第百六十八話 胸はぜい肉
ミリヤムはその後、無事に薬草をサルガドの村まで届けることに成功した。
ちゃんと罹患者全員分があったため、奪い合うようなことはなく、ラウナも薬で治すことができた。
その数日後、ろくに飲食せずに待っていたミリヤムの元に、エリクが戻ってくる。
半ば絶望視していた彼の帰還に、彼女が文字通り飛び上がって喜んだのは言うまでもない。
その後、エリクとミリヤム、ラウナの三人で村を出る前に、何故かレイ王の命令で不死のスキルがあるエリクが連れて行かれ、ミリヤムもそれに付いて行き、勇者として活動していくことになるのだが……。
「う、んん……」
その記憶をたどる前に、ミリヤムの意識は浮上した。
どうやら、夢で追憶していたようである。
「起きましたか、ミリヤム」
「エリク……」
先に起きていたエリクの優しい笑顔を向けられる。
そのことと、昔のことを夢で見ていたこともあって、ミリヤムはギュッと彼の身体に抱き着いたのであった。
それは、情欲を誘うとかそういう類のものではなく、ただ抱擁するという意味でのものだった。
「……どうかしましたか?」
「ううん。ちょっと昔のことを思いだして……」
「奇遇ですね。私もです」
ミリヤムはそんなこともあるのかと驚く。
しかし、すぐにエリクの顔を見上げて、強い表情を浮かべる。
「エリク、私は絶対にあなたの味方だからね」
その言葉に、エリクは目を丸くし、少ししてから薄く微笑んだ。
「ふっ……それを言うなら私もですよ、ミリヤム。だからこそ、天使教にもあなたは決して渡しません」
「うん。エリクがそう言うなら、私は行かないよ」
エリクの言葉に、ミリヤムは頷く。
そうだ。あの時から、自分はエリクが望むことだけをするべきなのだ。
決して、自分がこうすれば済む、なんて浅はかな考えの元に動いてはいけないのだ。
たとえ、自分の身を差し出したところで、エリクは必ず助けに来てしまうのだから。
ならば、そんな彼の言う通りにしていれば、それでいいのだろう。
盲目的といわれるかもしれないが、もしそれで不利益をこうむっても構わないと思えるほどの相手がエリクであった。
二人は自然と見つめ合い、何だか良い雰囲気が流れ始める。
その心地よい空気にミリヤムが身体を預けていると……。
「エリクー!! 元気になったー!?」
「…………」
ズガン! と安静にしているべき人がいる部屋を開けるような音ではない豪快な音で扉をこじ開けて、邪魔者が入室してくる。
それも、大嫌いなヴィレムセ王国王女、デボラであった。
ミリヤムの顔は一瞬で死ぬ。
「おお、デボラ。おかげさまで、すっかり」
エリクも自分ではなくデボラを見ている。
いや、話をする相手を見るのは当然なのだが、気に食わない。
「ふーん。ミリヤムとアンヘリタがボロ雑巾の君を連れてきたときはビックリしたよ」
自分から聞いておいて、あまり興味がない様子。
それほどエリクを信頼しているのか……それでもミリヤムは苛立つ。
「ボロ雑巾……っ」
自分を助けて傷を負ったエリクを、ボロ雑巾呼ばわり……!
そりゃあ、デボラからすれば興味のないことかもしれないが、ミリヤムからすればまさに自分のために戦って傷だらけになった彼を、悪気がなくともそんな言い方をされれば腹が立つ。
「でも、じゃあすぐに冒険に行けるね! ほら、早く準備して!」
とはいえ、デボラもエリクのことをどうでもいいと思っているわけではないことくらいは分かる。
彼女は楽しそうにエリクを引っ張り出そうとしているのだから。
彼に懐いているし、かなり好意的な感情を抱いているのは事実だろう。
だからといって、はいそうですかと見送るわけにはいかない。
「おっふ」
何故か乗り気だったエリクを掴み、行かせないようにする。
すると、ようやくデボラがこちらに目を向けてくる。
エリクに向けている温かくてキラキラとしたものではなく、冷たくドロドロとしたものだ。
まあ、ミリヤムも似たような目をデボラに向けているのだが。
「……まーた君が邪魔するのかー。いい加減鬱陶しいんだけどなー」
「エリクは病み上がりですから。冒険(笑)には一人で行ってください」
毒がぶつかり合う。
エリクは挟まれてニコニコだ。
「あのさー。エリクも子供じゃないわけだよ? 君は何の権利で彼のことを束縛しているの? エリクはね、僕の忠節の騎士なんだよ?」
「私はエリクのパートナーですけど?」
どやっとデボラがエリクの所有権を主張すれば、負けじとミリヤムも普段はあまり変わらない表情をドヤ顔にして返す。
デボラは『パートナー』という言葉の響きにうぐっと唸り、ミリヤムは『忠節の騎士』という言葉の響きにうっとうろたえる。
どっちにも羨ましいというダメージがいっていた。
二人は睨み合いながら近づいて行き、自然と顔がぶつかる寸前まで近寄っていた。
まあ、身長差があるので、額同士がぶつかり合って睨み合いなんてチンピラみたいなことはなかった。
「……あー、うっざい。その当ててくるぜい肉も邪魔だからそぎ落としてよ」
ぶよんと当たるミリヤムの胸を手で弾くデボラ。
意外と着やせするタイプのミリヤムは、なかなかのものを誇っていた。
一方、年齢的にも身長的にもデボラのものは慎ましかった。
ここで、ミリヤムはふっと勝ち誇る笑みを見せる。
「王女様はご存じないかもしれませんが、これは胸というんです。女性らしさを出すのに大切な場所ですよ。あっ……」
デボラの一部分を見下ろし、何かを察したように口元に手をやるミリヤム。
彼女がこんな挑発的に出るのは、デボラだけだ。
ということは、嫌いあっているにせよ心を許していると捉えればいい話なのだが……。
そんな見下されたデボラは、今にも爆発寸前で顔中を真っ赤にしている。
「……僕はね、成長期なんだよ。君みたいに終わっているわけじゃないからさー」
「……ごめんなさい。最近、また重くなっちゃって」
わざわざ胸の下で腕を組んで強調するミリヤム。
その姿に、もともと短気なデボラはついに爆発してしまう。
「ああああああああああああっ!! ほんっとーにムカつくんですけど!! エリクも、僕の方がいいよね!?」
「エリク、気を遣わなくていい。私の方がいいよね?」
二人の矛先は、ギスギスした空気を楽しんでいたエリクに向けられる。
「えーと……」
殺気のこもった目を向けられて嬉しいのだが、さてどう答えようかと悩む。
傷つけられるのは大好きだが、傷つけるのはさほど好きでもないのだ。
ミリヤムの意外と着やせする胸、デボラの成長途上の胸。
……女の魅力をドS性に求めるエリクからすれば、胸の大小など大したことではないのだが。
「なんじゃ、喧しいのぉ」
「喧嘩? あたしも混ぜてよ!」
悩んでいたエリクの助けとなったのは、騒がしさを聞き連れてエリクが起きたと判断してやってきたアンヘリタ、ガブリエル、エレオノーラであった。
「ここは、エリクさんが安静にする場所です。騒ぐのであれば、外に出てください」
「うっ……」
「ふんっ」
エレオノーラの鋭く冷たい目に、ミリヤムは言葉を詰まらせデボラはそっぽを向いた。
彼女はそんな彼女たちを見ると、エリクに近づいて「大丈夫ですか?」と聞いてから談笑に入る。
「エリクさんを傷つけた悪を滅します」
何だか不穏な言葉も聞こえてくるが。
「で、何が理由で喧嘩? 武器使ってもいいの?」
ガブリエルは椅子に逆向きで座り、楽しそうに聞いてくる。
戦闘狂の彼女からすれば、そんな激しい戦闘ができるのであればこれほど幸せなことはないだろう。
「それは……王女様がエリクを連れて行こうとするから……」
「べっつにー? 僕はそのぜい肉を近づけるなって言っただけだしー?」
「なっ……!?」
そっぽを向きながら堂々と嘘を言うデボラに驚愕するミリヤム。
争った原因が胸の大きさみたいになって羞恥を感じる。
一方、喧嘩の原因が思っていた以上にしょうもなかったので、ガブリエルは気が抜けてしまう。
「ぜい肉? なーんだ。胸の大きさで喧嘩してたの? あんまりワクワクしないなぁ。それに、いずれ自然と大きくなるものだし。ねっ、騎士ちゃん?」
「……私に振らないでください」
加虐性を除けば常識人なエレオノーラは、そういうことにも割と開放的なガブリエルに話を振られ、冷たい目を彼女に向ける。
話しづらい内容だし、そもそもガブリエルのことが気に食わないからである。
ちょっと嫌われていることも分かっていて、ガブリエルも楽しげに彼女に話しかけているのだからどうしようもない。
一方、デボラの真っ黒な目が二人の胸部に向けられていた。
比較的軽装で見ればかなり豊かなものが見えるガブリエルはもちろんのこと、普段は厚い鎧で覆っているエレオノーラもかなりのものであることは分かっている。
「まあ、乳の大きさは母性そのもじゃからの。男だって大きい方がいいじゃろ。のう、エリク?」
「いや、私は別に……」
アンヘリタがベッドの上に乗ってエリクに覆いかぶさるようにして、ニヤリとからかうように笑う。
黒い着物も緩ませて、深い谷間が彼の目前にくるようにしている。
なお、それでもエリクの男は微塵も揺るがない模様。
ミリヤムはギョロリとアンヘリタを睨み、エレオノーラは白い目を彼女に向け、ガブリエルはおーっと興味深そうに見て……。
一番戦力が弱いデボラが爆発した。
「え、エリクぅぅぅぅぅっ!! 胸はぜい肉だって言っただろぉっ!?」
ギュルリと魔力が集束する。
それを見て、エリクはニヤリと笑った。
「ふっ……ウェルカム」
小規模な爆発に、エリクは身体を躍らせるのであった。
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