9 また逢う日まで-2
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デスペナルティ領内で守護天使と少なくない部隊を失ったプレアデスは、自身の負傷もあって全軍を即座にユアノン本国へと帰した。それでもデスペナルティの残る国力と比較すれば、ユアノンが依然優位な立場にあることは明白であった。多くの民衆にとって、プレアデスによる東域の掌握は、そう遠くない未来に実現するものと思われていた。
レジスタンスは闘士部隊としてユアノン軍に合流することと決まり、コールドマンは鼻息も荒く同志たちと喜んだ。しかしそこに、一番の使い手である剣導プラズマの姿はなかった。
東域において神獣<アラヤシキ>が倒されたというニュースは、グラジオラス騎士団領から派遣された<遊騎士>である朧月夜とシャマス・セイントの両者によって広められた。それと同時に、グラジオラス騎士団領の<遊騎士>が国境を問わず活動し、世界から魔獣を撲滅する一助となる旨が改めて通達された。
ブランケット市の郊外に、<光神>神殿が管轄する由緒正しい墓地があった。高台に作られた花園では落ち着いた配色の植物が整然と花を咲かせ、蝶や蜂が忙しなく花弁を渡り歩いていた。
人気がない夕刻、フード付きの外套で素性を隠すスヴェンソンの姿がそこにあった。スミソニアやクナイの弔いはデスペナルティの寒村で慎ましやかに済ませてあったので、ここへはシンディへの手向けで足を運んでいた。
多くの供物で囲まれた墓碑の傍らに一輪の花を添え、そこに彼女の遺骸が存在しないことは知っていたものの、スヴェンソンは目を瞑って祈りを捧げた。スヴェンソンによって添えられた花は、かつて舞台を引けたシンディに彼が初めて贈った品種と同じものであった。
ブランケット市の歌姫として有名であったシンディの突然の訃報は、ユアノンでも大きく報道されて大衆の注目を集めた。シンディを悼む声は為政者にとり決して無視の決め込める大きさではなく、プレアデスは国葬を執り行った上でこうして立派な墓を設けていた。
翻って、スミソニアやクナイは魔族であったので、ユアノン国内で弔われることはなかった。むしろ、スミソニアに至っては、プレアデスを罠に掛けたスパイとしての報道が盛んに為され、その死すら隠匿されていた。
(本当は、ディアドラさんたちの墓にも参じたかったんだけど。・・・・・・リリアやフースラは、苦しまずに逝けたのだろうか。神獣の広範囲攻撃に晒されたなら、抵抗のしようもなかった筈だ。みな、さぞや辛かったろう・・・・・・)
スヴェンソンに付き合ってブランケット市へと潜入していたファラ・アウローラ・ハウは、風に揺れる桃色の髪を手で押さえてじっと待っていた。しばらく佇んでいたスヴェンソンが振り返ると、ファラは首を傾げて「満足か?」と問いかけた。スヴェンソンは寂し気な笑みを浮かべ、ゆっくりとした足取りでファラとすれ違った。
「スヴェン。これからどこへ行くつもりだ?」
「・・・・・・当てなんてありません。東域にいると、どうしようもなく気が鬱いでしまいますから。どこぞへ流れます」
「今一度問うが、私と共に来るか?一月もすれば、<ファンシー>がまた魔獣の陰謀渦巻く死地へと誘ってくれよう。今は無心で戦い続け、姉や恋人のことを一時忘れた方が良いかと思うぞ」
「ありがとうございます、ファラさん。ですが、僕が忘れてしまったら、この世界は姉上のことを誤解した人ばかりになってしまいます。せめて僕だけは、あの賢明で優しく、美しかった姉上のことを鮮明に覚えていたい。・・・・・・そして、プレアデス様も同じ気持ちであると信じたい」
「そうか。ならいい。私もそろそろ行く。ユアノンには目立った魔獣の害がない。東域でも東部辺境の一帯は奴らの勢力範囲だから、しばらくはそこで剣を振るうことにする」
「ファラさんは、グラジオラスの<遊騎士>に就かないのですか?魔獣討伐を志す実力者なら誰でも歓迎すると、オボロさんが言っていました」
何気なく問い質したスヴェンソンの言葉に、ファラは柳眉を怒らせて反応した。
「スヴェン。私はな、不本意にも<ファンシー>の技で南大陸から西域へと渡らされた。そこではラグリマ・ラウラと共に魔獣を狩りもした。超大国レキエルが亡ぼされた経験値から、かの地には神獣礼讃の後ろ向きな思想が蔓延っていた。彼が言うには、レキエルですら倒すことが叶わずにどうにか封じた神獣というのが未だ眠っていて、多くの民はその存在を怖れているのだとか。現在のグラジオラス騎士団領がターゲットとしているひとつが、そいつだ」
「なら、ファラさんがやっていることと矛盾しないように感じますが・・・・・・」
「あの男は、上位の神獣は単純な武力で制することなど出来ないと主張していた。そこで英雄軍を再現して対抗するのだという。再興ではなく、再現だ」
「英雄軍の、再現?」
「擬体の要領だな。<始祖擬体>が魔獣を生み出すことと同じ技術を応用すると言っていた。怖気がしたよ。あの男は現世で英雄軍を結成するのではなく、鬼籍に入った英雄たちを星術で復活させるつもりだ。それで西域の魔獣と、勢力を拡大しつつある神獣礼讃主義者を一層する計画らしい」
ファラは嫌悪感を隠さずに、吐き捨てるようにして言った。スヴェンソンはラグリマ・ラウラに面識が無く、彼に対して特別な感情を抱きようもなかったので、ファラに更なる情報の提供を求めた。
「ラグリマ・ラウラの構想に、あのアリス・ブルースフィアも入っているのですかね?英雄軍なら、僕らはまず彼女のことを思い返します。姉上なら同業の<不死>マキシム・オスローを第一に挙げるかもしれませんが・・・・・・」
「・・・・・・もういる」
「え?」
「アリス・ブルースフィアはもういるんだ。西域に援軍として駆けつけた、北西域の女貴族とラグリマ・ラウラの会話を偶然耳にしてな。その女貴族が尋ねていたんだ。アリス・ブルースフィアは壮健か、と」
スヴェンソンは、そう言うファラの暗紅色の瞳に、暗い炎が揺らめいているものと錯覚した。ファラは畳みかけるようにラグリマ・ラウラ評を続けた。
「あの男は、何もかもが胡散臭い。始祖とかいう魔獣の親玉。アリス・ブルースフィア。英雄軍の再現。それだけでなく、中央域ではシルフィールの現政権を転覆させようと工作していた節もある。兎に角、私は好きになれん。だからグラジオラス騎士団領には与しない」
「・・・・・・南域の騎士殿。儂も同じ意見だ。魔獣を仇と狙うは、何もラグリマ・ラウラ一派だけではない。誰も彼もがグラジオラスに賛同せねばならぬ理由はなかろう」
ファラとスヴェンソンの話に割り込む形で、唐突にその声は届けられた。スヴェンソンは高台を上ってきた人影を発見し、その者こそ声の主であろうと断定した。そして、自分の下に歩み寄ってくるのを黙って待った。
スヴェンソンの装いに似た、フード付きの胴衣を着込んだ恰幅の良い人物が、ファラと肩を並べて立ち止まった。スヴェンソンはその者が纏う空気から、直ちに正体を看破してみせた。
「まさか、プレアデス様・・・・・・」
「スヴェンよ。二月ぶりになるか?元気そうで何よりだ」
プレアデスは、フードを脱ぐことなくそのままの姿勢で、息子も同然と言える弟子へと応じた。
「ここにいるはユアノンの代表ではなく、世界の行く末を憂ういち星術士に過ぎん。スヴェン。それに騎士殿。ひとつ儂の話を聞いては貰えないだろうか?<アラヤシキ>が儂へと吹き込んだ、とある与太話についてだ」
「与太話・・・・・・ですか?」
「儂が一人で仕舞い込んでも仕方のない話だから、聞き手を欲していた。そなたらが悠々とこの地まで足を踏み入れることが出来たのは、そういうわけだ。丁度良かったでな」
プレアデスは言外に、スヴェンソンらの行動を見逃していたのだとほのめかした。プライドをいたく刺激されたファラであったが、賢者プレアデス程の大物が抱える神獣の話というものに関心があり、そこは堪えて聞き役に徹した。
「話してください」
「<アラヤシキ>が儂とジキルを唆し、<始祖擬体>を現出させた目的だが。グラジオラス騎士団領が匿う<始祖貴婦人>を打倒するための手駒としての役割以外に、奴はこうも言っていた。生命力の化身に対する備え、と。儂には心当たりがなかった。<アラヤシキ>もそれ以上語らなかったので、生命力の化身とやらについてこれまでずっと一人で考えていた。そして、今では一つの仮説を導いている」
スヴェンソンは頭の中でプレアデスの話を反芻した。世界に満ちている星力。魔獣の組成は星力で、その魔獣の大元に当たる者が<始祖貴婦人>だと言われている。他に、例えば人間や亜人が定義するところの神獣や幻獣だが、魔獣の中では殺戮者や守護者といった別の区分が存在しているらしい。
(それで、魔獣のように星力から作り出された異形の者が<始祖擬体>。擬体は召喚術式の妙からか、<始祖貴婦人>の能力を模倣している。それ故、新たに魔獣を生み出すことが出来る。擬体の精神のコントロールにはガイドが必要で、それは<始祖擬体>の性質と近似であるところの女性が適役とされている。・・・・・・つまるところ、魔獣や擬体は星力の化身と呼んで差し支えないものだ)
スヴェンソンは軽く頷き、整理された私見を師へと披露した。
「・・・・・・プレアデス様。魔獣や擬体といった、星力の化身とも言える存在と対になる何者かが有り得るというのですか?それが、生命力の化身・・・・・・」
「そういうことだ。魔獣は死なば星力に分解され、世界に同化するであろう?では、我等が持つ生命力は?考えたこともなかったが、これも星力と同様散っているものを収斂させることができたなら、擬体や魔獣と似た何かが現出するのかもしれない・・・・・・」
「お待ち下さい。その推論には違和感があります。魔獣は組成が単一でしょう?肉体の全てが星力から成ります。それに対して人間や亜人は、生命力だけでなく多くの物質の集合によって成り立っています。その線から類推すると、生命力の化身なる者が言葉通りにあるとして、それは相当に異質な存在ではないかと考えられますが・・・・・・」
スヴェンソンの弁は理に適っており、プレアデスは満足気に頷いて見せた。そこにファラが楽観を伴って口を挟んだ。
「備え、と神獣が口にしたというなら。その生命力の化身とかいう存在は、少なくとも魔獣にとっては敵対する立場にあるということだな。どこでどうやって出て来る奴かは知らないが、直ぐに対策を立てる必要がある話とも思えない。賢者プレアデスよ。それをもったい付けて私たちに話す貴殿の真意は何処にある?」
「裏などない。儂には東域の統一と、魔族の完全排斥という目先の計画がある。それが達成された暁には、魔獣討伐を声高に宣するであろう。・・・・・・然るに、このような摩訶不思議な謎解きに注力する余裕などないのだ。別に無視してくれても良い。気になるというなら、確かな機関ないしは人物の耳に入れてやってくれ。勿論、それを強制するつもりはない」
言って、プレアデスはシンディの墓碑の前まで歩を進め、手を合わせて祈りを捧げた。スヴェンソンはそんなプレアデスを振り返ることなく、辞去の言葉を背中越しに投げ掛けた。
「プレアデス様。これにて失礼します。いただいたお話は、僕の範疇において適切に処置したいと存じます。笑ってお別れすることは叶いませんが、どうかご健勝でいてください」
「東域を、離れるのか?」
「はい。もう、お目にかかることはないでしょう。これまで僕と姉上を導いて下さり、本当に有り難うございました。感謝が尽きることだけは、生涯ございません。・・・・・・では」
スヴェンソンが足早にその場を離れる様子を、ファラは少しだけ湿っぽい気分で眺めていた。腰に掴まっている妖精ロリエルが「追いかけないの?」と急かすので、ファラはプレアデスに言葉を掛けることなくスヴェンソンの背を追った。
プレアデスはじっと墓碑に視線を置いたままで、眉根を寄せて黙っていた。彼の心中では、スヴェンソンに尋ねたい言葉が山ほど渦巻いていた。擬体と差し替えられている左腕は痛まないものか。<アラヤシキ>戦の後遺症はないか。この先、行く当てはあるのか。路銀は足りているか。どこぞへの仕官を紹介しようか。スミソニアやクナイの墓はどこにあるのか。シンディの件で、自分を憎んではいないものか。家族も同然であったフォルドやメイド達の下へも一緒に墓参しないか。身分を偽った上で、もう一度自分のところへ戻って来る気はないか。
プレアデスは、魔族を絶対悪と定めるユアノンの正義を代弁せし立場にある自分を誇りに思っていたし、自分以外に理想を実現出来るだけの胆力を有する者がないと痛い程に分かっていた。悲願の達成を信じて実利を取った結果が今の家族離散という状況であったが、この果てない修羅の道を進むこと自体を否定するような脆弱な心は持ち合わせていなかった。
駆け巡る数多の言葉が口から出ることはなく、スヴェンソンとプレアデスはそこで別れた。
そんなプレアデスであったが、この日の夜だけは意に反した夢を見ることになる。それはファラやスヴェンソンの細工ではないかと疑う程に精巧な作りの夢で、プレアデスは目を覚ましてからしばらくの間、しばらくなかった多幸感に包まれた。
「プレアデス様。ジキル・ド・クラウンが降伏を申し出てきたそうですね?おめでとうございます。これでユアノンが実質的に東域を統一したようなものです」
「うむ。スミアよ、そなたやスヴェンの御陰だ。ノンノ・ファンタズムがこうも上手く仲介してくれるとはな。ジーザスシティを無血開場出来る上、多額の賠償金支払いも約束させた。これであれば、民たちも休戦に納得してくれよう。そして今回の功績を鑑みれば、スヴェンを学院の副院長あたりに抜擢しても異論は出んだろうよ」
帰宅して早々、プレアデスの下にスミソニアらが群がっていた。年長のメイドであるディアドラがプレアデスの脱いだ外套を優しく受け取って、パタパタと走って迎えに出て来た銀髪のフースラは鞄をむしり取った。
赤毛のリリアがこしらえたという弁当を手にした家令のフォルドが、玄関先でプレアデスとすれ違い様に、「スヴェンソンが泊まり込みだと聞いておりますので、学院まで夕食を届けて参ります。旦那様はおくつろぎくださいませ」と笑顔で声を掛けてきた。
プレアデスは老フォルドに対して意地悪な笑みを浮かべ、「あれに隠れて、華劇座の歌姫との挙式を準備しておくように。副院長に昇進させたら、即決行だ」と耳打ちして送り出した。
ダイニングテーブルに用意されたリリアの手料理は、火加減こそ強過ぎたものの、プレアデスの好みに合った香辛料がふんだんに使われていて満足のいく出来であった。スミソニアと共に夕食を終えると、プレアデスはこれからいっそう忙しくなるものだと気合いを入れ直し、私室に籠もって残務処理へと励んだ。
途中スミソニアが紅茶を差し入れ、そのままプレアデスの隣に椅子を引いて、彼の事務仕事を手伝った。二人の距離は近く、スミソニアの芳しい体臭がプレアデスの鼻腔を心地良くくすぐった。
「スミア。スヴェンとシンディの婚礼なんだが。そなたが勧めてくれた通りに、儂が強引に進めても良いものだろうか?流石にあれも、怒らんだろうか」
「良いのです。シンディの気持ちはとうに固まっているのですから。・・・・・・あの子は、スヴェンは。私が行き遅れるのを気にして、自分から言い出せないのです」
「・・・・・・スミアよ。デスペナルティを下して、儂もようやく肩の荷が少しだけ下りた。このあたりが良いタイミングやもしれん。儂等も一緒にならんか?儂が三十八で、そなたが二十五。一人やもめももう十年以上になるし、それほど不自然でもなかろう?」
「・・・・・・奥様の件はそうかもしれません。ですが、私は魔族です。それも父母無しの、流れの魔族。賢者と謳われ、ユアノンを代表されるプレアデス様とでは釣り合いが取れません」
プレアデスは深い碧色の瞳で、スミソニアの薄紫の瞳を真摯に見つめた。そして、彼女の黒みを帯びた紫色の髪に己が指を差し入れた。
「地域の統一さえ成れば、種族間対立はこれから融和の時代を迎えよう。人間と亜人が一丸となって魔獣に反抗するのだ。その空気を先取りし、儂とそなたが婚姻関係となるは国家繁栄の理にも適っておる。吉報に吉報を重ねることで、民に安心を与えることにも繋がるでな。・・・・・・実はもう、そなたが承諾してくれると踏んで、ディアドラに花嫁衣装を作らせてあるのだ」
「まあ・・・・・・。そこまで仰られては、私に異存などございません。お受けします、プレアデス様。不束者ですが、どうぞ宜しくお願い致します」
「そなたに不束な点など見当たらないがな。がっはっは。儂の方こそ、宜しく頼む」
プレアデスは照れ臭さを隠すように、恵体を揺らして笑声を上げた。これでフォルドが首尾良くスヴェンソンの華燭の儀を整えたならば、プレアデス家は当面安泰であろうと心の底から喜びが沸き起こった。
美しい妻に、聡明な義弟。弟の嫁はブランケット市が誇る歌姫で、メイドたちも華やかでいて善良な娘ばかり。そして、いつでも側にいてくれるのは全幅の信頼を寄せる家令。そんな人も羨む家族に囲まれて、プレアデスは己がどれほど恵まれた人間であるかを痛感していた。日々の労苦を癒し、魔獣の脅威にも挫けぬ精神を養ってくれた功績は、全てこの家庭に因るものだと大いに満足していた。
そのようなことを考えながらプレアデスがてきぱきと書類の決裁を進めていると、スミソニアが穏やかな表情をして覗き込んできた。
「あら?プレアデス様、随分とご機嫌でいらっしゃいますね」
「分かるか?儂はつくづく果報者だと思ってな。今の運気に乗って、このまま東域から魔獣を駆逐出来るんじゃないかとも思っておる。どう思う?我が妻スミアよ」
「プレアデス様なら必ずや達成なさるものと。私もスヴェンも、全力でサポートさせていただきますので」
スミソニアの同意に満足し、プレアデスは何度も首肯した。そして、夢の達成に向けて明日は何から取りかかるべきかと、輝かしい未来の絵図だけを思い描いた。




