第百三十九話 頼もしい勇者
ユリウスの言葉には、強烈な思いが込められていた。
その思いは、様々なものである。
殺意、敵意、憎悪、怒り、そして悲しみ。
自身が感情表現に薄いためあまり感情に対する理解がないアンヘリタでも、それくらいのものは思い当たった。
ユリウスが非常にその女に対する情報を欲しがっていることは、彼の真剣な表情を見ればうかがい知ることができる。
彼がアンヘリタの返答を心から欲していることを察する。
それを察しながらの彼女の返答は……。
「いや、知らん。なんじゃ、その抽象的な問いかけは。馬鹿にしておるのか」
「…………」
あんまりな返答に、ユリウスも毒気を抜かれてしまう。
怒りを抱くことすらできなかった。
「なんじゃ、その黒い女というのは。見た目黒いのか? 内面が黒いのか? もっと情報を寄越さねば、儂も答えようがないじゃろうが」
「……見た目だ。いや、まあ内面も少なくとも善人じゃないだろうから黒いのか?」
アンヘリタの問いかけに、思い出すようにして答えていくユリウス。
そもそも、思い出さずとも忘れられるはずもない。
彼はずっと、あの黒い女を追い求めているのだから。
「とにかく、黒いという強烈な印象を与えてくる女だ。歳は若い。……いや、もしかしたら、俺やお前のように見た目だけ若いのかもしらんがな」
「ふむ……」
ユリウスの言葉に、少し考えるアンヘリタ。
「……奴の居場所を知っているのなら、教えてほしい。俺はあいつを何としても殺さなければならないんだ」
「……お主の事情は知らんが」
アンヘリタは一つ断りつつ、口を開いた。
「昔……儂が今のような力を持っていなかった時、そういう存在に会ったことがある」
「なに!?」
彼女の答えに強烈な反応を見せるユリウス。
冷静な男だったが、今はありのままの感情を見せていた。
「そ、そいつは今どこにいる!? 教えろ!!」
「じゃから、昔に会ったことがあるだけじゃ。それも一度きりなのじゃから、今そやつがどこにいるかどころか生きておるのかもわからん」
「いや、生きている! そいつは絶対に生きているんだ……!!」
歯を強く噛みしめ、怒りを露わにするユリウス。
端整な顔が激情に歪んでいる様を見れば、多くの者が気圧されてしまうに違いない。
残念ながら、アンヘリタはその多くの者の中には含まれなかったが。
「お主は年若いと言っておるが……じゃが、儂が知っておるのは妙齢の女じゃったぞ。じゃが、確かに奴は黒かった。まるで、闇そのもの……闇から生まれたような、そんな錯覚を覚えてしまうほどの黒い女じゃった」
「……見た目が違う? 俺の探している女ではないということか? いや、だが……」
アンヘリタの答えを受けて、ブツブツと独り言をつぶやきながら自身の世界に入っていくユリウス。
彼が追い求めている女は、確かに年若い。少女とも言える見た目だったはずだ。
だが、アンヘリタが言うには妙齢……明らかに大人である。
ならば、自身の探し求めている黒い少女と、アンヘリタの知る黒い女は別の存在なのか?
もしそうだとしたら、また手がかりが何もないということになってしまう。
「……接触した時、何かコミュニケーションをとらなかったか? 何か……何か会話をしなかったか?」
「したぞ」
「なに!?」
すがるように質問を投げかければ、アンヘリタはあっさりと肯定した。
まだ、手掛かりはあるのかもしれない。
「まあ、会話と言えるほどのものじゃなかったがの」
「そ、それでもいい! 教えてくれ!! 奴のことは調べ尽くし、多くのことを知ることができたが……奴の居場所だけは分からんのだ!!」
「分かった分かった。顔を近づけるな、暑苦しい」
興奮のあまり身体を近づけてくるユリウスから、アンヘリタは嫌そうに顔を背ける。
彼女にとって人間というひとくくりにすぎないのだから、見た目が整っていようが整っていまいが関係ないのである。
「若輩者で力のなかった時、儂は力を求めていた。あの人の力になるためにな。その時、儂は黒い女と出会った。奴は儂に語りかけてきおったぞ。『力が欲しいか?』とな」
「…………ッ!!」
その言葉は、確かに自分にもかけられたものだ。
これで、ユリウスとアンヘリタが出会ったという黒い存在は同一のものであると確信する。
「確かに力は欲しておったがの。儂は生きておるだけで力は手に入るし、胡散臭さが半端なかったから拒絶したんじゃ」
「そう、か……」
そこが、ユリウスとアンヘリタの違いだろう。
彼女は黒い存在の甘言を拒絶した。彼は……。
「まっ、儂の知っておることはこれくらいじゃ。これで良いかの?」
「……ああ」
ユリウスは俯きながら答える。
居場所を突き止めることはできなかった。
だが、あの黒い女が確かに存在することは分かった。
最も欲しかった情報が得られなかったのは残念だが、地道に彼女へと一歩一歩近づいていくとしよう。
今までそうしてきたのだから、苦痛でも何でもない。
この長い時をあの黒い女だけに捧げてきた結果、居場所以外の様々なことも分かってきたのだから。
そして、いつの日かその居場所を突き止めて……この手で殺すのだ。
「満足か? ならば、さっさと拘束を解け」
「……いや、それはできないな」
ユリウスは有益な情報をくれたアンヘリタに剣を向ける。
ギラリと光る切っ先を向けられても、彼女の表情が歪むことはなかった。
「どういうことじゃ? 儂と争う気はないなどとほざいておったくせに」
「それは、良い情報が得られたらの話だ。お前の情報は俺にとってそれほど良いものでもなかった。それに、何にしても俺の顔を覚えられたら困るんだよ。今後の行動に差支えがあるしな。『救国の手』のこともあるし、知ってしまった者には死んでもらった方が楽なんだ」
「……やはりこういう展開か」
自分を殺すと言われても、アンヘリタは冷静な様子でため息を吐く余裕さえ見せていた。
まあ、長い時を生きてきた彼女でも、『○○したら見逃してやる』と言われて本当に見逃してもらえた人なんて少数なことを知っているからである。
「……余裕だな。まあ、ニルスみたいな小者だったとしたら困るんだが」
「まあのぉ」
今にも切り付けんとしながら聞いてくるユリウスに、アンヘリタは余裕の理由を教えてやる。
「まず、儂はそう簡単に死なんということじゃ。白狐じゃからの。お主らのような脆弱な種族とは違うのじゃ」
細くてきれいな指を立てながら説明してやるアンヘリタ。
ナチュラルに人間を下に見ているのは、最早どうしようもない。
まあ、白狐としての能力は非常に高いので、それも仕方ないのだろう。
「それに、もう一つ」
アンヘリタがもう一本指を立てる。
それと同時に、ユリウスは一つの気配が猛烈に近寄ってくるのを感じ取った。
それは、彼の真後ろに迫ってきていて……。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ちっ……!」
ユリウスは背後からの斬撃を見事に避け、アンヘリタの眼前から移動する。
代わりに彼女の眼前に現れたのは、一人の男だった。
「最近、儂には頼もしい勇者がついておるのじゃ」
「利他慈善の勇者、か……」
不敵な笑みを浮かべて剣を抜いているのは、『狂戦士』、『守護者』の二つ名を持つエリクであった。