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第百三十五話 断絶

 










「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃぃ……っ!!」


 ニルスはつい先ほどまで浮かべていた余裕と嘲笑の表情をかき消し、恐怖に顔を歪めて後ずさりする。

 彼が頼りにして手段として持ち合わせていたのは、アンヘリタを封じる禍々しい鎖と屈強な傭兵たちである。


 そのすべてが破壊、もしくは殺された今、ニルスはもはやエリクやアンヘリタに向き合うことすらできなかった。

 散々に煽り、馬鹿にしたのだ。どうなるかは、容易に想像がつく。


 それに、自分の片腕は忌々しいことにエリクに斬りおとされてしまっている。

 たとえ、両腕があったところで彼らに勝てるはずもないのだが、片腕だけならなおさらである。


「に、逃げないと……! 僕は、こんなところで終わって良い人間じゃないんだ……! 僕は貴族なんだから……!」


 ニルスはそう言って彼らに背を向けて走り出す。

 片腕しかないから少し走りづらいが、そんなことを気にして脚を止めるわけにはいかない。


 とにかく、一刻も早くできるだけ遠くに行かなければ……。


「これ。どこに行くんじゃ。お主はここで死ななければならんじゃろうが」

「ひぎっ!?」


 しかし、とくに身体を鍛えていたわけでもなかったため、姿を隠すほど遠くに逃げる前にアンヘリタにあっけなく見つかってしまう。

 彼女の尾が目にもとまらぬ速さで動き、ズドッとニルスの両脚を突き刺してしまった。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? ぼ、僕の脚に穴が……っ!? い、痛いよぉぉぉぉぉっ!!」


 派手に地面を転がり、汚らしい土が全身に付着してしまう。

 大粒の涙を流しながら自身の足を手で押さえるが、血は指の隙間から大量に漏れ出す。


 これだけのダメージだと、ニルスでなくとも鍛えられた戦士でも動くことはできないだろう。


「さて、よいか? まったく……儂の言葉を待たずして逃げ出すとは何事じゃ」

「だ、だって!! この場に残っていたら殺されるでしょ!?」

「そらそうじゃろ。お主、儂らを殺そうとしたじゃろうが。ならば、返り討ちにあうこともあるじゃろうて」

「それが嫌なんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 泣き叫びながら地面をのた打ち回るニルス。案外元気である。

 そんな彼の姿を見て、呆れたようにため息を吐くアンヘリタ。


「はぁぁ……。お主、本当にあの人の血がつながっておるのか? あの人は泣き叫ぶようなことはなかったし、こんなみっともない姿を儂に見せたことなんてなかったぞ」


 なお、そういう弱い所は結婚した男に見せていたことは、アンヘリタは知る由もないのであった。


「くぅぅぅっ!! あの人あの人って……昔の人間なんて知るかよ!! 大切なのは、今を生きる僕だろうが!!」

「何を言っておる。お主自身に魅力なんてあるはずがなかろうて。儂がお主に協力していたのは、ひとえにあの人の血がお主に流れているからじゃ。それがなければ、お主と会うことすらなかったじゃろう」

「なっ……!?」


 愕然とするニルスだが、アンヘリタにとって彼も有象無象とほとんど変わらない。

 人間に興味のない彼女は大して区別がつかないのだが、それはニルスもまた同じである。


 微妙には判別できるのだが、あの人の血が流れていなければまったくわからないだろう。

 アンヘリタの中のニルスへの評価は、所詮その程度であった。


「しかし……まさか、儂が自らの手であの人の血筋を絶えさせることになろうとはな……。長生きはしてみるものじゃ。こんな予想もしていなかったことが、現実に起きるのじゃからな」

「ひっ……!?」


 一歩、アンヘリタが近づいてきただけで悲鳴を上げるニルス。

 アンヘリタの容姿は、別に屈強なものではない。


 冷たい印象を与える美女であるのだが、ニルスはまるで蛇に睨まれた蛙のような心境であった。

 それは、彼が彼女の力を理解しているからである。


 たとえ、逆立ちしたとしても彼女に勝つことはできない。


「こ、殺すのか? ぼ、僕を……君の言うあの人の子孫を!」

「まあの。お主にとくに思い入れはないし……今まで長い年月カッレラ家に力を貸してきた。もう十分じゃろう。あの人だって、許してくれるじゃろうて。それに、お主ももう十分楽しんで生きたじゃろ? 民から吸い上げた税で贅沢三昧をし、気に入った女を片っ端から手を付けて……これ以上望む方がおかしいというものじゃ」


 しかし、ニルスはアンヘリタの言葉にも何度も首を横に振る。


「ま、まだだ。まだなんだよ。僕は……僕はもっと楽しいことを……!」


 泣きながら、鼻水を垂らしながらそんなことを言うニルスに、アンヘリタは無表情を向ける。


「すまんな。今興味があるのは、お主よりもそこにいる奴なのじゃ」


 アンヘリタはチラリと目だけを動かして、地面を転がるエリクを見る。

 彼は肝を抜かれ、全身を傷だらけにされて、そのうえで冷たい土の上に転がされている現状に快楽を得ていた。


 すでに、ニルスとアンヘリタのことなど頭から消え去っていたりする。


「儂がいつ逝くかはわからんが、あの人に逢えたら謝っておいてくれ。儂の気が、あなた以外に向けられてしまったことをな」

「ひっ!? た、助け――――――!!」


 ニルスの言葉が最後まで続くことはなく、彼の頭部はあっけなく消し飛ばされたのであった。

 白狐の加護を得て長らく繁栄していたカッレラ家は、その白狐に矛を向けたことからその血脈をとだえさせることになるのであった。











 ◆



「ふぅ……」


 アンヘリタはニルスを殺し、少し空を見上げた。

 長い時を生きていく過程で感情が乏しくなったのだが、やはり今は一抹の寂しさのようなものを抱いている。


 後悔はしていないし、罪悪感も持っていない。

 カッレラの血を絶やせたことも、ニルスを殺したことにも、悪い感情は持っていない。


 だが、今まで自分はカッレラ家のためだけに生きて、行動してきた。

 その生きる目的とも言っていいものを失って、心にぽっかりと穴が開いたような感覚を抱いたのである。


「まっ、新しい暇つぶしは見つけたから大丈夫じゃがな」


 少し口角を上げて、アンヘリタは未だに地面に倒れこむエリクの元に向かう。

 ニヤニヤとした顔は、地面に突っ伏していたことから彼女に見られることはなかった。


「これ。いつまで地面に寝転がっておる。風邪をひくぞ、起きぬか」

「……いえ、肝を抜かれたので厳しいのですが」


 苦笑気味に言われたことに、アンヘリタは首を傾げるがああと納得する。

 そういえば、彼自身に自己回復能力はなかった。


 自身で重要な臓器を引き抜いておきながら、仕方ないのぉと呟くアンヘリタ。

 その身勝手な言葉にまた身体をビクンビクンさせていたエリクであったが……。


「……あの?」


 身体を抱きかかえられて起こされたので、不思議そうな顔をする。

 ついでに、もふもふの尾も巻き付かせてやる。特別だ。


「汚れますよ? 血と泥で……」

「よい。構わん」

「その黒い着物も高そうですし……それに、綺麗な真っ白な尾が……」

「よいと言っておるじゃろう」


 汚れても、自分の力でどうにでもできてしまう。

 綺麗な尾と言われて嬉しかったのか、ゆらゆらと尾が揺れていることにアンヘリタは気づいていなかった。


「その……助かったぞ。あの厄介な鎖のせいで、儂の力が出せんくてな。流石に死ぬようなことはなかったじゃろうが、危うく身体を良いように弄ばれてしまうところじゃった」


 アンヘリタにしては歯切れが悪そうにしつつも、エリクに感謝の言葉を送る。

 人に助けられるという経験が、昔のあの人以来なかったものだから、礼を言うこともほとんどなかったのだ。


 そんなアンヘリタに、エリクは屈託のない笑みを向ける。


「いえ。お力になれてよかったです」


 ボコボコにされることもできたし、大満足である。

 そんな意図に気づかないアンヘリタからすれば、エリクのその笑顔にキュンときてしまう。


「……自分を殺しかけた相手をボロボロになってまで助けるなど……本当におかしなやつじゃな、お主は。何故儂を助けた?」

「何故、ですか……」


 アンヘリタの問いかけに、考え込む仕草を見せるエリク。

 さて、彼はどのような返答をするのだろうか?


 自分に惚れたか? いや、そういう素振りは見せていないが……もし身体を求めるのであれば、多少は認めてやってもいいだろう。

 アンヘリタはそんなことを考えていたが……。


「アンヘリタさんが殺されるのを見たくなかった。ただ、あなたを助けたかった。……それではだめですかね?」

「…………そうか」


 ばつが悪そうに顔を歪めて言うエリクに、ドキッと豊満な胸の奥を高鳴らせるアンヘリタ。

 表情の変化が乏しいことが功を奏したが、真っ白な肌はうっすらと赤く染まっている。


「(貴重な肝を引き抜いて目の前で喰らってくれる存在……失うわけにはいきません!)」


 なお、エリクの思惑は桃色の微笑ましいものではなく、どす黒い欲にまみれたものだった模様である。


「肝勇者、お主の名をもう一度教えてくれんか?」

「えっ? それは……」


 ただ、この男の名を呼びたい。

 こんな気持ちになったのは、あの人以来である。


 本当、長生きするものだと改めて思うアンヘリタ。

 一方、道具のように呼ばれていた方が嬉しいエリクは多少渋るが、無表情ながら真剣な瞳を向けてくる彼女を邪険に扱うことなんてできず、口を開くのであった。


「エリクです」

「ふむ。エリク……エリクか」


 何度か確かめるように、ブツブツと反芻するアンヘリタ。

 そして、彼女はうっすらと笑みを浮かべて、エリクを見降ろすのであった。


「それでは、よろしく頼むぞ、エリク。末永く、な」


 そのアンヘリタの笑みはめったに見られないということもあってか、M関連にしか胸がときめかないエリクでも少し見惚れてしまうほど美しかった。


「エリクー!」


 そこに、ミリヤムが息を切らしながら走ってくる。

 こうして、騒動は一端の落ち着きを見せるのであった。




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