第百二十八話 練習
「ふぐぐぐぐぐぐ……!」
私は歯にグッと力を入れて噛みしめ、身体の中にある力を絞り出していました。
「ほれほれ、もっと気張らんか。そんなことでは、儂を満足させることはできんぞ」
「くっ……! そ、そう言われても……ですね……!!」
アンヘリタさんの、どこか楽しげな声が聞こえてきます。
しかし、私にはまったくそれを受け流す余裕がありません。
気を抜いてしまえば、すぐに決壊してしまうことでしょう。
せっかくアンヘリタさんにお付き合いしていただいているのです。不甲斐無いところを見せるわけにはいきません。
……いえ、詰ってくれるのであれば、是非とも見せたいですが。
「あぁ……っ!?」
そんな不純なことを考えていたからでしょうか、私は我慢しきることができませんでした。
ハアハアと息を荒くして、地面に座り込んでしまいます。
「これ。まだ儂が許可を出しておらんのに……」
「申し訳ないです……」
がっくりと肩を落とします。
少しずつ保つことができるようはなっていると思うのですが……やはり、そっちの才能がないのでしょうか、アンヘリタさんとはなかなかつりあいがとれません。
年季というものも違いますし、仕方ないといえば仕方ないのでしょうが……。
「なに、見どころはある。しばらくは付き合ってやるさ。儂を連れて行ってくれるのであればな」
「恐縮です」
アンヘリタさんに頭を下げます。
まったく……彼女には感謝しかありませんね。
「しかし、無理を言ってしまって申し訳ありません。アンヘリタさんにま――――――」
私が言葉を続けようとすると、アンヘリタさんが真っ白な尾をふわりと口に巻きつけてきて言葉を発することができなくなりました。
どうせなら、顎を砕くくらい強く締め付けるか窒息させてくだされば嬉しいのですが、優しく巻かれているので白い毛がフワフワで気持ちいいです。
……しかし、何故途中で遮られたのでしょうか?
私の声が不快だったとか? それなら嬉しいですねぇ……。
しかし、アンヘリタさんは無表情のまま、柔らかそうな唇に人差し指を立てていました。
無表情ですが、どこか楽しげです。
……何でしょうか? とりあえず、アンヘリタさんの言う通り黙っておきます。
すると、彼女は何故か私の元に近づいてきて、耳元に口を寄せました。
近いですねぇ。身体が当たって何だか柔らかな感触もします。
「ああ、練習ならいつでも付き合ってやるとも。将来のためじゃからな、遠慮することはあるまい」
うーん……何だかおかしな表現ですねぇ。
そんなことを考えていると、アンヘリタさんはさらに声を潜めて……。
「付きっきりで教えてやろう。儂を練習台に、多少乱暴に扱って良いからの」
何やら色気のある声を発するアンヘリタさん。
しかし、彼女の顔が無表情で、かつ、雰囲気が楽しげなものだったので、そういう気持ちはまったく沸きませんでした。
……表情豊かで雰囲気が本気でも、私がその気になっていたかはわかりませんが。
自分で言うのもなんですが、私の性癖はドM一筋ですから。
「――――――ッッ!?」
しかし、私以外にもアンヘリタさんの声を聞いて思うところがあった人がいたようで、その人はお邪魔している彼女の住処から慌てた様子で飛び出してきました。
頬は赤いですが、顔全体を青くしているのはミリヤムです。
凄く焦った様子ですねぇ……。
「……え? あれ……エリク?」
「はい、そうですが……どうしました、ミリヤム?」
何だか憔悴した様子のミリヤムに、私は心配になってしまいます。
そういう焦り、私は大好きですが、それで彼女が弱ってしまってはいけません。
ポカンとしていたミリヤムですが、急にキッとアンヘリタさんを睨みつけました。
いけません、どうせなら私を睨みつけてほしいです。
睨まれたアンヘリタさんは、無表情で楽しそうな雰囲気を醸し出しています。
「……だました」
「何のことじゃ? 勝手にお主が勘違いしただけじゃろう」
見つめ合う……というより睨み合うようなミリヤムとアンヘリタさん。
アンヘリタさんは楽しげですが、ミリヤムは本当に不快そうです。
「お主が房中術を覚えたくないなどと言うから、代わりにエリクを鍛えてやろうと言っておるのじゃ。感謝してもいいんじゃぞ?」
「余計なお世話です。止めてください」
ぼ、房中術? 私はそんなもの、教わっていませんが。
それを覚えたところで、別にドM的に得になりませんし……。
「……エリク、何を教えてもらっていたの?」
アンヘリタさんから聞き出すことはできないと悟ったのでしょうか、ミリヤムは私に聞いてきます。
別に隠すようなことでもないので、私もあっさりと答えてしまいます。
「魔法ですよ」
「魔法?」
超常の現象を引き起こすことのできる力、魔法。
才能のある方が使える便利なもので、これを十全に扱うことができれば、私の被虐ライフにも彩が増すというものです。
こういうのは、小さなころから教育される貴族や裕福な市民が使えるのですが……残念ながら寒村育ちの私は、そのような教育を受ける機会を得ることができませんでした。
「魔法は先天的な才能がなければ扱えんがの。肝勇者は攻撃魔法には微塵も才能がない。すっからかんじゃ」
アンヘリタさんは私を見て言います。
まあ、攻撃魔法は特に欲しいと思う訳でもありませんしね。
白兵戦を仕掛けて、ボコボコにされつつ敵を倒せば満足です。
「じゃが、それ以外の魔法の才能は、そこそこあるんじゃないかの?」
「そうなの? エリク」
「ええ。そういった魔法を、アンヘリタさんから教えてもらっていました」
ミリヤムはできる限りアンヘリタさんと話したくないようで、私に確かめてきます。
防御魔法を覚えていれば、強敵と長く戦うことができ、より苦痛を得られることになります。
エレオノーラさんやガブリエルさんとの戦闘でも、もっと痛めつけてもらえるようになりますね。
何が何でもという精神で習得してみせますとも!
「さて、お主たちと共に行く前に、儂は少し出かけてくる」
「一緒に行きません」
アンヘリタさんが立ち上がり、ミリヤムが言葉にかみつきます。
基本的に住処から出てこないアンヘリタさんが、どこに行くというのでしょうか?
「どちらまで?」
「ニルスのとこじゃ。呼び出しを受けていてのぉ……。まあ、最後じゃし顔くらいは見せるつもりじゃ」
なるほど、普通は裏切った……というよりミリヤムを攫うという命令を放棄したので行きづらいと思うのですが、アンヘリタさんには関係ないようです。
豪胆といいますか……。
「……図太い」
ボソリとミリヤムが呟きます。
まあ、そう思う人もいますよね。
「アンヘリタさん、ありがとうございました」
「なに、礼など不要じゃ。代わりと言ってはなんじゃが……」
そう言って、アンヘリタさんはどこかギラリとした目を私に向けます。
正確には、私ではなく身体の一部に。
こ、これは……!
「だ、ダメ――――――!」
ミリヤムが制止の声をかける前、アンヘリタさんの白い尾が目にもとまらぬ速さで動きました。
「ごふぅっ!!」
そして、それは私の身体をあっけなく貫き、見事に肝を引き抜いていったのです。
身体に穴をあけられる激痛と肝の喪失感……やはりとてつもなく大きな快感になります!
ふっ……アンヘリタさん、見事です。
私は満足気な笑みを浮かべながら、地面に崩れ落ちました。
「だから!! 止めてくださいって言ったじゃないですか!!」
ミリヤムは怒声を上げて私の元に駆けつけてくれました。
彼女の回復魔法が発動し、私の失われた身体が回復してくると同時に、あの激痛が再び襲ってくるのです。
あぁ……! 一挙両得!!
快楽に悶える私と怒るミリヤムをまったく意に介することなく、アンヘリタさんは美味そうに肝を喰っていました。
「うむ、美味い。やはり肝勇者の肝は格別じゃ。では、行ってくる」
アンヘリタさんはそう言って、フッと姿を消しました。
私は地面に転がり血反吐を吐きながら、彼女を見送るのでした。
「……ニルスに裏切られてやられちゃったらいいのに」
私を回復してくれながら、そう毒を吐くミリヤム。
…………はっ! もしかしたら、本当にそれはあるかもしれません!
私のMセンサーが反応を見せています。
こ、これは、一刻も早く駆けつけなければ……!!