第百五十三話 サルガドの村
「はぁ……」
小柄な少女が身体の大きさを越えるような藁の束を抱きかかえると、それを荷車に移動させていた。
茶色の髪を後ろで一つに束ね、可愛らしい顔や粗末な衣服を汚して懸命に仕事をしている。
これくらいの歳の子供ならば、普通は蝶よ花よと過保護に育てられるものだが、この寒村では子供を遊ばせておくような余裕は微塵もなかった。
少女の名前はミリヤムといった。母と二人暮らしをしている。
「……終わり」
大量に積まれてあった藁の束を、いくつかの荷車に積み終えると、ミリヤムは小さな脚を動かしててくてくと歩いていく。
彼女が着いたのは、ボロボロのお世辞にも清潔とはいえない小屋であった。
中には、イライラとしていそうで偏屈そうな男が一人でいた。
声をかけたら怒鳴り声が返ってきそうで普通の人なら躊躇するかもしれないが、すでに慣れてしまったミリヤムはとくに気負うことなく声をかけた。
「仕事、終わりました」
「ああん? そうかよ」
汚れた少女をチラリと見て、男はそう返すとそれ以降彼女を見ようともしなかった。
ぐちぐちと口の中で悪態をつき、小さな舌打ちを繰り返す。
しかし、ミリヤムはこのまま引き下がって帰るわけにもいかなかった。
労働の対価を、まだもらっていないのだから。
「……あの、お金」
今度こそ、男はギロリとミリヤムを睨みつけた。
痩せて目玉が飛び出さんばかりになり、血走って赤々としている。
そんな恐ろしい目を向けられては、流石のミリヤムも身体をビクッと小さく震わせた。
だが、決して背を向けて逃げ出さない。
ぐっと細い脚に力を込め、じっと男の目を見返した。
「……ちっ。半魔みたいな化け物でも、一丁前に金だけは求めるんだな。ほらよ、持っていけ、化け物」
「…………」
そうすると、男は根負けしたように舌打ちをして、ばっといくらかの貨幣を投げつけた。
バラバラに投げたものだから、もちろん受け止めきれるはずもなく、地面にチャリチャリと音を立てて落ちてしまう。
ミリヤムは一瞬目に剣呑な光を宿すものの、文句を言うこともなく小さな手で一つ一つ貨幣を拾い上げる。
そして、全て拾い上げると小さく男に頭を下げ、汚らしい小屋から出て行った。
こんな場所に、長居する理由もないからである。
「あんた、またちゃんとしたお金をあの化け物に払ったのかい? ピンハネしてやればよかったじゃないのさ」
ミリヤムが出て行ったすぐ後に、そんな声が後ろから聞こえてきた。
この女の声は、あの男の妻のものだろう。似た者夫婦と言うべきか、男と同じく厭らしい性格をしていると彼女は思っていた。
自分を化け物と呼び、堂々と賃金を減らしてやろうと主張することからも、女の意地汚さが理解できるだろう。
化け物、と呼ばれることにちくりと心が痛むが、そんなことではこの腐りきった村で生きていくことはできない。
大人になったら母と出て行くために、お金を貯めなければならないのだ。
そのためにも、ミリヤムは無視して毅然としておかなければならなかった。
「いいんだよ。化け物に恨まれて、将来何をされたら堪ったもんじゃねえ。この憂さ晴らしは、あいつですればいいんだよ」
「ああ、あいつね。ひひっ。本当、良いぶつけ先がいてくれてよかったよ」
「…………」
ミリヤムは、結局一度も振り向くことなく、貨幣を握りしめて歩き続けるのであった。
◆
ミリヤムの住むこの村は、サルガドの村と呼ばれている。
ヴィレムセ王国の内陸部に位置する村で、村人の顔もそれぞれ知っているような小さな共同体である。
そして、この村の特色として、非常に細々とした寒村と言うことができる。
規模も小さければ、近くに道が通ることもないので商人や旅人もやってくることはない。
エルフたちのように、人避けの魔法を使っているわけでもないのに、やってくる者はほとんどいない。
この村も王族直轄地なのだが、税の取り立てなどもないことから、完全に忘れ去られているのかもしれない。
そのため、村全体が貧乏であり、人々の余裕もまったくないため、ミリヤムからすれば意地悪で薄汚い人しか存在していなかった。
まともな人は、この村を出て別の場所に行くからである。
「……そのためにも、お金を貯めないと」
出て行っても、ミリヤムと母に頼る人がいるわけでもない。
ということならば、必ずお金が必要になってくる。
こんな時、ミリヤムよりも力があって頼りになる男が……父がいてくれたら、力仕事もできてもっと早くお金が貯まっていってもいいのに……。
そう思い、彼女は頭を横に振る。
いないものをねだったって仕方ないのだ。自分がコツコツとお金を貯めていかなければ……。
「おっ、化け物がいるぜー!」
そう考えていた時、ミリヤムの耳に憂鬱になる声が聞こえてきた。
嫌々視線を向けると、そこにはやはり想像した通りの子供たちがニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら立っていた。
自分と同じくらいの歳で、幼馴染と言える存在かもしれない。
……が、彼女たちはそんな仲の良い関係ではないのだが。
「うわっ! 本当だ、ばっちいなぁ」
「化け物が人の村に出て歩いてたらいけないんだぞ! どっかに消えちまえよ!」
それぞれ嗜虐的な笑みを浮かべ、ミリヤムを罵倒する。
チラリと彼らの服を見下ろすミリヤム。
仕事をしている自分よりはマシだが、それでも汚らしい服を着ているのに、よく人のことを馬鹿にできるな……と心の中で思うが、決して言い返したりしない。
相手は三人だし……そもそも面倒だ。
「…………」
そのため、ミリヤムは一切彼らに返答することなく、彼らの側を通り過ぎた。
一瞬呆然としていた子供たちであったが、すぐに怒りの表情を浮かべるとミリヤムの後を追った。
「おい! 無視するなよ!!」
怒鳴り声をあげても、ミリヤムが止まることはない。
しばらく、後ろについて行って罵声を浴びせていたが、それでも応える様子を見せなかったので、ついに一人の少年が彼女の腕を掴んだ。
「この……待てよ!!」
「…………ッ!」
その直後、ミリヤムはバッと振り返ってギロリと少年たちを睨みつけた。
その目の恐ろしさは、人生経験が少ない彼らを震え上がらせるには十分であった。
腕を掴んだ少年は、その手をパッと放してしまう。
「ひっ……!?」
「ば、化け物が! 俺らにそんな目を向けて良いと思ってんのかよ!!」
「…………」
怯えながらもそんな言葉を吐き散らす少年たち。
だが、ミリヤムが反応することはなかった。
彼女は掴まれた腕をさすり、ただただ無言を貫き通した。
そうすると、まったく反応を示さないミリヤムを面白く思うはずもない。
彼らは舌打ちや悪態をつきながら、背中を向けるのであった。
「ちっ。もういいじゃん。こいつ、何にも反応しないから面白くねえよ」
「そうだな。母ちゃんも、あいつは化け物だから関わらない方がいいって言ってたし」
「そうだな。あいつを苛めようぜ。あっちの方が面白い! 父ちゃんたちも、あいつなら苛めても良いって言ってたもんな!」
彼らはまた別の獲物を見つけたのだろうか、楽しげに笑って歩いて行った。
彼らの背中を見送ったミリヤムは、小さくポツリと呟いた。
「あいつ、か……」
彼らが言っていた者のことは、簡単に想像ができる。
サルガドの村で自分と同じように迫害を受けているのは、一人しかいないからだ。
自分と同じ境遇の者ならば、迫害される苦しみを知っている自分は助けるべきかもしれない。
だが、ミリヤムはそれをすることはなく、帰路へと付いたのであった。
あいつは……迫害を甘んじて受けるような奴は、嫌いだ。
そんなことを考えながら歩いていると、お世辞にも綺麗とは言えないこじんまりとした建物が見えてきた。
それでも、ミリヤムにとってはとても大切な場所だった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
声をかけて家に入ってきたミリヤムに返ってきたのは、優しい声音の挨拶であった。
家の中から歩いてきたのは、ミリヤムを大人にしたような美しい女性であった。