2 炎立つ-3
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ラグリマは未だウルランドに滞在していた。スレイヤーズギルドのマスターが泣き落としで亜獣や強盗団の討伐を頼んだためで、システィナの邸宅を訪れてからさらに二十日が過ぎていた。
「亜獣を追っ払ってくれたのは有り難いんだがな。お前さん、もう少し剣を大事に使えないもんか?銀の剣一本が、いったい幾らすると思う・・・・・・」
「助けてくれと言ってきたのはマスターだろ。忠告はした。最低でも、相手する数と同数の剣を用意してくれと」
「それはそうだが。まさか、工面した剣全部を廃品にするとは想像できなかった」
経費の精算に頭を抱えるマスターの目の前で、ラグリマは出された葡萄酒を無心に嘗めていた。スレイヤーズギルドの支部に客は二組おり、片や港湾労働の従事者たちで、もう一組は男女の闘士がテーブル席で祝杯を上げていた。スレイヤーたちはラグリマと共に近隣の亜獣と戦い、さらに隣街を荒らした強盗団の征伐にも同行していた。
ウルランドのみならず、方々の市街の自衛組織である騎士団は弱体化が著しく、それは頻出する魔獣への対応や、社会不安によって増える一方の犯罪者集団との攻防で戦力を減らしているからであった。北西域はそれほどでもなかったが、東部をはじめ世界各地で種族間抗争も激化しており、そうした事情もあってスレイヤーズギルドに回ってくる依頼は止まるところを知らなかった。禿頭のマスターも、一向に足らぬ人手に頭を悩ませる毎日であった。
ラグリマは最低限の義理としてマスターを助けたが、これで打ち止めとしてウルランドから立ち去ると決めていた。この夜の酒が最後であり、それはマスターにも告げてあった。
「そういえば、聞いたか?ハルキス救世会がこの街の政権に食い込んだらしい。お嬢様もさぞかし心を痛めておいでだろう」
「ハルキス・・・・・・ああ、魔獣との棲み分けを訴えていた連中か。あれがウルランドを運営する側に回るなら、当分は魔獣と戦わなくて済むだろうよ」
ラグリマが興味もなさそうに応じた。黒瞳にはただ酩酊の靄がかかっていた。
「しかしだな・・・・・・敵が攻めてきたらどうなる?お前さんの言った通り、霊獣なら兎も角だ。亜獣まで放置していたら、犠牲者がかさむ一方だろう?」
「連中の教えに従うなら、街を捨てて逃げるといったところか?・・・・・・ウルランドくらいの規模の街だと、まあ現実的じゃないな」
「そりゃそうだ。周辺の市を援護にも行けないとなったら、ウルランドは完全に孤立しちまう」
「ここも商売上がったりだな」
「・・・・・・そんな小さな話をしてるんじゃない!」
マスターの憤りが小さくないと見て、ラグリマはからかいの手を止めた。それでもラグリマにとってウルランドで政変が起ころうと心理的な影響は少なく、今ここで魔獣による被害を目の当たりにするといった事件でも起こらなければ自分事化しようもなかった。
「ラグよ。お前さんはどこかの支部に所属してやしないのか?闘士ではあるようだが、実績も申告して来んし」
「なんだい、急に?」
「給金を払ってやれん。労働の正当なる対価だよ」
「いらない。剣の代金と相殺してくれ。・・・・・・足りないだろうが」
ラグリマの言いように頑なな気配を感じ取り、マスターはそれ以上押さなかった。明日にも出立するということで、ラグリマはウルランド最後の酒をゆっくり堪能していた。
そこに、話の種であったシスティナが走り込んできた。
「ラグ殿!」
銀製の義手と義足が接合されたようで、システィナは二本の足でつかつかと店内を横切り、ラグリマの隣へ尻を滑り込ませた。領主らしい仕立ての良い礼服を着ていると癖のある赤毛も上品に映り、元々顔立ちが整っているだけに、ラグリマは無遠慮に顔を近付けてくるシスティナにどぎまぎさせられた。義眼もぱっと見では違和感を感じさせず、マスターなどは領主の尊顔を拝してひどく感心した。
「なんだ、藪から棒に」
「力をお貸しください。私の力不足故、ハルキス救世会に勝手を許しました。彼らは・・・・・・再度の、ヴィシス攻撃を計画しています」
システィナは眼光も鋭く力説した。一定の世論と独自の武力を背景に議会の議員たちを実力で排斥したハルキス救世会の面々は、ウルランド執政において瞬く間にシスティナと同等の発言権を手にした。さらには騎士団の不調を理由に私兵を組織化し、早期のヴィシス派兵を決定した。そうしてシスティナが抑止するのも聞かず、百に近い戦闘要員の出撃が間近に迫っているという。
ラグリマはハルキス救世会の手際の良さに驚き、マスターなどは「魔獣と戦うだって・・・・・・筋が違うんじゃないですか?」と当惑を明らかにした。システィナは深刻な表情を作ると、マスターの疑問に対する答えを披露した。
「霊獣は幾らでも沸いて出る。その後、神獣が出て来たら元も子もないと伝えたところ、彼らは言いました。なおのこと霊獣を追い払って、神獣の降臨を待つのだと。そして神獣に対して、この地の守護を請願するのだと」
「何を馬鹿な」
ラグリマは吐き捨てたが、先日話を振ってきたハルキス救世会の白面の者を思い返せば、確かにシスティナが聞かされたようなことを話していたものだと得心した。マスターはハルキス救世会の戦力について疑問を投げ掛けた。
「お嬢様。救世会の私兵とやらの練度はどんなものなんです?うちのアスタリスだって、霊獣を何匹も相手にしてたらやられちまった。素人を数だけ揃えたところで、歯が立つものとも思えませんが・・・・・・」
「それが、中核戦力はウルランドの外から連れてきた闘士崩れらしいのです。中でも戦闘隊長を自認している、お面を被った人物は相当の腕前だとか」
「お面だと?ちょっと待て。そいつは、蒼のローブを着込んでやしないか?」
「確かにそうですが。ラグ殿はかの者を御存知なのですか?」
ラグリマは、救世会の思想を一方的に語って聞かせてきたあの白面が、何か理由があって自分に接触してきたのではないかと訝った。システィナの話では私兵たちの出自は外部の闘士だというし、万一それがラグリマに縁ある者たちであったなら、ここでシスティナとウルランドを放置するのは義にもとる行為であると思われた。
神獣がヴィシスに降り立ったと仮定して、ラグリマは戦力比較をざっと計算してみた。まず自分は全力で迎撃に出るとして、救世会がどれほど役に立つものかは不明であり、ましてや状況的に騎士団や登録されている闘士にはほとんど期待できない。星術士や神官を無理矢理引きずり出し、その上で樹霊剣を持つリージンフロイツの助力があって、ようやく僅かながら勝ち目が覗く領域といえた。
ラグリマは意を決すると、マスターに便箋と筆を所望して何やら手紙をしたため始めた。それは遠くの騎士団やスレイヤーズギルドの支部に宛てた文書らしく、システィナやマスターの目に触れる前に蝋で封印が施された。封書の宛名と署名を見たマスターは思わずラグリマを見返したが、酒気の払われた真摯な黒瞳に射竦められ、黙ってそれの配達を請け負った。
「ラグ殿。助けていただけるのであれば、私は何でも差し出す所存です」
「助けたくはあるがな。おれが百人を止めるというのは実際のところ難しい。剣の数もそうだが、きっと体がもたない。・・・・・・そうだな。神獣が出てきたら全てが終わりなんだと説得して回って、一人でも多くの即戦力を味方に付けるんだ。星術学院も神殿も、なりふり構わず当たってくれ」
「承知しました。若輩の身ながら、領主としての意地を見せてやります!」
システィナは赤毛を揺らして頷くと椅子から腰を上げ、銀製の左腕を掲げて意気を示した。彼女の本気は目の色を通じてラグリマにもひしと伝わった。
「ことによっては、人間相手に剣を交えることになる。そこのところも包み隠さず言い含めるようにな。霊獣程度なら、おれがやる」
「はい。では行って参ります」
システィナが足早に出て行くのを見送り、ラグリマはカウンターへと向き直った。話の流れからして、マスターは嫌な予感を覚えた。ラグリマは早速マスターに頭を下げて剣の無心をした。
銀製の剣をありったけ見繕うよう懇願されたマスターは禿頭を抱え、「出費が・・・・・・」と蚊が鳴くような声で漏らした。ラグリマは聞かなかったふりをして、グラスに残った酒を残らず平らげた。
***
「神獣を操ることなど、本当にできるのだろうな?首尾良くウルランドを壊滅させたとして、そのまま暴れられたのでは叶わんぞ」
「閣下。ご心配には及びません。お見せしている通り、私は魔獣の調教に成功しております。ウルランドの市民を閣下の領邦に移した後、次の標的へと神獣を向かわせます。二度三度と繰り返せば、閣下の威勢は止まるところを知らない結果となりましょう」
「ふむ。そうなれば良いがな。念のためだ、我が麾下にある<要塞>と重装兵団の小隊もヴィシスに連れて行け」
「ほう。今や北西域最強と名高い闘士、<要塞>が閣下のお側におりましたか。かの者の如き強者と虎の子の重装兵団があれば、確かに神獣すら仕留められるやもしれません。閣下の慧眼には恐れ入ります」
「いやに饒舌ではないか。ウルランドで昔馴染みを見かけたと言っていたが、寡黙なそなたをも感傷的にさせたか?」
夜半故に、窓外からは仄かな月光のみが差し込んでいた。部屋の主の都合か訪ねてきた白面の者の事情か、室内には灯火が点されておらず、暗闇の中で互いの表情は窺い知れなかった。主である中年男の言葉は白面の心理に某かの影響を与えたものか、室内の空気はしんとして夜の静寂が戻ってきた。
話は終わりだとばかりに、閣下と呼ばれた中年男が手を振って合図をし、その陰影だけを視認した白面は軽く頭を下げると一言も発せずに退出した。扉の閉まる音が小さく響き、それをもって辺りからは何者の活動をも知らせる証は認められなくなった。
中年男にとってウルランドやヴィシスにおける謀は懸案事項の一つであるに過ぎず、実務者に当たる白面を下がらせたからには関心の一切が失われた。そうして権力者は天蓋付きの豪奢な寝所へと潜り込んだ。
彼は個人として、神獣などに一欠片の興味も抱いてはいなかった。