第百五十七話 呼び出し
「……なんだろう、話って」
ミリヤムはラウナと共に歩きながら、そう呟いた。
彼女がエリクに助けられ、彼の手当てをしてから数日が経っていた。
あれから、何も変わらない日常が続いていた。
ミリヤムは村からの脱出に必要な資金のために働く。
そして、あれからエリクとは一度たりとも接触したことはない。
あんなことがあったとしても、仲良く話す間柄にはなるはずもなかった。
そんな彼女は、母であるラウナと一緒に外を出歩いているのは、サルガドの村長に呼び出されたからである。
普段は自分たちと関わらず、自分たちへの迫害を黙認しているような人物に呼び出されて、警戒しないはずがなかった。
「そうね。私たちはそういう話し合いの場に呼ばれることってなかったから……けほっ、けほっ」
「……やっぱり、行くのを止めない? 村長が何を言ってくるか……」
母もいまいち分かっていないようだ。
最近、咳をすることも多いので、家の中で安静にしていてほしい。
それに、こんな村をそのままにしている村長の所に行くのも嫌だ。
自分たちに近づかないように徹底的に避けているのに、ラウナと共に呼び出すなんて、嫌な予感しかしない。
「でも、今ここで反抗的だと見られたら、私たちがこの村を出る妨げになるかもしれないわ。無理なことを言われたら、断ることにしましょう」
「……うん」
そう、ラウナの言うこともまた事実だ。
村長は、自分たちを村人たちの不満のガス抜きに使っている節がある。
積極的に関わりたくないが、それでもいてもらわないと困るというところだろうか?
ここで拒絶して干渉を強められたら困る。
そういうことで、ミリヤムは渋々村長の家に向かっているのであった。
「そう言えば、あの子とはどうなったの?」
ニヤニヤと儚げな印象を残しつつも、ラウナは意地悪そうに微笑む。
はぁっとため息を吐くミリヤム。この質問、何度目だろうか。
「どうもなにも……もうあれから会ってないよ」
「あら、そうなの? 勿体ないわ……多分、あの子凄く良い男に育つと思うわよ。ミリヤムが狙わないなら、私がもらおうかしら」
「お母さん、冗談にしてもキツイから止めて」
「ふふっ。けほっ」
自分の母とエリクがイチャイチャしているなんて、悪夢以外の何ものでもない。
というか、自分と同年代の少年を父と呼べるはずもない。
まあ、ラウナも完全に冗談で言っているので、ミリヤムも危惧する必要はまったくないのだが。
そんな会話をしながら歩いていると、ついに村長宅が見えてくる。
嫌なことが待ち受けているだろうから、ぐっと腹に力を入れて覚悟を決めて……。
「おや?」
「げっ」
「あら……」
村長の家の入口で、ばったりと会いたくない人物と会ってしまった。
それは、エリクである。すでに頭の傷もなくなっているようで、ミリヤムはホッと息を吐く。
だが、それはそうとして会いたくはないので、思い切り嫌な声が出てしまった。
エリクはその反応に思わずニッコリした。
「以前は手当をしてくれてありがとうございました」
「いえいえ。話を聞いたら助けてくれたのだとか。こちらこそ、ありがとうね。ほら、ミリヤムもお礼を言いなさい」
「…………」
エリクとラウナが頭を下げあう。
母に催促されるミリヤムであったが、どうしても素直になることができずに顔を背けてしまう。
このことが、悪いことだということは分かっているのに。
「ミリヤム!」
「いえ、いいんです。以前に言ってもらいましたから」
ラウナはたしなめるように名前を呼ぶが、エリクが首を横に振って彼女をなだめる。
嘘だ。お礼なんて、一言も言えていない。
そういう優しさが、今のミリヤムには苦しかった。
「ところで、お二人も村長に呼ばれたのですか?」
「ええ。どういう理由が分かっている?」
「いえ、私も今来たところですから……」
どうやら、エリクも村長に呼ばれたらしかった。
ここに集まっている三人の共通点……それは、村人たちから迫害を受けて村八分状態であるということ。
ミリヤムは、本当に嫌な予感しかしなくなってきた。
「では、行きましょうか」
だが、エリクは意気揚々と村長宅の扉をノックする。
この能天気さが、ミリヤムには眩しく映った。見習いたくはないが。
「……待っていたぞ。さあ、入れ」
扉を開けたのは、村長に近しい男であった。
彼は悪魔と交わった女、魔の血をひく少女、親なしの厄介者を見て、露骨に嫌そうな顔をする。
だが、ラウナもミリヤムもこれくらいの反応をされることは慣れているし、エリクは悦びに変えられるので問題はなかった。
エリクの家はもちろんのこと、ミリヤムとラウナの家よりも立派なものではあるが、決して見事とまでは言えない作りだ。
とはいえ、サルガドの村の中では一番ちゃんとした家だった。
そんな家の中で待ち受けていたのは、やせ細った老人であった。
「よく来たな。ラウナ、ミリヤム、エリクよ」
椅子に座って三人を出迎える老人は、サルガドの村の長であった。
三人は近寄って、軽く頭を下げる。
「お久しぶりです。それで、何の御用でしょうか? 私たちをここに呼ぶなんて……」
三人を代表して、ラウナが尋ねる。
ミリヤムもエリクもまだ子供だからだ。
滅多に呼ばれることがなく、呼ばれることがあったとしても大人のラウナだけで、エリクとミリヤムを呼んだ理由がわからない。
迫害されている彼らだけでなく、こういう場に子供が呼ばれることはない。
「うむ。本来であれば、お主らはここに呼ぶことはないじゃろう。じゃが、今は緊急なのでな」
ミリヤムはばれないように眉を顰めさせる。
お前らなんて、このような村に関わることは関与させないと言われた気になったからだ。
だが、緊急ということは気になる。
「近頃、流行病がこの村に蔓延しておる。儂の孫も、現在病に伏せってしまっておる」
流行病……そう言えば、ミリヤムは働きながら聞こえてくる村人たちの会話の中で、よく誰それが倒れたなどということを聞いたような気がしないでもなかった。
迫害してくる村人の誰が倒れようが知ったことではなかったので、あまり聞き耳を立てていなかった。
村長の孫が倒れているのは、いい気味だと思った。
「これが厄介な病気でな。り患してすぐに死に至るというほど凶悪ではないが、薬がなければ徐々に弱っていて、命を落としてしまう」
「では、薬は?」
かかってすぐに死ぬことはないと言っても、最終的に死に至るということであれば、この病気は非常に危険ということができるだろう。
自然回復を待つようなのんきなことはできないはずだ。
そう思ってラウナが聞けば、村長は首を横に振る。
「あまりにも高すぎる。この寒村では、全ての財を集めても皆の分を買い集めることは不可能じゃろう」
これが、行商人からも忘れ去られた寒村の現実である。
全てこの村のなかで完結しているので、外貨など持ち合わせている者がほとんどいないのだ。
どうすれば……と肩を落とすラウナに、村長がニヤリと笑いかける。
「じゃが、手段がないわけではない」
その笑みに、ミリヤムはゾクリと背筋を凍らせた。
村長の笑顔は、嫌な笑みであった。
ということは、エリクは身体を小さく震わせて悦ぶということになっていた。
ドMセンサーがビンビンに反応していた。
「その薬の原料となる薬草が、サルガドの村の近くで自生しておる。それをとってきて薬を作れば、病人もたちまち回復するじゃろう」
「それなら……」
ほっと安堵のため息を吐くラウナ。
今り患している者ではなく、これから先その病にもしミリヤムがかかってしまったら……そのことを考えて不安を覚えていたが、それなら対応できるだろう。
だが、ラウナの希望を打ち砕くように、村長は言葉を続ける。
「じゃが、問題は自生しておる場所じゃ」
「その場所って……」
「ペリエの森じゃ」
『…………ッ!!』
村長の口から飛び出した場所の名前を聞いて、ラウナとミリヤムは愕然とした。
ペリエの森。この村の近くにある森であり、行商人たちが忘れる以前にこの村に来ることができない理由の一つである。
そこには多くの魔物が住み着いており、騎士や冒険者のように鍛えられていない者が入れば、まず生きて帰って来られないと専ら噂の森である。
行商人たちも冒険者などに護衛をしてもらえばサルガドの村に来ることはできるだろうが、さびれた村に来ても大した売り上げは期待できない。
ペリエの森を通らずともサルガドの村に入る手段はもちろんあるのだが、時間がかかったり険しい道だったりするので近寄らなくなった次第である。
村長は、そんな森に村を疫病から救う薬があるとした。
そして、彼がこの三人を呼んだ理由は一つしかない。
「場所が場所じゃからの。誰もそこに立ち入ろうとはせんのじゃ」
「……も、もしかして」
たとえ、家族が倒れようとも自分が死ぬのは嫌だ。
それは、当たり前の考えなのかもしれないが、ミリヤムはだからこそこの村が……村人が嫌いなのであった。
迫害を受けていなくとも、である。寒村の村人は腐っていた。
一方、村長の言いたいことを理解して、ラウナは顔を青ざめさせた。
「ああ、そうじゃ。ラウナは察しが良くて助かるわい」
村長はニヤリと笑い、三人に無情な宣告をした。
「お主らで、ペリエの森に入り、薬草を採ってくるのじゃ」