5 閉じた世界の悲哀と開かれた禁断の扉
5 閉じた世界の悲哀と開かれた禁断の扉
クアール・クレイドルの剣に対し、シャマス・セイントは速度で及びようもなかったので、防御を捨てて決死の突撃を敢行した。クアールは撃ち合った敵の戦斧が剛力に物を言わせて押し込んできたことを受け、迷わず固有星術である<硝子の剣>を放った。
星力による不可視の剣撃はシャマスの重甲冑を幾重にも斬り裂き、ただ一度の立ち会いでドワーフの神官戦士を吹き飛ばした。だが、シャマスが身命を賭して稼いだ時間は無駄にはならず、剣匠クナイの超長剣による浴びせ斬りが初めてクアールに傷を負わせた。
回避し切れずに左肩を斬られたクアールは、狂気に光らせた濃い藍色の瞳で冷静に状況を確かめ、クナイに続いて槍で突いてくるスミソニアの姿を認めた。
「ハアッ!」
気合い十分のスミソニアの槍はしかし、クアールの高速の剣によって鮮やかに弾かれた。そしてクアールは反撃とばかりに、<硝子の剣>で防御ががら空きのスミソニアを強襲した。見えぬ凶刃は、スミソニアの前へと割り込んで来たクナイの胸元に深い剣傷を刻んだ。噴き出した血がスミソニアの顔面を真っ青に染め上げた。
「ぐおッ!」
「クナイさん!?」
クアールは容赦なく止めの剣撃を放つが、重傷であるところのクナイが必死に剣を振るって、執念だけでその一撃を防いで見せた。クナイの背後から前に出たスミソニアが槍での加勢を試みると、クアールはそれを再び剣で切り返し逆撃を見舞った。<鋼体術>を行使していないスミソニアの右足がざっくり斬られ、これでスミソニアとクナイは機動力を削がれたも同然であった。
クアールが二人を斬り刻まんと力んだところに、シャマスの渾身の体当たりが炸裂した。
「・・・・・・このッ!」
クアールは体勢を崩しながらも縦横の十字に斬撃を繰り出し、シャマスを強引に斬り剥がした。スミソニアが三度目の槍を向けると、穂先がクアールの左脇腹を的確に捉え、予想外に多量の出血を招いた。
クアールは速やかなるスミソニアの排除を企んだが、そこにデスペナルティ軍の後方を攪乱していた筈の、レジスタンスの一隊が飛び込んできた。
「スミアさん!今助ける!」
先頭の騎馬はプラズマで、剣導の名を冠されているレジスタンスの彗星は、馬から飛び降りるや速攻でクアールへと斬り掛かった。その剣撃は鋭く、クアールも正面から剣で応じて、二人は激しく斬り合った。
「プラズマ様!その男は、固有星術で不可視の剣を用います!ご注意を!」
スミソニアの警告を受け、プラズマは気配で<硝子の剣>の襲撃を察知し、クアールと撃ち合いながらもそれをステップで避けて見せた。その離れ技には、スミソニアも関心する他なかった。クアールは新手が難敵であることと、自身の負傷が軽くない点を考慮し、華麗な跳躍でプラズマが乗り捨てた馬へと騎乗した。
「あ、こら」
「潮時だな。この戦の殊勲賞は、間違いなくお前等だ。俺様と闘り合って生き延びられたんだから、誇っていいぞ。クックックッ」
クアールはそれだけを言い残し、馬を操って乱戦の中へと紛れた。プラズマは徒歩で追うことを諦め、連れてきたレジスタンス兵に怪我人であるスミソニアらの回収を命じた。一見して、スミソニアの連れの二人は命に関わる重傷で、このまま戦場に置いておけば確実に戦死するものと思われた。
スミソニアらがクアールを足止めしたことで、ユアノン軍の戦線崩壊は避けられた。だが、竜騎士団の猛威に立ち向かう布陣が損なわれたことで、被害は軽くないと言えた。この日は両軍共に百以上の戦死者を出し、一旦距離を置いてにらみ合う形となった。
それから十数日、小競り合いに終始していた戦争が突如終結を見た。それはデスペナルティ軍が撤退したことによる結果であり、数的劣勢を覆せないでいたユアノン軍は、すわ敵陣の補給に問題が起きたか、それともデスペナルティ本国で方針の変更でもあったものかとあれこれ邪推した。追撃を手控えたユアノン軍に対し、レジスタンス勢は情報収集の意味合いも兼ねてデスペナルティ軍を追ってその後背を脅かした。
デスペナルティ軍が西進を続け、ユアノンの国家防衛ラインから抜けた時点で、プレアデスは全軍に帰還を命じた。星術学院や神殿、騎士団、闘士部隊、傭兵部隊はそれぞれの指揮系統により解散され、ブランケット市をはじめとした各市へと分かれて帰参した。何れの部隊も犠牲は大きく、敵を撤退に追い込んだとは言え決して晴れ晴れしい凱旋とはならなかった。
ブランケット市においても、新聞報道によってデスペナルティ軍撃退の報が甲高く喧伝されたが、帰らぬ人間を悼む世情がそれに勝った。祝杯を上げることが自重される雰囲気で、此度の戦争を評論することは意識的に躊躇われた。
そのような沈鬱なムードの中で、スミソニアは帰還するなり神殿の地下牢へと投げ込まれた。クアール戦で出血したことにより、彼女が魔族であるという事実が公に知られたのである。
スミソニアは<光神>神殿ブランケット支部でも腕利きの神官であり、実力だけでなく比肩無き美貌や柔軟な人格も高く評価されていた。神殿では上位の身分にあったし、プレアデスの秘蔵っ子としてユアノンで一目も二目も置かれる存在であった。そのスミソニアが魔族であったことは、ブランケット市中で衝撃と共に伝わった。折り悪く成果の少ない戦争が終わったところで、市民の魔族に対する憎悪の感情はいやがうえにも募っていた。
裏切り者としてスミソニアの名声は地に堕ち、彼女が負傷しながらもクアールと戦った実績は霞んで消えた。
地下牢の中は肌寒く、そして音も光も存在しないことから、虚無の世界を連想させた。粗末な囚人服を着せられ、星術の起動を阻害する星術器具で手足を拘束されたことにより、スミソニアの自由は完全に奪われていた。クアールに斬られた傷には申し訳程度の手当がなされ、変えられぬ包帯は青い血の滲みによって汚れていた。
幾日も独りで過ごしていたので、スミソニアは世間で報道されている内容の詳細を知り得なかった。ただし、給仕に来る神官見習いがその都度彼女に対する刑の執行日を教示した為、己の立場がユアノンにおいて無くなったことだけは承知していた。
スミソニアは憔悴こそしていたが、それでも絶望してはいなかった。元よりプレアデスが健在であれば彼女自身の生命の有無など些末な問題であったし、シャマスが無言で戦場に駆けつけたことから、スヴェンソンも存命であると確信できた。
敬虔な神官であるスミソニアは職業柄自己犠牲の精神が旺盛であり、大恩人たるプレアデスや唯一の肉親であるスヴェンソンさえ無事であれば、他に奇蹟を望むべくもなかった。クナイやシャマスの無事を願う気持ちも当然あったものだが、スミソニアの価値尺度からしてそれらの優先順位は下へと置かれた。
それでも、スミソニアの心の片隅には、プレアデスの慈悲を期待する光が僅かばかり残されていた。彼女の強き精神はそれの表面化を嫌ったものだが、一人の女としての側面が情を掛けられることを望んでいた。
そんなスミソニアの儚い想いも、早々に打ち砕かれた。魔族であることを隠し、周囲を欺き続けてきたスミソニアは、ユアノンの法に基づいて、早期に処刑されることと決まっていた。処刑日が近付いたこの日、ついにプレアデスが地下牢へと姿を現した。
「遅くなった。スミアよ、お前がいないと見習いの一人も買収するのに手こずる。・・・・・・やはり神殿には、度し難い堅物しかいないものよな」
「プレアデス様・・・・・・ご無事で何よりです。このような場所までご足労いただき、恐悦至極に存じます」
プレアデスが星術で造った小さな発光球体だけが地下牢を優しく照らし、久方ぶりの光源体に接したスミソニアは、眩しげに目を伏せっていた。プレアデスの深い碧色をした瞳が弱々しくなったスミソニアを映し、その視界は直ぐにもぼやけて像を揺らした。
「スミア・・・・・・すまぬな。儂は、お前を救ってやることができん。いまお前を庇えば、儂の立場が危ういものとなる。それはユアノンにとって不幸であるに止まらず、東域に息づく全ての人間にとっても悲劇的な結果を招くだろう」
「・・・・・・ご安心を。全て承知しておりますれば。私と弟は、出自を偽ってプレアデス様のお屋敷に潜り込んだのです。全て私たち姉弟の悪意に基づく所業であり、受け入れて下さっただけのプレアデス様には、何ら落ち度はありません。ブランケット市やユアノンの皆様には良くしていただきましたし、この身が朽ち果てようとも恨んだりは致しません」
スミソニアは、神殿や星術学院の関係者から尋問を受けた際に答えたままを語った。その回答はプレアデスの耳にも入っており、スミソニアが自分を庇い続けて決して助命嘆願をしなかったのだと知っていた。知っていて、プレアデスは敢えてそれをスミソニアに言わせた。このやりとりは、いわば儀式のようなものであった。
プレアデスは黙って頷き、その場で頭を下げた。目が慣れてきたスミソニアは、流れるプレアデスの銀髪を静かに見つめていた。
「スヴェンが見つかったら、悪いようにはせぬ。ブランケットに留まれなくとも、生活を援助することは出来よう」
「弟を、何卒宜しくお願い致します」
「あと、フォルドやメイドたちはお前のことを思って泣いていた」
「どうか皆に、スミソニアが礼を申していたとお伝えくださいませ。今まで私たち姉弟に良くしてくれて、本当に感謝しておりますと」
「うむ」
「プレアデス様。戦場で私を助けて下さった、クナイさんやシャマス様はご無事でしょうか?」
「息災だと聞いている。・・・・・・もっとも、クナイもお前と同様追われる身となったからには、今後の無事は約束しかねるが」
「・・・・・・左様ですか。では、私が無事を祈ると致します」
「長居はできん。スミアよ、さらばだ。今までの貢献は決して忘れぬ」
「はい。今までありがとうございました、プレアデス様」
会話はそれで打ち切られた。スミソニアは、覚悟していたとはいえ、溢れ出す涙を堪えられなかった。体中の水分が枯れ果てたら涙は止まるのだろうかと非現実的な空想をしながら、プレアデスが去った暗闇の中で一人泣き続けた。
その翌々日、さらにもう一人の謁見者が、地下牢の鉄格子越しにスミソニアと相対した。残り少ない気力を振り絞って立ち上がったスミソニアへと、謁見者が松明を近付けて面相を確認した。
「・・・・・・ひどい顔」
「・・・・・・ごめんなさい、シンディ。貴女を騙していたのは、私の指図です。弟に悪気はありません。弟は・・・・・・貴女を見ているだけで満足していたのです。この私が、スヴェンの背中を押しました。身分を隠してアプローチするようにと・・・・・・」
「黙っていて」
「・・・・・・これまで、魔族であることを隠して接していて、本当に申し訳ありませんでした」
無表情で見つめてくる歌姫シンディに対し、スミソニアは懸命に頭を下げた。要求されたならば、弟の想い人であるシンディに対し、土下座であろうと靴を舐めることであろうと何でもするつもりでいた。
シンディは華劇団で着ているような華やかな衣装とは全く逆の、落ち着いた雰囲気のパンツスーツ姿でスミソニアとの面会に臨んでいた。長い黒髪はポニーテールに結って背に垂らされ、澄んだ黒瞳は大きく見開かれていた。
「父母の下に、星術学院のお偉いさんと私の縁談が持ち込まれたわ。詳しく聞いたら、スヴェンと貴女を世話している賢者様が薦めたのだとか。・・・・・・まるで、貴女たち姉弟がこうなるのを見越していたかのようなタイミングだとは思わない?」
「プレアデス様は、グルではありませんよ?私が皆を騙してここに住んでいたのです。弟を巻き込んだのも私です。全ての責任は、薄汚い魔族である、この私にあります」
「黙って!・・・・・・そうやって、わざとらしく悪人ぶるのはやめて。私は知っているんだからね。スヴェンも貴女も、市中で言われてるような悪辣なスパイなんかじゃないって。ここで居場所を作ろうとして、必死に働くのを見続けてきたんだから。魔獣退治みたいな危険な任務に、誰よりも多く志願してきたのも知ってる。公演でユアノン中を回ってるから、貴女があちこちで慕われてるのも知ってる。そんな人が、もしかしたら義姉になるかもしれないって、私は楽しみにしていたんだから!全部・・・・・・嘘だったなんて、信じられるわけがないじゃない・・・・・・」
立て板に水とはいかず、シンディが詰まりながら涙声で言った。スミソニアは指図されたように沈黙を貫き、薄紫色の瞳に優しい光を点してシンディを見つめていた。
スミソニアは、スヴェンソンとシンディの交際を誰よりも祝福していたし、後押ししてもいた。しかしながら、自分と弟がシンディに対しても素性を隠していたことだけは、心の奥底で重荷となっていた。申し訳ないという気持ちが絶えずどこかで過ぎり、スヴェンソンが成人してもシンディとの婚約を頑なに認めないことに、スミソニアも共感できる部分はあった。
プレアデスとプレアデス家の者たちは運命共同体ということで、姉弟が魔族である事実を共有していた。その輪をシンディまで広げることは、プレアデスが最後まで許可しなかった。ユアノンの名家が魔族を匿っているなどという醜聞は危険を孕んだ大事であり、ましてやシンディはプレアデスの縁者でもなければ支持層でもなく、どこから秘密が漏れるとも知れなかったので、スミソニアもそれに関しては諦めていた。
そのあたり、スヴェンソンがスミソニア以上に達観していたので、ともすると恋人に対して冷たい態度が目立ち、同じ女である姉としてはいっそうシンディを応援する立場に回っていた。スミソニアとシンディは傍目にも仲が良く、姉とプレアデス以外に冷めた目を向けるスヴェンソンを上手く懐柔するよう、よく共闘していたものであった。
そういった信頼関係の全てが破壊されたわけで、スミソニアの哀しみは絶大であった。何よりシンディに酷い思いをさせてしまったと、心の底から嘆いていた。魔族である姉弟と、人間の歌姫であるシンディ。ユアノンでは決して交わることが許されない禁断の関係であった。
「シンディ。私のことを恨んで下さって結構です。この罪は償いようも無いものだと理解しています。・・・・・・でも、弟のことは、少しだけ。ほんの少しだけで良いので、許してあげてください。あの子は・・・・・・スヴェンは、貴女と知り合ったことで、他人を大切にすることや信じる心を取り戻すことが出来ました。幼い頃の悲惨な体験から、氷のように冷たくなっていたスヴェンの心を、貴女が溶かしてくれたのです。スヴェンは、誠実に貴女と向き合っていました」
「・・・・・・何度も言ったわよね?スヴェンは、別れを告げて私の前から居なくなったの。彼は私との婚約を最後まで受け入れなかった。私のことなんて、もう必要としていないの!」
「いいえ。貴女のことを大事に想っていたからこそ、ブランケットに戻らぬと決めたスヴェンはそういう選択をしたのだと思います。・・・・・・実際にこうなって、貴女に連座の嫌疑を掛けずに済むかもしれないことだけが、せめてもの救い。シンディ、良いですね?私たち姉弟が、貴女をたぶらかそうとした。それが全てです。神殿や学院に尋問されることがあったら、そう答えてください」
「何でよ・・・・・・」
「え?」
「何で、スミアもスヴェンも魔族なのよ!どうして人間に生まれてこなかったのよ?よりによって、何で魔族なの?」
「シンディ・・・・・・」
「人間だったら・・・・・・皆で幸せに・・・・・・暮らせたのに・・・・・・」
シンディはそのまますすり泣いた。スミソニアは歌姫のそんな様子を神妙に眺めていた。シンディの最後の言葉だけは、スミソニアに悲運を感じさせるものではなかった。
(魔族に生まれることが、何か悪いことなのかしら。私は父や母の愛情を覚えているし、魔族だからといって別段悪人ばかりが蔓延っていたわけでもなかった。父母と政治的に敵対するジキル・ド・クラウンから迫害はされたけれど、頼った先が偶然プレアデス様であっただけ。別の有力な魔族に拾われていたなら、魔族であることが不利に働くことはなかった。鳳凰市で生きることが出来ていたなら、亜人の共同体に溶け込めていたのかも知れない。魔族を敵視するのは、所詮はユアノンの都合に過ぎない。人間に生まれていたなら、なんて願ったことは一度もない。なぜなら、種族や身分の違いに貴賤があろう筈もないのだから。そのように不毛な設計、<月女神>や<光神>がお許しになどならないでしょうに)




