第百五十二話 昔のこと
ミリヤムは目の前で眠り続けるエリクをずっと見ていた。
ガブリエルの助けによって異端審問官たちを撃退した後、エリクはすぐに倒れてしまった。
半狂乱になっていたミリヤムであったが、とにかく彼を安全で清潔な場所に寝かせる必要があった。
そこで、ミリヤムが頼ったのはデボラであった。
王城と言う場所ほど、安全で清潔な場所もないだろう。
個人的には大嫌いな人種ではあるのだが、エリクのためだったら頭を下げることなんてたやすいことだった。
一方、デボラもミリヤムのことが嫌いなのだが、ここで意地悪をして王城に入れないなんてことはなかった。
やはり、自身の初めての忠節の騎士が大切なのだろう。
……エリクがボロボロになった経緯を聞いて、冒険譚みたいだ! とその場にいれなかったことを非常に悔しがりはしたが。
そんなことがあって二人は王城にいるのだが、ミリヤムは決して彼から離れようとしなかった。
彼女の回復魔法によって、外傷は完全に回復されたし、身体を犯していた毒も解毒された。
万一のことがあっても、ここには優秀な回復魔法使いも詰めていることから、ミリヤムがこの場にいる必要はない。
だが、それでも彼女はエリクの側から離れることはなかった。
寝るのも食べるのもこの部屋である。
……といっても、ほとんど食べ物を摂取することはせず、飲み物だけ飲んでいるが。
エリクの寝るベッドのすぐそばに椅子を持ってきて、体育座りで彼を見つめ続ける。
「う……こ、ここは……」
ゴミ捨て場に捨てられていたら興奮する。
そう思って目を開いたエリクは、柔らかな寝具に身を寝かせられていることに気づき、残念そうにため息を吐いた。
「エリク! もう大丈夫!?」
「ミリヤム……ええ、(惜しかったですが)無事ですよ」
バッとすぐに身を乗り出してきたミリヤムに、エリクは優しい笑みを見せる。
自分のせいで……自分が足手まといだったせいで、彼は傷つき毒まで身体に受けていたというのに、だ。
「ごめんね、エリク。私がいたから……」
「ふっ、何を言っているんですか。彼らは私ではなく、ミリヤムを狙ってきていたんです。むしろ、あなたが私の側にいてくれてよかった。助けに行く手間が省けますからね」
苦痛付きの効力抜群の回復魔法使いで、小さなころからの付き合いがあり、かつ天使教というカルトに付け狙われて危険な身の女……エリクが離れるわけがなかった。
たとえ、ヴィレムセ王国外に追放されていたとしても追いかけて行っていただろう。
「あ、ありがとう……」
ミリヤムは、そんなドMの考えなど知らないため、頬をうっすらと赤く染めていたが。
「しかし、ガブリエルさんにはお礼を言わなければなりませんね。あのままでは、私もミリヤムも危なかったでしょうから」
自分だけだったら大歓迎だが。
「うん。ガブリエルさんも、何回もお見舞いに来ていたよ。後でまた来ると思う」
ガブリエルだけではない。デボラも、エレオノーラも、アンヘリタも。
少し嫌だが、彼女たちは熱心にお見舞いに来ていた。
……と言っても、デボラは爆発してエリクを無理やり起こして冒険に連れて行こうとするし、アンヘリタは意識がないエリクの肝を引き抜いて食らおうとするし、まともそうに見えたエレオノーラも加虐性が我慢できないのかうずうずしているし……ろくでもない女ばかりエリクに集まっていた。
ミリヤムは頭が痛くなっていた。
「では、その時にお礼をしましょうか。残念ながら、私はミリヤムの助けにはなりませんでしたからね」
「そんなことない!!」
エリクがふがいなさそうに笑って言った言葉に、ミリヤムは反射的に声を荒げていた。
助けにならない?
そんなことはない。エリクのしてくれた行為が……彼の存在が、どれほど自分の助けになっているか。
「エリクがいたから、私は天使教に連れて行かれなくて、処刑されることもなかった。全部、エリクのおかげ。私を助けてくれたのは、エリクだよ」
「……ふっ、そうですか。そう言ってもらえると、ありがたいですね」
胸元で手を絡めて、穏やかな笑みを浮かべるミリヤム。
彼のことを思うだけで、胸の奥が暖かくなって心地よく高鳴り始めるのだ。
そんなミリヤムの言葉を受けて、エリクも噴き出すようにして笑った。
とても……デボラたちと出会ってからはなかなか流れないほんわかとした空気が、二人の間に流れるのであった。
「すみません、ミリヤム。少し喉が渇いてしまいまして……水などはありませんか?」
そんな時、エリクが苦笑しながら喉を触る。
今まで意識を失っていて、飲食ができていなかったのだから、それも当然だろう。
ミリヤムは慌てて置いてあった水をコップに入れると、エリクに差し出す。
「あ、うん。大丈夫? 身体、起こせる?」
「ええ、なんとか……あっ」
身体が傷だらけになり、毒にも犯されていたエリク。
だからこそ、ミリヤムは彼を労わっていたのだが……。
エリクも何とか身体を起こすことは成功したものの、コップを受け取る際に握力が入らず、つるっと水の入ったコップを手放してしまった。
その中身の水がかかったのは……。
「冷たっ!?」
ミリヤムであった。
彼女の身体に、冷たい水がかかってしまう。
もちろん、全身がびしょびしょに濡れてしまうというようなことはなかったが、ちょうど胸元にかかってしまったため、衣服が身体に張り付いてスタイルを際立たせるには十分であった。
意外と着やせする豊満な肢体が、エリクの目の前に露わになる。
むろん、ドMであり、これをしでかしてしまったエリクは、申し訳なさこそ感じつつも性的興奮なんてしようもなかった。
「……申し訳ありません」
「ううん、大丈夫。すぐに着替えたら……」
ミリヤムは非常に落ち込むエリクを見て、やっぱり優しいけど損な性格をしているなぁと苦笑いしつつ、服をたくし上げた。
……そう、エリクの前で、である。
普段の彼女ならば、そんなことはしない。
しかし、エリクを心配してずっと看病していたためだろう、寝不足で頭の回転が鈍っていたミリヤムは、ついうっかりそんなことをしてしまったのである。
その結果として、服が持ち上げられて上向きになった量感のある乳房が見えてしまい……。
「……ミリヤム、原因の私が言うのもなんですけど、ここで着替えるのは……」
「……ッ!! ご、ごめん! ちょっと寝不足で……!!」
エリクの苦言を受け、自分のしていたことを認識してぼっと顔を真っ赤に染めるミリヤム。
すぐに服を下ろしたため、大事な所まで見えることはなかった。
まあ、エリクがそれで興奮したかと言われれば、そうではないのだが。
彼はミリヤムに近くにあったタオルを差し出しながら、少し微笑む。
「ふふっ。しかし、ミリヤムも変わりましたね。昔……故郷に住んでいた時でしたら、私はボコボコにされていたでしょうに」
「あ、あの時は……まだエリクのことをよく知らなかったし……」
昔のことを出されて、羞恥を感じてしまう。
あの寒村……優しいエリクはあんな場所でも故郷と言って、レイ王に援助をしてもらう代わりに信じられないほど理不尽な命令に従ってきていたが、ミリヤムは正直嫌だった。
あんな場所……自分とエリクを迫害していたような場所なんて、さっさと廃れて消えてしまえばいいのだ。
彼の優しさは大好きな点だが、彼女はそこまで聖人にはなれなかった。
なお、エリクもただ性癖を満たすためだけの模様。
「(それに、あの時はエリクのことが嫌いだったし……)」
ミリヤムは昔のことを思いだす。
あの居心地の悪かった寒村で、可愛げもなくひねくれていた自分。
そして、そんな自分に笑顔を向けて接してくれたエリクのことを。
「ミリヤム、今何か素晴らしいことを考えていませんでしたか?」
「考えてないけど?」
「おかしいですね。私のドMセンサーが確かに……」
ブツブツと呟くエリクを見ながら、ミリヤムは昔のことを思いだすのであった。