第百八十話 名づけ
「ほーら。高いたかーい」
「…………」
ガブリエルさんが子供の脇腹を支えて上に掲げています。
子供をあやしているようなことをしていますが、別に泣いてもいないのでする意味はないと思いますが……。
私たちは王都に戻っていたのですが、それを一時中断して休憩という形をとっていました。
まあ、ミリヤム以外、大して休憩を必要としないメンバーなのですが。
私も体力があるというわけではありませんが、限界まで歩かされる方が好きなので歩きます。
「全然表情変わらないね。つまんない奴」
「……王女からは嫌われた方が嬉しいですよね」
「ああ? 何か言ったか腰ぎんちゃく?」
子供を見て呟いたデボラに、ミリヤムが挑発して再び喧嘩が始まります。
絶対二人は仲良しですよね。
そんな光景を見ている私の隣に、エレオノーラさんがやってきます。
「何者なんでしょうね、あの子」
「何も憶えていないようですからね」
結局、少し子供と話したのですが、何もわかりませんでした。
名前、親、出身、直前までの出来事……そのすべてです。
隠し事をしている、嘘を言っているということも考えられなくはないですが、子供の様子を見る限り、どうにもそのようなことはないようなのです。
私だけでなく、元女王をしていたガブリエルさんや年季のあるアンヘリタさんもそう言うので、勘違いではないはずなのですが……。
「まあ、人間は脆弱じゃからのぉ。記憶の喪失など、割とよくあることじゃろ」
アンヘリタさんも隣にやってきて言います。
私、今まで何度も死にかけているのですが、記憶喪失とかなったことないです。羨ましい……。
「ただ、あやつが人間かどうかは、わからんがのぉ」
面白そうにほくそ笑むアンヘリタさん。
なんと不穏で魅力的な言葉……私もドキドキしてきましたよ。
アンヘリタさんは、私を流し目で見てきます。
「あやつはおそらく厄介ごとを持ってくるぞ。なんとなく分かる。お主はそれでもあやつを受け入れるのか?」
「もちろんです。見放すわけにはいきませんから」
即答しました。
厄介ごとを持ちこんでくれる人を、自分から見捨てるドMがいるでしょうか? いいえ、いません。
「くくっ。相変わらずお優しいことじゃの。本当はお主の肝を喰いたいのじゃが……しばらくは我慢するかの」
私の答えに、本当に愉快そうに笑うアンヘリタさん。
えっ……引き抜いて食べていただいても構いませんよ?
しかし、私がそう提案する前に、エレオノーラさんの冷たい声と殺気が飛んできました。
「妖狐。そもそも、エリクさんの……人の肝を引き抜いて食べることが悪です。エリクさんでなければ死んでいるのですから。……あまり調子に乗っていると、断罪します」
「儂が今喰っておるのは、エリクのだけじゃ。それに、エリクも受け入れてくれているのじゃから、お主がとやかく言う問題ではない。お主だって、その加虐性をエリクに受け入れてもらっているじゃろうが」
エレオノーラさんとアンヘリタさんの静かな戦争。
ふっ……間に挟まれていて、その強烈すぎる殺意が私の意識を奪いに来ます。素晴らしい。
もっとやってくれないかと思っていると、袖を引っ張られました。
ミリヤムかと思えば、あの子供でした。
「……エリク」
「おや、どうかしましたか?」
目線を合わせて問いかければ、彼女自身が不思議そうに首を傾げます。
「ううん、わからないわ。でも、なんだかとても懐かしくて……楽しい気持ちになる?」
……私にそんな癒し効果が?
どうせなら、他人をイラつかせて攻撃性を与えるようなものがよかったです。
嘆く私の所に、先ほどまで高い高いをしていたガブリエルさんがやってきます。
「いやー、せっかく遊んでいるんだけど、全然楽しそうにしてくれないね。あたしみたいに戦うことが好きなのかな?」
「それはないと思いますが……」
実力もあるのであれば、私がその戦闘欲を引き受けたいと考えます。
まあ、ガブリエルさんの戦闘欲とエレオノーラさんの加虐性を受け止めるので、割とギリギリなんですが。
「そう言えば、この子をどうするか、決めたの?」
「そうですねぇ……」
ガブリエルさんに聞かれて、考え込みます。
ドMセンサーが反応をしている以上、この子の近くにいた方が私の悦ぶ展開があるんですよねぇ……。
「とりあえず、王都に一緒についてきてもらおうと思います。一度、レイ王に魔物討伐の報告もしないといけませんし……。その後は、この近くの村などに行って親を探してみようと思います」
「それが良いと思います」
私の欲望にまみれた意見を、エレオノーラさんが賛同してくれます。
まあ、ここに置いて行くわけにもいきませんしね。
「デボラ、少しだけこの子を王城に入れてもいいですか?」
本来、王城にそんな自由に出入りすることはできないのですが……レイ王に報告する際にどうしても子供を連れて行く必要がありました。
「うーん……良いんじゃない? 安全性とかよくわかんないし、変なことはしないでしょ。代わりに、ミリヤムを放逐しよう」
「じゃあ、エリクと一緒に出て行きますね」
「何でだ!!」
デボラは許可をくれた後、ミリヤムと再び喧嘩をはじめました。
本当、仲良しですねぇ……。
「じゃが、少しの間とはいえ行動を共にするのであれば、名前がわからんのはあれじゃの。まあ、儂は構わんが」
「そうですねぇ……」
アンヘリタさんの言葉に、少し考えます。
確かに不便かもしれません。突発的なことが起きたときに、名前を呼ぶことができないというのはなかなか危険かもしれませんし。
うーむ……名前だけでも思い出していただければいいのですが……。
そんなことを考えていると、その子供が私の袖を引っ張って口を開きました。
「……つけてちょうだい」
「えぇ……私ですか……?」
唐突な要求に、私も呆然としてしまいます。
私が名付け親になるんですか?……いえ、ちゃんとした本名を思い出せるまでだとは思うのですが……こういうことはしたことがないので、少しうろたえてしまいます。
まあ、そうですね。偽名を考えるときのように、あまり気負わずに考えましょう。
子供に名をつけるように、意味や字画まで考慮する必要はありませんし。
…………どうしましょう。
「……じゃあ、クロで」
ほら、なんか……そういう印象ありますし?
しかし、私の名づけの瞬間、恐ろしいほど空気が固まりました。素晴らしい。
見れば、ないわー、と目を細める女性陣。
「エリク、名づけのセンスまったくないね」
「……庇えません」
「それはちょっとなー、エリクくん」
「まあ、経験もないんじゃ仕方ないじゃろ」
「……子供ができたとき、エリクには任せられない」
デボラ、エレオノーラさん、ガブリエルさん、アンヘリタさん、ミリヤムが好き勝手言ってくれます。
いや、だって……名づけの経験なんて今まで一度もないですし……。
考えたこともなかったので、どうしようもありません。
「クロ、クロ……」
ブツブツと私のつけた名を呟く子供。
やっぱり、お気に召さなかったでしょうか?
「あの……嫌でしたら別の人につけてもらうとか……」
「ううん」
私がおそるおそる聞けば、首を横に振って……。
「これでいい」
うっすらと笑みを浮かべるのでした。