第百三十一話 ダメじゃん
「はははははっ! いい気味だな、アンヘリタ! お前は僕を見下していたが、どうやら負けるのはお前のようだったみたいだな!!」
「うーむ……」
ニルスの高らかな笑いに、アンヘリタはとくに言い返すことはなかった。
別に彼に調子に乗られたところで、今更怒るような心は持ち合わせていなかった。
長い時を生きて、アンヘリタの心は随分と老いてしまっているのである。
まあ、見た目はともかく、心が老いても感情をコントロールすることができるので、良いことづくしなのだが。
「いや、驚いたのぉ。本当に力が入らん。こんなもの、どこから引っ張ってきたんじゃ? 少なくとも、こういうものはしばらく見たことがなかったのじゃが……」
この鎖には、魔を封じる力が込められている。
近くでそれを見ているアンヘリタは、それを理解することができた。
確かに、こういった類の武器は世の中に存在する。
だが、非常に希少なものなのは間違いなく、持つべき人が厳重に保持している。
それこそ、国家の宝物庫などに大切に収められているほどの武器であった。
「ふふん! いいだろう、教えてやるよ」
普通、聞かれても調達ルートなどは教えないのであるが、危機を脱して勝利目前まできているニルスは、いい気分のまま語り始める。
周りの男たちもあれなので、とくに止めることはなかった。
やれやれと思うが、これから先ニルスに手を貸すことはないどころか敵に回るので、とくに助言することをしないアンヘリタ。
「それは、『救国の手』というテロ組織に入っている男から融通してもらったものだよ!」
「…………は?」
アンヘリタが珍しくポカンとする。
これを畏怖されていると勘違いしたニルスは、誇らしげに胸を張った。
彼女の口から飛び出してくるのは、恐怖による命乞いだろうか?
不様に謝ってくるのであれば、多少痛めつけはするものの命までは奪わないでいてやろうか……。
「阿呆か、お主」
「はぁっ!?」
しかし、アンヘリタの口から飛び出してきたのは罵倒である。
これには、ニルスも男たちもびっくりだ。
「な、何を……!?」
「いや、そんな非合法な者たちに貸しを作ってどうする。それでこの先、ずっとゆすられるやもしれんのじゃぞ? 少しは考えんか」
アンヘリタは淡々と言葉を続けていく。
「そうしてゆすられていれば、いずれ中央の連中にも感づかれる。その時、お主はどうするんじゃ? 大人しく捕まって刑を受けるような真面目な性格ではないから、おそらくは抵抗するのじゃろうが……お主一人で国に抵抗できるわけもあるまい? そうすると、またその非合法組織に助けを求めるのか? もうお主ダメじゃん」
「――――――」
あまりにも淡々と言われるので、ニルスは怒声を上げることもできなかった。
……あれ? 今まで考えていなかったが、確かにマズイ状況なのではないだろうか?
この鎖をくれたあの男だって、いったいどこまで信用できるのだろうか。
彼には彼の目的があり、その目的のために自分に手を貸しているのだとしたら……役に立たないと判断されれば、顔も知っている自分は処分されてしまうのではないか?
そういう時に頼りになるのはアンヘリタであったのだが、もう完全に敵対してしまっている。
今更以前までのような関係に戻ることなんてできないだろう。
「う、うううるさい!! 僕にはこいつらがいるんだ!! 僕が負けるわけないだろう!!」
とにかく自身を安心させるために大声を上げるニルス。
アンヘリタと彼らとでは比べものにならないことは彼にも分かっていたのだが……こうして虚勢を張っていないと、不安で押しつぶされそうになってしまう。
「ほー、こいつらがのぉ……」
無表情だが雰囲気的にせせら笑うようなものを感じて、ニルスはカッとなって護衛の男たちから引き受けた鎖を強く引っ張った。
「…………ッ」
ギチギチと、さらにアンヘリタの身体に鎖が痛々しくめり込む。
棘付きのそれは彼女の柔肌を食い破り、じんわりと血をにじませた。
「あ、あはははははははっ!! ちょ、調子に乗るからこうなったんだ! 思い知ったか!!」
「…………」
ニルスの言葉に、アンヘリタは答えない。
痛みは感じているのだが……まあ、この程度なら我慢できないこともない。
「おい、領主様。そろそろいいか?」
「え?」
「ほら、あいつを好き勝手してもいいのかって聞いてんだよ。そろそろいいだろ?」
男に聞かれて、最初は何のことかさっぱりわからなかったニルス。
しかし、男たちが情欲に濡れた目をアンヘリタに向けているのを見て、どういうことか理解する。
ニルスは彼女を見る。
今は敵対していると言っても、生まれた時から側にいて力を貸し続けてきてくれた人だ。
だから……。
「うん、いいよ。生きていることを後悔するくらい踏みにじって」
…………だからといって思いとどまるほど殊勝な性格をしているわけではないニルス。
彼の性格は酷いくらい腐っていた。
そんなことはアンヘリタも知っているので、彼が却下するわけないと思っていたが……。
「まあ、今儂は何もできんし、どうすることもできんがな……」
ちらりと鎖を見下ろすアンヘリタ。
やはり、非常に厄介なものだ。固いし、力は抜いてくるし……。
しかし、これが強く巻き付いているため、男たちも思うように乱暴することはできないだろう。
多少身体をまさぐられるくらいで、ピーピーと泣くような女でもない。
「じゃが、ずっとこれに囚われているはずもない」
アンヘリタは、すでにこの鎖をどうすれば振りほどけるか解析をはじめている。
今すぐに破壊することはできないだろうが、丸一日かければ、国宝級の武器でも彼女の力でどうにかすることは可能だ。
「じゃから、儂に手を出すのであれば覚悟しておくことじゃ。この鎖がほどかれた時、それがお主らの死ぬ時なのじゃからな。それに、楽に死ねるとは思うなよ? 儂に手を出すということはそういうことじゃ」
「…………ッ!!」
アンヘリタは大声を上げたり睨みつけたりして威圧してはない。
だが、ニルスと男たちは背筋をゾッとするようなものを感じ取った。
冷や汗を流し、思わず一歩下がってしまうような威圧感を受けたのだ。
「は……ははっ! つ、強がり言うなよ。そんなことを言うんだったら、二度と反抗できなくなるくらい痛めつければいいだけの話だろ!!」
ニルスは一瞬怖気づくが、すぐに嘲笑う。
どちらが優勢かなんて、誰が見ても明らかだ。
アンヘリタは報復を宣言したが、どうしてもダメそうだったら殺してしまえばいい。
彼女は長命であるが、不死ではない。殺す手段なんていくらでもあるだろう。
だが、それでもアンヘリタの能力は魅力的だ。事実、ニルスは彼女の力で今までやりたい放題していたのだから。
一度知ってしまった贅沢を手放すことは、なかなか難しい。
出来るのであれば再び自身に協力させたいが、どうしてもダメだったら殺してしまう。
ニルスはそのように考えていた。
「ほら! お前たちの好きにしていいぞ!!」
とりあえず、自分を救ってくれた男たちに褒美を与えることにした。
自分よりも圧倒的な女をどうしても手籠めにする気持ちはわかないニルスであるが、彼らは性欲を満たせるのであればアンヘリタでもいいようだ。
尊厳を踏みにじられるようなことは、いくら彼女でもダメージを受けるだろう。
そこで折れてくれるのであれば、こちらも願ったりかなったりだ。
そんな思惑を持つニルスの許可を得て、男たちはニヤニヤと笑いながらアンヘリタににじり寄る。
すでに、彼らの頭の中に一度気圧されたことは残っていなかった。
「ふぅ……」
今から酷い目にあうことは分かっているが、それでもアンヘリタの表情は恐怖に歪まない。
が、諦めてはいるのかもしれない。
彼女の言っていたことに嘘はない。一日かければこの鎖もどうにかできるだろうが、しかし今すぐには無理だ。
どうしようもない。これは、仕方のないことだろう。
「……あの時も、似たような感じじゃったな」
アンヘリタが思い出すのは、一人の女の背中。
魔族だとして人間に追い立てられ、今にも殺されそうになっていた自分の前に立ちはだかった美しい女の背中だ。
あの時から、アンヘリタはずっとあの人のことが好きだった。
「ま、もういないから助けてはくれんがの」
その時は今から何百年も前。あの人が再び自分を助けてくれることはない。
気持ちの悪い男たちの顔は見たくないと、アンヘリタは目を瞑って……。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
男の悲鳴が響き渡った。
アンヘリタもぎょっとして目を開けば、彼女に最も迫っていた男の腹から血に濡れた剣が突き出していたのである。
唖然としているのは彼女だけではなく、彼の仲間の男たちやニルスもである。
何が起きているのか?
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? ぼ、僕の腕がぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
そのことを誰も理解できていない間に、ニルスの細腕が見事に断ち切られてしまった。
それは、アンヘリタを拘束する鎖を掴んでいる腕であった。
「むぉっ?」
解放されたと思ったとたん、強く鎖を引っ張られて意のままに身体を動かされてしまったアンヘリタ。
そして、彼女の身体はポスリと何かに当たって止まった。
それは、人肌の温かさがあり、彼女があまり好きではない汗臭さのある男の匂いがした。
「あの……お楽しみでしたら申し訳ありません。ただ、傍から見たらあまり楽しそうではなかったもので……お邪魔でしたでしょうか?」
「……いや、よくやってくれた。心から感謝するぞ。助かったわ」
アンヘリタが顔を見上げれば、申し訳なさそうに謝ってくる男の顔があった。
おかしなことを言うので、思わず笑ってしまう。
彼女を助けたのは、利他慈善の勇者エリクであった。