第百二十六話 ライバル
「ふぐぉっ!?」
「エリク!?」
胸を抑えて倒れこむエリクに駆け寄るミリヤム。
どしゃりと倒れると同時、だくだくと血が流れ始めた。
慌てて回復魔法をかけ始めるミリヤムは、それと同時にある女を睨みつけた。
「だから、そう頻繁にエリクの肝を食べないでくださいって言っているじゃないですか!!」
「あーん……」
ミリヤムの怒声をまったく気にせず、エリクから引き抜いた赤い肝を一口に飲み込む女。
白髪を左右で短く縛り、獣耳と複数の尾も雪のように白く美しい。
無表情だが、エリクの肝を食べるときは少し顔を緩ませる。
可愛らしいのだが、頬に付着する血液がまったくもってその可愛らしさを打ち消してしまっていた。
彼女はアンヘリタ・ルシア。白狐と呼ばれる魔族であり、つい先日はカッレラ領の領主であるニルスの命令でミリヤムを連れ攫おうとした女である。
それに抵抗するエリクと激しい戦闘を交え、もっぱら彼女が彼をボコボコにしていたのだが、結局思うところがあったようで、ミリヤムを連れ去ることはなかった。
だが……。
「いい加減にしてください! 私はあなたのためにエリクを回復しているんじゃないんです!」
「おぉぉ……っ!」
相変わらずエリクの肝を引き抜いては食べていた。
そのたびに回復しなければならないミリヤムは、ついに切れる。
彼女の回復魔法による苦痛で気持ちの悪い嬌声を上げているエリクのことにも気づかないくらい怒っていた。
「以前は二日に一回だったのに、今は毎日食べているじゃないですか! どうして増えているんですか!」
「そうは言ってものぉ……」
まず、エリクの肝がアンヘリタの口に合うということがある。
そして、あの人に似ているエリクに構ってもらいたいという気持ちも、少しあるのかもしれない。
ミリヤムのために、自身は何度も致命傷を受けてもアンヘリタに立ち向かった。
それは、かつて力も弱かった魔族の少女を、身をもって庇ってくれた彼女に重なるところがあった。
人が何度死ぬかわからないくらいの長い年月を生きてきたアンヘリタは、自身の求める人物に似ているエリクと何かと関わっていたいのだ。
このように会話できるのも、彼がここにいる間だけなのだから。
「……いや、儂も付いていけばいいか」
「何恐ろしいことを言っているんですか!?」
うんうんと頷くアンヘリタ。
そうだ、別にここに縛り付けられる理由もあるまい。
確かに、あの人の子孫がいるが……あの人とはかけ離れた性格のニルスが今の領主だし、積極的に力を貸したいとは思えない。
どちらかといえば似ているのはエリクの方だし。
それに、あの人への義理立てという観点から見ても、もう十分にしただろう。
彼女が死んでから、何百年もこの地に留まって彼女の子孫を手助けしてきたのだ。
今まではとくにやることもなかったため、この地に残ってニルスの手助けをしてきたが……。
今は、エリクという興味深い対象について行った方が面白そうだ。
「うむ、ついて行けば、いつでも極上の肝が喰えるしな」
「ダメです!!」
自身の考えに満足そうに頷くアンヘリタに、ミリヤムは怒鳴る。
普段感情を表に出すことが少ない彼女がこれほどコロコロと表情を変えているのは、エリクとデボラの前くらいである。
エリクの時は笑顔、デボラの時は怒りという違いはあるが。
「なんじゃ、回復。お主が決めることではないじゃろう? 肝勇者が決めることじゃ」
「き、肝勇者!? そんな酷いあだ名をつけていて、どうして連れて行ってもらえると思っているんですか!?」
「大丈夫じゃ。なんかいける気がする」
「はぁ!?」
まったく根拠のないことを言うアンヘリタに呆れるミリヤム。
少なくとも、彼女はこの肝食い白狐を連れて行くつもりは毛頭なかった。
アンヘリタが図星をついていて、ドMのエリクが嬉々として受け入れるであろうことは、彼女たちは知らなかった。
アンヘリタは何となく野生の勘で受け入れられることを悟ったようだったが。
「というか、どうしてお主がそんなに強硬に反対するんじゃ?」
「そ、それは……」
じっと感情を灯さない目に見据えられて、ビクッと身体を震わせるミリヤム。
だが、ここは退いて良い場合ではないことは分かっていた彼女は、グッと脚に力を入れて立ち止まる。
「アンヘリタさんがエリクを害することが目的だからです。私は彼のパートナー……彼に苦痛を味わわせる存在を、受け入れるわけにはいかないからです」
確固たる意志を感じさせる強い目を、アンヘリタに向ける。
じーっと覗き込んでくる彼女に負けないように、ミリヤムも力を込めていたが……。
「……ふむ、確かにそれはお主の想いじゃろうが……それだけではないな?」
アンヘリタの言葉にうろたえるミリヤム。
それ以外の想い? そんなもの、あるはずがない。
自分は、ただエリクに普通の人の幸せを享受してほしいだけで……。
「儂を連れて行きたくない理由……なるほど、ライバルが増えると思うておるのか? 儂が肝勇者をとると? お主、肝勇者に惚れておるのか?」
「なっ!?」
楽しげな雰囲気を醸し出したアンヘリタと対照的に、ミリヤムは一気に顔を真っ赤に染め上げた。
「ななななななななな……っ!?」
壊れた魔道具のように言葉を繰り返すミリヤムに、アンヘリタはニヤリと口角を少しだけ上げる。
「そうかそうか、心配か。儂が肝勇者を籠絡してしまうのではないかと危惧しておるのじゃな?」
「そ、そそそそんなわけ……!!」
「照れるな照れるな。お主らの年齢で好いた惚れたは当然あることじゃ」
うんうんと勝手に納得するアンヘリタに怒鳴りたいが、口はあわあわと思ったように動いてくれなかった。
ちらりとエリクを見降ろすが、彼は今も肝を抜かれた痛みと回復魔法の苦しみで悦んでいた。
「大丈夫じゃ、安心しろ。まだ肝勇者は恋愛対象ではないわ」
「そ、そんなこと気にしてないで…………まだ?」
アンヘリタの言葉に聞き逃せない単語があったような気がした。
ぎょっとして彼女を見れば、相変わらずの無表情で何でもないように口を開いた。
「それはそうじゃろ。未来に何があるかわからんのじゃからな。今は惚れるようなことはないが、もしかしたら肝勇者が儂の好みに近くなるやもしれん。そうなったとき、多少の火遊びくらいはあるじゃろうて」
「…………ッ!?」
言葉を発することができなくなるミリヤム。
どうにも、自分と彼女では恋愛観みたいなものがかけ離れていた。
そんな男女の付き合いを火遊びと称することなんて、ミリヤムにはできなかった。
まあ、それもそうだろうと冷静な部分が訴えかけてくる。
アンヘリタは自身の何倍、何十倍と長い年月を生きてきているのだ。
そりゃあ、男を見る目も変わってくるだろう。
「別に、お主もそこまで心配することはないじゃろう。お主もなかなかに美人さんじゃ、自信を持て」
「うっ……。で、でも、エリクの周りは私よりも綺麗な人ばかりで……」
急に励まされて何だかほだされてしまい、ついついそんなことを口走ってしまうミリヤム。
しまったと思うが、もう戻すことはできない。
しかし、少し焦っていることも事実なのだ。
まだ自分よりも小さいデボラは大丈夫……だと思うが、彼女も可愛らしい。性格に難はありまくりだが。
ミリヤムが今脅威に感じているのは、エレオノーラとガブリエルである。
両者ともに大人の女であるし、容姿やスタイルも非常に整っている。
彼女たちもまた加虐性と戦闘狂という、それぞれ難のある性格をしているのだが、それにさえ目を瞑ってしまえば、人柄なども悪いわけではない。
それでも、エリクが彼女たちを煩わしく思っているのであればそれほど気にする必要はないのだが、どうにも優しい(と思っている)彼は彼女たちを笑顔で受け入れているのである。
デボラのわがままを受け入れ危険な冒険に付き添い、エレオノーラの加虐性を抑えるために手甲でぶんなぐられ、ガブリエルの戦闘欲を抑えるためにボロボロになるまで戦い……彼女たち全てを受け入れてしまっているのである。
それこそ、目の前のアンヘリタも肝を喰うというとんでもないことさえ受け入れてしまっている。
だからこそ、彼女たちはエリクに寄り添おうとするのだろうが……。
「なんじゃ、お主より美人が肝勇者に侍っておるのか。人畜無害そうに見えて、案外やる男なのか。……しかし、お主も顔は良いしスタイルもそこそこ、性格も良ければそう負けることはないじゃろ。まあ、儂には負けるがな」
「…………」
自信満々に胸を張るアンヘリタを、冷たい目で見るミリヤム。
まあ? 確かに見た目やスタイルの良さは負けているかもしれないが?
少なくとも、人の肝を無理やりかっさらって食い散らかすような女に性格で負けているとは到底思えなかった。
しかし……厚そうな黒い着物を着ているくせに、大きなふくらみを予感させる曲線を描くアンヘリタの胸……妬ましい。
「仕方ないのぉ。そんなに自信がないのであれば、つければいい。儂が房中術を教えてやろう」
「…………は?」
アンヘリタを睨みつけていたミリヤムは、素っ頓狂な声を出してしまう。
房中術?…………房中術!?
「ど、どうして!?」
「男を捕まえる手段は、別に見た目だけじゃなかろう。胃袋を掴むだとか、肝を掴むだとか……あとは、身体に溺れさせるとか」
「肝を掴むは聞いたことない!」
そう言って逃げ出そうとするミリヤムであったが、アンヘリタの白い尾に捕らえられてしまう。
ふわふわの感触に少しほっこりするミリヤムだが、すぐにマズイ状況にあることを思いだして逃げ出そうともがく。
だが、非戦闘員の彼女に抜け出す力なんてあるはずもなく、あっけなくアンヘリタの元へと運ばれてしまった。
「ひっ!?」
そして、いきなりガッツリと尻を掴まれる。
「ふむふむ、案外肉付きは良いではないか。これなら、丈夫な子を産めるじゃろうて」
「ちょっ……!?」
尻を撫でまわされる感覚に背筋を凍らせたミリヤムは抗議をしようとするが、続けて胸に手を回されて声なき悲鳴を上げる。
「ほほう! 胸も儂ほどじゃあないが、なかなか大きいではないか。うむうむ、これなら肝勇者も女を感じるじゃろう」
「ひぃぃぃ……っ!」
乳房をぐにぐにと揉みまわされて悲鳴を上げるミリヤム。
自身の胸が良いように弄ばれるのを見ながら、案外自分もあるんだなと思いつつ抵抗する。
なるほど、周りのエレオノーラやガブリエルが大きいために相対的に小さく見えていたが、平均よりは大きい方のようだ。
なお、デボラは当然に除外される。
「よしよし、これくらいの土壌があれば、房中術を覚えれば男を手玉に取ることができよう。儂がみっちり鍛えてやる」
「い、いらない!!」
わきわきと手を卑猥に動かすアンヘリタを見て、必死に拒絶するミリヤム。
当然、それが通じることはない。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
ミリヤムにとって幸いだったのは、最も見られたくないエリクがドM的な快楽で意識が朦朧としていたことだろう。