4 荒ぶる魔族
4 荒ぶる魔族
デスペナルティ軍の全軍出撃をいち早く察知したのは、地理的にそれほど遠く離れておらず、且つレジスタンスの広範なネットワークを有する鳳凰市であった。と言っても、一千五百を数える大戦力の移動がそう隠し通せるものでもなく、時を経ずしてこの動乱を予期させる情報は東域全土を駆け巡ることになる。
エーデルワイス・エゼルエルは、幹部会議の席では国是に則り手出し無用との持論を前面に出して論戦を張ったが、会議の後に設けられた市長との会談においては、全く逆の主張を持ち出した。
「市長。ここでユアノンを見殺しにした場合、デスペナルティによって東域が制覇されると確実視されます。これは建前とは別の次元の話です。もはや軍事介入は待った無しの状況かと」
「エーデルワイスさん。私はね、戦いの連鎖を断ち切るために永世中立を謳っているんだよ。ここで私たちが加勢してデスペナルティ軍を破ったとして、魔族はますます恨みを募らせるよ?憎しみや悲しみは伝播して、やがて次の戦争を生み出す。それって、どうなのかな?」
ノンノ・ファンタズムが凛々しい顔付きで、鳳凰市が掲げる理想の根本を説明し始めた。
「人間と魔族のどちらにも肩入れはしない。だって歴史を紐解けば、時代時代で上位者が下位者を虐げて、それが繰り返されてきたわけでしょ?今回はそれがたまたま魔族側の優位に傾いただけ。確かに私たちはレジスタンスを支援して、裏方として東域のパワーバランスを保つべく腐心してきた。でもデスペナルティがリスクをとって一気に駒を進めてきたなら、その選択は尊重されて然るべきと思う」
「問題をかの二国間だけに限定したならば、小生にも異論はありません。ですが、ユアノンが武力で滅ぼされた場合、次はこちらの番でしょう。正直なところ、外交施策でどうにかなる相手ではないという諦念があります」
「永世中立を掲げて、専守防衛を貫いて。それで私たちが滅びるのは、世界の選択なのかも知れないよ?結局のところ、この世界においては種族間の対立が解消しないのだというね。敵意が無くなることはない。相対主義が蔓延る他にない。他社を卑下することでしか自我を維持できない。人間も。亜人も。そして魔獣も。皆が、そういった不完全な種族でしかないのかも知れない」
「・・・・・・だとしても、です。為政者である以上、小生は最後まで望みを捨てる選択だけはしたくありません。簡単に諦めたら、困難な理想の実現などいつまで経っても達成できるわけがない」
エーデルワイスの単眼鏡の奥に覗く瞳は力を失っておらず、ノンノはそこに相棒の粘り強さを垣間見た気がした。市長執務室のソファに腰掛けた二人は、議論の白熱と共に血が上った頭を冷やすべく、冷たい茶に手を伸ばした。
エーデルワイスは軍事介入を示唆したものだが、実際のところ鳳凰市が抱える戦力などたかだか二百程度のもので、一千五百もの兵を動員してきたデスペナルティを前にしては塵にも等しかった。
「それで?エーデルワイスさんは、私に何を提言したいの?言っておくけど、私がユアノンまで飛んで、実力行使でデスペナルティ軍を止めるとかいうのは無しだよ」
「承知しております。例えば、です。小生が聞き及んでいる限りでは、今回の開戦の発端は、あの姉弟がジーザスシティから持ち出したという、星力の結晶体なる秘宝だとか。では、それをジキル・ド・クラウンに返すことで撤兵の交渉は出来ませんか?もちろん、あの事件を市長が手引きされたことは小生も存じ上げております。あのような星術器具が一体何を引き起こすものかは知りませんが、ユアノンが滅ぶこと以上に深刻な事態を呼ぶとは思えません」
ノンノはエーデルワイスの正面で人差し指を立て、それを左右に振った。
「チッチッチッ。それが、呼ぶんだよ。・・・・・・そうだね。ブレインネットワークに上がった身近な事例を挙げて説明すると、南域でジキル・ド・クラウンの実験と同じことが試みられたんだ。結果は半分成功で半分失敗。その失敗の余波で、聖シュライン王国の聖都では、十万人以上の市民が一夜にして消えた」
「何ですと・・・・・・」
「あれはそういうものなの。だからこの美少女市長としては、デスペナルティの総統や神獣<アラヤシキ>に同じ轍を踏ませるわけにはいかないんだ。むしろ、先だっての邪魔が中途半端に終わったから。今度はジキル・ド・クラウンの計画を完全に潰したくもある。あくまで戦争とは無関係にね」
ノンノが口にした言葉に少しの疑いも抱かず、エーデルワイスは自らの提案を即座に放棄した。そして、今の話を踏まえてリプランを構築した。
「では、市長が仰った路線でユアノンに助勢しては如何です?ジーザスシティに人を遣り、ジキル・ド・クラウンが所有する残る星力結晶体とやらを打ち砕くのです。姉弟が持つ欠片を求めても仕方のない状況を作ることが叶えば、デスペナルティすら多大な損耗リスクを抱える此度の戦争を継続する意味の大半は失われましょう?何でしたら、ジーザスシティに送り込む人員の差配は小生が致します」
「・・・・・・その案には、少なくない修正が必要だね。第一に、鳳凰市は自ら手を汚さない。これは専守防衛の理念に従えば、自ずとそうなる。だから私は、自分が卑怯だと分かってレジスタンスを動かした。エーデルワイスさん。どのような形であれそこを譲ったなら、私がこの国を統べる道理は何も無くなると思って欲しいの」
ノンノはぶれずにそう言って、どこか哀しげにエーデルワイスに向けて微笑んで見せた。数年前、エーデルワイスがとある大学の講座でノンノと初めて出会った時、彼は彼女が語る理想論を一笑に付した。だが不思議とノンノと交わす議論は盛り上がり、現実主義者を標榜するエーデルワイスからすれば平和主義などという甘い思想は夢物語でしかなかったわけだが、彼女の人柄やカリスマ性に惹かれていった。
元は不誠実な中立主義を採用していた鳳凰市であったが、ノンノが市長の座に就いてからは、内外へ永世中立と専守防衛の意志を明確に表した。そしてエーデルワイスは、ノンノの政権の基幹部分を支えるに至った。
「・・・・・・でも。エーデルワイスさんが、どうしても私に武力を用いて欲しいと言うのなら。優しい正義の味方であるところのノンノ・ファンタズム美少女市長は、一度だけ自らの禁を破っても良いよ。ただし、それでお別れ。市民と世界を欺いたからには、私は私なりに自分に罰を下さないと気が済まないからね。・・・・・・だから、そのときは言ってね」
「・・・・・・折衷案をば。ジーザスシティで行われている、ジキル・ド・クラウンの所業をある程度のラインにまで公開します。そう、諸国の為政者や、影響力がある星術士、神官、闘士、傭兵などに対してです。その上で、残るレジスタンスの戦力や須弥山に立てこもる者たちをジーザスシティに向かわせるのです。あとは、良識ある者が立ち上がることに懸ける。・・・・・・小生らしからぬ具体性や確実性が無い、何ともふわふわした計画にはなりますが」
「鍵となるのは、<始祖擬体>なんだ。おそらくエーデルワイスさんが考えている以上に、それに注目する輩は多いよ。<アラヤシキ>とジキル・ド・クラウンは言うに及ばず、グラジオラス騎士団領の使者たちだってそう。そうした擬体のロジックを知る者たちは、今回の内幕を知れば確かに動き出すかもしれない。かつて<アラヤシキ>にこの地を追われた<ファンシー>がそうであったように、私たち幻獣の中で<始祖貴婦人>を信奉する者は少なくない。・・・・・・皆気紛れだから、助けとなる絶対の保証はないのだけれど」
エーデルワイスは、ノンノの応答を諾であると受け取った。そしてソファから身を乗り出し、両手でノンノの小さな手を包み込んだ。
「市長。東域の浮沈を懸けて、小生に全権をお預けください。やれるだけの手を打ってみます」
「エーデルワイスさん。この光景をミナちゃんが見たら、泣くよ?」
「あれは小生などには出来た妻です。あれも市長を信奉しておりますれば、進んで貴女の秘書職などを務めています。小生が市長に邪ならぬ親愛の情を寄せていることを、あれは誰よりも理解しているでしょう」
「なら、折角だから抱擁くらいしておく?こんな美少女と、そんな機会はこの先ないでしょ」
「結構です」
エーデルワイスは握っていた手を離し、単眼鏡の位置を直して立ち上がった。そんな生真面目なエーデルワイスのことをノンノは頼もしく思う一方で、彼が提唱した対デスペナルティ戦略に致命的な欠陥があることを分かっていながら敢えて指摘しなかった。
(ジーザスシティには、<アラヤシキ>が控えているはず。なぜなら、レジスタンスで一番影響力がある竜騎士団副団長のグリンウェルがまだ近隣に潜伏しているとジキル・ド・クラウンは認識しているのだから。十番目の神獣を出し抜いて<始祖擬体>の本体を処分することが出来る可能性は、現有戦力ではたぶんゼロに近い。コールドマンは剣導プラズマを連れて独自に戦争へ介入すると思われるし、いくらラグリマ・ラウラの知己とは言っても、グラジオラス騎士団領の二人にそこまでの期待は寄せられない。・・・・・・なら、私にしてあげられることは・・・・・・)
鳳凰市より須弥山へとノンノが訪れ、デスペナルティ軍のユアノン侵攻の報はスヴェンソンらにも伝えられた。ノンノはただ事実を語り、そして意見も聞かずに去った。しかしながら、エーデルワイスの思惑通りに今後の展開は予想されたようで、朧月夜が起死回生の一手を次のように述べた。
「ジーザスシティに向かって、ジキル・ド・クラウンが隠匿している<始祖擬体>を破壊しましょうか。そうすれば、スヴェンが狙われる理由はなくなりますし、デスペナルティのなりふり構わぬ攻勢にもブレーキが掛かるはずですー」
小さな鍾乳洞に隠れた三人は車座になって話しており、ノンノは既に去っていたが、彼女が持ち込んだ物資でしばらくの間は補給の心配も無くなっていた。
天井からは鍾乳石が垂れ下がり、何れも結露してはぽたぽたと水滴を落として静謐な空間に軽快なリズムを刻んでいた。立ち並んだ石筍には物言わぬ蛙が潜んでいたが、三人の相談を邪魔するでもなくじっと様子を眺めていた。
「・・・・・・すみません。僕はユアノンに戻ります」
スヴェンソンは言って、居ても立っても居られないといった風にそわそわして立ち上がった。朧月夜とシャマス・セイントはある程度その流れを想像していたので、ひとまず慌てることなく説得に掛かった。
「スヴェン。あなたが敵の虜になれば、ユアノンの助かる道が一つ失われるのだけれどー。それは分かっていますよね?」
「はい。ですが姉上の窮地に、僕が離れたところにいることなど耐えられません。それで姉上を失ったなら、おそらく僕は生きてはいられないでしょう。
「しかしですねえ・・・・・・。ユアノンが滅びて、その上スヴェンの左腕まで奪われたなら、東域にどんな災難が待っているやら。神獣や竜騎士団までもがあなたを狙っている以上、単独でなんて送り出せませんし」
「・・・・・・すみません」
「なら、ワシがスミアを助けに行こう。それでどうだ?」
不意に、シャマスが言った。スヴェンソンと朧月夜は驚いた顔をして無愛想なドワーフの神官戦士に注目した。
「ワシは<光神>の神官だ。戦場で神官戦士の軍団を助けに入ることは、それほど難しくない。スミアが危なければ連れて逃げる。そうでなければ助っ人としてこいつを振る舞おう。スヴェンよ、それでどうだ?」
シャマスは地面に置かれた戦斧の柄を軽く叩き、真面目な顔付きでスヴェンソンに迫った。スヴェンソンは「有り難いお話ではありますが」と前置きをした上で、シャマスに真意を問うた。
「シャマスさんがそこまでしてくれる動機は何ですか?僕の左腕が敵の手に渡ることを忌避しているからですか?それとも、単なる同情でしょうか。それが分からないことには、姉上をお任せするわけには参りません・・・・・・」
「後進の、前途ある神官を導くのは、同じく神官たるワシにとって当然の選択だ。それに、スミアの嬢ちゃんがマキシムの後輩だと分かった。ワシはあやつのことを勝手に大恩人だと思っている。それだけをとっても、スミアを助けるのにワシは命を懸けられる」
英雄マキシム・オスローの名を挙げて、シャマスが一言一言を噛みしめるようにして語った。朧月夜がそれをフォローするかのように、シャマスがかつてマキシムと共に魔獣を狩る闘士であったのだと聞かせた。
それでもスヴェンソンの不安の種は尽きなかった。シャマスや朧月夜が世界や東域の先行きを案じて行動していることはよく分かるものの、スヴェンソンにとっての価値観は第一にスミソニア、第二にプレアデスへと傾いており、そもそもの優先順位が異なっていた。シャマスの実力自体は、自分が危機の折りに<アラヤシキ>を撃退してもらったことから、十分に信頼に値すると考えられた。それでも、スヴェンソンは自分が誰よりもスミソニアの身を案じているという自負があり、その上で姉のことを他人に任せるというのは背徳以外の何物でもないと感じていた。
スヴェンソンが長考に入りかけたそこで、朧月夜が一つのアイデアを披露した。最終的に、スヴェンソンは朧月夜の案に少なからぬ魅力を感じ、ユアノン入りをシャマスへと託した。
「シャマスさんなら、ドワーフの里をも動かせませんかー?この際ですから、スミアが助かる確率を少しでも上げられそうな手は、どんどん打つべきかと」




