第百六十七話 真っ黒な女
ズドォォォォォォォォォォォォンッッ!!
「きゃぁぁぁぁっ!?」
とてつもない爆音と衝撃波に襲われて、ミリヤムは悲鳴を上げた。
今まで決して振り向かなかった彼女も、つい背後を見てしまう。
もう、オークの姿はおろかエリクの様子もうかがえないほど離れていた。
後少しで、サルガドの村に着くだろう。
エリクはどうしたのだろうか? あの場所で何が起きたのだろうか?
しかし、戻ってもおそらく立っているのはオークだけだろう。
こんな凄まじい音を出すような武器なんて、エリクは持っていなかったはずだ。
とすると、この音と衝撃を作りだしたのはオークと見る方が正しいだろう。
「…………ッ!」
戻りたい。今すぐエリクの元に駆けよって、何とかしてあげたい。
だが、それは絶対にしてはいけないことだ。
自分にはラウナが待っており……そして、今ここで戻ることは、決死の覚悟でオークを食い止めてくれたエリクに対して唾を吐くと同じことだからである。
自分ができることは、サルガドの村に戻って薬草を届け、そしていつまでもエリクの帰りを待ち続けることだけである。
「ごめん……ごめんなさい……」
ミリヤムは涙を流しながら、再びサルガドの村に向かって走り出したのであった。
◆
あぁ……終わりました……。
私はうっすらと目を開けて、現状を確認します。
その景色は、先ほどまでのと大きく変貌を遂げていました。
まず、緑豊かで木々が生い茂っていましたが、今は私を中心に大きなクレーターができており、土肌が丸見えになってしまっています。
環境破壊、申し訳ありません。私もこれほどの威力とは想像していませんでした。
そして、私を徹底的に痛めつけてくださったオークの姿も、なくなっていました。
……死体も残らなかったんですね。まあ、こんな景色に変わってしまうほどの威力で、かつ私に一番近かったですから、それも仕方ないかもしれませんが。
さらに、最も大きな変わった点が、私そのものです。
もともと、オークに下半身を消し飛ばしていただいていたのですが、さらに今の私は胸より上しか残っていません。
……こんな状態なのに、まだ意識があるんですね。驚きです。
しかし、残念なことに、もう痛みや冷たさすらも感じられないのです。
それは、私が死に近づいていることを明白に伝えてきていました。
はぁぁ……死、ですか。
無論、怖くありません。私はエリートドMですので。
しかし……いったいどういうものなのでしょうか? 想像すらできません。
それに、死んだ後はどうなるのでしょうか? 意識はあるのでしょうか?
本で読んだ、死後の世界とやらはあるのでしょうか?
天国と地獄という二つの世界があり、生前の行いなどで分けられると聞きます。
……被虐嗜好のためだけに生きて行動してきた私は、間違いなく地獄でしょうねぇ。ワクワクします。
そんなことを考えながら、死を待っていた時でした。
「……凄い音がしたと思ったら……どういう状況なのかしら? これ」
そんな綺麗な声が聞こえてきました。
目はもう閉じており、その人の顔を見ることはできませんが、声音や口調からして女性でしょう。
……しかし、不思議ですね。魔物がたくさんいる危険なペリエの森に、女性が一人で訪れるなんて……。
とはいえ、怪しいというわけでもありません。
私やミリヤムのような子供からすれば恐ろしくて仕方ない場所なのかもしれませんが、たとえば冒険者や騎士のような鍛えられた戦士たちからすれば、この森も大したことがないのかもしれません。
依頼を受けて、この森に入っていることだってあるでしょうし。
「ここにいるのは……あなただけ?」
……おそらく、私に話しかけているのでしょうね。
答えたいのはやまやまなのですが……私はもう声を発することすらできませんでした。
むしろ、意識があること自体が驚愕的なことなのです。
「あなたは子供のようだけど……あなたがこれをしたのかしら?」
うーん……どうしましょうか?
心苦しいですが、ここは無視という形で……。
「大丈夫よ。あなたの考えていること、分かるから。口にしなくても考えてさえくれるなら、私はちゃんと聞き取るわ」
なんと……。
身体があれば飛びあがっていたようなことを言うではありませんか。
考えを読み取る……そんな魔法やスキルも、この世界にあるのかもしれませんね。
「それで? どうなのかしら。あなたは子供だけれど、本当にこれをしたの?」
声の女性は、どうにもこの状況が気になるようです。
森の中にクレーターがあれば、気になるのも当然ですか。
ええ、まあ。私のスキルですが。
「そう、スキル。子供なのに、凄い威力を出すことができるものなのね。……その強力さの代償が、今のあなたなのかしら?」
視線を向けられているような気がします。
そうですね。まあ、スキルを使っていなくても私は殺されていたでしょうから。
悔いはありません。
「そう、大変なことがあったのね。でも、大丈夫よ。たまたま私が通りかかったのが、あなたの幸運だわ」
幸運、ですか?
女性の言いたいことがわからず、疑問符を浮かべてしまいます。
もしかして、身体を治してくれたりするのでしょうか?
……と言っても、もう手遅れのような気がしますが。
「大丈夫よ。私が、あなたの望みをかなえてあげる」
唐突に胡散臭さが凄まじいことを言われて、私も困惑。
望みを? どうして私なのでしょうか……?
正直、私から搾り取ることができるような財産なんてありませんが……私自身も後少しで死にそうですし。
「うーん……どうしてって言われると難しいわ。私という存在が、そういうものだから……としか言えないわね。心から望みがある人に、それを与えるの」
……ちょっと頭がアレな人でしょうか?
ペリエの森にいるということも、不思議で仕方ありません。
とりあえず、今の願いを言っておきましょうか。
ドM的には一人で孤独に死ぬことの方が気持ちいいですし。
では、ミリヤムの……私の待っていてくれる人の幸せを……。
「あ、それはダメよ」
えぇ……?
「ダメ……というより、できないわ。私は、あなたに与えることしかできないの。第三者をどうこうする、なんてことはできないわ」
なるほど……他人のためではなく、自分のための望みでないといけないわけですね。
うーん……なかなか私を解放してくれないアレな人ですねぇ……。
本当に、もうだいぶ意識も朦朧としてきてしんどいのですが。
……この寝たいのに寝かせてくれないみたいなのもいいですね。
では……私はまだ死にたくないですね。
「……そうね。死に際の人は、皆そう言うわ」
ダメでしょうか? やはり、ありきたりすぎたでしょうか?
死に際の人が死にたくないという望み以外に思うことはあるのでしょうか?
人生に満足していれば、周りの人の幸せを願ったりする人もいそうですが……それも、老衰で家族に看取られて逝きそうな人しかできなさそうですね。
「いいえ、全然構わないわ。ありきたりだからと言って、だからといって叶えてあげないなんてことはしないわ」
そう、ですか。よかったです。
ミリヤムが私を待っていてくれているようですし……それに……。
――――――もっと苦痛を味わってから死にたいですから。
「…………え?」
……なんだか空気が凍りついたような気がします。
この女性が、どんな顔をしているのか……目を開けられたら見ることができたのに!
蔑んだ目を向けてくれていると嬉しいです。
なんてことを思っていれば……。
「あはははははははははははははははっ!!」
唐突な大爆笑。嘲りが混じっていないので私も不満顔です。
な、なんでしょうか? ちょっと怖いですねぇ……。
「あはははっ! おかしいわ! こんな理由で死にたくないなんて言う人、色々な願いを叶えてきたけど初めてだもの! 誰かが待っているから死にたくないというのは、理解できるしよくある望みよ。でも……ぷふっ、苦痛を味わってからって……あははははははっ!!」
……そんなにおかしいでしょうか?
ドMなのであれば、誰だってそう思うのでは……。
「そういう被虐性癖を持っている人もいたけれど、ここまで徹底している人なんていないわよ。鞭で打たれるとか、その程度じゃない? 死を間際にしてそんなことが言えるなんて……あなたはぶっ飛んでいるわ。そんな強い執着見せた人なんて、いないもの」
なんと……同志はいずこに……。
やはり、わかり合える人なんていなかったんですね……。
少し悲しくなって涙を流していると、女性の気配を近くに感じました。
「このスキルを上げて、あなたはどんなことをしてくれるのかしら? 少し、楽しみ……ええ、こんな感情を人に抱いたのは初めてよ。あなた、凄く興味深いわ」
……何だか凄く近くありません?
すっごい耳の近くで声が聞こえているんですけど。
「このスキルをどんな風に使うかは、あなたの自由よ。他の人とは違うことをしてくれると嬉しいわね」
そんな言葉を聞くと、ふっと唇に柔らかいものが当たったような気がしました。
えーと……これは……?
と困惑していると、なんだかぬめっとしたものが口の中に!? ど、どういうことです!?
「今回はなくなった身体もサービスしておくわ。頑張ってね」
ちょっとした水音が聞こえたと同時に離れていく感覚。
もう、口の中を蹂躙されていません。
こ、これが逆レイプ……!? くっ……オークみたいな女性だったら興奮できるんですが……!
こんなことを考えていて、私はようやく気付きました。
オークに消し飛ばされたはずの下半身に感覚があることを。
「あ、そうだ。最後に、あなたのお名前を聞かせてくれる? ふふっ、人の名前を聞きたいって思うなんて初めて」
「エリクと申します」
あ、声が出ました。
困惑……というより混乱しているのですが、私はそう名前を教えていました。
ここで、ようやく目が開いてきました。
……何故? 死ぬはずでは……。
「そう、エリク。エリク……覚えたわ。じゃあね、エリク。また会えるといいわね」
ぼんやりと私の目に映ったのは、黒という印象の強い女性。
髪も、衣服も、そしてその目も真っ黒な女性。
しかし、黒という色の印象とは違い、その美しい女性は楽しそうに笑っていました。