7 絢爛なるノンノ・ファンタズム-2
***
明け方の仄暗い空を見上げ、スヴェンソンはあまりの寒さに小さく震えた。自分と姉の分の荷物はまとめて足下に転がしてあり、あとはクナイの到着を待つばかりであった。
スミソニアはギリギリまで身支度をしているようで、仮宿から出てくる気配がなかった。クナイは亜人街区の顔役たちに挨拶に行っていたので、戻るまでにまだ時間がかかるかもしれないとスヴェンソンは諦め顔をしていた。
ユアノン軍が進発してから三日が過ぎていたので、鳳凰市は間もなく戦場に変わると見られていた。今も市内に残るのは、逃げることを断念した者か準備のただ中にある者だけで、十万都市が驚くほど閑散としていた。中でも魔族の狼狽ぶりは顕著で、我先にと市外へ旅立っており、皆がユアノンをはじめとした人間諸国の勢力圏から少しでも離れた場所に安息の地を求めていた。
スミソニアが遠目からでもプレアデスの姿を一目見たいと言って聞かないので、スヴェンソンは鳳凰市東方の丘陵地帯まで逃げた後、戦争が始まったらそれを少しだけ偵察するという折衷案を提示していた。戦後は南西へと進み、まずはデスペナルティより南方に当たるジェレミア地方へ逃げ込む算段であった。
戦争はユアノン軍が勝つと分かりきっていたので、スヴェンソンはノンノ・ファンタズムの以後の処遇に関して気を揉んでいた。
(市長が幻獣だからといって、神獣<白鯨>をも討ち滅ぼした<始祖擬体>や戦力的に十倍にも及ぼうという大軍とぶつかって、引き分け以上の結果に持ち込むことは不可能だ。プレアデス様が勝利することに異論なんてないけれど、市長がみすみす殺されることを黙認するというのも後味が悪い・・・・・・)
「スヴェン、お待たせしました。髪の毛を整えるのに手間取りまして」
スミソニアは慌てた様子で宿から駆け出てきて、スヴェンソンへと寄り添った。最愛の、そして神秘的なまでに美しい姉の姿を目にしたことで、スヴェンソンの不安は劇的に和らいだ。彼にとっては姉の無事が第一であるので、戦場の側に潜伏するとはいっても、危険を感じればすぐにも撤退すると決めていた。
「クナイさんがまだ戻っていませんから、焦らずとも大丈夫です。姉上」
「私たち、あの方にお世話になりっ放しですね・・・・・・」
「・・・・・・好きで姉上の世話を焼いているようだから、気にしないで良いのではありませんか?」
その言葉に弟の機嫌の変化を読み取ったものか、スミソニアが薄紫の瞳に興味の色を湛えてスヴェンソンを見上げた。
「スヴェン。私がクナイさんに感謝の意を示すのが、そんなに嫌ですか?」
「そういうことではありません。・・・・・・ただ、姉上が靡かないと分かっていて、どうして彼はそこまでするのだろうと訝っているだけです。個人対個人の関係で、無償の奉仕なんてただの偽善だと思っていますから」
「あら。どうして、私がクナイさんに靡かないと決めつけているんです?」
「えっ!?姉上、まさかクナイさんのことを・・・・・・」
「そうではありません。スヴェン。人の気持ちなんて、いつどのように移ろうものか分からないものです。ましてや、この地では魔族が居場所を無くしつつあります。身寄りのない者が集まって暮らして、そういう感情がいつ芽生えるとも知れないでしょう?私だって、一人の女に過ぎないのですから」
「姉上は、特別です。美しく優しく、それでいて聡明で。<光神>が地上に遣わした代理人なのではないかと、私は本気で疑っています」
スヴェンソンが真面目腐って言うものだから、スミソニアは苦笑を返す他になかった。これはこれで嬉しいものの、スヴェンソンがこういう性格だからシンディも苦労していたのだと、ふとスミソニアは楽しかった頃の生活を思い返していた。
***
ノンノ・ファンタズムは、どうしても付いて行くと言って聞かない兵士と闘士計四十八名を引き連れて、鳳凰市東の平原に陣立てをしていた。動き易いという理由で選んだ白と紺色が鮮やかな水兵服に柔肌を包み、ノンノは似合わぬ長剣を一本腰に差していた。
「君たち。決してこの位置から前に出ないように。いい?一歩でも前に出たら、私の技の巻き添えを食うと思ってね」
「へ?・・・・・・ノンノ様。それってまさか、ノンノ様が先頭に立って戦うおつもりじゃないでしょうね?」
集った闘士の中で最も戦歴が長い壮年の男が唖然として尋ねると、ノンノは当然だと言わんばかりに豊かとは言えない胸を張って、力強く頷いて見せた。エーデルワイス・エゼルエルに自分が敗れた後の処理を任せてあったので、ノンノは自らの全力でもってプレアデスとユアノン軍に抵抗する心積もりでいた。
ノンノは己が幻獣としての姿を晒せば、それで市長ごっこも全て終わりなのだと、少なくない寂寥感に襲われていた。<始祖擬体>や<アラヤシキ>が戦場に姿を見せたなら、瞬時に鳳凰としての変態を行うつもりであったので、ノンノ・ファンタズムとしての生はあと少しの命脈なのだと覚悟の上であった。
そうであったので、ノンノの目に飛び込んできた光景はどうにも不意打ちであると言えた。ユアノン軍の先鋒は騎士と傭兵で構成された三百ほどの部隊で、そこには魔獣の影も形もなかったのである。
(賢者プレアデス・・・・・・そういうところが、鼻につくのよね)
敵が人間であったため、ノンノは作戦を切り替えた。自身も人間形態のまま応戦すると決め、剣を鞘から抜いて中段に構えた。
ユアノン軍は陣形も何も無しに、圧倒的な物量で一気呵成に突っ込んできた。鳳凰市の四十八名は何れも死を受け入れての志願であったので、全てを天運に任せようと各々が勇ましく武器を構えた。
そこで、信じられない剣技が披露された。
ノンノの剣の一振りは、強力な星力の衝撃波を発生させた。それは広範囲に及ぶ剣閃であり、騎士の前列を一斉に叩き、馬上から落下させた。そればかりか、ノンノの第二閃が続く徒歩の闘士たちをも豪快に吹き飛ばしたので、敵も味方も彼女の剣腕に目を丸くするばかりであった。
瑞々しい少女の姿をした恐るべき達人の出現に、ユアノン軍の攻勢はぴたりと止んだ。それでも三人、四人と勇敢なる騎士が突進攻撃を仕掛けるのだが、何れも避けるノンノの残像を斬るのみで、反撃の一太刀であっさり地に沈められた。
「強過ぎる・・・・・・」
それは味方の闘士がこぼした素直な感想で、ノンノの技量は並の戦士が立ち向かえるレベルを遙かに凌駕していると思われた。ユアノン軍の先鋒はノンノ一人を抜くことが出来ず、視界の奥に無防備とも言える鳳凰市を収めていながら、一歩たりとて近付くことが叶わなかった。
そこに、第二陣であるポエニとマルクトの騎士団が合流した。この二つの部隊が先鋒と性質を異にする点として、指揮官がそれぞれ東域を代表する騎士であることが挙げられた。
ノンノの中距離攻撃を警戒し、両騎士団は彼女と一定の距離を置いたままでユアノン軍の先鋒と交代した。そして二人の青年が馬から降りて、徒歩で前へと進み出た。
「ウィル。あれはどういうカラクリだろうなあ?剣技というより星術の一種かとは思うが。あの細っこい少女がここまで強いってのも、正直納得し難いぞ」
ポエニの騎士団長、シアター・ムーヴが右手で顎髭を撫で、目を輝かせながら隣の親友へと問い掛けた。シアターの左手には曲刀が握られており、彼が騎士でありながら変則的な剣の使い手であることを如実に表していた。
「シアターよ、油断しないように。私たちはアリス・ブルースフィアという実例を知っています。戦士の実力は、見掛けになど因らないものです」
落ち着いた声音で言って、長髪の偉丈夫ウィルトリヒ・パーキングはマルクト騎士団の正式流儀である双剣流を体現すべく、長剣と小剣をそれぞれ鞘から抜いた。英雄軍への参戦歴を持つ二人の登場に、ユアノン軍は直ちに沸いた。それとは対照的に、ノンノを除いた鳳凰市の面々は最悪の敵が出張ってきたものだと嘆いた。
歩みを進めてくるシアターとウィルトリヒの二人を、ノンノは黙って待ち構えた。実力者に対しては剣閃が牽制にもならぬと理解した行動であり、それだけを見てもウィルトリヒなどは敵の実力を高く見積もらざるを得なかった。
「シアター。二人掛かりでやります。初太刀で決めるつもりで」
「了解だぞ、っと」
シアターとウィルトリヒは足腰に星力を巡らせ、急加速でもってノンノとの間合いを一気に消した。そして、ウィルトリヒが正面から双剣で斬り掛かり、シアターが側面から時間差での下段攻撃を加えた。
息が合った、それでいて隙のない連続攻撃であった。しかし、ノンノはウィルトリヒの初撃よりも速く彼の胸に肘打ちを見舞い、さらには回し蹴りの要領でシアターの剣を踏み抜くと、体当たりで肩をぶつけて彼を吹き飛ばした。肘打ちも体当たりも速度が驚異的な威力を発揮しており、食らった二者は倒された先で、息が出来ないほどの痛みに苦しんだ。
やがて回復したシアターが怒りに任せて斬り掛かると、ノンノは残像を置き去りにするほどのスピードでそれを回避し、シアターの側面を回り込んで背後から打ち掛かった。シアターは動物的な勘でその拳打をかわすも、やはり次の蹴りで脇腹を撃たれて悶絶した。
続いて起き上がったウィルトリヒも巧みな双剣のさばきで攻め立てるが、ノンノは一刀でそれと互角に撃ち合って見せ、十合と経ぬ内に倒されたのはウィルトリヒの側であった。
それでも二人の騎士は負けじと痛みに耐え抜き、立ち上がった。それはノンノが敢えて剣を攻撃に使わず、格闘で相手をしていたからこそ出来た芸当であり、シアターもウィルトリヒも現時点で自分たちが遊ばれているということは痛い程に分かっていた。
「ウィルよ・・・・・・まだいけるな?速度なんだ。この愛らしい市長の剣も体術も、想像を絶する速さが強さの根拠となっているぞ」
「・・・・・・言われるまでもありません。どうやら個の実力では及びそうもないですが、戦い方は知っているつもりです」
三度、二人の勇者はノンノへと挑んだ。ノンノは先程までと同じように、速度で劣る二者の攻撃に割り込むようにして肉弾戦を仕掛けた。しかし、まずはシアターがノンノの攻撃タイミングを予測し、高速の蹴りに曲刀を合わせて見事に防いで見せた。続いてウィルトリヒが斬りつけ、速度で勝っているはずのノンノに対し双剣の軌跡はぴたりと合わせられた。ノンノは咄嗟に剣で双剣を払い除けるが、先ほどまでとは打って変わって敵の動きが向上して見えた。
(これは!・・・・・・経験から来る、予測。私の動きが悉く予測され、対処されている。速度ではこちらが桁違いに勝っているというのに、流石は英雄軍のメンバーだわ。技の出しどころも絶妙だし。ここが美少女市長の死地ってやつなのかしらね・・・・・・)
ノンノは短時間の内に星術を駆使して分身するや、二者を同時に攻撃した。分身のそれぞれが剣を払って衝撃波を撃ち出し、加えて超速度の突進による拳打を敢行した。
シアターもウィルトリヒも、衝撃波とぶつかろうとはせずに回避に専念し、それでいて突っ込んできたノンノの動きに武器を合わせた。分化したノンノは何れも自身の動きがスローモーションのように感じられ、やはり敵に行動の先を行かれているのだと察した。
そして、シアターの刀とウィルトリヒの双剣が分かれたノンノの双方を同時に斬り伏せた。地面に倒れた瞬間、ノンノの姿は一つに重なり元の姿へと戻った。
地に伏したノンノの背を上から見下ろし、ウィルトリヒが警戒を解かぬままに言い放った。
「はじめから私たちを殺す気でいたなら、機会は幾度もありました。・・・・・・これが貴女の正義なのですか?ノンノ・ファンタズム市長よ」
ノンノは微動だにせず、彼女の全身に既に星力の流れが無いと判断したシアターは勝利を確信した。そして、残る鳳凰市の戦闘部隊に降伏を勧めた。鳳凰市の闘士たちは勧告を受け入れず、挙ってユアノン軍に抵抗し、全員が斬られた。
そうしてプレアデスの率いる後軍が戦場へと進んで来た。プレアデスは馬上より倒れたノンノに憐憫の視線をくれ、すぐさま全軍に鳳凰市への進駐を号令した。プレアデスの傍らには、二頭の白馬に引かれた車が寄り添っていたが、扉が閉じられていた為に中の様子は窺い知れなかった。
「姉上。プレアデス様はそのまま鳳凰市に入られるようです。・・・・・・市長のことは残念ではありますが、僕たちもそろそろ発ちませんと」
遠くの丘から遠視にて戦場を眺めていたスヴェンソンが、隣のスミソニアへと声掛けした。クナイは興味がないものか、一人離れたところに座して地図などを広げて難しい顔をしていた。
「プレアデス様はお元気なようで、何よりです。・・・・・・きっと、あの馬車に<始祖擬体>が乗っているのですね。周囲に屈強な騎士が配置されていますから」
「そうかもしれません」
「スヴェン・・・・・・ガイドとされるシンディも、<始祖擬体>と一緒にいるのではありませんか?」
「だとしても、僕にどうこうするつもりはありませんよ。さあ、姉上。先を急ぎましょう。ジェレミアで逗留先を探しませんと」
「そう、ですね・・・・・・。時間を取らせました。クナイさん、もう大丈夫です。お待たせいたしました」
スミソニアが呼びかけると、クナイは破顔して荷物を背負った。そうして地図を読んでいた成果とばかりに、ジェレミアまでの経路を説明し始めた。
ジェレミア地方はデスペナルティの南方一帯で、余所と比較して魔族と人間の共生度合いが高いことで知られていた。デスペナルティの威勢が良い頃合いであれば人間の肩身が狭いこともあったであろうが、今では情勢が逆転しているものと思われた。国家としては四つの小国が点在していて、何れも騎士団すら持たない小さな所領に過ぎなかったので、スヴェンソンらが隠れるにもってこいの環境と言えた。
顔が広いクナイであっても、ジェレミア諸国にまでは伝手がなく、三人は現地入りして当面の活動方針を定める腹であった。一方で、スヴェンソンはかつてファラ・アウローラ・ハウに語ったことを忘れてはいなかった。自分が<始祖擬体>の一部を未だ保持している以上、東域に長く留まらない方が良いという気持ちを依然残していたのである。
(例えばジェレミアから北域に入って、そこから西進するというのも有りだ。ジキル・ド・クラウンの消息が不明な以上、こちらが警戒していて損は無いはず。プレアデス様だって、もう一方の<始祖擬体>が中途半端なこの状況を望ましくは思わないだろうし・・・・・・。この地からいなくなること。それが僕に出来る、プレアデス様に対する最大の善行だろうな)




