第百十八話 掘り出し物
「エリク……!!」
エリクから肝を抜き取った後、今度は女の乱入者が現れた。
なんだ、ああいう男にも、女は寄ってくるんだなとアンへリタは考える。
しかし、今はそんなことはどうでもいい。
「おぉ……」
アンへリタの目は、エリクの肝に吸いつけられていた。
赤黒く、しかしそれをおぞましいとは思えず、美しいとすら思える。
見ているだけで……匂いを嗅ぐだけでよだれが垂れそうになる。
この時ばかりは、普段は無表情のアンヘリタでも目を輝かせていた。
近くまで持ってきてまじまじと見て、そして大きく口を開けて一口に肝を食べてしまった。
「うん……うん……」
ぐちぐちと口内でエリクの肝を噛みしめ、目を閉じながら味だけを楽しむ。
今は、他のことは考えなくていい。
退屈だとか、つまらない男に絡まれただとかは、頭から追い出してしまう。
ただ、エリクの肝の美味さを楽しむ。
「ふぅ……」
ごくりと喉を鳴らし、名残惜しそうに肝を飲み下したアンヘリタ。
口元に付着した血液を長い舌でペロリと舐め上げると……。
「――――――美味い」
恍惚とした表情でつぶやいた。
頬を赤く染め、目はだらしなく蕩け……先ほどまでの無表情が嘘のように顔を緩ませていた。
見ているだけで、ゾクゾクするような色気が醸し出されている。
無表情の時は幻想的な美しさがあったが、今はどこか下卑た美しさがあった。
「あぁ、あぁ……こんな美味い肝は久しぶりに喰ろうたわ。いや、もしかしたら初めてかもしれんな」
あの人の肝なら、エリクよりも美味かったかもしれないが、結局喰うことはなかった。
当然だ。肝を喰われてしまったら、人は死んでしまうのだから。
恋していたあの人を殺そうとは、とても思うはずもなかった。
「街に降りてきて得られるものは何もなかったと思っておったが……こんな肝を喰えたんじゃ。あと十年は退屈を我慢して生きていられそうじゃ」
満足気に頷くアンヘリタ。
まあ、無表情は崩れなかったが。
「うん?」
アンヘリタの目は、魔法を使う女――――ミリヤムに向けられた。
彼女の涙に濡れた目は、敵意を強くにじませたものであった。
しかし、アンヘリタにとって彼女の敵意はまったくもって脅威になりえない。
それよりも彼女の興味を引いたのは、ミリヤムが回復魔法を使っていたことだった。
「無駄じゃぞ、若い女。傷程度なら治せるじゃろうが……人間に失った臓器を回復させるような力はあるまい? いや、時間をかければできるやもしれんが、今すぐにというのは不可能じゃろう? そやつはもう手遅れじゃ。直に死ぬ」
鬱陶しい男たちであったが、ミリヤムのことは殺そうとは思わなかった。
圧倒的な力を振るった自分に対して、男が傷つけられて強く睨みつけてくる彼女。
男がどんな存在だったか知らないが、随分と懐かれていたようだ。
大切なものが奪われて怒りを覚えるということは理解できる。
美味い肝が喰えたこともあり傍からは分からないが上機嫌だったアンヘリタは、ミリヤムを見逃して森に帰ろうとしていたのだが……。
「ぐっ……あぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」
「ぬぉ!?」
ガハッと血を吐いて苦しみ始めたエリクを見て、アンヘリタは驚いたように目を丸くした。
ミリヤムはその悲鳴に身体をビクッとさせるが、それでも回復魔法の光を止めることはなかった。
「なんと……まだ生きておったか。肝を抜かれて生物は生きていられるはずはないのじゃが……」
悲鳴を上げながら身体を蠢かせるエリクを見て、アンヘリタは驚く。
よく見ると、ミリヤムが回復魔法をかけやすいように、のた打ち回るのを何とかこらえている。
「それに、女の回復力も凄まじい。副作用は……苦痛か? いや、しかし肝をこれほどの短時間で回復させることができるとすれば、それはとてつもないことじゃ……」
興味深い視線はミリヤムにも向かう。
アンヘリタの嗅覚は、エリクの肝が無から生まれてくることを察していた。
それは、エリクの力ではなく、間違いなくミリヤムの力であった。
また美味そうな匂いが漂ってくる。
「……くくっ」
この時、アンヘリタは初めて小さくではあるが笑った。
幻想的な雰囲気から、少し緩んだ美しい雰囲気へ。
「面白い……面白いぞ。これは、掘り出し物を見つけたの」
アンヘリタの目は、鋭くエリクとミリヤムを捉えていた。
肝を抜かれても死なない男と、失った肝をも回復することができる女。
こんな面白い存在は、今まで長く生きてきた中でもほとんど見られなかった。
それこそ、あの人に匹敵するやもしれない。
「街に降りてきたのは失敗だったと思っておったが……いやいや、大成功じゃ。今日、この時に降りてこなければ、儂はこれからもずっと退屈に過ごし、暇に殺されていたやもしれん」
アンヘリタはそう独り言をつぶやいて、エリクとミリヤムの元に向かった。
エリクもすでに回復したのだろうが、しかし肝を抜かれたという事実はあるので、青白い顔をしながら彼女を見上げてきた。
彼の隣に侍るミリヤムは、圧倒的な力の差があると知りつつも自身を睨みつけてくる。
その跳ね返りの強さも、また面白かった。
先ほど、男が自分に背を向けて逃げ出したことも関係あるだろう。
「のう、お主ら。儂と一緒に来んか?」
アンヘリタの唐突な提案に、ポカンとする二人。
それも当然の反応だろうと頷く。
そして、エリクにどこか艶のある声音で呟くのであった。
「お主、少し儂に肝を定期的に喰わせてくれんかのぅ?」
◆
助けに入った女性に身体を貫かれて臓器を引き抜かれて貪り喰われたと思っていたら、定期的に臓器を差し出すことを請われてしまいました。
……なんですか? この素晴らしき理不尽は?
今朝の私にこのことを教えてあげたとしても、「こんな美味しいことなんてあるはずがない」と鼻で笑っていたことでしょう。
しかし、これは現実です。
目の前で、無表情ながらもどこか楽しそうな雰囲気を醸し出す女性が、私を見下ろしてきます。
「……何言っているんですか? 頭おかしいんですか? 私たちから……エリクから離れてください」
二つ返事で「はい」と返答しそうになったのですが、それよりも先にミリヤムが激しく拒絶しました。
おぉ……こんなに強い拒絶の色を見せるのは久しぶりです。
「……なんじゃ。お主、やはりこの男に惚れておるのか?」
「は、はぁっ!?」
唐突におかしなことを聞かれて、ミリヤムは頬を赤くして反応します。
ははっ、まさか。ドMに惚れる女性がどこにいますか。
「ふむふむ。想い人を傷つけられれば、女も怒るわな。儂もあの人を傷つけられたことを想像するだけで、ムッとするわ」
「…………ッ!」
女性はうんうんと頷きながら納得していると、ミリヤムは口をパクパクさせます。
……ムッとするだけで済まないような気がするのですが。
私も臓器引き抜かれましたし。
「じゃが、お主の回復魔法の効力は素晴らしい。それがあれば、その男は回復し続けることができるじゃろ? 美味い肝が、無尽蔵にあるというわけじゃ」
……私の肝は食用ではないはずなのですが……しかし、こういう理不尽も興奮します!
「儂はずっと退屈でな。暇に殺されそうになっていたんじゃ。じゃが、お主らがおれば紛れそうじゃ」
「……それは、エリクのき、肝を食べて……」
「うむ。それもそうじゃが……お主らに興味もあってな。お主らと会話をしているだけでも、随分と楽しくなりそうじゃ。死なない男に驚異的な回復魔法を使える女……うむ、やはり面白そうじゃ」
私たちに興味深そうな目を向ける女性。
その目はどこまでも澄んでいて、不思議な感覚に陥ってしまいそうになります。
「な? 肝を喰うのはできる限り我慢しよう。儂と一緒に少しの間過ごしてくれれば、それでよいのじゃ。な?」
「誰が……」
女性の言葉に、またもやミリヤムが否定の言葉を発しようとします。
しかし、ドMの私にとって、この勧誘は爵位を与えると言われるよりも魅力的なものでした。
「良いでしょう」
「エリク!?」
「おぉ、そうかそうか」
私の言葉に、驚くミリヤムと嬉しそうに頷く女性。
まさに、正反対の反応ですねぇ。
「ど、どうしてこんなバカげた提案を受け入れるの? エリクは臓器を抜かれたんだよ? それに、これからも食べるとか言っているし」
うぷっと気持ち悪そうにしながらも、ミリヤムが問い詰めてきます。
……苦痛が快楽だからです、とは言えませんしねぇ。
どんな言い訳にしようかと悩んで……。
「この惨状を見てください、ミリヤム」
私は、死者に力を借りることにしました。
「この女性は退屈だと言っていました。そして、このような凄惨な殺害を行っています」
「で、でも、それはこいつらも悪そうだし……」
ミリヤムは死体を見ないようにしながら言います。
まあ、グロイですからね。
「ええ、今回はまあ良しとしましょう」
普通は良しとはしませんが。
「しかし、もし女性の退屈の我慢が限界にきてしまった場合、今度は罪のない人々が惨殺されてしまう可能性もあるということです。それだけの力が、この女性にはあるのです」
「うっ……」
「私でその暴挙を食い止めることができるのであれば、私はこの身体を張りたいと思います。それが、勇者としての責務でしょう」
……適当なことを言っているようですが、これは事実です。
民たちに不条理な暴力が襲い掛かるのであれば、私は必ずこの身を挺して快楽を引き受けましょう。
これは、硬く決意しています。
「……自分にも優しくしてって言ったばかりなのに」
「すみません。しかし、私にはあなたが必要なのです。どうか、お付き合いをお願いします」
「…………ッ!」
拗ねた様子のミリヤムに、私は頼み込みます。
自己回復能力がない私には、ミリヤムの強力な回復魔法は必要不可欠ですからね。
彼女の性格もきつかったら、言うことはなかったのですが……残念ながら、彼女は他の人では見られないくらい優しい子です。
今回、女性は定期的に肝を喰いたいとおっしゃっています。
それは、ミリヤムの力がなければ達成できません。
「……エリクの側にいて手助けするのは、あの時から決めていたからいいけど。でも、肝を喰われるのはできる限り避けて。私が回復するのが、あいつが食べるためっていうのが嫌」
あの時……私たちが故郷を出たときのことでしょうか。
そう言われると、嬉しいですねぇ。
私としては、毎日女性に肝を引き抜かれて食べられたいのですが……ミリヤムに頷いておきます。
なに、あちらから強要してきたら断らなければいいだけの話です。
「では、儂の住処に行く前に、お主らの名前を聞いておこうか」
「エリクと申します」
「……ミリヤム」
女性に対して簡単な自己紹介をします。
ミリヤムは不機嫌そうでしたが、女性はそんなことを一切気にしない様子で、無表情で頷きました。
「そうか、よろしく頼むぞ、肝に回復」
……おやおや? 名前を紹介した意味はいったい……?
しかし、肝ですか。食糧としか思われていないようで……興奮します……!
ミリヤムの視線はさらに冷たくなりましたが。
もはや、デボラに向けている時並かそれ以下の冷たさです。
そんな視線を何ともせず、女性は自己紹介をしてくれました。
「儂はアンヘリタ・ルシアという。少しの間、儂の退屈を慰めてくれ」
そう言って、アンヘリタさんは口角を少しだけ上げるのでした。




