第百三十八話 ユリウスの目的
凄まじい衝撃と音と共に尾が地面に叩き付けられた。
神速で向かってくるアンヘリタの尾を、ユリウスは見事に避けることに成功したのであった。
もちろん、余裕があったというわけではない。
彼の頬には一筋の汗が流れていた。
「おぉ、驚いたのぉ。儂の尾を初見で避けるか」
「……驚いたのはこっちのセリフだ。いきなり攻撃してきやがって……何のつもりだ?」
基本的に、アンヘリタの尾による攻撃は初見でどうこうすることはできないだろう。
エリクだって、何度も肝を抜かれて慣れるまではなすすべなく尾に身体を貫かれていた。
多少見えるようになっても、彼はドMの観点から避けることはないが。
今までの経験の中でもなかなか珍しいことだったので、アンヘリタは目を丸くしていた。
一方、ユリウスは冷や汗を流しながら彼女に問いかける。
何とか避けることができたが、これからも続けられるかと言われれば不可能だ。
「いや、何のつもりと言われてものぉ……。お主がニルスに厄介な鎖を渡したことで、儂は危うく身体を弄ばれるところだったんじゃぞ? 下手をすれば、殺されていたやもしれん。エリクのやつが助けてくれたからよかったものの……落とし前はつけねばならんじゃろ」
「……なるほどな」
アンヘリタの意見に、ユリウスは納得する。
確かにそうだ。自分だってあの立場だったら、何かしら報復を考えるだろう。
どうにも、長い時を生きて他者を利用し続けていたため、そういう通常の感覚が抑えられていたようだった。
「だが、俺だってニルスみたいな雑魚でもない。俺とお前が戦えば、それなりに周りに被害が出るだろう。……ここで戦ってもいいのか?」
ユリウスの言葉に、アンヘリタはあの人の墓を見る。
脅迫か。
「なんじゃ。お主、ここのことも知っておったのか」
「まあな。俺は別にお前と戦いたいわけじゃない。ゆっくり話をしたいだけなんだよ」
「そうは言われてものぉ……」
アンヘリタは悩む仕草を見せるが、もともとユリウスと会話をするつもりは毛頭なかった。
彼の武器で自身が危険な目にあったのは事実。であるならば、そんな人間とコミュニケーションをとる必要なんて微塵もありやしない。
しかし、自身の尾の攻撃をユリウスが避けたのも事実だ。
叩き付けられた尾のせいで、木の何本かは地面に倒れ地割れが起きてしまっている。
激しい戦闘になれば、墓に傷がついてしまうかもしれない。
あの人には、静かで美しい場所で眠っていてほしい。
確かに、ここで派手な戦闘をするわけにはいかないだろう。
「じゃが、何も派手な戦い方だけをする必要はないのじゃ」
「――――――ッ!?」
ギュオッとアンヘリタの白い尾が再びユリウスの元に向かう。
彼はまた避けようと身体を動かすが、腕を尾に絡め取られてしまう。
「ぐあっ!?」
そして、弾き飛ばされるのではなく強烈な力で締め付けられたのであった。
腕がビキビキと鳴り、骨がきしむ。
「絞め殺す、ということならばこの場も荒れないじゃろう?」
無表情で見つめてくるアンヘリタの目に、ゾッとするものを感じるユリウス。
このままでは、腕どころか全身を絡め取られて身体中の骨をへし折られてしまう。
「ちっ……!!」
ユリウスはどこからか取り出した剣を抜き、尾に切りかかった。
「おっと。儂のモフモフの尾に何をするか」
しかし、切断される前にアンヘリタは彼の腕から尾を離す。
彼女にダメージを与えることはできなかったが、致命的なダメージを負わされることはなかった。
「……酷いな。俺の腕が使い物にならなくなってしまった」
「それだけで済むと思うな。お主にはここで死んでもらおう。儂に何の用があったかしらんが、顔を見せなければ見逃してやったものを……」
ユリウスの腕の惨状は酷いものだった。
おかしな方向に曲がり、骨が飛び出している。
肉の赤い部分も見えており、非常にグロテスクだった。
アンヘリタの脅し……彼女は確実に人を殺せる力を持っているので、その説得力の大きさはニルスが同じことを言うよりもはるかにある。
しかし、ユリウスは怯えるどころか虚無感が漂うような笑みを浮かべる。
「……だったらいいんだがな」
「なに?」
「いや、こっちの話だ」
ユリウスの言葉に引っ掛かるものを覚えるアンヘリタであったが、彼はどうやらこれに関して答える気はなさそうだ。
まあ、それならそれでいい。
とりあえず、殺すだけだ。
「だが、それは困ったな。お前と戦うつもりはないんだ」
「儂にはお主と話しあうつもりがないぞ」
「ああ。……だったら、無理にでも話に付き合ってもらおう」
自信ありげに呟くユリウスに、多少の警戒をするアンヘリタ。
何をされようとも、即座に尾で反応できるようにして……。
ブゥンっと彼女の身体によくわからない呪文のようなものが浮かび上がり、全身を強く拘束されてしまうのであった。
「……はぁ。またか」
身動きがとれなくなっても、アンヘリタの表情に焦りはなかった。
それどころか、呆れのようなものもあった。
こうも短期間で何度も身動きを拘束されれば、不満くらい言いたくもなるだろう。
「……どうやった? お主には触れられてもおらんし、魔法攻撃も受けていないような気がするんじゃがのぉ」
「なに、簡単だ。ニルスに与えた鎖に、俺の魔力も流し込んでいた。お前を拘束した時に、力を抜くと引き換えに俺の魔力をお前の身体の中に入れたんだ。だから、俺がそれを起動すれば、お前の自由を拘束することができたっていうことだ」
「ふぅむ。なんだか不思議な感覚はあったが、それはお主の魔力じゃったか。よくもまあ隠せていたものじゃ」
「まあ、お前ほどではないが、俺も長い間生きているからな」
「女に向かって年寄りとは……お主、マジで殺すからな」
ジト目でユリウスを睨みながら、アンヘリタは身体の中に流れる異質な魔力を探る。
それは、操られてしまうようなほど大きなものではなかった。
というか、それくらいの規模のものならば、アンヘリタでも気づいているだろう。
これくらいならば、あの鎖よりも早く解除することが可能だ。
だが……。
「丸一日、これでお前を拘束し続けることはできないだろう。一時間……いや、少なく見積もって三十分か。俺の魔力をもってしても、白狐を抑えることができるのは非常に短い時間だ。だが……お前を殺すには十分すぎる」
「……だったらそうするがいい。いちいち脅しなぞしおって……趣味が悪いのぅ」
アンヘリタはギラリと光る剣を目の前にしても、怯えた様子を微塵も見せずにため息を吐く。
長い時を生きたから肝が据わっているのか、はたまたどうにかしてしまうことができるのか……。
最悪のことも考え、ユリウスは彼女を殺す寸前まで追い込むことはできない。
するのであれば、アンヘリタが何かをしようとすることもできないほどの速さで事を終えなければならない。
自分ならできるかもしれないが……今はそれをする時ではない。
「はぁ……だから、何度も言っているだろ。俺にはお前を害するつもりはないんだ。ただ、一つ聞きたいことがあるだけだ。長い時を生きる、お前にな」
「ならば、さっさとそう言わんか」
「言う前に殺しにかかって来ただろ、お前」
はぁっとため息を吐くユリウス。
ニルスは小物だったが、だからと言ってこの女もいかがなものか。
これに執着されている利他慈善の勇者に、少し同情するのであった。
「で、なんじゃ? どうせ動けないんじゃったら、少しは話を聞いてやろう。お主は何を聞きたいのじゃ?」
アンヘリタの問いかけに、ユリウスの纏う雰囲気が一気に冷たくなる。
その目にはゾッとするほどの激情が宿っていた。
冷徹であり、しかし燃え盛るような色が。
感情の薄いアンヘリタをして、眉を顰めさせるほどのものだった。
ユリウスは彼女を見据え、口を開いた。
「あの女を……黒い女を知らないか? 俺はやつを見つけ出し、何としても殺さなければならないんだ」