第百二十五話 あの人
「おや……」
見慣れた天井が目に映りました。
ここ数週間、ずっと過ごしていた場所です。
ここは……アンヘリタさんの住処ですね。
「……ふっ、流石はミリヤム、回復は万全のようですね」
起き上がると、痛みなどは一切感じませんでした。
私はかなりアンヘリタさんに痛めつけられましたし、普通の人なら数か月は痛みに苦しむくらいの怪我だったはずなのですが……。
……ミリヤムのおかげで私はMを謳歌することができているのですが、少しだけ普通の人が羨ましいですね。
しかし、私はどうしてここにいるのでしょうか?
最後にアンヘリタさんの元へともっと石の弾丸の威力を上げるために向かっていたはずなのですが……結局届かなかったような気がします。
「……はっ! ということは……」
私はハッと気が付きます。
そう、私は負けました。その事実にはビクンビクンします。
しかし、私の敗北が意味することは、すなわちミリヤムが連れ攫われたということです。
こ、これは急いでニルスの元に向わなければなりません。
おそらく、そこにはアンヘリタさんもいるのでしょう。
よし、もっと痛めつけてもらい、そしてミリヤムを救いだしましょう!
私が色々な決意を確かなものにして、寝床から起き上がろうとすると……。
「む? 起きたか」
いつも通りのアンヘリタさんがやってきました。
彼女は私の近くに座り、じーっと見つめてきます。
……あれ? 何ですか、この状況?
どうしてアンヘリタさんがここに? ニルスの元にいるのでは?
「ふむ……相当痛めつけたのじゃが、身体に異常はないの。回復の魔法は、やはり異質なまでに精度が高いの」
「ええ。ミリヤムには何度も助けられました」
私はミリヤムが褒められるのが嬉しくなり、そんなことを言ってしまいます。
そう、彼女の回復魔法は、それこそ聖女として世界中の人々から褒められてしかるべき能力を持っているのです。
ただ、副作用として猛烈な激痛も付いてくるというだけで……それくらい、喜んで引き受けるべきだと思いますが。
「そういえば、そのミリヤムですが……」
「安心しろ。あれは儂の負けじゃ。回復はそこで寝かせておる」
アンヘリタさんの指さす方を見れば、確かにミリヤムが眠っていました。
頭の中がいっぱいになっていましたので、気づくことができませんでしたねぇ……。
ミリヤムの目は赤くはれ、また隈ができていました。
「あやつ、お主のことを寝ずに看病しておってな。流石に一日中泣きながら看病されるのも気が滅入るので、無理にでも寝かせてやったわ」
「そうですか、ありがとうございます」
ミリヤムが泣いたのはあなたが私をボコボコにしてくれたせいだと思うのですが……まあ、私は嬉しかったので咎めることはありません。
それに、彼女は優しいので、私が起きるまでずっと看病していれば憔悴してしまっていたことでしょう。
多少荒っぽくても、アンヘリタさんには感謝です。
「ですが、何故ミリヤムを連れて行かなかったのですか? いえ、私は嬉しいのですが……」
私はアンヘリタさんに問いかけます。
私をボコボコにしてミリヤムをニルスの元に連れ攫おうとしていたのに、言っていることとしたことがまったく合っていません。
できれば、厳重に迎撃の用意を固めたニルス邸に突入し、かなりの苦痛を味わいつつ救出したかったのですが……。
「お主は似ておった」
「はい?」
「自身がどうなろうとも、隣に立つ者を守り抜く。それは、あの人に似ておった」
あの人……アンヘリタさんが特別視している人のことでしょうか。
どうにも人間という種族を見下していた傾向が見て取れた彼女ですが、その人にだけはそのような感情は見せていませんでしたね。
「ああ、勘違いするなよ。容姿はあの人の方がお主よりもよかった。お主も整っておるが……儂の好みではあの人なのじゃ」
「はあ……」
とくに私は自身の容姿が優れているとは思っていませんが……しかし、何だか勝手に比べられて下だと見なされるのは興奮します。
「まあ、ともかく昔のことを思いだしてしまってな。お主にあの人のことを重ねてしまっては、もう攻撃できんわ」
そう言ってため息を吐くアンヘリタさん。
しかし……そうですか。もう攻撃してもらえないんですか。
ミリヤムを連れ攫われずに済むというのはありがたいのですが、攻撃してもらえないのは寂しいですねぇ……。
「ですが、大丈夫なのですか? 私たちを助けるために、領主であるニルスに逆らうなんて……」
「なに、あの人の子孫だから手助けしてやっていたまでのことじゃ。儂が一方的に助けておるのじゃから、一方的に打ち切っても構わんじゃろ」
アンヘリタさんは、ニルスの下ではないということですね。
うーむ……それも少し残念です。
「そう言えば、お主らは調査に来たとか言っておったの? あれは話してくれんのか?」
そう言って私を見つめるアンヘリタさんの目は、私たちを探ろうとするものではなく、ただ純粋な疑問を尋ねているようでした。
断っても別に構わないという雰囲気を醸し出していますが……まあ、今更隠すようなことでもないですし、話してしまいましょう。
もう敵にはならないようですし。
そう考えて、私はアンヘリタさんに今回の調査の件を話しました。
「ふむふむ、テロ組織のぉ……」
「何かご存じですか?」
「いや、知らん。ニルス個人には興味がないし、人間の国がどうなろうと知ったことではないからの」
なかなかに辛辣です。
しかし、アンヘリタさんから情報を得られないというのであれば、やはり直接話してみないとダメでしょうか?
子供を蹴り飛ばそうとしたことから、善良な男ではないことは分かっているのですが……。
「じゃが、何やら怪しい人間と通じているのは確かじゃな。女を神隠しさせた後、都合の良い人形にするためにそのつてから得た薬を使っておるようじゃし……。まっ、興味ないがの」
ニルスにもっと興味を持たれるような魅力があれば、アンヘリタさんから聞き出せたかもしれませんでしたが……そもそも、そんな魅力があったら私たちを見逃してくれることもなかったでしょうから、文句は言えませんね。
「どちらかといえば、やはり儂はお主に興味があるぞ」
じーっと私を見つめるアンヘリタさん。
「なるほど、お主が噂に聞く勇者であったか。王女を逃がすために一人で軍勢に立ちふさがったとか、アマゾネスの闘技場に放り込まれて女王を撃破して脱出したとか……所詮誇張された噂話と思っておったが、案外間違いではないようじゃな」
いえ、色々と誇張はされていると思いますよ。
軍勢……ビリエルの私兵団はそんな大層なものでもありませんでしたし、女王……ガブリエルさんは撃破したというより勝ちを譲ってくれたみたいな感じでしたし……。
くっ……どうせなら、ないことばかり噂していただければ快感ですのに……!
「勇者、か……。ならば、肝勇者じゃな。うむ、この呼び方の方がいいな」
そう言ってうんうんと無表情で頷くアンヘリタさん。
肝勇者……キモ勇者……。
「うっ……」
「うん? どうした? 傷が痛むか?」
「いえ、問題ありません」
ふぅ……何だかいきなり罵倒されたように聞こえて、思わず快楽を得てしまいました。
しかし……ふっ、あだ名みたいなものだとしたら、これからアンヘリタさんに呼ばれるたびにキモイと言われるわけですね? 興奮します。
「そう言えば、あの人とはどのような関係だったのですか?」
私がそう問いかければ、ピクッと身体を震わせました。
私のことをじーっと見つめてくるので、怒らせてしまったかとワクワクしていたのですが、ため息を吐いて口を開きました。
「……まあ、お主になら教えてもいいじゃろう。そこそこ気に入っておるしな」
アンヘリタさんはそう言って話しはじめました。
「といっても、別に大したことはない。昔、儂が人間に惚れて、愛し合ったが捨てられたというだけの話じゃ」
ふっと遠い目をするアンヘリタさん。
……なるほど、正直恋愛経験なんて微塵もないので、彼女の気持ちはまったくわかりません。
しかし、大切に想っていた人に捨てられるということは……かなりきつそうで羨ましいです。
「それでも、憎んではいないんですね」
私がそう言えば、キョトンと目を丸くするアンヘリタさんでしたが、ふっと息を吐き出しました。
「どうだかの。憎んだり恨んだりはしておらんが……裏切られたのは事実じゃしの。彼女にはな」
私は捨てられたら大喜びしますけどね、ドM的に。
…………。
「…………あれ?」
今、おかしなことをアンヘリタさんが言いませんでしたか?
……『彼女』? い、いや、愛し合ったと言っていましたし……聞き間違いでしょうか?
「えぇっと……あの人というのは女性だったのですか?」
「そうじゃが?」
何を言っておると言わんばかりに私を見るアンヘリタさん。
いえ、私が聞きたいんですよ。
「アンヘリタさんも女性、ですよね……?」
「見れば分かるじゃろう。着物の上からではわかりづらいか? なかなかのものじゃぞ」
そう言いながら、黒い服の上から胸をたぷたぷと揺らすアンヘリタさん。
それはそうですよね。今更アンヘリタさんが男性だと言われても、私も困惑してしまいます。
なるほどー、つまり……。
「女性と女性のカップルだったんですね」
「悪いか?」
「いえ」
無表情なのに物凄い圧を感じました。
くっ……! とっさに答えてしまいましたが、悪いと言ってボコボコにしてもらえばよかったです……!
「くっ!! 急に好きな男ができたとか言って結婚しおって……! 男のどこがいいんじゃ! 奴のどこが良かったんじゃ! 儂の方がよかったじゃろう! お主も『アンヘリタ以外いらない』などと言っておったではないか……!!」
慟哭するアンヘリタさん。
無表情も崩れて、怒ったり悲しんだりと元気です。
アンヘリタさんの人間嫌いって、その人が自分を置いて男性と結婚したことが原因だったんですね……。
裏切ったというよりか、卒業したと言った方がいいのでは……。
「くそぅ……くそぅ……」
しかし、私にSの気はありませんので、悲しんでいるアンヘリタさんにそのようなことを言うつもりは毛頭ありませんでした。
「うぅん……うるさい……」
アンヘリタさんが大きな声を出してしまったので、ミリヤムが起きてしまいました。
さて、まずはミリヤムに感謝を伝えるとしましょうかね。