第百五十八話 狂っている
村長から告げられた無慈悲な宣告に、ラウナとミリヤムは愕然としてしまう。
エリクは悦んでいた。
「そ、そんな……どうして私たちなんですか!? こういうことは、もっと……」
娘であるミリヤムと子供であるエリクのことを思って、ラウナが声を上げる。
このような村の一大事で、しかも危険な場所に行かなければならないということであれば、大人……それも、男たちが行くものではないのか?
そう暗に告げるが、村長は首を横に振る。
「これが、村人たちの総意だからじゃ。数日前の村会で決まった」
村会……村人たちが集まって重要な案件を話しあう会議のことだが、その場にこの三人は呼ばれていない。
悪魔に関わった存在と親なしの子供なんて、呼ぶはずがなかった。
そして、その場にいなければ、厄介ごとを押し付けられるのが常である。
「せ、せめてこの子たちだけは……! 私が行ってきます! だから、どうかこの子たちは……まだ子供なんです!」
「お母さん!?」
ラウナは村長にそう懇願した。
今まで黙っていたミリヤムが、思わず声を上げてしまう。
それも当然だろう。ペリエの森なんて魔物のはびこる危険な場所に、戦う術を持たないラウナが一人で行ったところで、どうなるかは目に見えている。
自分一人になってしまう。
「いいのよ。これが、母としての務めですもの」
ラウナは儚げな笑みを浮かべつつも、強い意思を込めた目をしていた。
ミリヤムのためであるならば、命の危険が何だろうか?
だが、そんな母の強い思いも、村長には届かない。
「ならん。お主ら三人でペリエの森に入るのじゃ」
「ど、どうして……!?」
頑として主張を変えない村長に、ラウナが縋り付くようにして尋ねる。
そんな彼女を見て、ニヤリと笑う。
「これが、村会で決まったことじゃからの」
要は、この機会に三人を処分してしまおうと村会は決めたのだろう。
悪魔と関係を持ったラウナ、悪魔の血をひくミリヤム、親のいないエリク。
彼らがもし薬草を採ってくることができれば良し、できなければ死んで良し。
彼らが死んだら次に誰かが行かなければならないのだが、そんな後のことも考えずに目先のことだけ考えて決めたのだ。
「……ッ!! やっぱり腐っている……!」
ミリヤムは歯を食いしばる。
小さな彼女でも、サルガドの村に強い憎悪を抱いてしまうほどだった。
「何じゃ? 何か、文句でもあるのかの?」
「…………ッ!」
だが、村長に目を向けられては下手なことを言うことはできない。
自分と母は、こんなクソみたいな村から抜け出さなければならないのだ。
そのために、今まで苦しい迫害生活を生き抜いてきたのだ。
決して死んでこの村から出て行く、なんてことになってはいけない。
ラウナは何とかして娘を助けようとし、ミリヤムは何とか母と共に村から脱出しようとする。
村長もそんな悩む二人を、心底面白そうに骨と皮しかないような顔を歪ませて笑いながら見る。
「あの……よろしいでしょうか?」
「……なんじゃ?」
そんな緊迫した状況の中で、柔らかな声と共に手を上げたのはエリクであった。
村長は訝しげに彼を見る。
「私たち三人が行くか行かないかの話の前に、前提としてはペリエの森からこのサルガドの村に薬草を持ちかえればいいんですよね?」
「うむ」
確認してくるエリクに、鷹揚に頷く村長。
そう、そして、ペリエの森から無事に薬草を採って帰ってくることは不可能に近い。
何を言いたいのか……ミリヤムもラウナも、エリクを困惑した様子で見る。
しかし、ミリヤムには心当たりがあった。
異常なまでの利他主義。もしかして、彼は……。
「では、私一人に行かせていただけないでしょうか?」
「なっ……!?」
エリクは何の気負いもなく笑顔で言ったことに、彼以外の者たちは皆愕然とする。
一番に正気を取り戻したのは、エリクの異常性の一端を知っていたミリヤムであった。
やはり、この少年はどこかおかしい。
冷たいもので背中を撫でられたような、ゾッとする感覚に襲われる。
「ならんと言ったじゃろう。それに、大人であるラウナならまだしも、子供のお主を一人で行かせたところで……」
「いえいえ。私も色々と仕事をいただいてきましたから、体力や筋力はどうかわかりませんが、耐久力だけなら自信があります。むしろ、大人とはいっても女性で栄養補給もままならないラウナさんよりも……」
却下しようとする村長であったが、エリクがさらに意見を言う。
正直、エリクだって十分な栄養補給をしているかと言われれば否である。
厳しい生活を送っているミリヤムよりも、親のいない彼はさらに過酷な生活を強いられているに違いない。
だが、確かにそんな生活でも病気一つしないでいるということは、耐久力はあるのかもしれない。
それに、以前投石で庇われた時も、彼は走ってミリヤムと子供たちの間に割って入ったのだから、走る力もあるのだろう。
本当にラウナよりも動けるかもしれない。
しかし、所詮はそれだけだ。エリクは訓練を受けたこともない、ただの農民の子である。
そんな彼が魔物のはびこるペリエの森に行ったところで、戻って来られないことが目に見えている。
そんな場所に、母を送りたくないミリヤムは強く歯噛みする。
「……じゃが、三人でペリエの森に行ってもらうことは村会の決定で……」
「それは、何も一斉に送り出さなければならないというわけではないでしょう? 私たちを一斉に送り込んで、全員失敗したらどうするのですか? 誰か代わりに、ペリエの森に入ると?」
「…………」
どうしても三人同時にペリエの森に行かせたい村長は渋るが、エリクの言葉に返すことができなかった。
そう、目先でこの三人に悲惨な思いをさせることだけを考えていたのだが、本当に彼らが死んだらどうするのだろうか?
今回のことも、村八分を受けている彼らに押し付けただけだ。
では、今度は誰に押し付ける? そんな疑心暗鬼な状態にしてしまって良いのか?
自分のことだけしか考えないサルガドの村の人々……それは、生まれ持った性格というわけではなく、寒村で生活が苦しいからこそなのだが。
「まず、私に行かせてみてはいかがでしょうか? 薬草が採れたらそれでいいですし、採れなかったら今度こそ三人で行かせるということは……」
「そ、それじゃあ……!」
ミリヤムは思わず声を上げてしまう。
だが、エリクのスッと細められた目に黙らされる。
良い所だから黙っていて。
「……いいじゃろう。では、直ちにペリエの森に向かうがいい。失敗して戻ってきたら、またお主も行かせるからな」
「ふっ、了解です」
村長の理不尽な言葉に、少年でありながら業が深い性癖を持つエリクは、身体を震わせながら不敵な笑みを浮かべるのであった。
◆
「あなた、何を考えているの!?」
村長宅を出た瞬間にエリクを出迎えたのは、ミリヤムの怒声であった。
普段、感情をあまり露わにしない彼女がこうまでも激しい感情表現をしているのを見て、母であるラウナは目を丸くしてしまう。
ミリヤムにとって、エリクという存在は感情をかき乱すものだった。
「どうしてあんな危険な場所に一人で行くなんて言ったの!? それだったら、私たち三人で行った方が……!」
ミリヤムの胸の内にあったのは、罪悪感だ。
本当にそう思っているのであれば、何故先ほど村長がいる場所で言えなかったのか?
それは、やはり自分とラウナのことを考えてしまったからである。
あそこで、どうしても三人が薬草採取に行かなければならないのであれば、自分たちもと言うべきだったのだ。
だが、ミリヤムは自分可愛さにそれを言うことはできなかった。
とはいえ、これは責められるようなことではない。
誰だって、自分と家族の命と赤の他人の命を天秤にかければ、前者の方が重い。
エリクが一度助けてくれたという恩もあるが、それでもである。
その恩があるからこそ、ミリヤムは強い罪悪感にさいなまれているのだが。
彼女は割り切って考えることのできない、優しい性格をしていた。
エリクはいきなり怒声を浴びせられるという展開にゾクゾクしていたが、ミリヤムの優しさを察して淡々と説明する。
「いえ、三人で行っても何も変わらないと思いますよ。だって、私たちは誰も戦闘訓練を受けていないのですから。誰かが囮になっている間に薬草を持ち帰るということでしたらいけるかもしれませんが……それを、あなたたちにできますか?」
「そ、それは……」
まず、ミリヤムがラウナを見捨てることはありえない。
そして、それはラウナもまた同様だろう。
そうなると、囮となるのは必然的にエリクとなるが、サルガドの村の人々のように割り切ることができない優しい性格をしている二人は、彼を囮にすることをためらうだろう。
もし、魔物に追いかけられながら躊躇していれば、それは間違いなく命取りになる。
「いいんですよ。これこそが、私の悦びなのですから」
「……おかしい。狂っている」
ニッコリと笑うドM。
だが、真実を知らないミリヤムからすれば、彼は自分が死ぬような場所に赤の他人のために突っ込むと言っているのだ。恐ろしく思っても仕方ないだろう。
家族のためや、親しい人のためというのであれば、それも理解できる。高尚なことだと賞賛するだろう。
だが、つい先日知り合ったばかりの人のために、自ら恐ろしい魔物が大量に巣食うペリエの森に行ける者が、どれほどいるだろうか?
「……本当にごめんなさい。私は大人失格だわ」
「お気になさらず。母親としては十分合格だと思いますよ」
ラウナは本当に申し訳なさそうな表情を浮かべ、頭を下げる。
子供を死地に追いやって生き延びようとする大人の自分が恥ずかしかった。
だが、まだ死ぬことはできない。
それは、自分のためというよりも、まだ子供のミリヤムを見てあげなければならないという親心からであった。
それを、エリクは糾弾するつもりは微塵もなかった。
M的には美味しいところをいただいたので、文句を言うはずもない。
「それでは、私は準備がありますので。あなたたちがペリエの森に行かないで済むよう、全力を尽くします」
そう言って、エリクは笑いながらミリヤムとラウナの元から離れていくのであった。
二人はそんな小さな彼の背中を、何とも言えない複雑な表情で見送る。
その数日後、ペリエの森からボロボロになってエリクが戻ってきたと、ミリヤムの耳に入ってくるのであった。