第百七十五話 必ず災いが
ジルケは回復を続ける彼女に話しかける。
「……何が?」
「勇者が瀕死になった原因が、ですよ」
ギロリと睨みつけてくるミリヤムを、冷徹に見下すジルケ。
その言葉に、彼女がピクリと身体を反応させたのを見逃さなかった。
ここで追い落とすことができるのであれば、言うことはない。
ジルケはさらに続ける。
「あなたが素直に首を差し出していれば、勇者がこんな致命傷を負って、のちに死ぬことはありませんでした。あなたが自身の命を惜しんだせいです」
「…………」
「いえ、勇者だけではありません。今の王都の騒動……これも、あなたが迅速に処刑されなかったから生じたことです。どれほどの命が奪われたことでしょう? それもこれも、全部あなたのせいです、半魔」
ジルケの言葉に、ミリヤムは言い返すことをしなかった。
自身のことを責めているのだろうと判断したジルケは、優しい笑顔と声音で止めとなる言葉をつづる。
「ですが、今からでも遅くはありません」
ミリヤムに、救いの手を差し伸べる。
「今すぐに私の元に来て、この槍で貫かれなさい。そうすれば、その勇者を見逃してやりますし、王都で暴れる魔物も何とかしてあげましょう」
もちろん、嘘である。
一度天使教に背いた者を、どうして見逃してやる必要があるのか。
大人しくこちらにやってきたミリヤムを処分すれば、次はエリクの番である。
それに、王都での騒動などどうすることもできない。
自分たちがやっていたならばまだしも、ユリウスが独断でしていることだ。収拾をつけられるはずもない。
それに、天使教を受け入れない国民など、死んで当然だ。
むしろ、弱っている時にこそ、宗教というのはその役割を果たす。
天使教徒を増やすのであれば、国民が疲弊して悲観に暮れるくらいがちょうどいいのである。
「さあ、どうしますか? 半魔」
それでも、ジルケはミリヤムに決断を迫る。
魔の血をひく者などに、嘘をついたところで心なんて微塵も痛まない。
半魔を処刑し、それを庇った勇者を殺し、天使教を拒んだヴィレムセ王族を皆殺しにする。
それで、天使教徒としての功績は十分だろう。
思わず口角が上がって笑ってしまう。
そんな彼女に、今まで俯いて黙り込んでいたミリヤムは、顔を上げてジルケを見据える。
「行かない」
「……ッ」
短い拒絶の言葉だった。
ジルケは顔を歪めるが、それでも言葉を続ける。
「……自分の命が惜しいからですか? やはり、魔の者は薄汚くて利己主義ですね。本当に、おぞましい」
「自分のため……うん、そうかもしれない」
ジルケの罵倒も、ミリヤムは甘んじて受け止める。
その態度に、またジルケのこめかみがピクピクと動いてしまう。
「でも、エリクは自分の側にいてほしいって、私に言ってくれた。だから、私はこの人の側に、ずっといる」
ミリヤムの表情は、目は、ジルケの言葉に揺らぐようなことは微塵もないほど強いものだった。
頬を引きつらせ、ジルケは汗を垂らす。
「は、はんっ! やっぱり、自分のためなんですね。これだから魔は……!」
「それに」
再び罵倒しようとした彼女の言葉を遮り、ミリヤムは言い放つ。
「あなたの言っていたこと、本当にしてくれるとは思えない。私は、あなたではなくエリクを信じる」
散々自分を殺そうとしている者の言葉を、どうして信じられることができるだろうか。
自分が大人しく殺されたとして、本当にエリクを助けてくれるのか?
ジルケのことよりも、エリクの方を信じることは当たり前であった。
「そう、そうかよ……」
ジルケは俯きながら呟く。
その口調は、丁寧なものから興奮した時に出る粗野なものに変わっていた。
「だったら、二人まとめて殺してやる!!」
聖槍『ザッパローリ』を構えて飛び出すジルケ。
狙うは、ミリヤムとエリク。二人揃って串刺しにしてやる。
殺意が迫ってきても、ミリヤムの顔は微塵も揺らぐことはなかった。
その澄ました顔を苦痛にゆがめてやると、槍を振り下ろせば……。
ガキン! という金属音と、人を貫いたものではない硬い反動が返ってきた。
目を剥いて見る先には、剣で槍を受け止めたエリクの姿があった。
「なっ!? ま、まだ生きて……!!」
「ふっ……ミリヤム、助かりました」
ジルケの問いに答えることなく、エリクはミリヤムに礼を言った。
そのことは、つまり彼女がミリヤムを追い詰めていた間、ミリヤムは何もしていなかったというわけではなく、ずっとエリクの身体を回復させていたのである。
激痛と快楽をこらえる彼の声を聞いていれば、ジルケもここまで驚愕することはなかっただろう。
歯を噛み砕かんばかりに強く噛み、後ろに跳んで大きく距離をとる。
「く、クソがっ! 一度私に敗れたお前が、今更何をできると――――――!!」
そうだ。確かに、身体に深刻な負荷はかかっているが、それでも回復したとはいえ心臓を貫かれ身体を焼かれたエリクよりはマシだ。
このまま戦えば、勝つのは自分……。
「――――――ならば、儂が力を貸してやろう」
その思惑を打ち砕くように、女の声がした。
それと同時に、ジルケに凄まじい衝撃がかかる。
それは、白い獣の尾が彼女を吹き飛ばさんと襲い掛かってきたのを、自動で聖盾『ソラス』が発動して受け止めたからである。
しかし、それでジルケの身体を守ったのは流石だが、その一撃でもはや耐えることはできなくなり、『ソラス』は儚い音と共に砕け散るのであった。
「なっ……なっ……!?」
「そやつは儂の大切な肝袋じゃ。勝手に殺してもらっては困る」
聖具が破壊されて愕然としていると、そんな声が聞こえてきた。
目をやれば、バルコニーに立っている者の数が増えていた。
黒い着物に白い髪と尾……白狐、アンヘリタ・ルシアであった。
「ま、魔族がまだ紛れて……!! 勇者……お前はどこまで落ちれば気が……!?」
エリクに向かって怒りの咆哮を上げようとした……が、ジルケはそうすることができなかった。
その前に、エリクが彼女の懐に飛び入り、剣でもって彼女の身体を貫いていたからである。
「すみません。隙だらけでした」
「がはっ……!!」
エリクにさらにズッと剣を差し込まれて、血の塊を吐くジルケ。
彼女の血が頬にびちゃりとかかり、彼の顔を彩る。
ジルケは心臓に近い重要な場所を刺されていた。
エリクは不死のスキルを持っており、かつミリヤムの回復魔法があったからこそ、まだ動くことができた。
どちらも持ち合わせていないジルケに、待っているのは死のみであった。
それを、彼女自身が一番よく理解していた。
周りを見れば、すでに自分と一緒に乗り込んだ天使教徒は、みな殺されたか捕縛されていた。
この戦いは、自分たちの……天使教の敗北であった。
「わ、私を……殺したところで……て、天使教は……なくなりませんよ……」
「ええ。魔への異常なまでの敵愾心……これがなければ、まだよかったんですがね」
「……魔を庇うお前が、天使教のこと……語るな……」
血を吐きながら、身体を密着させて会話をする二人。
しかし、そんな色気のある会話ではなく、ただ単にジルケの声がもはや蚊の鳴くような量しか出なかったからである。
「必ず……お前たちには、必ず災いが訪れます……。きょ、今日のこの決断を……必ず後悔する日が……」
「そうかもしれませんね。ただ、その日が来たとしても、私は必ずミリヤムを守り抜いてみせます」
エリクの言葉によどみはなかった。
それを聞いて、ジルケの胸に湧いてきたのは不思議と怒りではなく興味であった。
「……馬鹿が。あの世で……見ていてやる……」
そう最期に言い残し、ジルケは目を閉じた。
こうして、ヴィレムセ王国における天使教の騒動は終焉を迎えたのである。
だが、彼らの残したものというのは、あまりにも大きなものであった。