第百六十話 通じ合う瞬間
「おや……?」
目を覚ますエリク。
天井は相変わらずボロボロだが、この惨状がドM的には嬉しいのだ。
雨が降れば水にぬれ、風が吹けば寒さに身体を震わせる。
まったく……素晴らしい家に住ませてもらっているものだ。
しかし、どういうことだろうか?
確か、自分はペリエの森に嬉々として突撃し、案の定魔物に襲われて致命傷を負っていたはずだったのだが……今頃は三途の川をバタフライで泳いでいる予定だった。
「……起きた? 水、飲む?」
そんな彼に覆いかぶさるように顔をひょっこりと出してきたのは、ミリヤムであった。
可愛らしい顔を傾げている。
一瞬ぎょっとしつつも村人の誰かが奇襲を仕掛けてきてくれたのかとワクワクしたが、意識を失う前の記憶を思い出す。
そうだ。今にも死にそうでドキドキしていた自分を、助けてくれたのだ。
この薄い布団に寝かせてくれたのも、彼女だろう。
自分よりも小さな体躯を必死に動かして自分を運んでくれたのだ。大変だったろう。
「ええ……すみません」
何か話そうにも、喉が渇いていけなかった。
ミリヤムの厚意に甘えて、水をもらった。
「ええと……あなたが助けて……?」
喉を潤した後、改めて確認のために尋ねる。
ミリヤムはコクリと頷き、言葉を発する。
「……ここ、酷いよ。どうしてこんな所に住み続けるの?」
ドMだからです。
「と言われましても……どうしようもありませんしねぇ。それよりも、です。あれはいったい……? 私は間違いなく死ぬと思っていたのですが……」
性癖の部分ももちろんある……というかほとんどの理由がそれなのだが、また理由となるのは移転と居住の自由がエリクにはないからである。
村八分状態で、村人たちから嫌われている彼が、人々の多い場所で住もうとしてもあちらが認めてくれないだろう。
村の集合地から少し離れたボロ小屋で暮らしているのが、彼の性癖的にも村人との軋轢的にもベストなのであった。
それよりも、生粋のドMであるエリクはミリヤムの力の方が気になって仕方なかった。
「……私のスキル」
「おぉっ、スキルですか」
スキルとは、人が生まれもって保持している特殊能力のことである。
といっても、誰もがスキルを持って生まれてくるわけでもなく、多少役に立つくらいの能力のものばかりなのだが。
ほとんどの場合、スキルは一人に対して一つである。
二つ、三つ持っていたというのは、物語や伝説の中くらいしかない。
「強力な回復魔法というところでしょうか? 私のスキルは使いづらいので羨ましいですねぇ……」
「……そんないいものじゃない。あなたも分かったでしょ? 私のスキルの代償」
ミリヤムは暗い表情を浮かべていた。
代償とは、治しているとは思えないほどの激痛。
回復と痛み……相反することを同時に与えるのは、何とも悪魔らしい力だった。
「どうして怒らないの? 私は、あなたを苦しめたのに」
気絶をする前、エリクは礼を言った。
あれは、こちらを気遣ったがゆえに出た言葉ではないだろうか?
ミリヤムの回復魔法の代償となる激痛は、それはそれは耐え難いものである。
だからこそ、今まで使ってきた相手には善意でしていたのだが、全て感謝ではなく罵倒が返ってきた。
エリクも、罵倒するのではないか?
それでも、ミリヤムがこうして聞いたのは、気を失う前のあの言葉があったからだ。
もしかして……エリクだったら……。
「苦しめた? むしろ、私は大喜びでしたよ」
「…………え?」
そのもしかしてであった。
ドM的に、ミリヤムのスキルはぐうの音も出ないほどの素晴らしいものだった。
「感謝することこそあれど、怒ることなんて微塵もありません。私は、あなたに助けられました。恩返しをさせていただきたいくらいです」
「…………ッ」
初めてだった。
ミリヤムは、人を回復して初めて感謝されたのだ。
その感動とも取れる湧き上がってくる感情を完全にこらえきることができず、彼女はにまにまと笑ってしまう。
これが、もう少し年齢や経験を重ねていたら隠せていたのかもしれないが、まだ子供の彼女は素直に感謝を伝えられるということに耐性もなく、喜びを雰囲気で前面に押し出してしまっていた。
「あ、そうです。もしかしたら、スキルを使っているうちにあの激痛もなくなるかもしれません。私を練習台に使ってください」
「ふふっ、利他主義もいい加減にして。怪我もしていないのに、回復なんてしてあげないんだから」
ドM、落ち込む。
同じような年齢の子ども同士でも、それぞれ随分と違う。
片方は他人から感謝されることに喜びを得て、片方は他人から心身ともに痛めつけられることに悦びを得ている。
後者の業が深すぎる。まだ子供なのに。
「ミリヤム」
「はい?」
ポツリとミリヤムが名前を言ったので、意図が読み取れず聞き返してしまう。
ミリヤムは恥ずかしそうに顔を背け、頬をうっすらと赤らめる。
彼女がこうして自分から仲良くなろうと接近するのは、これが初めてなのだから仕方ないだろう。
「私の名前、ミリヤム。いつまでも名前で呼ばないのは、やりづらいでしょ」
ミリヤムの言葉を聞いて、エリクは少しの間ポカンとしていたのだが、ふっと微笑んで手を差し出した。
本当は一人ぼっちでリンチに耐えていることから得られる快楽にもう少し浸っていたかったのだが……これも何かの縁だろう。
彼女と仲良くしておけば、またあのすばらしい回復魔法を使ってくれるかもしれないし。
「そうですね。私はエリクと言います。よろしくお願いしますね、ミリヤム」
「うん、エリク」
二人はそれぞれの名前を呼び合って、手を握り合った。
これが、将来の利他慈善の勇者と呼ばれるドMと、彼のパートナーとなる異質の回復魔法使いの初めて通じ合った瞬間であった。