6 善なるもの-3
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『神獣礼賛という思想を知っているかね、ミスター?』
月明かりのみを光源とする暗い室内において、窓辺で直立している<アラヤシキ>が尋ねた。
「神獣は天の使いであり、<光神>によって世界を浄化するために降臨させられた正義の獣である。よって、魔獣が世界を席巻し、人々を排斥することは天意なのだ。・・・・・・そのような運命論の類だったか。主体が<星神>や<月女神(アルテーミス>であったり、土地によっては土着の精霊に成り代わって、同じような終末思想が説かれていると聞く」
プレアデスは寝間着姿で不意の来客を相手しており、博学ぶりを誇示するでもなく答えた。<アラヤシキ>は満足したようで、一つ頷くと部屋の主の不機嫌を意にも介さず会話を続けた。
『その一派が、西域で力を付けているようだ。再建途上にある旧大国との対決姿勢を鮮明にしているらしい。ミスター、面白いと思わないか?世界に息づく者たちは皆、それぞれが勝手な正義を持ち出して行動している』
「何にせよ、話の中心にいるのはお主ら魔獣であろうが」
『それは否定しない。だが、考えてもみて欲しい。かつて英雄軍などという一大戦力が結束を見た。それからさほど時が経っていないというのに、どうして世界はこのように混沌としているのだろうね?』
「言いたいことは分かっているつもりだ。協力の条件であった、グラジオラス騎士団領と<始祖>なる存在を潰せ、ということであろう?・・・・・・奴らが世界を混沌へと導く要因であるというのなら、東域を制した暁には、儂も動く」
『ラグリマ・ラウラが北の山地で<始祖貴婦人>を目覚めさせなどするから、潜んでいた殺戮者たちが続々と表舞台に姿を現す。これは即ち、世界の破滅へと繋がる扉が開いた状態にあることを意味する』
プレアデスは<アラヤシキ>の言葉を額面通りに受け取ってはいなかったが、一理あることは認めていた。魔獣を唯一無二の敵としてまとまっていた人間や亜人たちは、英雄軍の敗北によって意気消沈し、すぐにも種族間対立が再燃した。それ一つをとってもラグリマ・ラウラに責任はあると考えられるが、プレアデスは、英雄軍の一角にあった彼が北域で独自の勢力を旗揚げしたことに大きな不審を抱いていた。
(よりによって<始祖>なる原初の神獣を隠匿しているだと?・・・・・・先ほど<アラヤシキ>が言った神獣礼賛ではないが、魔獣贔屓に傾いた者たちがいる一方で、我々に助力を差し伸べる幻獣の如き存在もいる。一般の神獣は<始祖>や<始祖擬体>を敵と見なしているようだが、儂やジキル・ド・クラウンを利用して擬体の精製に取り組むこやつのような神獣もまたある。これでは一体、誰が何を敵として認識し、何の目的で動いているものか。おいそれと、外部と同盟など組みようもないではないか)
なればこそ、擬体が有する強力な力に頼る他にないと、プレアデスは現実を踏まえて結論づけていた。
「今一度問うが。何れ北域に対するとして、擬体でも本家に適うものなのか?」
『力を削ぎ合うという意味で、十分に適っている。<始祖>の星力さえ封じられたなら、後は私がやればいい。そういう役目を負わされているのが、我ら殺戮者なのだから』
「ならばいい」
プレアデスは、話は終わりとばかりに邪険な物言いをするが、<アラヤシキ>は堪えた様子もなく平然とその場に居座った。
『ときに、ミスター。彼女は安定しているのかい?』
<アラヤシキ>が<始祖擬体>の調子を尋ねてきたことで、プレアデスはこれこそが来訪の目的であろうと察した。この神獣は自身が精製方法を指南した擬体に決して近寄ろうとはせず、常にプレアデスを通じて状況の確認を行っていた。
(まあ、ジーザスシティにスヴェンを潜入させた際も、こやつに直接邪魔をされていたなら、ジキル・ド・クラウンがとっくに擬体の完成形を手にしていた筈。いまこうして儂が勝利出来たのも、こやつが擬体との接触を恐れていることが有利に働いたわけで、何ら不都合なことはない)
「問題ない。理論は儂にも分からぬが、ガイドと同座標に具象化させるというお主の助言が正しかったようだ。自意識に多少の乱れは認められるが、戦力評価に響く程度ではなかろう」
『ジーザスシティでは誤ってそうなったものだが、存外出来が悪くなかったものでね。運用可能なら何よりだ。直ぐに出番が来る』
<アラヤシキ>は、特に感情の変化を感じさせぬ声音で言った。言葉の意味を数拍考えた上で、プレアデスは疑問を提示した。
「出番とは?ジーザスシティは下した。もはや主戦力が存在しないのだから、たかが魔族の残党を狩る為に彼女は用いないぞ。後はユアノン軍が、デスペナルティ全土に散らばる魔族をじっくり狩るのみだ」
『違う。感じないかね?彼女の存在を快く思わぬ、殺戮者の怒りの気配を。刻一刻と近付いてきている暴力の足音を』
プレアデスは寝間着姿のままで部屋の硝子戸を開き、素足でバルコニーへと飛び出した。そうして暗天に星術探知を伸ばすも、彼の星力出力の限界範囲において何ら収穫は得られなかった。
プレアデスが慌てる様を黙って見届けていた<アラヤシキ>が、同様にバルコニーへと歩み出て言い放った。
『試練だ、ミスター。彼女に出陣願うことだよ。無論私も参戦するが、何分敵の実力の程が分からない。君たちが語るところの有史以来、殺戮者同士が戦った事例などなかっただろうからね』
翌朝、神獣<白鯨>はブランケット市の上空にその威容を見せた。未知の魔獣が予告なしに現れたことで、市民の混乱ぶりは形容し難いものであった。市民は皆、我先にと市外への脱出を試みた。主要道路はあっという間に混雑で麻痺し、防衛出動する騎士団や傭兵部隊の進路をも遮った。
プレアデスは対神獣という危険極まりない戦闘を控え、自軍の通常戦力に殆ど何も期待していなかったので、間に合わぬ騎士らを見放した。そうして幕下の星術士を従え、自邸に仮住まいさせている<始祖擬体>への細工を始めていた。
スミソニアが使っていた私室に軟禁されていた擬体は、瑞々しい肢体を薄い水色の短衣のみで包んでおり、艶やかな黒髪はそのまま背に流されていた。プレアデスらの颯爽たる登場にも、擬体は静かに瞬きをして長い睫毛を揺らす他に反応を見せず、却って世話係のメイドの方がびっくりしていた。
「ディアドラよ。彼女は落ち着いておるな?」
「・・・・・・プレアデス様。シンディは昨晩一睡もせず、じっと天井を見つめておりました」
「シンディではない!彼女はユアノンの守護天使だ。・・・・・・天井を見ていたということは、空のアレが出て来るのを意識していたということか。お前たち、彼女を庭の方陣へと連れて行け」
プレアデスの指示に従い、若い男女の星術士がシンディの肉体の手を取って部屋から連れ出しに掛かった。ディアドラだけでなく、プレアデスに従う星術学院の副院長も、その様子を複雑そうな顔付きで見ていた。
「プレアデス様!シンディは・・・・・・守護天使様は、あの魔獣を追い払って、無事に帰って来られますよね?だって、そうでないと、スヴェンが・・・・・・」
ディアドラの問い掛けには答えず、プレアデスは「お前たちも地下室に避難しておけ」と言い残すや、一同の最後尾に付いて庭へと出た。シンディの肉体を持つ<始祖擬体>は、星術士たちが事前に張り巡らせておいた星術方陣の中心に誘われた。そこには攻防一体の星術を起動できる大掛かりな術式が収められており、プレアデスは自邸から<白鯨>を迎撃するつもりでいた。
神獣と交戦した国家がどういった末路を迎えているか、プレアデスは知識として多くを有していた。近年の例を挙げても、北域で黄昏宮が暴れたことで、周辺諸国に甚大な被害が出た。海を隔てた先の南域からは、大国の首都が相次いで滅ぼされたと伝わっており、何れも一匹の神獣がもたらす猛威は圧倒的なスケールで人間や亜人を苦しめていた。
(なればこそ、短期決戦しかない。儂と擬体さえ生き残れば、ブランケットが廃墟と化そうがユアノンは立ち直れる。擬体が創り出す膨大な量の星力で結界を敷設し、さらにそこから攻撃も仕掛ける。互角以上に戦えるようなら、あとは<アラヤシキ>が止めを刺すだろう)
プレアデスは、終始心ここにあらずといった体で茫然と鯨を眺めている擬体へと渇を入れた。
「守護天使よ!賢しくもブランケットに滅びを撒こうと現れた魔獣へ、正義の鉄槌を下し給え!世界の敵たる神獣を滅し、ユアノンの威勢を魔獣どもに知らしめてやるのだ!そら、星術の起動だ!」
『・・・・・・私が、守護、天使?私は・・・・・・歌姫・・・・・・』
「それはガイドの属性に過ぎぬ!そなたはユアノンの守護天使ぞ?市民の命を守るため、発憤して戦ってくれい!」
『守護天使・・・・・・私が・・・・・・?』
擬体は焦点の定まらぬ目で、声を張り上げるプレアデスを見た。その反応に痺れを切らしかけたプレアデスが、召喚者専用の星術を用いて強制的な命令を発しようとした矢先に、<白鯨>が外見にそぐわぬ俊敏な飛行で近くまでやって来た。
擬体はプレアデス邸の上空に止まった神獣を見つめ、接近を許したプレアデスや星術士たちはひたすら動揺していた。こうなるとプレアデスも下手に身動きができなくなり、固唾を飲んで二大生物の出方を見守った。
しかしながら、神獣と対峙したことで正気を失いかけた若い星術士が、半狂乱の叫びと共に勝手な先制攻撃を行った。
「うわあああああああああああああああ!」
星術士が発射した星力のエネルギー弾は、見事<白鯨>の体の極一部に命中した。ただそれだけであった。神獣は何を構うでもなく、そのまま赤黒い瞳をぎょろりと回転させて、視線だけでシンディの肉体を嘗め回していた。
若き星術士は攻撃の結果が伴わなかったことで冷静さを取り戻し、それに対してプレアデスが怒りを押し殺した声で戒めた。
「・・・・・・動くんじゃない、馬鹿者め。この距離で。やつが何かをしでかす気なら、とうに儂等は死んでおる」
プレアデスは、これが一番弟子であるところのスヴェンソンであったなら、こうも浅はかな行動には出ていないはずだと考えた。そしてスヴェンソンが、自分と同じくこの危機を挽回するために幾通りもの星術の構成を検討していただろうとも妄想していた。
プレアデスはスヴェンソンの実績や努力を高く評価していたし、星術学院の跡を継がせられる者は彼しかないと、とうの昔に決めていた。その計画が頓挫したことで、プレアデスはこうして全て自らが先頭に立って導かねばならぬと意気込んでいた。彼は心の底からユアノンの代弁者であり、政治信条としてはユアノンの威信を高める以外の雑念を持ち合わせていなかった。
『汝ヲ特定危険敵性体ト認定シタ。潔ク、存在ヲ抹消サレル道ヲ受ケ入レヨ』
<白鯨>が言葉を発し、大気が大きく打ち震わされた。プレアデスは、神獣と擬体のやりとりを一語一句たりとも逃すまいと、自らを襲う恐怖心に抵抗しつつ注視した。
『存在を・・・・・・抹消?私が、守護天使だから?・・・・・・それとも、歌姫だから?』
『汝ハ性質ニオイテ、<始祖>ノ模倣物ナリ。ソノ力ハ我等ノ宿願ヲ妨ゲル。ヨッテ、ココデ抹消スル。抵抗スルノデアレバ、コレヨリコノ地ヲ滅シヨウ』
『この街が焼かれれば・・・・・・皆が、帰って来られなくなる。だとすれば、あなたは・・・・・・私の敵。歌姫の敵?・・・・・・いいえ、守護天使の、敵!』
<始祖擬体>こと守護天使が覚悟を表明するや、プレアデスらの準備した星術方陣が一瞬にして起ち上がった。同時に、<白鯨>の大口が開いた。
「皆の者よ、伏せろ!」
プレアデスが警鐘を鳴らすも、守護天使と<白鯨>の力の激突は凄まじく、その余波だけでプレアデス邸は半壊した。<白鯨>は広範囲に及ぶ風撃を放射し、守護天使は星術結界でそれを弾き返した。
その攻防が続いている間に、双方ともが次々に亜獣を召喚するものだから、ブランケットに地獄とも似た光景が再現された。プレアデスは神獣が落としてくる亜獣の迎撃を考えた。しかし、守護天使の召喚したそれと区別がつかず、却って足を引っ張る可能性を考慮して、忸怩たる思いで傍観に徹した。
やがて守護天使が、防御態勢にありながらも攻撃の星術を発動させ、<白鯨>へと無数の星力の槍を投射した。それらは流石の威力を誇り、先般の星術士が行った攻撃とは異なる結果を導き出した。槍は神獣の胴体に突き刺さると、そこに強力な爆発を呼び込んだ。効果があったと見るや、守護天使は槍の精製を続け、間断なく<白鯨>の巨躯を抉った。
プレアデスが見たところ、守護天使が発射している槍の一本一本には信じられない量の星力が込められていた。一方で、神獣が繰り出す風撃は守護天使によって完封されており、結界の外は散々な有様となってはいたが、戦況は優勢に傾いているとプレアデスは判断した。
「<アラヤシキ>!何をしている?今ここで手を貸さぬとあらば、お主との共同戦線はこれで仕舞いぞ!直ぐに出てきて、かの鯨を屠って見せよ!」
この叫びを発するにあたり、プレアデスは戦禍にあって冷静な判断に基づいていた。それはつまり、擬体が神獣をも圧倒すると眼前で証明された以上、いざとなれば<アラヤシキ>を制することにも使えるという、戦力の再評価に他ならなかった。それが故に、協力者たる神獣<アラヤシキ>にも強く出られるわけで、ここがプレアデスが覇者たるを定めし分水嶺とも言えた。
プレアデスの思いが通じてか、はたまた戦闘の趨勢を読んでか、<アラヤシキ>が<白鯨>の真下に現れた。そうして近くの亜獣を細剣の一振りで一掃するなり、守護天使に掛かり切りな<白鯨>へと剣閃を放った。無防備なところを襲撃され、さしもの<白鯨>も巨体をぐらつかせた。
<アラヤシキ>はそのまま黒翼を操って上空へと飛行し、<白鯨>の上方から剣撃を加え続けた。守護天使も攻撃の手を緩めず、そして飛行型の亜獣も追加で投入されて、辺りの攻防は激化の一途を辿った。
『・・・・・・愚カナリ・・・・・・。ブレインネットワークニ、全テ記録サレルノダゾ・・・・・・』
全身傷だらけとなった<白鯨>は遂に落下し、遺骸が端から順に青白く輝く星力へと分解されていった。守護天使と<アラヤシキ>は共に、<白鯨>がゆっくりと散逸する様を眺め続けた。
短時間で神獣を撃破したことに、プレアデスは心中で喝采した。視界に広がっていたブランケットの町並みは見るも無惨な姿に変貌していたものの、世界を脅かす最たる存在であるところの神獣を、こうも簡単に落としたことへの興奮はいつまでも冷めやらなかった。
(これだけの戦果が挙げられるのなら、もはや擬体をこそこそと運用する必要もなかろう。擬体と<アラヤシキ>。この二匹を上手いこと操縦できたのなら、儂はユアノンを東域のみならず、世界一の覇国へと押し上げることも出来る!魔族も魔獣も蹴散らし、世界を在るべき姿に戻してやれるかもしれん)
この後、プレアデスが神獣を討伐したというニュースは東域を席巻した。さらに、ユアノンが守護天使なる超常の存在を味方に付け、一部の魔獣をも従えて天下太平を目指すといった方針は、諸国に対して広く喧伝された。
プレアデスが魔獣を操るという触れ込みは多数の異論を呼び込んだものだが、彼の指揮で神獣を討ったという事実の重みはやはり桁違いであった。プレアデスとユアノンを支持する流れは爆発的な勢いを見、蚊帳の外にあるはデスペナルティと残されし魔族のみであった。
魔族狩りは凄惨を極めた。「魔族に人権なし」という名目から、ユアノンのみならず、かつてデスペナルティに苦汁を嘗めさせられていた中小諸国までもが迫害に乗り出した。首都を失い、統制が取れぬデスペナルティの各所に、他所の騎士団やら傭兵が侵入し、女子供の別なく魔族を殺して回った。プレアデスとユアノンはそれを黙認するどころか奨励した。魔族一人当たりに懸賞金すら設けられ、二月を経ずして東域における魔族の数は激減を見た。
デスペナルティの西端では未だ竜騎士団や大魔兵団の残党が集って抵抗を続けていたが、それとてユアノンの守護天使が出張るまでのことで、蝋燭の火が儚く燃えているに過ぎないと目されていた。そのような情勢下、難民となった魔族が頼る先は、もはや中立を謳うかの都市国家をおいて他になかった。
鳳凰市。
公然と魔族をも受け入れるこの国に対し、遂にプレアデスが牽制以上の勧告へと踏み切った。「邪悪なる魔族を匿う行為に対し、改める意思がなくば、国体の護持を保障せぬものなり」という最後通牒ともとれるユアノンからの声明に、ノンノ・ファンタズムは無視を決め込んだ。
永世中立国が俄にきな臭さを帯び、そして行き場を失ったスヴェンソンたちは、まさにその場に身を置いていた。




