第百五十一話 情報提供者
小さな建物の中で、一人の女が跪いて天使をかたどった像に祈りを捧げていた。
ここは、ヴィレムセ王国における天使教の拠点である。
総本山の大教会とは比べ物にならないが、それでも清潔でどこか厳かな雰囲気が流れるこの場所は、神聖さを感じさせた。
そして、祈りを捧げている女はジルケ。ヴィレムセ王国での布教を一任されている天使教司教であった。
「ふぅ……有意義な時間を過ごせました。こうしていると、腹立たしいことも落ち着いてきますね」
ジルケは穏やかな笑みを浮かべていた。
少し前、彼女にとって非常に不快なことがあった。
利他慈善の勇者とちやほやされている男が、パートナーである半魔を引き渡すことを拒絶してきたのである。
魔……悪魔の血をひく者は皆殺しにするのが、天使教の信条である。
今まで魔を滅してきた勇者ならば話も分かるかと思ったが……彼は愚かな存在だった。
「まあ、その愚か者も、すでにいなくなるわけですが」
ニヤリと黒い笑みを浮かべるジルケ。
愚かな存在だったからこそ、彼女は天使教の実行部隊であり精鋭である異端審問官を送り込んだのである。
彼らの標的となったのであれば、もはや勇者に生き残るすべはない。
直に、半魔を引きつれて戻ってくるだろう。
その時は、どのようにして処刑してやろうか?
絞首刑? ギロチン? 串刺し? 磔? さまざまな方法が浮かび上がっては消えていく。
「楽しそうだな」
そんなジルケに、男の声がかけられた。
端整に整った顔を無愛想なものにしているのは、ユリウス・ヴェステリネンだ。
「ユリウスさんですか。天使様に祈りを捧げに来られたのですか?」
「いや、俺は無宗教でな。天使教に限らず、悪魔教も信仰していない」
「そうですか。残念です」
ジルケはそう言って目を下に落とす。
もし、ユリウスが悪魔教を信仰しているなどと言っていたら、飛びかかって殺しにかかっていただろう。
「それで、何の用ですか?」
「ああ、俺が教えてやった情報は役に立ったかと気になっただけさ」
「それはもう!!」
ジルケは嬉しそうに破顔する。
「魔を滅することこそが天使教の目的。半魔も例外なく殺さなければなりません。うまく人間に擬態していたので、私たちでも気づくことができませんでした。あなたには、心から感謝していますとも」
「そうか。それは、良かった」
情報……それは、ミリヤムが悪魔の血を半分引いているというもので、それをジルケに伝えたのはユリウスであった。
彼からすれば、同じ存在であるエリクのパートナーである彼女が邪魔で仕方なかったのである。
ミリヤムさえいなければ、彼は傷ついた身体をあれほど早く回復させることはできない。
どうにも、自分とエリクは違う気がする。
自分は自分のために他者を利用して害する。
エリクは他者のために自分を犠牲にして助ける。
同じ境遇とは思えないほどの違いだが、だからこそ彼が自分の前に立ちはだかりかねないと思う。
「(まあ、あいつももっと時間が経てば分かるようになるさ。そしたら、俺と共に行動する時が来るかもしれないが……不安は摘んでおいた方がいいからな)」
エリクと敵対することを最悪の状況として考えて行動しなければならない。
実際、情報を得ようとアンヘリタの元に行ったときには相対したのだから。
「しかし、本当にお礼は必要ないのですか?」
「ああ、必要ない(まだ、な……)」
「そうですか……」
ジルケには決して見せない心のうち。
ユリウスは、やはり自分のためだけに行動しているのであった。
「ユリウスさんは信徒の間でも人気がありますから。天使教に入信していただいて、誰かとくっついていただけると嬉しいですね」
「いや、遠慮させていただく。俺は目標……宿願といっていいそれを果たせない限り、誰かと一緒になるなんてことは考えられないからな」
そんな穏やかな会話をしていた時であった。
教会に一人の天使教徒が慌てた様子で転がり込んできたのである。
「し、司教様!!」
「……どうしました?」
このような慌て方を見て、嫌な予感しかしない。
それでも、ジルケは表面上冷静に問いかけた。
しかし、その冷静さは次の瞬間吹き飛んでしまうことになった。
「ゆ、勇者の元に送り込んでいた異端審問官たちが、ぜ、全滅しました!!」
「なっ……!?」
「ほぉ……」
報告に愕然とするのがジルケ、驚嘆したのがユリウスである。
ユリウスの知識にも、天使教の異端審問官の悪名はちゃんと存在する。
とくに、天使教のためならば殉教も辞さずに異教徒を叩き潰そうとする意思の強さは、非常に厄介だと見ていた。
「(まあ、ヴィレムセ王国に天使教はまだ力を入れていないみたいだからな。この国にいる異端審問官も、他の天使教の影響の強い場所と比べれば大したことはないかもしれないが……だが、それでもあの勇者が彼らを撃退できるとはな)」
少し戦ったことがある程度だが、エリクの戦闘能力はそれほど高いというわけではないと認識していた。
それならば、精鋭を何名か送り込めば、多対一となればよっぽどのことがない限り負けることはないはずだが……。
「(ああ、あいつらか)」
ユリウスの頭の中に浮かんだのは、エリクが同類だと気づいたそのすぐ後にやってきた女たちのこと。
断罪騎士、アマゾネスの元女王、ヴィレムセ王国の王女。それぞれ、普通ではない女たちが、エリクの元に集まっていた。
彼女たちが相手ならば、異端審問官といえどもどうすることもできなかったのかもしれない。
「……っざけんな」
「司教様?」
ユリウスが考えていると、ポツリとジルケが独り言をつぶやいた。
報告しに来た信徒も、不思議そうに首を傾げている。
次の瞬間、ジルケは顔をバッと跳ねあげて絶叫した。
「ふざけんなああああああああああああああああ!!!!」
「ひっ、ひぃっ!?」
鬼のような顔をして怒声を発するジルケを見て、信徒は悲鳴を上げる。
驚くべき豹変ぶりに、ユリウスも目を丸くさせていた。
「クソが! 返り討ちにあっただと!? ふざけやがって……異端審問官は何をやってんだよぉっ!!」
髪をかきむしり絶叫するその姿は、普段布教活動に励むジルケの姿ではなかった。
いや、本性はこれなのだ。今まで、猫をかぶっていたに過ぎない。
「魔は全て殺さなければならないって知らねえのかよ!? 役立たずどもが……異端審問会にも責任をとらせるからな……!!」
強く唇をかみしめたため、皮膚が破れて血が流れ出てくる。
その血を舐めて少し冷静になったのか、ジルケは先ほどの鬼の形相からニコリと笑みに変えた。
「あなたは異端審問会の幹部を集めてください。至急、話があると」
「は、はいぃぃぃぃぃっ!!」
ジルケの豹変を間近で見せられた信徒は、大慌てで教会から駆け出して行った。
ユリウスは彼女を見て、やはりカルトというのは恐ろしいなと改めて思う。
「で、どうするんだ? 半魔を殺すことを諦めるのか?」
ユリウスから聞いているが、もし頷かれたら非常に困る。
ミリヤムありのエリクは、なかなかしつこそうだからだ。
だが、もちろん狂信者であるジルケは首を横に振った。
「いえ、役立たずの異端審問官ができないのであれば、私がします。そう、天使様のお力を借りて、ね」
ジルケはそう言ってほくそ笑む。
彼女の手には、厳かな装飾がなされた小さな棒が握られていたのであった。