第百五十九話 忌まわしきスキル
「あいつが死にかけで戻ってきた……!?」
「うむ、そうじゃ」
村長宅で、再び呼び寄せられたミリヤムが村長から衝撃の言葉を聞かされる。
数日前にペリエの森に旅立ったエリクが、戻ってきた。
死なずに戻ってこられたことは、衝撃的で賞賛すべきことだ。
だが、自分とラウナのために彼一人で行かせたことを考えると、ミリヤムの心はちくちくと痛むのであった。
しかし、送り込むことを決定的なものにした村長は、まったく罪悪感にさいなまれることはなく、エリクが持ちかえった薬草を手で弄び、くくくっとしわくちゃの顔を歪めて笑う。
「奴め、ごく少量とはいえ薬草を持ちかえってきおったわ。まったく期待していなかったが、よくやってくれたものじゃ。それは、儂の孫に使わせてもらうがな」
「…………ッ! それよりも重症の人がいるのに……」
あまりにも自己中心的な考えに、ミリヤムは小さく呟く。
確かに、村長の孫も苦しんでいるようだが、それよりも病状が悪化している村人は何人もいる。
それを差し置いても、村長は自分の孫のために貴重な薬草を使おうと言う。
「じゃが、今り患している村人たち全員の分には到底及ばん。こうなっては、動けるお主だけしか送り込むことはできんのぅ……」
「わ、私が……」
ミリヤムはゴクリと喉を鳴らす。
小さな身体を震わせる子供を、村長は細い目で見据えた。
「うむ、そうじゃ。お主の母……ラウナも流行病にり患してしまったじゃろう? お主が行かねば、誰が悪魔と交わった女を助けようとするものか。ラウナを助けられるのは、お主だけじゃ」
「くっ……!」
ミリヤムは強く歯をかみしめる。
この場にラウナがいないのは、彼女が外を出歩ける状況ではなくなったからである。
流行病は、この数日でサルガドの村をさらに席巻した。
今では、病気にかかっていない方が少ないようになってしまっている。
そして、ラウナもその流行病にり患してしまっていた。
前兆はあった。ただ、どうすることもできなかっただけだ。
これが、もし他の村人たちのためだというのであれば、ミリヤムは決してペリエの森に行かなかっただろう。
しかし、大切な母も病に伏せってしまっていては……自分が行くしかない。
もし、誰かがペリエの森に行くようなことになったとしても、決して自分たちに薬草を融通してくれることはないだろうから。
「じゃが、ラウナの分だけを持って帰ってくるということになれば、村人たちは黙っておらんじゃろうなぁ……。それこそ、お主とラウナを殺してでも奪い取ろうとする者が現れんとも断言できん」
「……最低」
自分たちを迫害してくる連中を助けるための薬草なんて、採って来る気など沸いてくるはずもない。
だが、ラウナのためだけの薬草を採ってくれば……襲われて強奪されることだって個々の村人たちなら十分に考えられる。
いや、そもそも自分はペリエの森から生きて帰って来られるだろうか?
エリクはボロボロになって帰って来たから可能かもしれないが、だが村人全員の分を持ちかえろうとすれば、その間に魔物に襲われてお陀仏になることは容易に想像できる。
「……あいつが持って帰ってきた分、村長が孫に使ったって言えば」
「ふーむ……確かに困るなぁ。じゃが、すでにそうなったときにはもう薬草は使われてなくなっておるよ。となれば、まだ持っているお主らの方に目が行くのは必然じゃ。サルガドの村の者たちは、どうにも目先のことだけに囚われる節があるからのぉ」
「…………ッ」
ミリヤムは軽く脅して人手をもらおうとするが、しかし村長は嗜虐的な笑みを浮かべて首を横に振る。
彼は、よくここの村人たちの性格を知っていた。
彼の言葉には、説得力があった。
それに、村八分の自分がそんなことを言ったところで、信じてくれる人がどれほどいるだろうか……。
「……エリクはどこにいるんですか」
ミリヤムは村長にそう尋ねる。
彼に頼むのは少し怖いが、彼は生きて帰ってきた。
薬草も少量とはいえ持って帰ってきていることから、群生している場所も知っているはずだ。
母のためなら、自分が頭を下げることなんて安いものだ。
しかし、村長の次の言葉にミリヤムは耳を疑った。
「さてな。奴の家にいるんじゃないかの? 儂は知らん」
「は……?」
ポカンと口を開けるミリヤム。
彼女は、村のために……村人たちのためにボロボロになって帰って来たのであったら、しかるべき場所でしかるべき待遇を受けていると思っていた。
この村では一番立派な村長宅で、手厚い看護を受けているものだとばかり思っていた。
だが、ミリヤムは間違っていた。この場所の人々に、彼女のような常識的な者は誰もいないのだ。
「む、村の人たちのために危険な場所に薬草を採りに行って怪我をしたのに、看病も何もしていないんですか!?」
「そうじゃが、何か問題でもあるかの? 普通、そういうことは血族が助け合うものじゃ。まあ、奴には親がおらんから、誰も助ける者はおらんがの。くくっ」
ニヤニヤと笑う村長に、ミリヤムは頭にカッと血が上る。
別に、エリクのために怒る必要なんてないはずだ。
だが、どうしても怒りが込み上げてくることを禁じ得なかった。
親もおらず、周りの人々から支援を受けることもできない村八分にあっている子供の住んでいる場所なんて、たかが知れている。
ボロボロの小屋の中で、一人全身を傷だらけにしながら苦しんでいるエリクのことを思うと、いてもたってもいられなくなる。
「……失礼します!」
ミリヤムはそう言って村長の家を飛び出したのであった。
◆
その後、ミリヤムはエリクの住む場所に向かった。
場所は知っている。自分たちと同じように、村八分にあっているために多くの人たちが住む場所から少し離れた所。
そこに向かったミリヤムを出迎えたのは……。
「こ、ここが……」
呆然と目の前の建物を見上げる。
それは、想像以上に酷い建物であった。
ミリヤムとラウナが住む家もまた、決して立派なものとはいえない。
だが、雨風は遮ってくれるし、家としての最低の機能は果たせていた。
しかし、エリクの住む建物は、その最低限の機能すら果たすことができていなかった。
屋根や壁は穴だらけで、これでは雨風を防ぐことはできない。
冬などになれば強烈な寒波がこの村を襲うが、間違いなく凍死してしまうだろう。
そして、そんな中に傷だらけの子供が一人……。
「こ、こんな場所で……!」
ミリヤムは愕然としていたがすぐにハッと思い出し、その中に入って行った。
「ヒュー……ヒュー……」
そんな彼女を中で待ち受けていたのは、ゴミだった。
「……ッ!!」
いや、違う。ゴミのようにボロボロになってしまった、エリクであった。
どうやってこの状況でここまでたどり着いたのだろう?
もしかしたら、村長が放り込んだのかもしれない。
ミリヤムはすぐにエリクの元に駆けよった。
「しっかり……うっ!?」
地面に無造作に転がるエリクを抱え上げようとしたミリヤムは、バッと素早く口を手で覆った。
酷い光景だったから感情が込みあがりそうになったから?
いや、違う。それもあるが、一番はあまりにグロテスクな姿に成り果てていたからである。
吐しゃ物を撒き散らさないように、ミリヤムは必死に喉で食い止める。
「ヒュー、ヒュー……」
もはや、どうして生きているのかが不思議なくらいだ。
頭部は巨大な爪で引っ掻かれたような傷があり、血が大量に溢れ出した痕がある。
顔は何度も衝撃を受けたのか、腫れ上がっていた。
右腕は骨が見える程度の噛み付かれた傷があり、左足はおかしな方向に曲がっていた。
胴体も大小さまざまな傷があり、血が流れて固まっていた。
そして、野ざらしにされて、エリクの体力は限界に近いように見えた。
おそらく、戻ってきたときにすぐ治療していれば、こうまで死に近づいていることはなかっただろう。
村長や村人たちが、彼を放置した結果がこれである。
「ど、どうしたら……」
ミリヤムは悩むが、彼女にできることなんてほとんどなかった。
今から家に帰って手当の道具を持ってくる?
いや、そんな時間をかければエリクが生きている保証はどこにもないし、そもそもミリヤムの家にある道具程度でこの大怪我をどうにかできるとは思えなかった。
そのように頭を巡らせていると、彼女にしかできないとあることを思いついた。
自分のあの力なら、エリクを治すことができるかもしれない。
だが、代償として……。
「…………我慢、して」
悩んでいる暇はない。どちらにしても、このまま放っておけばエリクは死ぬ。
ならば、するしかない。
ミリヤムが今にも死にそうな虫の息のエリクに、小さな手のひらを掲げる。
そこからあふれ出てきたのは、優しく温かい光であった。
それは、回復魔法という。身体の外傷を治す魔法だ。
しかし、使用者の技量に多少左右されるとはいえ、こんな致命傷を負っている者を治せるような回復魔法を使えるのは、それこそ国に抱えられるような逸材しかいない。
……そのはずなのだが、ミリヤムの光が当てられたエリクの身体は、みるみるうちに回復していった。
あまりにも異常なまでの回復力と治癒速度。これなら、聖女として祭り上げられることだって十分にあり得るだろう。
しかし、強大な力には代償がつきものであり、当然ミリヤムの回復魔法にも代償があった。
「あああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
カッと目を見開いたエリクは、絶叫した。
それは、サルガドの村全体に響き渡りそうなほどの、断末魔の叫び。
身体はどんどんと治っていくというのに、彼の口から出てくるのは苦痛に悶える悲鳴であった。
「うっ……うぅ……」
ミリヤムは涙を流しながら、回復魔法を使う。
これこそが、彼女の代償……魔法を使われた者に、耐えがたいほどの激痛を与えるというものだった。
これのせいで、彼女は人に対して回復魔法を使うことができない。
悪魔の血によって回復魔法の効力は凄まじいものだが、その代償が相手を非常に苦しめるのである。
癒すための魔法で苦しめるという相反することを、誰が好むだろうか?
「があぁぁぁっ!? ぐっ、うわああああああ!!」
ミリヤムだって、こんなことはしたくない。
しかし、回復魔法が効いていることは事実なのだ。
事実、エリクの身体の傷はほとんどが塞がり始めている。
「ハー……ハー……! あ、なた……は……ぐぅぅ……ッ!!」
「もうちょっと……もうちょっとだから……! 頑張って……!」
回復されて、意識を取り戻したエリク。
目をうっすらと開けて、隣にいるミリヤムを見る。
少しずつ死に近づいて行き、ひたひたと死神の足音が聞こえてくるのを楽しんでいたエリクは、激痛で呼びもどされて大変幸福であった。
それを為してくれたのがミリヤムだと知り、目を丸くする。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……ッ!!」
エリクは歯を食いしばって快楽と苦痛に悶える。
ミリヤムもまた、魔力が尽きそうになるまで……そして、彼が苦しむのを目前で見ることによって精神が擦り切れる寸前になるまで、回復魔法を使い続けた。
そして……。
「…………かはっ」
「ふー、ふー……!」
一つ息を吐き出して、ガクリとエリクは全身から力を抜いた。
彼の身体は、もう完全に治癒されていた。
これは、恐るべき治癒速度である。こんな効力を持つ回復魔法を使えるのは、ミリヤムだけだろう。
そんな彼女もまた、酷く疲労していた。
全身から汗を噴き出させ、涙を流しながら息を整える。
他者を傷つけることは、ミリヤムにとっても大変なダメージを与える。
今回も、命を救うためだと分かっていても精神的な影響があったのだが……。
「あ、りが、とう……」
「…………ッ」
エリクが途絶えとだえになりながらも発した言葉は、お礼であった。
今まで、彼女が回復魔法を使った者には一度も言われたことのない言葉。
罵倒や怒りしかぶつけられなかった。
しかし、それも当然だと思っていた。
もちろん、ミリヤムは善意で治そうとしているのだが、仮に治っても激痛が与えられるのであれば、誰だって忌避するだろう。
しかし、エリクは初めて彼女にお礼を言ってきた。
そのことに、ミリヤムは驚愕と共に嬉しさが湧き上がってきたのであった。