ではなく、騎士団で周りを厳重に固めた中央にいますが。
そんな私たちに正対するようにしている軍勢は、たくさんの荒くれ者たちでした。
ふっ……そんな彼らに今からボコボコにされると思えば、心が躍りますねぇ……。
「五つの貴族の私兵団、それに依頼を受けて参戦したグレーギルドの構成員……一万近い兵数ですね」
「もしかしたら、どこぞの国がこっそりと兵隊を送り込んでいるかもしれないんでしょ? だったら、もっと数は多いかもね。……ゾクゾクしてきちゃった」
私の両隣りに立つエレオノーラさんとガブリエルさんが呟きます。
エレオノーラさんはいつもの重厚な鎧、そして手にはすでにあの棘付きの攻撃的な手甲を身に着けていました。
ガブリエルさんは戟を抱き、なんだか妖艶な雰囲気を醸し出しています。
あの軍勢を前に、戦うことを楽しみにできるとは……流石は戦闘狂ですね。
私はボコボコにされる期待しかできません。
「数はあちらが圧倒的に優位ですが……しかし、負けることはできません。約束しましたしね」
私は徹底的に打ちのめされる敗北というものも味わってみたいのですが……。
この前線に出てくる前に、ミリヤムたちと別れたことを思いだします。
◆
「ミリヤムとクロは、デボラの近くにいてください。ここなら、よっぽどのことがない限り安全ですから」
私は陣の中央にいる時、彼女たちにそう告げました。
「ええ、分かったわ」
「わ、私もエリクの近くで……!」
クロは案外あっさりと受け入れてくれました。
戦場に出ていたがっていたので、無理を言って付いて来ようとするかとも思いましたが……よかったです。
しかし、優しいミリヤムはやはり私のことを案じてくれて、一緒に付いて来ようとしてくれます。
「その気持ちはありがたいのですが、戦闘は乱戦になるでしょう。私も、ミリヤムを守りきる自信がないのです。すみませんが、ここにいてください」
私がそう言えば、彼女は悔しそうに歯噛みします。
ミリヤムには戦闘の心得がありません。
そんな彼女を戦場に連れて行けば、カモであることは間違いありません。
しかも、ミリヤムは見目麗しいですから、もし敵軍に捕まってしまえば大変なことになることも予想できます。
私は自分がそうなる展開は良いのですが……彼女はノーマルタイプですからね。辛いことでしょう。
「……分かった。じゃあ、代わりにこれを持って行って」
「これは……」
ミリヤムがそう言って差し出してきたのは、赤い宝石の付いた装飾品でした。
それは、かつてビリエルの私兵団を単独で受け止めた際、彼女が差し出してくれた回復魔法の込められたものでした。
これのおかげで、私は以前より多くの苦痛と快楽を得ることができたのです。
この戦争前にそれをいただけるだなんて……感謝してもしきれません。
ちゃんといじめられてきます。
「必ず、生きて戻ってきて」
「ええ、約束しましょう」
私とミリヤムがそう約束し合っていると……。
「エリクー!」
私を呼ぶ大きな声。
ミリヤムは一気に嫌そうな顔に変わりました。
彼女がそんな反応を見せる人物は、一人しかいません。
「デボラ」
息を荒げて汗を腕で拭いながら、デボラは私に笑顔を向けてきます。
彼女は確かレイ王の近くにいらっしゃったと思うのですが……。
「ねっ、僕も前線に連れて行ってよ」
「えっ、それは……」
とんでもないことを要求されました。
デボラは冒険譚のようなものが好きですから、前線とかに出て戦ってみたいと思うのでしょうか?
うーむ……しかし……親馬鹿なレイ王がそんなこと許すはずもありません。
「お願い! ばれなきゃセーフだよ。それに、君は僕の騎士だろ? 言うこと聞いてよ」
ねっ、と可愛らしい上目づかいでお願いをされます。
……デボラを前線に連れて行っても、おそらくあっけなく殺される……というようなことはないでしょう。
彼女には強力な爆発スキルがありますし、近接戦闘だって騎士たちに訓練を受けていますし、私とレイ王の命令に従事しているため経験だってあります。
しかし……戦場では何があるかわかりませんからね。それが、ドM的には良いのですが。
……デボラを連れて行ったら、処刑でしょうか?
いやいや、いくら自分のためとはいえ、デボラを危険な場所に連れて行くようなことは……。
そのように、私がうんうんと悩んでいますと……。
ズドドドドドドド! と凄まじい足音と砂煙をあげて接近する者がいました。
敵の奇襲かと思ってワクワクしていましたが、近づいてくるにつれどこかで見た背格好でした。
「デボラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
その人物は、見事なまでのダイビングを披露し、その勢いのままデボラに突撃しました。
なかなかの巨体ですので、小さな彼女はあっけなく吹き飛ばされてしまいました。
もちろん、王族という高い地位にあり癇癪姫と恐れられるデボラにそのようなことができるのは、一人しか存在しません。
「ワシの可愛いデボラ! もう離さんぞ! ワシと一緒に反乱軍を虐殺するのを、安全な場所で見ようなー」
「い、嫌だぁっ! 前線で派手に爆発したいんだぁぁぁぁぁっ!! エリクぅぅぅぅぅっ!!」
その人物であるレイ王は、ニコニコ笑顔で彼女を強く抱きしめ、陣の中央に戻っていきます。
デボラはじたばたと身体を暴れさせますが、巨体に押しつぶされては何もすることはできません。
私に助けを求めてきますが……申し訳ありませんが、できることはありませんでした。
そんな風にデボラを見送り、つまらなさそうに立っているアンヘリタさんに目を向けます。
「アンヘリタさんは……」
「人間同士の醜い争いなんぞに興味ないわ。お主が参戦しないのであれば、儂だってこんな所にまでは来んかったわ。まあ、回復や癇癪姫の近くで、のんびりと見物するとしようかの」
アンヘリタさんも、前線に出るつもりはないようです。
無論、彼女が側にいてくれればこれほど頼りにできることもありませんが……何かおかしなことが起きたときに彼女がミリヤムたちの側にいるというのは安心ですね。
アンヘリタさんは、私の耳に顔を寄せてこそこそとくすぐったく話してくれます。
「男にとって戦は晴れ舞台じゃ。多くの首級を上げよ。さすれば、褒美をやろうな」
「ご、ご褒美ですか……」
「うむ」
満足そうに身体を離して頷くアンヘリタさん。
なにやら、着物の上からでも分かるほどの胸を強調していたような気もしますが……。
き、肝を引き抜いてくれるのでしょうか?
いえ、それはいつものことです。ご褒美と言うのであれば、それ以上の何かがあるのでしょう。
私は、アンヘリタさんから頂ける苦痛と快楽のご褒美に、胸をときめかせるのでした。
◆
「動いたようですね」
「アンネたち、間に合うかなー?」
私が少し前のことを思い返していると、エレオノーラさんとガブリエルさんの声で現実に引き戻されました。
それと同時に、大きな怒声が上がり、反乱軍が動き始めていました。
ヴィレムセ王国軍との衝突も、時間の問題でしょう。
ふっ……戦争ですか。ドMとしての快楽現場……逃すわけにはいきません!
「さて、私たちも行きましょうか」
「はい。悪は皆殺しにします」
「エリクくんみたいな戦える相手、いればいいなー」
こうして、私たちも戦争に参加するのでした。