第一話 不死の勇者
彼の目に映るのは、剣や槍などの武器を持って圧倒的優位を確信し、これから弱者をいたぶろうとする貴族の私兵たちの姿であった。
何十人、何百人といる嗜虐的な笑みを浮かべる私兵たちの前に立つのは、彼ただ一人である。
隣に立つ者は誰もいない。
後ろには細い道がつながっていたのだが、今は逃げることを禁じるように瓦礫が積みあがっていた。
「哀れだな」
私兵たちの前に立つ中年太りの男が、そう彼をあざ笑う。
「利他慈善の勇者よ。お前がどれほど尽くそうと、王族というものはお前をこんな所に置き去りにするような連中なのだ。たった一人にしんがりを任せる……それは、お前に死ねと言ったようなものだ」
男の言葉に、利他慈善の勇者と呼ばれた男の手がピクリと動く。
反応を示すことに気を良くした男は、ニヤリと笑う。
「お前は、騎士のように生まれながらに国に仕えるような出自ではなく、農民の出だろう? そんなお前に、国のため、王族のために死ねというのは、あまりにも酷な話じゃないか」
まるで、劇場の演者のように身振り手振りを交えて話す男。
自分自身に酔っているようだ。
「私の元に来るがいい、勇者。そして、私の国盗りに手を貸せ。そうすれば、その苦痛から解放されるだろう」
手を差し出す男。
勇者と呼ばれた彼は、その提案を……。
「お断りします」
至極あっさりと切り捨てた。
まったく悩む様子を見せなかったので、これには男もポカンとしてしまう。
「な、何故だ!? お前、しんがりとしてたった一人でこれだけの数を食い止めろと言われているんだぞ!? 死刑宣告よりむごい話だぞ? それなのに……そこまでして王族に忠誠を尽くすというのか……!?」
「いえ、勘違いされているようですが……」
勇者は苦笑する。
「これは、私から申し出たことでして、決して王子や王女に命令されたわけではないんです。私がやりたいから、私はここに立っているんです」
こうして死地に立っているのは、決して王族のせいではなくあくまでも自分の意思。
死を目の前にしても王族のことを思いやるその高潔な思想に、敵であるはずの私兵たちは思わず唸ってしまった。
「ぐっ……! 愚か者め! ならば、ここで死ぬがいい! やれ!!」
『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』
男の命令に従い、私兵たちが一斉に勇者に襲い掛かった。
その光景は、まさに圧巻であった。
屈強な男や女たちが、一斉にたった一人を殺そうと怒声を上げて向かってくるのである。
そんな見るだけで心が折れてしまいそうな絶望的な光景を目の当たりにしても、彼はうっすらと微笑んで剣を構える。
「(苦痛から解放? ……そんなの、願い下げです!!)」
本性の知られていない勇者は、また高潔な人だと勘違いされながらも、向かい来る多数の私兵たちに立ち向かう。
これは、少し未来の出来事であった。
◆
『キシャァァァァァァァァッ!!』
「くっ……!」
人間の声とはかけ離れた怒声と共に振り下ろされた剣を、私は必死に受け止めました。
その力も凄まじいもので、つばぜりあっているというのにどんどんと押し込まれていきます。
それも、無理はない話でしょう。
私は一部を除けばごく普通の人間。
相手は人間とは種族の異なる異形の存在、魔物であるのですから。
魔物、リザードマン。
二足歩行をするトカゲ、爬虫類のような見た目であり、厄介なのは人間から奪ったであろう武器を自在に操ることです。
このリザードマンもまた剣と盾を持っています。
いったい、どのような人から奪い取ったのでしょうか……そして、その奪い取られた人はどのような目にあったのでしょうか。
自分がそうなると想像するだけで……興奮しますね……。
「うぅっ……!」
ついに押し込まれた剣が、私の身体を傷つけました。
肩の皮膚を破った剣は、私に血を流させます。
ふっ……たまらないですね……っ!
『キシシシシ!』
リザードマンも嬉しそうに嗜虐的な笑みを浮かべます。
ふっ……ウィンウィンということですね?
しかも、この魔物は弱者をいたぶることがお好きのようで、わざと傷口を開けるように剣をグリグリとひねってきます。
ろくに手入れもされずに錆びついているので、痛みもまた増大……っ!
私の喜びも増大……っ!
「エリク……っ!」
ミリヤムが悲痛に私の名前を呼びます。
彼女から見れば、私は魔物に追い詰められて苦しそうにしているのでしょう。
私の性癖を知らないのだから、私が悦んでいるということも知らないのです。
本当はもう少しリザードマンにいじめられたいのですが……。
「頑張って……っ!」
ミリヤムが本当に悲しそうに私を見つめてくるので、このくらいで満足することにしましょう。
「はぁぁっ!!」
『ギシャァァァァァァッ!?』
精一杯力を込めてリザードマンの剣を弾くと、私はさらに追撃。リザードマンの胴体を鋭く斬りつけました。
ここはそれほど強い魔物がいないこともあって、このリザードマンはその一撃で沈んでくれました。
「エリク、大丈夫……?すぐに手当て……」
ミリヤムがこちらに駆け寄ってきます。
彼女はとても優しく、いつも私のことを案じてくれます。
それが、たまに私の性癖にとって障害になるのですが、彼女は完全な善意で助けようとしてくれるのです。
拒むことなど、できるはずもありません。
私は剣を収めながら彼女を迎え入れようとすると……。
「ミリヤムっ!!」
「え……?」
こちらに駆け寄ってくるミリヤムの後ろに、もう一体のリザードマンが現れたのです。
彼もまた剣を持ち、ギラリと光らせています。
その敵意に満ちた目から、彼女に何をしようとしているのかは一目瞭然です。
そもそも、ミリヤムは戦闘ができない子です。
だから、私が声を上げても彼女はリザードマンを倒すことなどできず、せいぜい気づいて後ろに振り返ることしかできなくて……。
「ふっ……!」
そして、その状況を私は求めていたんです!
私はミリヤムの名を呼びながらも、すでに彼女たちに向かって走り出していました。
今から剣を抜く?
いえ、剣を抜きながら走ると、もともとは素人であった私は少し走る速度が落ちるでしょう。
そして、その遅れはミリヤムにとって致命的なものとなります。
彼女は私にとってかけがえのない存在です。彼女を失うことは、決してあってはならないことです。
故に……。
「あ、ぁ……ひっ……!」
私はその身を、ミリヤムとリザードマンの間に投げ入れたのです。
リザードマンの振るう剣が、私の身体を斜めに切り裂きます。
幸い、剣の技術は大したことがないので、私は身体を真っ二つにされるという惨劇を免れることができました。
しかし、切り裂かれた傷は決して浅くなく、血がとめどなく溢れてきます。
おっふ……。
「くぅ……っ!!」
おっふ……危ない、危ない。
思わず、歓喜の嬌声を上げてしまうところでした。
私は歯を食いしばって快楽に耐えます。
「はぁぁっ!!」
『ギャァァァァァッ!!』
そして、無防備になっていたリザードマンを切り捨てます。
どうやら、彼らはそれほど経験を積んでいないタイプらしいですね。
リザードマンは、経験を積んで強者との戦いを続けていれば、下手をすれば騎士にも相当する力をつけてしまうといいますしね。
私も適度に傷つけられて、良い相手でした。
「うっ、ぐふっ……」
軽く吐血します。
普通の人なら重傷ですが、私にとっては大したことはありません。
この、血が失われていく感覚というのも……なかなか乙なものですね。
激痛に浸っている私の元に、ミリヤムが駆け寄ってきます。
彼女の性格的に、これほど活発な動きをするのは苦手でしょうに……ありがたいですねぇ。
「エリク……。ごめんね、私のせいで」
「い、いえいえ……」
シュンと落ち込んだ表情を見せる彼女に、私は慌てて首を振ります。
正直、あなたも助けられて私も快感を得られて……一石二鳥だったんです。
無論、こんなことを伝えるわけにはいきませんが。
……さてさて、もう一つ快楽をいただきましょうか。
「み、ミリヤム……。先に回復をお願いします……」
私がミリヤムに頼むと、彼女は小さく顔を歪める。
ふっ……本当に優しい子ですね……。
「う……で、でも……私の回復魔法は……」
「だ、大丈夫です。お願いします……」
私が頼み込めば、少しの間逡巡していた彼女は決意の表情を浮かべる。
実際、私が負っている怪我も、かなり酷いというわけではありませんが、このまま放っておけばマズイことになるのは明らかなものです。
……まあ、私なら大丈夫なのですが、優しいミリヤムなら黙って見ておくなんていうことはできないでしょう。
「う、うん……」
私の予想通り、彼女は頷いてくれました。
そして、彼女は私の患部に手をやり、温かい魔力を流し込み始めます。
これこそが、戦闘ができないミリヤムが私と共に旅をしている理由の一つでもある、回復魔法です。
私の傷が塞がっていく……と同時に、私に激痛が襲いかかってきます。
きましたぁっ!これです!
「ぐっ、あぁぁぁっ……!!」
「え、エリク……」
泣きそうな……瞼に目をたっぷりと浮かべて私を心配してくれるミリヤム。
えぇ、大丈夫ですよ。私の性癖がある限り。
しばらく痛みと快楽に悶えていると、私の傷が完全にふさがりました。
ふぅ……素晴らしい回復魔法でした……。
傷の治す速度と完成度、そして痛みの両方が、ね。
「うっ、ぁぁ……ふぅ、ふぅ……」
もっとしてほしいと思わないでもないですが、これ以上求めると本当にミリヤムが泣いてしまいそうなのでやめておきます。
性的に落ち着くためにも、息を整えます。
「ご、ごめんなさい。私、全然役に立たなくて……」
何を言っているのでしょう。
ミリヤムの回復魔法のおかげで、私はさらなる快感をいつも得られているというのに。
「ふふっ、何を言っているんですか。いつも、助かっていますよ」
「うん……」
そう、感謝こそすれど、彼女に対して怒りなんて覚えたことなど一度もありません。
私のスキルでは傷ついた身体まで治すことはできませんからね。
ミリヤムの回復魔法ほど、私に合うのはないでしょう。
……よし、そろそろ時間も稼げましたし、動き始めるとしますか。
「さて、そろそろ歩きましょうか。遅れたら、どんなことをされるかわかりませんからね」
「……うん」
コクリと頷くミリヤム。
もうすでに遅れ気味ですから、何かされることは明白なんですけどね。
しかし、私にとっては望むところなのです。
「さあ、行きましょう。目指すは王城ですよ」
私とミリヤムは遠くにうっすらと見える巨大な城を目指して歩み始めます。
ふっ……あそこでどのような理不尽なことを受けられるのか……。
想像するだけで、興奮してきます。