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第百三話 忘れないで

 










 ガブリエルは夜の闘技場を歩いていた。

 夜は静かなものだが、この闘技場では屈強で悪い男たちの寝床となっているので、それはもういびきが凄かった。


 耳を塞ぎつつ、しかしこんないびきの大合唱なのであれば、自分の足音も消してくれる。

 別に、後ろめたいことをしようとしているわけではないから、見つかってもいいのだが……。


「でも、アンネとかに見つかると面倒くさそうだしな……」


 妹はキラキラと目を輝かせてついて来そうだ。

 今日は、一人で彼の元に行きたい。彼女についてきてもらうわけにはいかないのだ。


 もしかしたら、彼とこうして話せるのもこれが最後になるのかもしれないのだから。

 いびきの音が聞こえにくくなる。剣闘士たちの部屋から少し離れたのだ。


 そして、この近くにはけが人を安静にさせる部屋があった。

 そこに、ガブリエルの目的の人がいる。


「お邪魔しまーす……」


 ゆっくりと静かに扉を開ける。

 その部屋のベッドにいるのは、エリクであった。


 他にも、彼の仲間だというデボラや、あまり性格の合わないエレオノーラも眠っていた。


「……ガブリエルさん? どうかされましたか?」


 そして、エリクは幸いにして起きていた。

 自身の腹を枕にして眠っているミリヤムの頭を撫でながら、不思議そうにこちらを見てくる。


 柔らかい笑みを向けてくれることに、どこか胸がほわっとするのを実感しつつ、ガブリエルは話しかける。


「いや、少し二人で話がしたいと思ってさ。今、大丈夫? 眠くない?」

「ええ、眠れなかったもので。ここでは人が眠っていますから、外に行きましょうか」

「うん」











 ◆



 部屋からこっそりと抜け出す二人。

 と言っても、闘技場の中は剣闘士たちのいびきが凄まじく、静かに話すには適さない場所だ。


 そこで、二人がやってきたのは……。


「ここですか……」

「そっ。夜は静かでいいでしょ?」


 それは、日中剣闘士たちが血と汗を流しながら戦う闘技場の観客席であった。

 普段はアマゾネスたちで埋まっている場所も、人のほとんどが寝静まった今は誰もいなかった。


 適当な場所に、エリクとガブリエルは並んで座った。

 ガブリエルはエリクの横顔を見る。


 その穏やかな表情は、あまりにも苛烈で恐ろしい戦い方をする者とは一致しなかった。

 自分がどれだけ傷つこうとも、血を流そうとも、敵になお進んでいくその姿とのギャップは、彼女の胸を少し高鳴らせた。


「それで、お話とは?」

「あー、うん。そうだね……」


 不意にこちらを見られて、少しドキッとする。

 褐色の肌でよかった。暗い今は、頬が赤くなっていることが見えにくいだろうから。


「実は、話さないといけないことがあったわけじゃないんだよね」

「そうなんですか?」

「うん、そう。あたしがエリクくんと話したかっただけだから」


 恥ずかしそうに頬をかきながら言うガブリエル。

 エリクがキョトンとしているのが、何だか恥ずかしくなってしまう。


「ほら。エリクくんはここから出ていくでしょ? そうしたら、もう今までみたいに気軽に話をすることもできない。だから、今のうちに、ね?」

「なるほど……」


 うんうんと頷くエリクを見る。

 彼も寂しいと思ってくれていたら嬉しいのだが……さて、どうだろうか?


 戦士の集まるアマゾネスの街までわざわざ乗り込んで、強硬的な手段を使っても救いだそうとする女性たち。

 彼女たちがエリクに恋をしているか、それは分からないが、助けに来ている以上少なくとも悪くは思っていないだろう。


 しかし、彼はあまりそれに気づいた様子はなかった。

 そのことを考えると、エリクは女性の気持ちには疎いのかもしれない。


「では、まずは感謝を。ガブリエルさん、ありがとうございます」

「えっ? ど、どうしたの?」


 頭を下げてくるエリクに驚くガブリエル。

 感謝されるようなことなど、しただろうか?


「私のお願いを聞き入れてくださったこと、感謝しています」

「あー……」


 お願い……エリクとユーリたちの解放のことだろう。

 だが、彼の感謝は見当違いと言わざるを得ない。


「いや、それはエリクくんが自分の手で掴みとったものだから、あたしにお礼を言うことじゃないよ。君は、自分のことを誇らしく思って胸を張っていればいい」


 そう、自身を含むアマゾネス三人を倒すことができたのは、彼だからこそである。

 それに、自分は手加減をしたわけではない。本気で戦った。


 それでも彼は勝ったのだから、感謝されるようなことではないのである。


「それに、元はといえばあたしの馬鹿な妹が悪いんだから」


 てへっと舌を出すアンネを思い浮かべるガブリエル。

 何度もげんこつを落としたが、エリクが優しい勇者でなければ殺されていても不思議ではない。


 戦闘種族の闘技場に放り込まれ、命がけの戦いを強要されるのである。

 戦闘大好きなアマゾネスでも、音を上げてしまう者は多いだろう。


「そう、ですか。では、改めて感謝を」

「だから、お願いを聞くのはエリクくんの……」

「ああ、いえ。それではなく」


 首を横に振るエリクに、不思議そうな顔をするガブリエル。


「私の部屋に何度もお見舞いに来てくれたこと、です。嬉しかったです」


 ふっと笑うエリクに、ガブリエルはまたもやドキッと胸を高鳴らせる。

 血沸き肉躍る激しい戦いでのみ高揚するものだとばかり思っていたが……気に入っている男と話すだけで、似たような感覚に陥ることもあるのだなと思った。


 しかし、エリクが見舞いに行っていたことを嬉しく思っていてくれたことに、ガブリエルはまた嬉しくなってしまった。

 自分がエリクと会って楽しかったように、彼も自分と会って楽しく思っていてくれたのだ。


 思わず頬がにやけてしまう。


「ふふっ。あたしがしたかったことだからさ、別にいいんだよ」


 ガブリエルはそう言って、観客席から立ち上がり、闘技場を見下ろした。

 幾人もの屈強な男たちがぶつかり合う場所。


 そして、今日ここでガブリエルとエリクは素晴らしい血みどろの戦いを繰り広げたのだ。


「凄かったね、エリクくん。あたしに臆さず、立ち向かって……最後には勝っちゃうんだもん。あたし、負けるつもりはなかったからビックリしたよ」

「ハンデがなければ、私はなすすべなく負けていましたよ」


 無残な敗北も、一度味わわせてもらいたい。エリクは言葉を飲み込んだ。


「それでも、だよ。君は立派にあたしと戦って、勝ったんだ」


 エリクはどうにも自己評価が低いらしい。

 ガブリエルは、彼自身が言っていることなのに、少しムッとしてしまった。


 再び闘技場に目をやれば、あの時の情景が思い浮かんでくる。

 大地が揺れるほどの大歓声。それらが向けられているのは、楽しげに笑って戟を振るうガブリエルと、血みどろになりながら目の光を弱めないエリク。


 素敵な思い出だ。女王になって自分を殺してから、一番楽しい時間だった。


「あー……楽しかったなぁ」


 だからこそ、エリクがここから出ていき、自分の元からいなくなってしまうことが、たまらなく悲しい。

 ずっと、ここにいてくれたらいいのに……。


 しかし、それは無理な話だ。彼はヴィレムセ王国の勇者である。彼の助けを必要としている人々が、まだ大勢いるのだろう。

 それでも、エリク自身がそれを止めたがっているのであれば、ガブリエルは彼を受け入れるのだが……彼自身は人助けを進んでするだろう。


 アマゾネスと連戦しなくても、自分だけだったら闘技場から抜け出すことができたのに、ユーリたちのためにわざわざ残って命を懸けた戦いをしたのだから。

 そういう男なのだろう、エリクという男は。


 そして、アマゾネスである自分が惹かれた男というのは、まさにそれであった。


「ね。近くに寄って良いかな?」

「ええ、構いませんが……」


 ガブリエルは承諾を得ると、エリクのすぐ隣の席に腰を下ろした。

 男とこんなに接近するのは初めてである。もちろん、戦いを除けばだが。


 らしくなくドキドキしてしまうことに、自嘲する。


「(……ええい、頑張れあたし! このまま帰られたら、あたしのことなんてすぐに忘れられちゃうぞ!)」


 アンネやカタリーナならうまいことするのだろうが……彼女たちに負けるわけにはいかない。

 ガブリエルは心を決めると……。


「おや?」


 エリクの肩に頭を預けたのであった。

 ぴゃぁぁぁぁぁっと内心祭り状態になるガブリエル。


 一方、エリクはミリヤムやデボラ、最近ではエレオノーラもスキンシップをとるようになっていたため、とくに動揺することはなかった。

 彼が普通の性癖であったならば、ガブリエルの美貌も相まって胸をときめかせただろうが……業の深い性癖を持っている彼はまったく鼓動を速めなかった。


 むしろ、いきなりビンタをされていた方がドキドキしていただろう。


「あ、あのさ」

「はい」

「できればでいいんだけど……あたしのこと、忘れないでほしいんだ」


 エリクの服に顔を埋めながら、掠れるような小さな声で呟くガブリエル。

 顔を上げることはできない。


 エリクがどんな顔をしているのか見るのが怖いし、それに、赤くなっている顔を見られるのは嫌だ。


「これから、君はアマゾネスの街から出ていく。あたしとも、そう簡単に会えなくなる」


 彼の身体に顔を埋めながら話していると、自然と彼の匂いが鼻から入ってくる。

 不快な匂い? いや、なんというか……良い匂いだ。


 汗と血と泥の匂いが、まだかすかに残っている。

 それは、自身との戦いの名残で……彼にこの匂いを発させたのは自分であって……。


 そう思うと、何だかいつまでも嗅いでいたくなる匂いだ。


「あたしは、エリクくんのことを忘れない。あの鮮烈な戦いは……あたしと正面から戦った男のことは、忘れることはできない」


 匂いにやられてか、頭がフラフラしてくる感じがした。

 しかし、嫌ではない。今は、この勢いに任せて、言いたいことを全て言ってしまおう。


「だから、エリクくんもあたしのことを忘れないでほしい。だとしたら……とっても嬉しいから」


 静かな夜の闘技場で、ガブリエルは自身の想いを伝えた。

 最後の言葉から、しばらく静かな時が流れて……。


「忘れませんとも」


 エリクはそう答えた。

 ガブリエルは顔を上げて彼を見る。


 彼はうっすらと笑みを浮かべていた。


「確かに、私はヴィレムセ王国の勇者でデボラの忠節の騎士です。ここにずっといることはできません。ですが……」


 彼は闘技場を見下ろす。


「ここで(身体に欠損が生じるほどの苛烈なボコボコを受けることができた)良い経験をしました。また、(闘技場で遊ばれに)来たいと思います」

「……そっか」


 闘技場。ガブリエルはそれほど思い入れのない場所ではあるが、また来てくれるというのであれば嬉しい限りだ。

 しかし、理由が自分ではないことが少し不満である。


 それは、またエリクの匂いを嗅いで誤魔化そうとして……。


「それに、ここには(私を圧倒的にボコしてくれる)素晴らしい人がいますからね」

「えっ……」


 反射的に顔を上げれば、ニッコリと微笑むエリクの姿が。


「また遊びに来ます。あなたに会(って闘技場で嬲ってもら)うために」


 カッと頬が赤くなるのが自覚できた。

 豊満な胸の内では心臓が高く鳴っているし、全身が熱くなる。


 それを誤魔化すために、エリクの身体に抱き着いて匂いを嗅いだ。

 逆効果かもしれないが……しかし、心地いいのだから仕方ない。


「うん、待ってる」


 夜空には月が穏やかな顔を見せており、普段は喧噪のある静かな闘技場。

 そこで、男と寄り添って秘密の約束を交わすのは、アマゾネスの女王と王国の勇者。


「(何だか、凄いことをしている気がするなぁ)」


 そう思いつつも、決して嫌ではないガブリエル。

 彼女は、もう少しエリクの温かさと匂いに触れ合うのであった。



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