第百四十五話 不信感
まったく予想していなかった名前が出て、私は何も言い返すことができませんでした。
私だけでなく、エレオノーラさんとアンヘリタさんも……それこそ、野次馬の人々もです。
「ミリヤムが、ですか……?」
思わずミリヤムを見ながらジルケさんに聞いてしまいます。
彼女は怯えるように、私の視線から顔を背けてしまいます。
「おや、ご存じありませんでしたか? まあ、私たちもある方から教えてもらうまでわかりませんでしたから、勇者殿も知り得なかったのかもしれませんね。その半魔が、隠していたということも考えられます」
ジルケさんがブツブツと呟き、一人納得します。
ある方から教えてもらった、ですか……。私たちも知り得ないことを知っている人がいたんですね。
それを、魔に敵対心を持っている天使教に教える……明らかに敵ですね! 見えない敵……ワクワクします!
……が、ミリヤムがこんなに怯えてしまっていては、流石の私もあまりビクンビクンできません。
「半魔というのは魔族の血が入っておる混血のことじゃな。ほほう……回復がのぉ……。じゃからこそ、あんなに強力な回復魔法を使えたんじゃな。あれは、まさに人間離れしておったからの」
アンヘリタさんはたんたんと言葉を続け、観察するような目をミリヤムに向けます。
その雰囲気や声音には嘲りや恐れみたいなものはありませんでした。まあ、アンヘリタさんですしね。
「そう、そうなのです! そこの半魔が勇者殿のパートナーたりえるのは強力な回復魔法があったからこそ! しかし、どうしてそんなに効力が絶大な魔法が使えたのか……それは、彼女の身体の中には悪魔の血が入っていたからなのです!!」
仰々しく身振り手振りを加えながら演説をするジルケさん。
うーむ……悪魔の血、ですか。
天使教は悪魔と敵対しているとエレオノーラさんも言っていましたし、だからこそ半魔も許せないのでしょうか。
「そんな存在を利他慈善の勇者殿の隣に置いていて良いのでしょうか!? 否、断じて否です!! 汚らしくおぞましい魔の血が入った者が近くにいれば、必ず裏切って勇者殿の首を掻き切ることでしょう!!」
「そう、なのか……?」
「で、でも、勇者様は俺たちを助けてくれたぞ?」
「それは勇者様だけじゃない。あの子は……」
「どちらにしても、魔族は怖いしなぁ……」
「できる限り関わりたくないというのは、確かに思うが……」
ジルケさんの演説によって、人々がざわつき始めます。
彼らが会話をしてこちらに……ミリヤムに向ける目は、懐疑や困惑といった不信感に満ち満ちたものでした。
先ほどまで私たちに向けていた好意的な目は、あっけなく変貌していました。
「まあ、所詮人間なんてそんなものよな」
アンヘリタさんは無表情でしたが、嘲りの雰囲気が多分にあふれ出ていました。
人間を下に見ているがゆえの反応でしょう。
「自分たちは散々助けられていても、恩はすぐに忘れてしまう。仇は忘れんのにな。まあ、これは人間に限らず知的生命体全てに言えることやもしれんがの」
それは……そうなのかもしれませんね。
そっちの方が私は身体を張ることが多そうなので、望ましいのですが。
「勇者殿、あなたの隣に半魔などという薄汚い存在はふさわしくありません。私たちが特別に天使様のご加護があるようにお祈りして差し上げましょう。本来であれば、天使教徒だけの特権なのですが……あなたの功績は素晴らしいものですからね」
ジルケさんはニコニコと笑いかけてきます。
笑顔のはずなのに怖い……。これが、カルトなんですね。
「さあ、そちらの半魔をこちらに差し出してください。勇者殿はお優しい方です。その者の処分は、私たちがしてさしあげましょう」
「…………ッ!!」
ニコニコと笑いながら手を差し出してくるジルケさん。
私の背に隠れるミリヤムはビクッと身体を一つ震わせながら、辺りを見渡します。
野次馬の人々……つまり、ヴィレムセ王国王都に住む人々が向けてくる視線は、不信感に満ちたもの。
それらを見て、ミリヤムは最後に私を見上げてきました。
そして、決意をしたように顔を凛々しくさせると、一つ頷きます。
「わ、わかっ――――――」
その後、言うであろう言葉は私でも簡単に予想ができます。
ミリヤムは優しいですからね。自分が私の側にいたときのことを……私のことを考えて自らを犠牲にしようとするのでしょう。
チラリと後ろを見れば、エレオノーラさんもアンヘリタさんも私を見ていました。
二人とも無表情ですが、私の答えを待っているような気がしました。
ふっ、私の答えでお二人が敵対してくだされば嬉しいのですが……。
「――――――いえ、お断りします」
「え、エリク……!?」
私はミリヤムの口に手を被せながら、ジルケさんにニッコリと微笑んで答えました。
唖然とした様子で私を見上げてくるミリヤム。
ジルケさんは、笑顔を凍りつかせていました。もちろん、怒りで。
「……聞き間違いでしょうか? おかしな返答を聞いたような気がしましたが……」
「では、もう一度言わせていただきます。あなたたちにミリヤムを引き渡すことをお断りします」
ふっ、返答は決まり切っていましたね。
「ほほう……」
「…………」
アンヘリタさんとエレオノーラさんがじっと私を見てきます。
おっと、敵対フラグですか? 私は大歓迎です。絶対に勝てませんからね。
負けると分かっている戦い……なんと甘美なことでしょうか。
「え、エリク、どうして……?」
「…………返答がそれで本当によろしいのですか? 我々天使教を敵に回すだけじゃありません。ここに集まっている人々……一般市民たちからの支持もなくなってしまいますよ?」
ミリヤムの問いかけに答えようとすると、ジルケさんがさらに言葉を被せてきました。
もう、彼女は笑っていません。一切の感情をそぎ落としたような無表情です。
エレオノーラさんやアンヘリタさんも表情はあまり変えませんが、彼女たちの方が人間的な雰囲気を醸し出しています。
今のジルケさんには、それがありませんでした。
……ゾクゾクしますねぇ。
このジルケさんの反応、そして不信感を持ち始めた人々の視線。どれも堪りません。
「それでも構いません。あなた方の支持よりも、私にはミリヤムが必要なのです」
きっぱりと断言しておきます。
私のドMライフに必要なのは、天使教や人々の支持ではなくミリヤムなのです。
「半魔であるからとか、人間であるからとか、そういうのは関係ないのです。ミリヤムがミリヤムであるならば、それでいいのです」
「エリク……」
ミリヤムと私は見つめ合います。
むしろ、半魔であるからこそいいのです。回復魔法が強力になったのですし。
……それに、今までずっと共に行動してきましたしね。
ドMの私にも、それくらいの人情はあります。
「ちっ……! で、では、お仲間の方々はどうですか? こんな気味の悪い魔の血を宿す者が近くにいれば、おぞましくて仕方ないでしょう?」
ジルケさんは私を説得することができないと判断すると、エレオノーラさんとアンヘリタさんに目を向けました。
……正直、私を説得するより難しいお二人だと思うのですが。
「格好いいことを言うではないか、エリク」
そう言って肩に腕を回してきたのはアンヘリタさんでした。
あの……胸が当たっていますが。
「まっ、儂も魔族じゃしの。半魔くらいで拒絶しておったら、儂の立場がない。もし回復を差し出しておれば、後ろからお主の首を刎ねておったわ」
せ、選択を間違ってしまいましたか!? 是非不意打ち気味に私の首をその白い尾で弾き飛ばしてほしかった……!!
「私もエリクさんに賛成です。ミリヤムさんはエリクさんにとって必要な方です。二人で今までどれだけこの国と民に貢献してきたか、ご存じですか? そんな人を半魔だからといって虐げるのは悪です」
エレオノーラさんもアンヘリタさんを私から引っぺがしながら、そう援護してくださいました。
……あれ? 半魔は悪と言って敵対してくれないのですか?
いや、まあミリヤムのことを考えればそれが良いのですけれど……私は物足りない……。
最後の頼みとばかりに二人に聞いたジルケさんは、こめかみをぴくぴくとさせて激怒していました。
静かに怒るとは、まさにこのことですね。その噴火、私が全身で受け止めて差し上げたい……。
「……そうですか。勇者殿たちはすべからく愚か者だったわけですね。いいでしょう。今、この場でどうこうすることはしません。しかし、せいぜい後悔しないことです。すでに、これを聞いた市民たちもあなたたちのことを今までのように無条件で受け入れることはなくなるでしょう」
「望むところです」
ジルケさんの脅しに、私は即答してしまいました。
今までの好意的な待遇は物足りないと思っていたところです。
塩対応になるというのであれば、何の文句がありましょうや。
むしろ、後悔するようなことをバンバンやっていただきたい!
肉体的、精神的を問わず、私は24時間365日苦痛をお待ちしております!
「……ッ! それでは、失礼します」
苦虫をかみつぶし、私を目だけで殺してしまえるほどの強い殺気のこもった視線を向け、ジルケさんは振り返って歩いて行ってしまいました。
残されたのは、ざわざわと不信感を持ち始めた市民たち、人間に対する嘲りの雰囲気を醸し出すアンヘリタさん、冷たい目を周りに向けるエレオノーラさん、複雑そうな顔をしているミリヤム、そして期待でワクワクしている私でした。