エピローグ
エピローグ
潮気がきつい為か風に叩かれる度肌がべたつき、天より落ちてくる陽光は東域よりも眩しいものだなと、スヴェンソンは気候の変化に幾分戸惑っていた。波が押し寄せては返すその音を楽しんでいたのも束の間、スヴェンソンの下に、はた迷惑な事態を告げるであろう足音が近付いてきた。
息急き切って浜辺へと駆け込んで来たのは、農作業着姿の若い女と神官服を着込んだ老婆で、若い方が村の危急を声高に叫んだ。
「スヴェンさん!今度は海賊です!どこぞの騎士崩れかと思うんですが、向こうの浜に集団で上陸しようとしていて!」
「・・・・・・はあ。別段僕は村の用心棒というわけではないのですけど。直ぐに行くから、皆を外れまで避難させてください」
「はい!宜しくお願いします!・・・・・・銀髪の星術士様が今も逗留されていたなら、スヴェンさんにばかりご負担をお掛けしないで済みましたのに」
「南域から来て西域に旅立った女性のことですよね。・・・・・・分かりましたから、早く皆を!」
(全く!ここの領主は一体どうしているんだ?いくら域内で抗争しているからって、賊に易々と上陸を許すなんて)
愚痴をこぼしつつも、スヴェンソンは腰に差してある結界剣の重さを確かめ、左二の腕あたりをさすって体の調子を確認した。野良の亜獣や野盗といったレベルの敵であれば、常識外れの星力を使いこなすスヴェンソンの敵ではなかった。
全力で取って返して行く農婦の後ろ姿を目にしたスヴェンソンは、彼女の丸味を帯びた肢体に一瞬だけ最愛の女性たちを連想し、ぶんぶんと頭を振って思考をクリアにした。
プリ・レグニア海の全域においては昨今、治安が急速な悪化を見ていた。それは中央域で頭一つ抜け出た大国・シルフィール守護王国のお家騒動に端を発していた。
シルフィールの現国王に対し、前王の弟であるレグニア侯爵が反旗を翻したもので、プリ・レグニア海に散らばる小国家群をも巻き込んで内戦とでもいうべき状態に移行していた。戦乱の煽りを受けて滅亡した領邦の元軍人や傭兵の一部が野盗・海賊と化し、魔獣と共に近海を荒らして回った。
事はそれだけに止まらず、中央域を囲むような布陣で五匹もの神獣が同時に降臨したものだから、プリ・レグニア海はかつてない狂騒に包まれていた。
(こんな苦労を背負い込むと分かっていたなら、ファラさんに付いていけばよかったかな。こうも毎回修羅場に駆り出されていたんじゃ、腰を据えての神獣の調査なんて出来たものじゃない。シルフィールから俸給まで貰って来ているのに、これではどうにもバツが悪い・・・・・・)
「・・・・・・スヴェンソン様。毎度申し訳ございません。星術を修めていながら、私が不甲斐ないばかりに・・・・・・」
老婆は平身低頭、スヴェンソンに対して謝意を示した。とはいえスヴェンソンは、七十を越えているであろう神官を戦場に出せと要求するほどに鬼ではなく、却って恐縮する他なかった。
スヴェンソンは砂浜に下ろしていた荷を担ぎ直し、いつでも行軍可能な体勢を整えて、老神官に声を掛けた。
「大丈夫ですよ。ただの賊なら、僕の星術で打ち払って見せます。もっとも、以後の平穏までは約束出来ませんが」
「神獣が現れてからこのかた、プリ・レグニア海ではあちこちの交易船が航行を自粛してしまいました。外部からの支援も難しい環境だというのに、ここいら一帯はどうなってしまうのでしょうか・・・・・・」
「・・・・・・僕はシルフィールから派遣されて、その神獣の様子を調べに来たのですがね。現れたきり全く動きを見せないという神獣の真意を」
「こんな時、姉がいてくれたら・・・・・・」
「お姉さん・・・・・・ですか?」
スヴェンソンは急いでいる筈ではあったが、老神官の立ち居振る舞いを見ているとどうにも無視出来ず、自然と会話を続けてしまった。
「はい。プリ・レグニア海の全域で長年、無法者を取り締まる活動をしていたのです。しかし、このような戦乱が始まって、彼女はやる気を無くしてしまいました」
(・・・・・・自警団的な組織の一員であった、といったところか?でもこの女性の姉なら、相当に高齢な筈。参謀役か、はたまたサポート職で従事していたのだろうか)
老神官の姉という見ず知らずの者に思いを馳せていたスヴェンソンであったが、そんな彼の意識は近付く馬蹄の響きで現実へと引き戻された。気付いたのも束の間、砂地を強引に掛けてきた騎馬の隊列が、スヴェンソンと老神官を直ちに取り囲んだ。
スヴェンソンは左手で腰の結界剣の柄を掴み、派手に動かず星力を流し込んだ。もし騎馬の隊列が攻撃を仕掛けてきたなら、老神官と自分とを巨大な盾で守るという寸法であった。
包囲の列から一騎が前に進み出た。それは鎧姿の女騎士で、剣先をちらつかせてスヴェンソンへと威嚇の色濃い問いかけを発した。
「卿ら、どうにも怪しい組み合わせだな。何者か名乗りなさい」
「・・・・・・ご挨拶ですね。僕らはここらの村の者です。むしろ、あなたたちの方が不審者にしか見えない」
「スヴェン様・・・・・・」
喧嘩腰な応答をするスヴェンソンに、自重を望む老神官が声を震わせて寄り添った。騎馬の数はちょうど十騎であり、スヴェンソンは相手が数を頼みに星力を展開せず、反撃に対して無警戒である点を見抜いていた。そのため、いざ戦闘が開始されても十分切り抜けることは出来ようと算段をつけていた。
女騎士は、そんなスヴェンソンの心中を知ってか知らずか、兜を脱いで小脇に抱え、律儀にも名乗りを上げた。
「小官はデボラ・バニシング。銀杏士団の監察位にある者だ」
「バニシング・・・・・・!あの、パウロ・バニシング様の、妹君でいらいっしゃいますか!?」
老神官は驚きの声を上げ、目を丸くしてデボラ・バニシングの素顔を見つめた。肩までの栗色の髪はよく手入れがなされていて美しく、デボラの眉目秀麗たる様はスヴェンソンの視線をも引き付けた。
「パウロ兄様とは、血の繋がりはないがな。一応、義妹ということになる」
「・・・・・・それで、バニシング家の御方が、何故このような辺境に?それに、銀杏騎士団というのは一体・・・・・・?」
スヴェンソンは傍らの老神官の反応から、進み出てきた女騎士が中央域の名士であることと、どうやら所属騎士団は無名であるらしき点を学習した。
「バダン男爵に仕える騎士団、それが小官ら銀杏騎士団である。そして、この界隈はバダン男爵が領有を宣言しておられる故、視察に参った次第である」
「バダン男爵様が・・・・・・」
老神官の戸惑いの声は、またかという諦念を多分に含んでいた。中央域諸国において領有地争いが活性を見ており、いつでも貴族の勝手によって市民生活が右に左にと揺さぶられていた。
スヴェンソンは村の現領主を別名で聞かされていて、成る程この手合いが続発するものかと些かげんなりさせられた。しかしながら、自分は村に義理があるわけでもなく、どうせなら海賊退治に利用できないかと考えを巡らせた。
「監察さん。ここから丘を挟んで向こう側の浜に、ちょうど海賊が上陸しかけています。僕らは、それを迎撃に行くところだったのですよ。ここら一帯があなたがたの領有下だと言うなら、海賊を追い払う手伝いをしてはいただけませんか?」
「何だと?それは構わないが・・・・・ということは、卿はそのなりで戦うつもりであったと?・・・・・・されば、星術士であるな?」
デボラの端正な顔に陰りが差し、スヴェンソンは自分が猜疑を抱かれたものと察した。
「隠し立てはしません。ですが、詮議は海賊を追い払った後にしていただきたい。事は時間を争います。村民に待避指示は出しましたから、現場に急行しなければ・・・・・・」
「・・・・・・むう。承知した。賊に領地を荒らされたとあっては、バニシングの家名も泣こう。バダン男爵より預かったこの銀杏騎士団の力を世に知らしめる良い機会でもある。同行しよう」
(世に知らしめる?まさか、この十騎が銀杏騎士団とやらの全戦力ではないだろうな・・・・・・。プリ・レグニア海域でバダンなどという大貴族の名は聞いたこともないし、果たしてどれほどの勢力なのやら)
老神官に道を尋ね、デボラは麾下の九騎を先行して向かわせた。スヴェンソンがそれを徒歩で追おうとしたところ、デボラから自分の後ろに騎乗するよう打診がなされた。
デボラを今一つ信用していないスヴェンソンが眉を顰めて忌避する素振りを見せると、デボラは屈託のない笑顔を作って言った。
「よくよく見れば、卿の容姿はたいそう小官好みであるのだ。我が夫以上の素材ということでもあるし、どうだ?小官の小姓を勤めては見ないか?バニシング家の者は皆、放蕩に至極寛容故、情人の一人や二人公になっても気にせぬ」
「・・・・・・なにを、馬鹿な」
「卿の腰元の一振り。業物と見たがもしや、かの名匠クナイによって打たれた剣ではあるまいか?奇遇にも、小官が持つこの剣もそうだ。クナイ作の魔剣アガリアレプト。義兄から譲り受けた逸品だが、これで不埒な魔獣を数限りなく滅ぼしてきた」
デボラの発言を受けたスヴェンソンの驚きは決して小さくなかった。デボラが剣の目利きに精通していること。それに加えて、クナイが打った剣を所持しているからには、彼女が相応の実力を有している可能性が高いと思われたからである。
(・・・・・・でも、生前のクナイさんは、聖剣・魔剣の類なんて全て眉唾な話だと言っていた。達人であれば剣の銘など気にせず、どんななまくらでも敵を斬って捨てる、と。・・・・・・魔剣アガリアレプト。どんな力を秘めた剣なのだろうか?)
デボラはにやりと口の端を歪め、スヴェンソンの胸中に起きたであろう化学変化を楽しんでいた。デボラは結界剣がお披露目された場に偶然居合わせたもので、当時は東域のとある騎士団に遊学していた。彼女はその折りに聞かされたクナイの説明を忘れてはおらず、どうにも使い勝手が悪そうな剣をこうして所有している者と出逢えたことに、運命に近い何かを感じていた。
(アレは星力が弱ければ盾としての意味を為さぬし、防御一辺倒だとあっという間に息切れする。曲がりなりにもそれが分かって使いこなしているならば、この青年はただの星術士ではない)
デボラは決してスヴェンソンの見た目だけを贔屓して誘惑したわけではなかった。彼女は彼女なりの見分でスヴェンソンの能力を見極めたもので、特にきな臭い時勢においては優秀な星術士は引く手あまたと言えた。
「情人でなくとも協力者という関係から始めてみても良い。クナイ作の剣を手にする卿の能力に、小官は興味がある。この魔剣の曰くについても、知りたかろう?」
「・・・・・・僕は、方々に居座る例の神獣について調べている。その一助となってくれるのであれば、一時的に協力するのもやぶさかでない」
スヴェンソンは敢えて手の内を明かして迫った。彼が神獣調査の段取りを詳しく定めていなかったことは事実であるし、銀杏騎士団が貴重な情報を持っているなり調査の助けになるなりするのであれば、それと引き替えにしばらくデボラに付き従うくらいは許容範囲であると思われた。
この時のスヴェンソンは、確かにそう思ったのである。
デボラはうんうんと頷き、「それであれば話が早い。乗れ」と言って、馬上よりスヴェンソンの手を強引に取った。女の細腕に似合わぬ力強さで引き上げられ、スヴェンソンはデボラの背後へと騎乗されられた。
「出すぞ。まずは、海賊退治からであろう?」
「・・・・・・頼む。僕はスヴェンソン。東域からの流れ者だ。クナイさんとは、もしかしたら義兄弟になるかもしれない間柄だった」
言って、スヴェンソンはデボラの背に隠れて寂しそうな表情を作った。デボラはそれに対してリアクションをせず、「せいッ!」と気合いの発声をして手綱をさばいた。
二人を乗せた騎馬は砂地をものともせずに疾駆し、浜辺からなだらかな丘陵へと抜けて行った。それを無言で見送っていた老神官は、皺だらけの顔に深い憂いを湛えて独り言ちた。
「守護騎士の血脈が<始祖擬体>に引き寄せられたものか。はたまたその逆か。これで中央域の夜明けが近付くと良いのだけれど。・・・・・・姉さん。そろそろ重い腰を上げないと、ラグの坊やが何かしでかす前に、世界が次の選択を済ませてしまうわ・・・・・・」
魔獣と滅びゆく世界の戦記
本章第二部「狂姫乱舞し、終わりの鐘を鳴らす」
完
(本章第三部「迷い咲く徒花と虚ろなる器の協奏曲」へ続く)




