第百二十四話 見捨てない人間
「ま、まさか……」
「そう。石を弾いただけじゃ。それでも、儂の尾で強く叩いてやれば、人が投げるようなものとは比べ物にならんがな」
アンヘリタは弾丸のように石を弾くことによって、エリクの身体を傷つけたのだ。
尾よりも小さいため、その弾を見ることはほとんどできない。
硬さも十分であり、一般人とそう変わらない身体であるエリクを痛めつけるには十分なものであった。
これには、エリクもニッコリである。
「ほれほれ。鉱山や岩山ほどではないが、ここにも石ころはそれなりに転がっておるぞ。弾は尽きることはないな」
「ぐっ……! がっ!? うぎっ!? げほっ!!」
アンヘリタは絶え間なく石ころを弾き続ける。
九本の尾をうぞうぞと蠢かせ、まるで何十人もの人が一斉に石を投げつけているかのように連続させる。
エリクは剣を構えて防ごうとするが、そもそも身体全てを覆い隠せるほど大きくはないため、彼の身体には次々に石が激突し、血と悲鳴が飛び出す。
それでも、直撃すればさらに危険な頭部を守りきっているのは、流石だとアンヘリタは感心した。
「まあ、しかしそのままじゃと死ぬぞ、お主」
絶え間なく打ち込まれる石の弾によって、エリクの全身から血が噴き出している。
出血量もそうだが、打撲によるダメージなども非常に大きい。
痛々しいあざになっているところもあるし、もしかしたら骨にひびなどが入っていることだってあるだろう。
このままじゃジリ貧。そんなことは、エリクが一番分かっていた。
「(このどうしようもない状況で一方的に攻撃を受け続ける……それも乙なものですが……)」
しかし、性癖を満たし続けていてはいけない。
ここで負ければ、大切なパートナーであるミリヤムを連れ攫われてしまうのだから。
「ぐぅぅ……っ!!」
エリクは防御のために剣を構えることを止めて、アンヘリタに向かって猛然と走り出した。
「むぉ? その判断ができるのは凄いのぉ」
アンヘリタは感心したように呟きつつ、それでも石を弾くことは止めない。
「ぐっ! ぎっ……!」
バスバスと、エリクの身体に猛烈なスピードで弾かれた石が直撃していく。
腹部などの柔らかい場所に当たれば身体を抉られて血が噴き出すし、脚などの硬い場所に当たれば骨にひびくような打撲となる。
苦痛を受ければ人は躊躇してしまうもので、アンヘリタに近づけば近づくほどそのダメージや苦痛も大きくなる。
そうなれば、多くの人が彼女の元に近づくことを諦めてしまう。
また、脚を何度も貫かれたりぶつけられたりすれば、痛みから脚をもつれさせて倒れこんだっておかしくないのだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
しかし、それでもエリクは歩みを止めなかった。
目に強い光を宿し、多少速度を緩めながらも、しかし着実にアンヘリタに近づいていく。
「……ここまでして、か。それでもなお、お主は回復を守ろうとするか」
エリクの惨状は、見るのもはばかられるようなほど酷い。
全身から血を噴き出しているし、不死スキルがなければとっくに死んでいてもおかしくない。
ミリヤムが涙を流しているのを見れば、彼の怪我のひどさが分かるだろう。
だが、彼女もエリクを止めることはできなかった。
彼がこんなにも酷い惨状になりながらもアンヘリタに立ち向かい続けているのは、他でもないミリヤムのためなのだから。
……とアンヘリタと彼女は思っているが、不純な動機が多くを占めていることは誰も知らない。
「……気に食わん。儂の時は見捨てられたのに、どうしてお主らは……!」
この時、初めてアンヘリタが憎々しげに顔を歪めた。
普段は喜怒哀楽を露わにしなかったため、表情を変えたその姿はとても新鮮で、そして衝撃的だった。
アンヘリタはその怒りを表すように、最後に残っていた石を全力で弾いた。
それは、目にもとまらぬ速さで突き進み……。
「エリクッ!!」
凄まじい音と共に、エリクの頭部にぶち当たったのであった。
前に向かってひたすら突き進んでいた彼の身体が、初めて止まった。
頭部に受けた凄まじい衝撃のせいで、大きく身体をのけぞらせる。
頭部に、攻撃を受けてしまった。
今までエリクが全身に弾丸を受けながらも頭部だけは守っていたのは、そこに攻撃を受けると身体を思うように動かすことが困難になるからである。
脚や胴体の激痛程度なら、気合や根性でも動かすことができる者はいるだろう。
だが、頭部への攻撃は脳を揺らすことになり、簡単に人を動かせなくする。
しかも、とくに今回の攻撃は強烈だった。
地面に転がった石ころには、べっとりと血が付いていた。
いや、血だけではない。少量の肉と髪の付着した皮もへばりついていた。
そのおぞましい石を見て、ミリヤムは何とかこみあげてくるものをこらえることに成功した。
「じゃが、これで終わりじゃ」
アンヘリタはいつもの無表情に戻っていた。
人間として驚異的な粘りを見せたエリク。それは称えられるべきことだ。
だが、所詮そこまでだ。彼の手はアンヘリタには届かない。
これでいい。これで、自身と同じ結末が……。
そう思って倒れているであろうエリクを見ようとして……。
「…………馬鹿な」
呆然と呟いた。
エリクは倒れ伏しているはずだ。力なく全身を地面に横たえ、意識を失っているはずだ。
いや、命を落としてもおかしくないようなダメージを与えたはずだった。
それなのに……。
「何故まだ立っておる」
エリクは倒れていなかった。
大きくのけぞらせた身体をまた戻し、ふらふらとアンヘリタに歩み寄り始める。
もう、先ほどまでのように走ることはできていなかった。
しかし、それでも一歩一歩、着実にアンヘリタに近づいていく。
彼の身体の傷は、目を背けてしまいたくなるほど酷いものだった。
全身は弾丸のように弾かれた石のせいで、出血は酷いしアザもできている。
そして、最も酷い傷だったのが、頭部の傷であった。
アンヘリタが力を込めて弾いたこともあって、最早致命傷と言えるほどの大怪我であった。
大量の血はだくだくと流れて顔の半分を赤く染めているし、抉られた肉や皮膚ごと削られた髪があった。
そんな大怪我を負っていても、エリクは歩いていた。
「……もはや、意識も朦朧としているではないか」
エリクの瞳に輝く光はなかった。
ぼんやりと濁っている。それでも、彼はアンヘリタへと向かって行くのだ。
「も、もういいよ。私が行けば……もうエリクを傷つけなくて済むんだったら……」
ミリヤムは涙を流していた。
自分は傷一つついていない。だが、心が何度も鋭利な刃物で突き刺されているように痛んだ。
エリクの痛みは、自分の痛みでもあるのだ。
自分がニルスの元に行けば済む、なんて安易な考え方はするべきではないと思っていたし、実際に思っていたからしなかった。
だが、大切に想っているエリクの惨状を見てしまえば、そんな考え方も変えてしまいたくなる。
「馬鹿もん。そんなことしていいわけないじゃろう」
しかし、そんなミリヤムを止めたのはアンヘリタであった。
彼女は感情を感じさせない無表情なのだが、ゆっくりと近づいてくるエリクを穏やかな雰囲気で見つめていた。
「男が女のために絶対に勝てない戦いに赴いているのじゃぞ? 女のお主が先に諦めてどうする? 男は諦めておらん。なら、女はそれを待たねばならん。それこそ、肝はお主のために戦っておるのじゃからな」
「で、でも……!!」
「肝はスキルもあって死なんじゃろ。無論、精神的な死はあり得ることじゃが……。であるならば、お主がするべきはこやつの回復よ。決して儂に連れ攫われることではない」
ミリヤムはアンヘリタの雰囲気が変わっていることに気が付いた。
どこか冷たく、憎々しげな雰囲気を醸し出していた彼女。
だが、今はどこか穏やかというか、柔らかい印象を与えるものだった。
「ミ……リヤムは……い、行かせま……せん……」
エリクはブツブツと絞り出すように、そんな言葉を吐いた。
ミリヤムはさらに涙を流す。
そして、ついに彼はアンヘリタの前にたどり着いたのであった。
プルプルと震える腕で、剣を掲げようとする。
だが、もう剣を持ち上げる力すら残っていなかった。
「もう良い。儂の負けじゃ」
アンヘリタはそう言ってエリクの肩をたたいた。
意識が朦朧としている中でも、彼女の声が聞こえたのだろうか、彼はそこで糸が切れたかのように力を失い倒れこむのであった。
「エリク!!」
「おっと」
ミリヤムは慌てて駆け寄るが、とてもじゃないが間に合わない。
しかし、エリクの身体が地面に叩き付けられる前に、アンヘリタが自身の尾で彼を優しく抱き留めたのであった。
血で汚れることをいとわず、包み込むように巻きつける。
攻撃する時のように鉄みたいに硬くなく、柔らかい感触にエリクは内心不満を覚えつつ、意識を失うのであった。
「……肝は最後まで見捨てなんだか。こういう人間も、いるんじゃな」
過去を否定されたように感じるが、何だか気持ちは晴れやかであった。
ニルスに協力できなくなってしまったが……まあ、いいだろう。
あの男よりも、こちらの男の方が魅力的だ。
アンヘリタは駆け寄るミリヤムを見ながら、ふぅっと息を吐くのであった。
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